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…境内の花(セイヨウフウチョウソウ=西洋風蝶草=クレオメ)… 後ろの阿字池の蓮が咲くころが盛りです。
クレオメは花が少なくなる真夏にも元気によく開花します。風に蝶が舞うような花姿からセイヨウフウチョウソウの名がついています。太くて長い雌しべと、さらに長い雄しべが突出している姿がユニークです。1輪の花の寿命は短いですが、毎日先端に向かって咲き進み、夏の間長く花を楽しめます。蕾から咲き始めは濃い色で夕方には薄くなるので、花序の全体で見るとまるで咲き分けしているようです。こぼれダネでもふえ、育てやすい草花です。 ・・‥‥…━━━: <風“蝶”草>の“蝶”によせて、 以下、 @良寛の漢詩と、 A手塚治虫のマンガ「ブッダ」や、 B金子みすず「繭と墓」を載せます。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ @ 花無心招蝶 ――― 花は蝶を招くに心無く 蝶無心尋花 ――― 蝶は花を尋ぬるに心無し。 花開時蝶来 ――― 花開く時 蝶来たり 蝶来時花開 ――― 蝶来る時 花開く。 吾亦不知人 ――― 吾も亦 人を知らず 人亦不知吾 ――― 人も亦 吾を知らず。 不知従帝則 ――― 知らずとも *.1.帝則に従う。 *.1.帝則=天帝の定め。自然の法則=全ては自然の摂理のまま。 花は蝶を招くに心無く 蝶は花を尋ねるに心無し 花開く時 蝶来たり 蝶来たる時 花開く 人も花も、「お互いに必要とされている、お互いを必要としている」 そんな自然な蝶と花。
吾亦不知人 吾も亦 人を知らず。 人亦不知吾 人も亦 吾を知らず。 不知従帝則 知らずとも 帝則に従う。 「人と人も」自然な交わり。 ・・‥‥…━━━: A 有名な手塚治虫のマンガ「ブッダ(全12巻)」は、ほとんどがフィクションで、正確な仏典の漫画化ではありませんし、釈尊伝を描いているものでもありませんが、仏教の真実は描けています。仏教の教えを手塚治虫なりにビジュアル化したものです。 最終話のアーナンダ(ブッダの弟子)が師ブッダに「人は死んでどうなるのでしょう」と尋ねて、ブッダがそれに答えていきます。 死期の迫ったブッダはこう聞くアーナンダに、 「おまえはまだそんなことを気にするのか。何十年も私についていて」 と、死や別れを前に迷いの中にいる弟子に「青虫がサナギとなり、いずれは蝶になるように、長い時間のなかで人間が人間でいられるのはほんの短い間である」と生命がうつりゆく相を諭します。そして「死ぬということは人の肉体という殻から、生命がとびだしていくだけだと思うがよい」と語り、サナギから抜け出してゆくことは、生命が姿を変えて続いていく實相を説いています。 大切な人を亡くすると、失う辛さは耐え難く筆舌に尽くす事ができません。しかし、その辛さを消したり、誤魔化したりする必要はないということです。死は大切な人を奪っていきます。目に見えるかたちとしては、もう会うことができません。しかし、その人があなたにかけてくれた思い、優しさ等は姿を変えて残って行きます。あなたのそばにかたちを変えていていのちは残ります。大切な方は、悲しみに打ちひしがれるあなたを照らす光となって、ともに歩むようになって行きます。 “サナギの喩え話”は頷けます。 ・・‥‥…━━━: B 金子みすず「繭と墓」 蚕は繭にはいります。きゅうくつそうなあの繭に。 けれど 蚕はうれしかろ【*2..】蝶々になって飛べるのよ。 【*.2.】(正しくは蝶ではなく蛾だと思うけど…?) 人はお墓へはいります。暗いさみしいあの墓へ。 そしていい子は羽が生え天使になって飛べるのよ。
【*.2.】蝶でも蛾でも、生命が姿を変え(幼生から成体になる過程で形態を変える変態のように…おたまじゃくしがカエルに変態し、蛹 (さなぎ) がチョウになる変態…。) そんな移りゆくことの喩え。
「死ぬということは人の肉体という殻から、生命がとびだしていくだけだと思うがよい」と手塚治虫のマンガ・ブッダが言うように、サナギから抜け出してゆくことは、生命が姿を変えて世代が受け継がれていく一つの實相を説いています。
