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■ 80)納骨処がありますか?永代供養墓 「弥勒堂」=骨廟(お堂式)…霊処…。2017. 2.25

此のプチ霊堂(境内山門前)は、
一人ひとりの個人が集って共に安眠出来る霊処(お堂式・弥勒廟)「久遠廟」です。正面に「宮殿(くうでん)」を設けています。宮殿内には合同位牌を設け、又当山本堂内位牌堂に合同位牌を安置しています。
画は【 click!】で拡大表示。
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永代納骨の「久遠廟」です。初めから合祀の他、お遺骨は堂内に骨壷で25年間安置し、以降合祀となる合同壇。
お堂の正面に合同お位牌壇を設けています。
・今までは住職ごとに坊塔墓(芋墓)と言って石塔を建立していましたが、私の代以降は歴代住職・寺族共にこのお堂“弥勒堂”に納めることになります。故に寺のお墓とも言えます。よく謂う納骨堂とは区別されます。諸霊が一同に集って弥勒菩薩の出現まで待ち受ける“納骨弥勒霊廟”です。故に『弥勒納骨堂』とも言います。
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累代承継していく形式の霊廟(お墓)ではなく、堂内に骨壺の状態で安置し、永代に亘り当山が堂内で供養する形式です。
=建立の主旨=
墓所の形態が従来とは大きく違う時代になって来ています。急速に核家族化、高齢化して来たからです。その為にお墓参りや掃除が困難になっています。今後、墓所の形式はますます多様化されて行く筈です。
今“墓じまい”が盛んに報道されています。それで以下の趣旨で建立しました。従来の墓所は跡継ぎがいないと継承が途絶えて無縁墓になってしまうのが現状です。
@ “納骨堂(石塔式・阿字の里)は代々伝わる今までの家のお墓という概念”ではなく、一人ひとりの“個人が集って一緒に眠れる霊堂“です。
A 本来の家中心の墓ではなく、五十六億七千万年後瞑想されている弥勒菩薩が仏となって出現するまで、皆で弥勒浄土を待ち望むのです。
B それまで“家族・後継者がいてもいなくても、誰にも迷惑をかけることなく安心して最後の最後まで安住できる納骨堂”として…。
C 弥勒菩薩が、五十六億七千万年後の未来のこの世に仏となって出現し、救済されるまで納骨者一同で待ち受ける場所です。「五十六億七千万年後瞑想されている弥勒菩薩が仏となって出現するまで皆で弥勒 浄土を待ち望むのです。
D 継承者がいなくても無縁仏にならないよう永代に渡り御骨の管理供養を、当山の住職が代々責任を持って行います。
E お墓を継ぐ人がいない、お墓のことで子供や孫に負担をかけたくない。長男がいても地元で就職することなく遠地で就職する時代です。
F それで親が地元にいて元気な間は代々の墓のお参り、掃除は出来ますが、何れそれも不可能になって行くのは目に見えています。
G 後継者がいない、遠方のために墓参りができない。最近“墓じまい”が盛んです。墓処分“墓じまい”は、墓の継承やライフスタイルの変化に関係します。少子高齢化で死亡者数が増える反面、墓を継承する人は減り続けています。
H 子孫が墓を継ぐという前提は破綻しつつあるので、無縁墓を増やさないことが肝要です。
I お墓を建立しても早ければ2代・3代で無縁さんになる時代です。墓地を確保しても墓地取得費・墓石費が必要になります。
J 「現在のような石塔の形式になったのは明治以降で、それまでは石塔のお墓を作っていたのは一般庶民では、或る部落の共同墓地で調べてみたら、埋葬された10人の内8人には墓石が建てられていないのだそうです。後は殆ど同じ場所に繰り返し土葬で墓石も建てず埋葬されていて、死後この世に残すのは、実は家ごとの仏壇にある位牌だけなのだと或る民俗学者が調べています。
K “記念保存のために有る先祖の墓石”それは永い墓石の歴史からいえば一瞬の現象に過ぎないのだということです。納骨堂式の埋葬法は合理的かつ責任ある方法ともいえるのかもしれません。
L 納骨弥勒堂には、今後の歴代住職・寺族も入ります。    

