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■ 76)“散る桜 残る桜も 散る桜”は誰の句?‥でしよう?か!2016.7.10

(画は【 click!】で拡大表示)
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染井吉野の老木と、咲き初(そ)め、散り初(ぞ)めの桜と、花筵(はなむしろ)
ソメイヨシノの老木になると、太い下の幹の途中から、このような咲き方(胴ぶき)をするのが多く観られます。上の方の枝は散り初めているのに…。この木は桜を見る会(新宿御苑内)の時撮ったもの…。
こうなるとかなり老木の証しです。ソメイヨシノは木の寿命は60〜80年ぐらいといわれます。
桜の老木は根元近くの幹を伐採して、新しく枝を更新する方が良いのかもしれません?但し切るときは落葉してからの方が病気に罹らないようです。それはてんぐ巣病等の病原菌を防ぐため…。
近所の方が大木を背丈程で切り、新しく枝を再生し見事に再生されたのを知っています。=“散る桜 残る桜も 散る桜”=
この句は一般には良寛の作とされています。仏教の無常観を言い表した句です。
一見単純な句ですが、意味は深いものがあります。
良寛の号は大愚です。“大愚良寛”と自ら名乗りました。“大愚⇔大賢”
故事成語に、「大賢(たいけん)は愚(ぐ)なるが如(ごと)し。」=「大知は愚のごとし。」
「真の知恵を身につけた人はそれをひけらかさないので、凡人には偉大さが理解できず、かえって愚か者に見えるということ。」
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“散る桜 残る桜も 散る桜”この句は、「いま散り急ぐ桜は当に世のことわり」「盛んに咲き誇る桜」も何れ散るさだめと言うこと…。『平家物語』の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」に代表されるように、すべてのものは移ろいゆくもの。それはまさしく仏教の無常の教えです。「無常」とは「常無し」と書きますから、意味は「変化」になります。無常の反対は「常住」です。(無常⇔常住)森羅万象は変化する世界です。私たちは変化する世界に生きています。誰もが無常の世界に生きてゆくのです。
子供の頃、無性に死と言うのが怖い時期がありました。怖いのは死そのものではなく、永遠の無(死ぬると自分と言うものが無限にこの世から消えて存在しなくなること)そんな死の不安感情が、無性に激しく起り、居てもたってもおれなくて眠れない時期が続きました。
そんな恐怖が、成長して仏教の“無常”の教えにふれて自然に癒えてい行ったように想います。今では自身が死んだら、この現世から魂となって宇宙に旅立って往くんだと想える様になりました。

人は生まれたら必ず死にます。そんなものなのです。そのことを素直に受け入れてゆけば死は怖くありません!!
生き物は子供を産んで次世代に託し、親は死んでゆきます。そんな繰り返しです。

宇宙は私たち人間、或いは木や鳥や、獣や、空気や、水や星たちの誕生の泉であり、生活の場所であり、私たちが死んで永遠に戻っていく場所だと思えるようになりました。私たちはその宇宙という大きな母体の中に包まれて生きているんだとも思います。私たちは宇宙の中での部分であって一個体じゃない。いつでも帰る場所があると想うと、心は落ち着き、息は澄んでいる。
だから、宇宙に感謝していかなければならない…そう思うようになりました。
天上にあるとされる一般的な極楽浄土ではなくて、広大な宇宙世界に移って永遠の自身の旅になるのだと想う様になりました。散ると言うことは避けられない世の理と言うことでしよう…

・仏教の【*1.】無常を表わすことば…以下サーチ【search】
盛者必衰
じょうしゃひっすい
仏教用語。ひとたび盛んとなっても,必ず衰えるときがある,ということで,世の中の有為転変を表現した言葉。仏教の無常観を表わしている。
『仁王経』の「盛者必衰、実者必虚(盛んな者はやがて衰え、満ちている者はやがてからっぽになる」に基づく。
仏教にある人生観で、この世の無常を表している言葉。
『平家物語』の冒頭にある【「祇園精舎】の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理(ことわり)をあらわす(祇園精舎の鐘の音は「世の中に不変はないと言っているように聞こえる。沙羅双樹の花の色は、盛んな者は必ず衰えることを表している。思い上がった者は長く続かない)」は、あまりにも有名。

