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境内の山桜桃梅(ゆすらうめ )。ゆすら-うめ 【〈山桜桃梅〉サクランボ・モモ・ウメの実に似る。】バラ科の落葉低木。中国原産。葉の表裏に細毛が多い。葉は倒卵形で鋸歯がある。春、淡紅色の五弁花を開く。果実は径約1センチメートルの球形で、六月頃淡紅色の花は赤く熟し、甘酸っぱくて食べられる。(白い実もある=花は純白)ユスラ。漢名、英桃。この「ゆすらうめ」は品種改良されたものだと思います?大実で色も綺麗で、味も最高です。花は赤実も白実も桜の花のようで、枝全体にこぼれる様に咲きます。メジロが蜜を求めて、花枝の中でちょこちょこしながらよく遊びます。 捥いでそのまま食べてもいいし、ジャムにすると、色も綺麗で、味も最高です。果樹酒にも向いています。色付くまで小鳥が待ってくれません。もっと沢山実があったのですが…あっという間に少なくなりました。古い品種のユスラウメも境内にありますが、花は濃いいピンクで実が小さく、実付きもよくありません。この古い品種は別種かも知れません。 山桜桃梅(ゆすらうめ )とあるように、花は桜に似て、実の形はサクランボにも、桃にも、梅にも似ています。
桃太郎は桃から生まれた話ですが、「一寸法師」はこの可愛い実のユスラ桃から生まれた話のようにも思わせてくれます。
誰もが知っている、一寸法師のあらすじ・ストーリー むかしむかし、あるところに子供のない夫婦が住んでいた。桃太郎の話。昔むかしおじいさんとおばあさんがいて、おばあさんは四十歳を超えて身ごもった。それは、日頃から子供を恵んでくださるよう住吉の神に祈っていたからで、念願かなって夫婦は子供を授かります。「こんなことならもっと早く、日頃から子供を恵んでくださるよう住吉の神に祈ればよかったと、お願すればよかったね」と、いいながらもおじいさんはたいそう喜びました。しかし五ヶ月、六ヶ月過ぎようとも全くお腹が大きくならなかった。それでも十月十日経つと陣痛が起こり、それはそれは小さくてかわいらしい男の子を出産した。物差しではかると一寸(三センチ)しかなかった。このパンダの赤ちゃんのような、超未熟児の赤子は病気こそしなかったが、一向に大きくならなかったので、一寸*1.法師と名付けられた。
ある日、一寸法師は武士になるために京へ行きたいと言い、刀の代わりに針を持ち、お椀の船で旅に出た。箸のオールでこぎ進み、なんとか京にたどり着いた。
京で大きな立派な家を見つけると、一寸法師は家の主に気に入られ、そこで働かせてもらうことになった。ある日、その家の娘と宮参りの旅をしていると、なんと大きな鬼が娘をさらいに襲いかかってきた。
鬼に飲み込まれた一寸法師は、娘を守ろうとした一寸法師だったが、指先ほどの小さな体では相手にならず、あっけなく捕まって鬼に一飲みにされてしまう。
ところが一寸法師はひるまなかった。鬼の腹の中で、針の刀で大暴れ。鬼はたまらず降参し、一寸法師を吐き出すと、一目散に山へ逃げてしまった。あわてて逃げた鬼は、小槌を落としていった。
その小槌は、何でも願いが叶う打出の小槌でした。一寸法師はすぐに打出の小槌を振って自分の体を大きくすると、なんとも立派な青年に早変わりした。一寸法師は助けた娘と結婚し、打出の小槌で金銀財宝も打ち出して、末代まで栄えたという。めでたし、芽出度しという童話です。
成人すると都に上り、小さな体を生かして鬼退治に行って、(鬼に飲み込まれた一寸法師が、鬼のお腹の中で針を刺しながら鬼を攻撃し、鬼は痛さに耐え切れずに降参した」という物語の展開が有名ですが、まさかこの先あの"鬼ちゃん"が一寸法師を飲み込んでしまう・・・などという展開です。)をし、鬼の残した打ち出の小槌で、見る間に人並みに大きくなって結婚もして、幸せになったと云うお伽話。・・・これは究極の「小よく大を制す」という話。
一寸法師の*1.法師とは、(広辞苑)
1.一般に、僧。出家。ほっし。
2. 俗人で僧形をした者(ほうし)。「琵琶(びわ)―」「田楽―」
3. (昔、男の子は頭髪をそっていたところから)男の子。
4. 名詞に添えて「人」の意を表す。多く「ぼうし」と濁る。
5.「一寸―」・「影―」名詞に添えて多く「ぼうし」と濁る。 「つくつく―(鳴き声から、「法師」は当て字)」
「ひとりぼっち」の言葉の語源は、定説では、「ひとりぼっち」の「ぼっち」と、「これっぽっち」の「ぽっち」は別語源で、「ひとりぼっち」は「法師」(「坊主」も同類)だとされています。
広辞苑を引用します。 ひとり‐ぼっち【独り法師】(ヒトリボフシの訛) たったひとりでいること。孤独であること。 「これっぽっち」の「ぽっち」は、 :広辞苑: ぽっち[接尾](ポチの促音化) 指示代名詞や数量を表す名詞につけて、「わずか…だけ」の意。ぼっち。「それっ―」「百円―の金」 一般に「ポチ=点」とされていますが、「ひとりぼっち」「ひとりぼち」からの逆成(接尾辞がついて単語を作るのでなく、単語から接尾辞が類推で作られる)だという説もあります。「ひとりぼっち」が「ひとり法師」である根拠として、方言で「ひとりぼし」という地域があるそうです。上のかたの「でいだらぼっち」も「坊主」よりむしろ「法師」だと思います。「一寸法師」と同じ。「法師」も「坊主」も意味は、「僧侶」から「男の子(坊や)」に変化。 以下サーチ【search】 ユスラウメの「ユスラ」は韓国語読みが転訛したものだとか、揺すったら果実が落ちるからなど諸説あります(実際、揺すったくらいでぽろぽろと実は落としません)。中国名は桜桃、英名はコリアンチェリーです。桜桃というと日本でサクランボのことを指しますが、中国ではサクランボ(中国オウトウ)とユスラウメをひっくるめて指します。ちなみに日本では「山桃桜」「梅桃」と書いて「ユスラウメ」と読みます。 ・・‥‥…━━━:・:━━━…‥‥:━━━…‥‥:━━━…‥‥:━━━…‥‥ “一寸法師”と“桃太郎”は、共にお爺さん、お婆さんが親で、鬼に立ち向かい活躍する話です。 “桃太郎”は、イヌ、サル、キジの仲間がおり鬼退治をして宝を得て、お爺さん、お婆さんの親を喜ばせますせます。“一寸法師”は一人旅で活躍し、最後は打出の小槌で、金銀財宝も打ち出し、また助けた都の娘と結婚して幸せになり、お爺さん、お婆さんの親を喜ばせ、財宝を打ち出す打ち出の小槌で、末代まで栄えたという。めでたし、芽出度しという童話です。
・・・編集中・・・
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