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代々承継していく古来から続く、家代々の形式の霊廟(お墓)ではなく堂内に骨壺の状態で安置し、後継者が不在になっても遺骨は25年後に(合祀カロート)に移され、永代に亘り供養する形式です。維持管理費は不要で、当山が永代に管理維持します。後々の心配の要らないようにしております。
堂内前面宮殿の須弥壇・三具足(花立・香炉・燭台)は共有。
※これから以下〜最後まで多くは重複します。
当山境内にある永代供養付き納骨堂。
◇期限後は永代供養墓にて合祀
 ◇生前申込み可
  ◇宗旨宗派は不問
 ◇維持費・寄付などは一切発生しない
 ・先住(先住職)さんまでは、各住職ごとに坊塔墓(芋墓)と言って石塔を建立していましたが、私の代以降はこのプチ霊堂に納めることにします。
 ・墓所は、堂内に設置されれる新しい形のお墓。
 ・堂内個別納骨式で墓の承継者を前提としません。
等の規約を定めています。
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        〓・=プチ納骨堂(霊廟)建立の主旨=・〓          
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・墓所の形態が従来とは大きく違う時代になりました。急速に核家族化高齢化して来たからです。その為に、お墓参りや掃除が困難になっています。今後も墓所の形式は益々多様化されて行きます。
・当山の墓地は、下関では幕末から開けた古い墓地です。そのため世代が移り半分以上が墓じまいされて少なくなっております。多くが当山の檀家さんの墓石ではなく、他宗のお方の墓石です。
・それで墓地は閉じた状態です。
・従来の墓所は跡継ぎがいないと、継承が途絶えて無縁墓になってしまうのが現状です。
・この納骨堂は代々伝わる今までの家のお墓という概念ではなく、一人ひとりの個人が  平等に集って一緒に眠れる霊堂です。それで従来の家中心の墓ではなく、下記の主旨で建立し たのが当山のプチ霊堂です。
・五十六億七千万年後、瞑想されている弥勒菩薩が仏となって出現するまで、皆で弥勒浄 土を待ち望むのです。それまで家族・後継者がいてもいなくても、誰にも迷惑をかける ことなく安心して最後の最後まで安住できる納骨堂として…。
・弥勒菩薩が、五十六億七千万年後の未来のこの世に仏となって出現し、慈しみをもって 救済して下さるその日まで、納骨者一同で待ち受ける場所故、別称=弥勒堂とも言いま す「五十六億七千万年後、瞑想されている弥勒菩薩が仏となって出現するまで皆で弥勒 浄土を待ち望むのです。
それまで、
・宗教や習慣等に因らず 自由にお参り出来る当山境内の霊堂です。
・代々の住職の墓は住職ごと個々にに建立していましたが、これからは住職・寺族共にこのプチ霊堂に納めます。
・年間管理費、維持管理費不要。
・継承者がいなくても無縁仏にならないよう、永代に渡り御骨の管理・供養を、当山の住職が代々責任を持って行います。
                                                                         福仙寺住職

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・“お墓を継ぐ人がいない”
・“お墓のことで子供や孫に負担をかけたくない”
・“長男がいても地元で就職することなく遠地で就職する時代です。それで親が地元にいて元気な間は代々の墓のお参り、掃除は出来ますが、何れそれも不可能になって行くのは目に見えています”
・“後継者がいない、遠方のために墓参りができない”
・“最近墓じまいが盛んです”
・“墓処分(【※1.】墓じまい)は、「墓の継承」や「ライフスタイルの変化」に関係します”
・“少子高齢化で死亡者数が増える反面、墓を継承する人は減り続けています。子孫が墓を継ぐという前提は破綻しつつあるので、無縁墓を増やさないことが肝要です”
・“お墓を建立しても早ければ2代・3代で無縁さんになる時代です”
・“墓地を確保しても墓地取得費・墓石費等に費用がかかり、更に将来「墓じまい」をすれば、その費用が必要になります”