【「祇園精舎」とは、お釈迦さまご在世中の昔、給孤独(ぎっこどく)長者が布施したお寺のことです。】
そこで修行しているお釈迦さまのお弟子たちは、死が近づくと、祇園精舎の中の無常堂という場所に移動し、お弟子が亡くなるとその無常堂の鐘が鳴らされました。
人間の命が続かないことほど悲しいことはありませんから、お弟子が亡くなって鳴らされる祇園精舎の無常堂の鐘の響きには、一切のものは続かないという諸行無常の響きが聞こえるということを、「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」と表したのです。
このように、この世の一切が続かないことを、「諸行無常」といわれるのです。
仏教はこれを旗印として掲げます。

「盛者」は「じょうしゃ」「せいじゃ」とも読む。
平家琵琶(『平家物語』の文章に節をつけて琵琶で伴奏する日本の伝承文化)では「沙羅双樹」を「しゃらそうじゅ」と読むときには「盛者必衰」を「じょうしゃひっすい」と読み、「さらそうじゅ」と読むときには「せいじゃひっすい」と読むとされている。
【出典】 『仁王経』
【注意】 「盛者必衰」を「生者必滅」と混同して「生者必衰」と書くのは誤り。

【類義】 有為転変は世の習い/栄枯盛衰/驕る平家は久しからず/生者必滅/諸行無常/生ある者は必ず死あり/月満つれば則ち虧く/日中すれば昃き、月盈つれば食く/盈つれば虧く/物盛んなれば則ち衰う/
『仁王経』の「盛者必衰、実者必虚(盛んな者はやがて衰え、満ちている者はやがてからっぽになる」に基づく、仏教にある人生観で、この世の無常を表している言葉。
『平家物語』の冒頭にある「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理(ことわり)をあらわす(祇園精舎の鐘の音は「世の中に不変はないと言っているように聞こえる。沙羅双樹の花の色は、盛んな者は必ず衰えることを表している。思い上がった者は長く続かない)」は、あまりにも有名である。
「盛者」は「しょうしゃ」「せいじゃ」とも読む。
平家琵琶(『平家物語』の文章に節をつけて琵琶で伴奏する日本の伝承文化)では、「沙羅双樹」を「しゃらそうじゅ」と読むときには「盛者必衰」を「じょうしゃひっすい」と読み、「さらそうじゅ」と読むときには「せいじゃひっすい」と読むとされている。
【出典】 『仁王経』
【注意】 「盛者必衰」を「生者必滅」と混同して「生者必衰」と書くのは誤り。
【類義】 有為転変は世の習い/栄枯盛衰/驕る平家は久しからず/生者必滅/諸行無常/生ある者は必ず死あり/月満つれば則ち虧く/日中すれば昃き、月盈つれば食く/盈つれば虧く/物盛んなれば則ち衰う/
=【*1.】無常(むじょう)とは、この現象世界のすべてのものは生滅して、とどまることなく常に変移している(常でない状態、変化する世界)ということを指します。
無常のことを釈迦は、『現象しているもの(諸行)は、【*2.】縁起(えんぎ)によって現象したり、しなかったりしているから』と説明します。
【*2.縁起とは仏教用語。他との関係が縁となって生起すること。自己や仏を含む一切の存在は縁起によって成立しており,したがってそれ自身の本性,本質または実体といったものは存在せず、空(くう)であると説く。】

・作詞:阿木燿子・作曲:宇崎 竜童が作った歌。
山口百恵の「さよならの向こう側」の歌詞に「何億光年(先に)輝く星にも寿命があると教えてくれたのは、あなたでした。」というフレーズがあります。そのように永遠と言う姿はありません。森羅万象は無常で限りがあります。

・   風に聞け何れか先に散る木の葉 … 漱石
(どの葉から落ちるか風だけが知っている 人の生死もまた風しか知らない)

・“散る桜 残る桜も 散る桜”
これは 一般には良寛の辞世としてよく知られた句ですが、本当のことはよく分かりません。
「散っていく桜があれば、まだ美しく咲き放っている桜もある。」
しかし、
「結局どちらも最終的には散る」ということ。そんな無常なる我々の命について語っています。
しかし、
@毎年変わらず咲いていくこの自然、まさに悠久の世界を奏し続け、永遠の命が受け継がれることをも意味しているとも言えます。それはDNAを引き継ぎ世代は永遠に続くと言うこと。