=余話【*.2.】=以下サーチ【search】 蝶と蛾を区別する事については色々なことが言われています。全てが正解ではないようです。それぞれの区別法には例外が多くあります。極論を言えば、蝶と蛾は同じ「鱗翅目」であり、区別できるわけではありません。 ・蝶は昼に飛び、蛾は夜に飛ぶ? ・一般的に、蝶は昼間飛び、蛾は夜飛びます。ただし、一部の蝶は朝や夕方の薄暗い時間を好んで飛びます。ある蝶は夜家の灯りに飛んでくることがあります。 ・一方、蛾の仲間には昼行性のものが多くいます。 ・蝶は触角の先がこん棒状だが、蛾はくし状、または先がとがっている? ・蝶と蛾を区別するのに最も確実なのがこの方法。蝶の触角はセセリチョウの仲間を除いてはほぼ全種が先が膨らんだこん棒状になっています。 ・一方蛾は、先がとがっているものがほとんどで、中にはくし状であったりします。熱帯地区に多い蛾の仲間は、蝶と同じ触角の形をしている種類がいます。 ちなみに、 ・くし状の触角を持つ蛾はオスで、同じ種類のメスはとがった触角をしています。これは、この蛾がメスのフェロモンを探しながら夜飛ぶので、特殊化された触角なのだそうです。 ・蝶は羽をたたんでとまるが、蛾は広げてとまる? ・ベタッと羽を広げてとまっているのはいかにも「蛾」らしいとまり方です。では、蝶は羽を広げてとまらないかというと、タテハチョウの仲間の多くは羽を広げてとまります。他の蝶の仲間でも、太陽に当たって体温を上げようとするときは羽を広げてとまります。 ・蝶はきれいだが、蛾はじみ? ・多くの蛾は茶色をベースとした保護色をしていることが多く、地味と思われがちです。特に夜行性の蛾は派手な模様をする必要もないため、くすんだような色をしているものが多くいます。ただ、昼行性の蛾には蝶に負けないくらい美しいものが多くいます。 ・蛾は胴体が太い? ・胴体がやたら太いのがいたらまず間違いなく蛾でしょう。また、多くの蛾は蝶のようにスリムな体を持つものもいますので、決定的区別法とは言えません。 ・蛾は鱗粉が剥げやすい? ・鱗粉が簡単に剥げる種類は蛾に多い様です。ただし、この方法では蝶と蛾は区別できません。 ・蝶も蛾も、飛ぶときは、前翅と後翅をまるで一つの羽のように動かします。トンボやカブトムシが空を飛ぶとき、前翅と後翅を別々に動かすのとは対照的です。前翅と後翅を一緒に動かすのに、蝶の場合、後翅基部の前縁が大きく前方にせり出ています。一方多くの蛾は「翅棘(しきょく)」といった棘が後翅より出ていて、前翅にあるフックのような突起(抱鉤(だきかぎ))に引っかかっていて、蝶と蛾を区別する良い方法といえます。ただし、この仕組みを持たない蛾もいますし、確認するには蝶や蛾を捕まえてよく観察しなければ見えません。 ・蝶でこの翅棘を持つ例外として良く知られている種類にオーストラリアに生息するラッフルズセセリがいます。 ・蝶は後翅が前に張り出す。 ・蛾は、棘が出ており、前翅とつながる。 ・日本に生息する、蝶と蛾であれば殆どがこの様な点で見分けることが出来ますが、これが完璧というわけではありません。日本ではともかく、世界の蝶や蛾を調べるときはあてになりません。
〓結局、蝶と蛾は同じ「鱗翅目」の仲間なのです。よって、分類学上で蝶と蛾を区別するには、「科」で分けることになります。すなわち、分類のページで紹介している科(セセリチョウ科、アゲハチョウ科、シロチョウ科、シジミチョウ科、シジミタテハ科、タテハチョウ科)に属するものを「蝶」と呼び、そのほかを「蛾」と呼んでいるのです。〓
本当は、蝶と蛾は区別できないほど似ている仲間なのです。外国では、日本語や英語のように蝶と蛾を別々に呼ばず、一つの言葉で言い表している国が多くあります(フランス・ドイツ・インドネシア・ネパールなど)。また、英語圏の国では、時々セセリチョウ科の蝶をスキッパーズ(Skippers)として、蝶と蛾から区別することもあるのだそうです。
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