・“菩提寺を持っていない”
・“身寄りのない親族の納骨場所に困っている”
・“子供が娘ばかりで仏壇を継いでくれない”
・“納骨しないままお骨を自宅に持っている。お墓も守れない”
・“宗旨・宗派は問いません”
・“子孫が絶えてしまうと元のお墓に入るどころか、お参りをしてくれる人もいなくなります。そのようなお墓は無縁仏となり、先々の供養がなされない寂しいものとなってしまいます”
・“納骨堂はひとり暮らしの方、ご夫婦だけの方で将来にわたってのご供養にご心配している方も安心して納骨できる”
・25回忌までの個別供養の後、同じ堂内永代供養合祀墓「法界萬霊内」に改葬され、納骨期限の満了はなく、永代納骨・永代使用できます。

以上の方々を対象にしています。

※、“継承者がいなくても無縁仏にならないよう、永代に渡り御骨の管理・供養を当山管理者(代々住職)が責任を持って行います”

お大師(弘法大師 空海)さまと、弥勒菩薩(マイトレーヤー)の梵字種字は「ユ」で同じです。お大師(弘法大師 空海)は、弥勒菩薩の化身とも言われています。その理由から同じ梵字種字を使用しています。それで、お堂の前面左右にその梵字種字は「ユ」を入れました。
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「現在のようなお墓(石塔)の形式になったのは明治以降で、それまでは石塔のお墓を作っていたのは一般庶民では、或る部落の共同墓地で調べてみたら、埋葬された10人の内8人には墓石が建てられていないのだそうです。後は殆ど同じ場所に繰り返し土葬で墓石も建てず埋葬されていて、死んだ人がこの世に残すのは、実は家ごとの仏壇にある位牌だけなのだ」そうです。と或る民俗学者の公演を聞いた事があります。幕末までは豊かな商家や士族しか墓石を残せなかったのでしよう。   
更に「記念保存のために有る先祖の墓石。それは永い墓石の歴史からいえば僅か歴史上の一瞬の現象に過ぎない。現在の大型の墓石が目立つからといって、それが墓石の基本であり伝統であると考えるのは、墓石の変遷史からみれば大きな間違いなのです。」という話しでした。
                                   
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阿弥陀信仰による極楽浄土よりも古くから信仰された浄土が、弥勒菩薩の弥勒浄土=兜率天(とそつてん)です。
:一般的には、西方極楽浄土は浄土系の宗旨がいいます。

(浄刹・浄土)⇔(穢土・娑婆・現世)

本来は十方に諸仏の浄土が有るとされています。

 極楽は西にもあれば東にも
    来た[きた](北)道さがせ
      皆身[みなみ](南)にぞある
                     古歌

西方には阿弥陀如来の極楽浄土。
東方には薬師如来の浄瑠璃浄土。
そして南方の海上彼方には、観音菩薩の浄土「補陀落(ふだらく)世界」があると言います。

特に西方浄土往生の思想が盛んになると、浄土とは阿弥陀仏の西方極楽浄土をさすようになります。
真言宗で言えば、浄土は弥勒浄土≒兜卒浄土と言います。この浄土は十方の内の、天上に有ると言えます

数多い菩薩の中でも、この弥勒菩薩は少し別格の菩薩です。それはこの菩薩が過去の歴史の中で出現した仏ではなく、未来に現れる仏だからです。

今頃お葬式後の挨拶の時、お浄土と言わず。 仏教徒でも、天国と言う人が多くなったように思います。
来世に往生する事を、浄土・天国の違いを考えずに、単なる響きのいい天国と言うのかもしれません。 
十方(天空を含め)に諸仏の浄土があるのだから、それでもいいのかも!