同じく、
A「さよならの向こう側」の歌詞にある「季節ごとに咲く一輪の花に無限の命、知らせてくれたのもあなたでした」ともあります。それはDNAを引き継ぎ世代は続くと言うこと。
毎年変わらず咲いていくこの自然、まさに悠久の世界を奏し続け、永遠の命が受け継がれることをも意味していることだとも思います。

「今どんなに美しく綺麗に咲いている桜でもいつかは必ず散る。」そのことを心得ておくこと。そんな心構えを詠った句です。「季節ごとに咲く一輪の花に無限の命 知らせてくれたのも あなたでした」
この句には、生・死・無常・別離・愛惜・詠嘆・回帰・再生・循環・無限・…が込められています。そんなことから、“誰の句”と言うことではなくて、“仏教の教えを要約した句”と言えるのでは?
人の命を桜に見立てたこの歌は、戦中の特攻隊の遺書にもよく遺されています。他に良寛が最後に残した言葉。人々が大勢集まった時、良寛さま「辞世の句はありませんか」と聞いたら、「死にとうない」と言ったという逸話があるのだそうです。そのように聞いたこと自体が嘘ぽい話でもあります。
「散る桜 残る桜も 散る桜」これが本当の良寛の句とすれば、辞世の「死にとうない」と言う境地とは矛盾します。それが本当なら落語的!。だから「死にとうない」と言ったことは、良寛の言葉とは本当に想えません。良寛以外に誰かが言ったことばだと思います?あとから良寛が言ったとされたのでしよう…?。
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他に良寛の有名な言葉、
・災難に逢う時節には、災難に逢うがよくそうろう。
・死ぬ時節には、死ぬがよく候。
これこそ大愚と号した自らの境地。それは“大愚”良寛ではなくて、まさしく“大悟”良寛の言葉。以下サーチ【search】してみると、「死にとうない」といったのは、他に一休や、博多の仙崖和尚の逸話にもあるようです。きっと良寛・一休・博多の仙崖か誰かのことば?
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奈良時代までは花と言えば、中国の影響で、梅と桃でした。平安時代になって日本原産の桜が好まれて行きます。それを広めたのは嵯峨天皇なのだそうです。嵯峨天皇の離宮に桜を植えて愛で、後に寝殿造りの寺として大切にされます。嵯峨大覚寺(門跡寺院)はそんな寺なのです。
この寺は、平安の昔嵯峨御所と呼ばれて御所でした。
平安京を築いた桓武天皇の皇子であった嵯峨天皇は、みずからがこよなく愛した嵯峨の地に離宮嵯峨院を建立されました。天皇は当時を代表する文化人のひとりであった空海や多くの宮廷人とここで交流し、嵯峨の地に文化の華が開いたのです。天皇没後の876年、この嵯峨院は天皇の孫であった恒寂入道親王を開山として大覚寺となりました。それ以来、明治初期にいたるまでの長い間、大覚寺 は上皇や皇統にある人々が【*3.】門跡(住職)を務める格式高い真言宗の寺院として、その歴史を刻んできました。
【*3.】門跡(もんせき、もんぜき)は、皇族・公家が住職を務める特定の寺院、あるいはその住職のことです。寺格の一つ。元来は、日本の仏教の開祖の正式な後継者のことで「門葉門流」の意であった(この場合は門主とも)。鎌倉時代以降は位階の高い寺院そのもの、つまり寺格を指すようになり、それらの寺院を門跡寺院と呼ぶようになる。大覚寺から眺める大沢池の桜並木は素晴らしいです。大沢池の畔では映画(特に時代劇)のロケによく使われます。最後の字幕に協力・京都大覚寺と出ます。見事な蔀戸がある宸殿造りの寺で勅使門が残っています。
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嵯峨天皇と空海(弘法大師)が久しぶりに空海と歓談した嵯峨天皇が、高野山に帰っていく空海をいつまでも見送っている情景を詠んだ歌が以下です。
与海公飲茶送帰山一首 嵯峨天皇詠
道俗相分経数年 今秋晤語亦良縁
香茶酌罷日云暮 稽首傷離望雲烟
海公(空海)と茶を飲みて山に帰るを送る。
「道俗(僧と俗人)相分かれて数年を経たり。
今秋の晤語(うちとけ語り合うこと)また良縁。
香茶汲み酌み罷み(入れては飲むのをやめ)日ここに暮る。
稽首(頭を低く垂れて)離を傷み(別れを悲しみ)雲烟を望む(帰って行くかなたの雲霞の空を眺める)。」
嵯峨天皇が、「親交のあった空海とお茶を飲みながら歓談し、日が暮れてしまったので、高野山に帰って行く空海を見送るのに際し、詠んだ詩」です。
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・花の色は うつりにけりな いたづらに
   わが身世にふる ながめせしまに
            小野小町  『古今集』春
花とは桜のこと。
美しかった桜の色も空しく色あせてしまったことだなー。長雨が降るのを物思いにふけって眺めているうちに、私の容貌もすっかり衰えてしまいました。
「ふる」には「雨が降る」の「降る」と「時が経つ・年をとる」という意味の「経る」が掛詞になっており、「ながめ」には「長い雨」という意味の「ながめ」と、「ぼんやり物思いに沈む」という意味の「ながめる」が掛詞   
・ねがわくは 花のしたにて春死なん そのきさらぎの 望月の頃【西行】
・ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず【方丈記】鴨長明
・和泉式部日記
「夢よりもはかなき世の中を嘆きわびつつ明かし暮らすほどに…」
・平家物語
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし。」
・方丈記
「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。」
・一遍上人語録
「身を観ずれば水の泡、消ぬる後は人もなし。命おもへば月の影、出入いきにぞとどまらぬ。」
・奥の細道
「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり…」
他に、
この憂き世の中で、潔く散りゆく様こそが美しいのだ…と、多くの歌人によって残されたこれらの歌が、まさに日本人にとっての桜を象徴した歌です。花弁を残し枯れゆく花より、美しいままにひとひら一片々々と散りゆく花の方が美しく感じます。これが日本人の心の中心になって行きます。仏教の無常観なのです。・
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花のうたあまたよみ侍りける時
仏にはさくらの花をたてまつれわがのちの世を人とぶらはば       
花の歌をたくさん読みましたとき(に詠んだ歌) <西行法師>
(わたしが死んだら、)仏となった私に桜の花を供えてほしい。わたしの後世を誰か弔ってくれるならば。
「仏には桜の花をたてまつれ我が後の世を人とぶらはば」
意訳:私の死後、桜の花を供えて欲しい。後世を弔ってくれる人がいるならば。
それほど西行は桜を愛でました。
「身の憂さを思ひ知らでややみなまし背く習ひのなき世なりせば」
有名な西行の「願わくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月のころ」の英訳を見つけました。
Hopefully,I would like to die under cherry trees in spring, about the time of full moon in February(Old lunar calandar)
ついでに、人生諸行無常 を英訳したのをみると、
"Nothing is permanent"と訳すといいようです。【 permanent】は、・永続する、・(半)永久的な、・耐久の、・常置の、・終身の、
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以下、無常”についてサーチ【search】してみました。
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説から、以下“無常”についてほぼそのまま全文。
無常(むじょう、巴: anicca, アニッチャ、梵: anitya, アニティヤ)とは、この現象世界のすべてのものは生滅して、とどまることなく常に変移しているということを指す。釈迦は、その理由を「現象しているもの(諸行)は、縁起によって現象したりしなかったりしているから」と説明している。
「無常」を説明するのに、「刹那無常」(念念無常)と「相続無常」の二つの説明の仕方があるようです。刹那無常とは、現象は一刹那一瞬に生滅すると言う姿を指し、相続無常とは、人が死んだり、草木が枯れたり、水が蒸発したりするような生滅の過程の姿を見る場合を指して言うと、説明されています。
この無常については、「諸行無常」として、仏教の根本的な考え方です。
なお大乗仏教では、世間の衆生が「常」であると見るのを、まず否定し「無常」であるとしてから、仏や涅槃こそ真実の「常住」であると説いた。これを常楽我浄と言うが、これについては大乗の大般涅槃経で説かれます。
「人生の短いことをはかなむ」といった意味でとられがちですが、仏教の経典に出てくる「無常」は少し意味が違うようです。
「すべて存在するものは絶えず移り変わっていると観察する人生観であり世界観です。」
経典では、人間が「生あるものは必ず死ぬ」という赤裸々な事実や現実をそのまま受け入れたとき、そこにある種の深い感動が生まれ、そこから感嘆がわき出てきます。
それが「無常」だといっています。
つまり、「無常に基づく苦」というのは「生あるものは必ず死ぬ」という事実そのものを指しているといっていいでしょうか。
その事実を受け入れて、なおかつ前向きに生きていこうということでしょう。  
諸行無常 
諸行・・とはすべてのもの
無常・・とは常がない ということで一瞬たりとも同じ状態を留めることは出来ない
ということです。
私たちは、物事がいつか、変わり、色あせ、うつろいで行くことは分かっていますし知っています。
ところが、今、しばらくは、変わらないだろう、大丈夫だろうと思っている。
人間はいつかは死んでいかねばならないと思っているが、今日死ぬとは思えない。 今、一瞬 一瞬が変わり続けているのです。
 一瞬たりとも同じ状態を留めることは出来ないのです。 
 諸行は無常なり と教えられています。
・無常・・・森羅万象の全ては「常に変化」している
・苦・・・森羅万象は苦である
・無我・・・森羅万象の全てには「永遠に固定されたもの(我)は無い」というものです。原始仏教ではこのように定義されています。諸法無我(しょほうむが)