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以下、サーチ【search】
弥勒菩薩が現れるのは、釈迦入滅後 567,000万年(或いは576,000万年)であるとされています。これは科学的に見ると太陽系の余命とほぼ一致するそうです。
宇宙が滅亡する頃に出現して、人類を救うのが弥勒菩薩であり、高野山に入定された弘法大師なのです。
弥勒菩薩がその姿を現すとされる世界は、兜卒天と呼ばれる所で、欲界の天道の中の下から5番目の天で、弥勒菩薩が将来登場する場所ということで、弥勒浄土ともよばれています。また弥勒菩薩は竜華樹の下で仏になり、人や天人たちのために三度説法すると言われ、これを竜華三会といいます。

四天王の天道に帝釈天や四天王、また梵天などが住んでいるとされるのですが、この天は欲界にある訳で、こういう神様たちでさえ「天人に五衰の相あり」と、言われて流転輪廻の中にある迷いの世界となっています。

この欲界の上には色界があり、欲界と色界で1世界を構成しています。1世界が1000個集まって小千世界、小千世界が1000個で中千世界。中千世界が1000個で大千世界といい、この3つの千世界を総称して三千大世界といいます。科学的に見ると1世界が地球のような惑星 小千世界が銀河 中千世界が銀河団、大千世界が超銀河団でしょうか?

さて、弥勒菩薩はインドでは、マイトレーヤとよばれ、インド宗教と兄弟関係にあるゾロアスター教では、ミトラ神に対応します。
しかし実はミトラ信仰は、ゾロアスター教よりも古いもので、契約の神・天空神・光明神で、又冥界の裁判官でもありました。

ゾロアスター教でアフラ・マズダが、最終的に全知全能の神に進化して、アフラ・マズダに帰依していた人々の時代が来るという話や、キリスト教でその内最後の審判が行われて、神と契約していた人々に新しい時代が約束されるという話は、このミトラ教の影響で生まれました。 弥勒菩薩が56億7千万年後に登場して、全ての衆生を救済するというのもこの話の変化のひとつでしょう?

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日本では天空に近い山の上に、弥勒浄土があるという信仰が中世の頃からありました。弘法大師が62歳で入定される時、弥勒菩薩の出現まで瞑想して、56億7千万後に弥勒菩薩とともに、この世に戻って来る、と言ったという信仰あります。それ故、お堂の前面にお大師様・弥勒菩薩を表す“ユ”と言う梵字の種字を入れました。

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弥勒信仰自体は、聖徳太子の頃既に朝鮮半島などでも盛んだったようで、かなり古い時代の弥勒菩薩像が、国内にも何体も残っています。この頃の弥勒菩薩像は、京都の広隆寺のものに代表されるような、片足を曲げてもう一方の足の上にのせ、手の指を頬に当てて、何か物思いにふけるような美しい姿をとっています。
これを半跏思惟像(はんかしいぞう)といいます。逆に半跏思惟像はたいてい弥勒菩薩像ですが、奈良中宮寺の如意輪観音像のような例もあります。この中宮寺の像は指を微かに内側に曲げていて、この様子が非常に微妙な安らぎを与えています・・・と、
五十六億七千万年後、瞑想されている弥勒菩薩が仏となって出現される時期は、太陽が滅亡する期間と同じだと言われます。この世が終わるころ入れ替わりに弥勒菩薩が出現する期間です。弥勒菩薩が替わりになって人類を救ってくださることになります。