無我は、必ずしも自分のことだけをいうわけではありません。この世に存在するもの、作られたものすべてについて、我がないということができます。ここでは、「我」は自分という意味をこえて、「物の本質」といった意味で使われています。たとえばこの机も、常に変化しつつ存在しているものだから、変わらぬ本質はない、つまり我はないといえます。少し難しいことばですが、「(自分などの)人に我がない」ことを「人無我(にんむが)」、「物事に我がない」ことを「法無我(ほうむが)」といって、区別しています。そしてそれらをすべてひっくるめて、「すべての存在が無我である」ことを「諸法無我(しょほうむが)」といいます。

なぜこの無我という思想が説かれたのでしょうか?それは、欲望をおさえるためのようです。
すべての欲望には対象があります。お金や地位、名誉、ぜいたくな暮らし、おいしい食事…しかしそれらの欲の対象がすべて変化するもので永久には存在しないものであると知るとき、それらを求めることの無意味さを感じます。さらに、自分自身がはかない存在であることを知るとき、欲のままに貪る生活が空しいものに思えてきます。結局、対象への執着心がうすれて、苦からのがれることができるわけです。

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光陰矢のごとし、私は還暦も、古希もとっくに過ぎて後期高齢者になりました。
「光陰如箭」箭=矢
月日は経つのが矢のように早い、つまり無常。
だから、時間は大切にしないといけないと言うこと。
ー:−:
還暦の=余話=
「きょうよりはもとの赤子にかえりけり皆ちゃん御免だゝをこねても」井上 馨の言葉。
これは還暦を迎えて井上馨が還暦の際詠んだ狂歌。
生まれ変わった還暦を迎え直に「皆ちゃん」と、赤ちゃん返りを発揮しています。
「今日からもとの赤ちゃんに戻ります。皆ちゃん駄々をこねたらごめんよー」
井上馨は長州維新の志士【※長州ファイブ=幕末にイギリスに密航した長州の5人衆】の一人、初代外務大臣(下関長府出身)で憎めない人柄が歌に出ています。
【※長州ファイブ(長州五傑)
西洋文明を学ばせる目的で、長州藩が英国に密航留学させた若者たち。伊藤博文=初代首相▽井上馨=初代外相▽山尾庸三(ようぞう)=工部卿(きょう=工学の父)▽遠藤謹助(きんすけ)=造幣局長▽井上 勝= 鉄道庁長官(鉄道の父)の5人。】
「還暦祝いには赤いちゃんちゃんこを着る」という話があります。。地域によってちゃんちゃんこが頭巾(ずきん)になったりしますが、「赤いものを身につける」という風習は多くの地域に残されています。

伝統的な還暦祝いでは、暦が一巡したことで「もう一度生まれたときに戻る」と仮想したお祝い事が行われます。古来、日本では赤い色は「魔除けの色」と考えられ、赤ちゃんの産着(うぶぎ)や子供の金時腹掛けには赤色が使われていました。そのため、還暦になったとき生まれ変わったと言うことで、もう一度赤いものを身につけるという風習になったわけです。

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