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弥勒菩薩
みろくぼさつ
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
未来に下界に降(くだ)って仏となり、衆生(しゅじょう)を救うとされる菩薩。慈氏(じし)菩薩ともいう。釈迦(しゃか)の滅後5億7600万年後(中国の伝承では56億7000万年後)に、釈迦の救いに漏れた人たちを救いにやってくるとされ、現在は兜率天(とそつてん)に待機中であるという。『弥勒下生経(げしょうきょう)』に弥勒の事績が予言の形で述べられている。それによると、弥勒は兜率天より閻浮提(えんぶだい)を観察し、翅頭(きとう)城の大臣夫妻を父母として選び、母の胎内に降り、その右脇(わき)より生まれ、三十二相を備え、竜華樹(りゅうげじゅ)の下で悟りを開き、摩訶迦葉(まかかしょう)から釈尊の衣を受け取り、三度にわたる法会(ほうえ)で300億近くの人を迷いから救う。この未来仏の思想は西方のメシア思想の影響によって生まれたと考える人もいる。『弥勒下生経』に対し『弥勒上生経(じょうしょうきょう)』は、衆生(しゅじょう)のほうが弥勒の国土へ赴くという思想を示し、メシア思想とは異なり、阿弥陀仏(あみだぶつ)の極楽浄土(ごくらくじょうど)への往生(おうじょう)の思想と共通点をもつ。「弥勒」はサンスクリット語の「マイトレーヤ」Maitreyaの音訳とされ、アヒチャトラー出土の水瓶を持つ像にも「マイトレーヤ」の名が刻まれている。カニシカ王のある銅貨には仏の坐像とともに「メートラゴ」Metragoの名が刻まれているが、これは「マイトレーヤ」の訛(なま)りであろう。しかし、この名の起源に関してはクシャーナ朝の貨幣に現れる太陽神ミイロMiiroも考慮してよいだろう。「弥勒」という音訳語はこれに近い。ミイロはイランの太陽神ミスラMithraの方言的発音である。ミスラはインド古来の神ミトラMitraと起源を同じくし、Mitra(友)の派生語maitreya(有情ある)を通じて、「慈氏」菩薩へと転化する。ミイロが貨幣に現れる比率は多く、クシャン朝下のミイロ信仰の隆盛ぶりがうかがわれる。ガンダーラで片岩で刻まれた水瓶(すいびょう)をもつ菩薩は弥勒と思われる。西暦400年ごろ法顕(ほっけん)はパミール山中で巨大な木造の弥勒像を目撃したことを旅行記に記している。敦煌(とんこう)や朝鮮でみられる弥勒の交脚像、思惟(しい)像はすでにガンダーラに祖型がある。日本では中宮寺(奈良)と広隆寺(京都)の弥勒菩薩像が名高い。
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『合祀納骨廟』に入れば、代々下関日和山大師の福仙寺に、ご先祖がおられると、語り継がれて行き易くなり、ご先祖の聖地になるでしょう。ご先祖が何処に居られるかが分かりやすくなります。「合祀納骨堂」は当山だけでなく全国に建立されています。
それは本来の、お墓の在り方から外れたものではありません。
家代々の枠にはまらない、生き方を選ぶ人が増え、「寂しくはない、皆で仲良く入れるお墓」は、益々必要なものとなって行くように思います。

当山にある
この『合祀納骨廟』の「永代供養墓」は、「無縁墓」ではありません。
「永代供養墓」に納骨された方々は、お寺が変わってご供養をさせて頂きます。

【※1.墓じまい】
お墓の管理・維持の重荷を子供達に負わせたくない
金銭的に、宗教的に等の理由から、お墓の維持管理が続けられない
子供や縁者がいない、あるいはいても跡を継いでくれそうにない
高齢となり体の自由がきかずお墓参りができなくなり、心理的に負担になっている
少子高齢化となり死亡者数が増える反面で、お墓を継承する人が減り続けているのが
現実です。
したがって残念な事に「子孫がお墓を継ぐ」という前提はいまや破綻しつつあるようです。

民法が戦前の「家」単位から個人単位、結果として核家族化が進み、祭祀継承という概念は希薄になりました。また少子化、晩婚・未婚率の増加などで、いずれ子、孫にまで将来に渡って金銭的負担。亦、子供たちが遠くにいて、親は歳を取るとお参り清掃の心配がある墓地から『納骨堂』式に主流は替わることでしょう。

管理が出来なくなってしまったお墓はあっという間に荒れてしまいます。
無管理状態の無縁墓を増やさないためにも、これからの時代は、墓じまいは合理的かつ責任ある方法ともいえるのかもしれません。

「無縁墓はこの先、一気に増えます」

第一生命経済研究所では、葬儀や墓の問題を20年以上研究している。この先、無縁墓はどうなるのか。本当に急増するのか。その見通しは?
少子化が急速に進む中、旧来型の「家」制度に沿った墓の維持は困難だという見解です。
「今の60〜70代にすれば、墓には親や同居していた祖父母が入っていることが多かったので、その親近感から多くの人が墓参りに行っていました。ところが、核家族化が進行した結果、その子どもたち世代が祖父母に会うのは多くて年1、2回という状況です。さらにその子ども、つまり孫世代が墓守になるころには、墓参りする人もぐんと減り、一気に無縁墓が増える。過疎の地域ほどスピードも速いはずです」と言うことです。