(画はクリックで23.5a×16.0aに拡大) 本玄関前の「蘇鉄の雄花」。ここの玄関を「蘇鉄の玄関」と言っています。 『蘇鉄』という名前は、木が弱っても「鉄」を与えると、『蘇(ヨミガエ)る』と言われ、『よみがえりの木』と言われることからついた。名だそうです。 (民間で言うソテツの肥料は、幹や根元に釘を刺せばいいという事を、以前から知っていました。本当に肥料なのかは分かりませんが?)雌雄異株です。 これは雄花【ソテツの後左奥(鐘楼の左隣り)にはイチョウ】 雌花と雄花は形状がかなり違います。 雄花の穂のような所が、雌花はキャベツ状になり、秋には栗ほどの大きさの赤い実が、その中に包まれます。雄花も雌花も花後に、そこから新緑の葉を芽吹かせます。 境内には雌株の雌花もありますが、雄花の方が画になります。 飢饉の時。この木の実や茎を毒抜きして食べて、危機を乗り越えることも有ったそうです。
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海岸や原野の岩壁に生え、とくに石灰岩地に多い。宮崎県以南の九州から沖縄。および中国大陸南部、台湾に多く自然分布する。 (温暖な西日本各地でも、庭園に植栽されています。) 庭園樹や盆栽にもし、幹や種子に多量のデンプンを含むので、これを煮て糊(のり)状にして食するため、沖縄では古く救荒植物として耕作不適地や、畑の畔(あぜ)に盛んに栽培したようです。しかし猛毒のサイカシンを含み、十分に水洗除毒しないで食したため死亡者が多く出たこともあると言われます。 毒抜きをしたのち、 「ソテツ味噌」を作るという地方もあるようです。 ソテツは花粉ではなくて、1896年に精子が発見され、同年のイチョウの精子発見とともに、植物学史上画期的なことであった。(蘇鉄/銀杏共に、発見したのは日本の植物学者;平瀬作五郎)とあります。 <蘇鉄;銀杏は共に、雄花は一般の花粉でなくて、鞭毛(べんもう)をもって自由にうごける精虫を持ち、胚珠の核と合体する(受精する)事が、1895年に発見された。>それで生きた化石植物と言われる所以です。
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=画と関係ありませんが、 インドの古語サンスクリット(梵語)の「薄伽梵;バギャボン」の事と、漫画家;赤塚不二夫の「天才バカボン」について!=
Q;梵語の薄伽梵・婆伽梵(バカボン;バカヴァット;バギャボン)とは? A;サンスクリット語でブッダ(シャカ;釈迦牟尼)のこと、インドでは自己の意識を自由にあやつる「天才」を意味したり、貴人の尊称だそうです。 ところで赤塚不二夫の、 「天才バカボン」は、同じ音である「バギャボン」に似ていると、以前から思っていました。 多くの人に親しまれた赤塚不二夫の漫画に、「天才バカボン」というキャラクターがいます。バカボン父子の言動が私たちを、楽しませてくれたヒット漫画でした。 その名前は(古代インドの言葉:バカボン;バカヴァット;バギャボン)を、意識して付けたわけではなく、たぶん幼児を親しんで呼ぶ「馬鹿なボン(坊や;坊ちゃん)」という意味だろうと、最初はそう思っていました!。 しかし、 タイトルのことは、テレビ番組の「トリビアの泉」で、以下のように紹介されていました。
タイトルおよび、作中のキャラクター名である「バカボン」の語源は、現在公式には梵語の「薄伽梵」(バギャボン・釈迦如来)に由来するとされています。これはテレビ番組「トリビアの泉」で紹介されました。 また、 バカボンパパの決まり文句「これでいいのだ」も、「覚りの境地」の言葉であるようで、何時も竹箒を持ったレレレのおじさんも、お釈迦様のお弟子の一人で、「掃除」で悟りをひらいたチューラパンタカ(周利槃特=しゅりはんどく) を、モデルにしているようです。なおタイトルに「バカボン」とあるものの、当作品において主に活躍するのはその名を冠したキャラクター・バカボンではなく、父親の「バカボンのパパ」です。実際バカボンが登場しない話が数話ある。 (以上「トリビアの泉」より) だから「バカボン」とは、実際は「バカボンのパパ」をさし、言動は「覚りの境地」を持った「仏陀」のことを、笑いに表そうとしたのでしようか?
それはさておいて、「バカボン」の元祖は、「ブッダ;釈迦」です。「天才バカボン」とは正反対になります。 薄伽梵とは古代インドの梵語、バカヴァットの音訳で、バカボン・バギャボンとなります。
このように古代インド語(サンスクリット)を、そのまま中国の漢字で音写した語は、 「仏陀」「阿羅漢;略して羅漢」「菩提」「旦那」などたくさんあり、簿伽梵もそのひとつです。「簿伽梵」を漢訳すれば世尊となります。インドでは一般に「世に尊ばれる人」をこう呼んでいたようです。 「これでいいのだ!」は、納得した深い悟りの境地に通じた言葉のようです!? バカボンのパパは、口癖のように「・・・なのだ!」「これでいいのだ!」を連発します。 これ作者の言う「仏のように深い悟りを得た。」言葉なのかも知れません 。
「・・・なのだ!」「これでいいのだ!」で、後は悩まない。それがバカボンパパの口癖 それは味のある物事の本質を、適切に言い表した言葉といえるかも知れません。 その前提にあるのは、やはり「苦しみ・悩み」を超越した心のように思います。
人はだれもが自分の生きている今が、「・・・なのだ!」「これでいいのだ」と納得できれば、全ての出来事をあるがままに前向きに肯定でき、「・・・なのだ!」「これでいいのだ!」と、心から納得されるのであればれば、後退することなく、前進して行けると思います。 それは悟りの境地なのかも? 一家を守る良妻賢母型で、基本的には穏やかな性格のママ。 そのママは「あきれた・・・!」「しょうがないパパね〜!」で、パパたちに本気で怒ることはほとんどなく見守ります。
タレントのタモリさんが、赤塚不二夫先生の告別式の時、弔辞を述べた内容は、感動的な内容だったようです。 『あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい意味の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を絶ちはなたれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事にひとことで言い表してます。すなわち、「これでいいのだ」と。
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番組名の、 …「トリビアの泉」…とは、 「trivia」とは「雑学・些末な」という意味。 「トリビアの泉」のコーナーでは、視聴者から投稿された人生に全く必要のない、ムダな知識…だけど、明日人に教えたくなるような雑学・知識(=トリビア)をVTRで紹介5人のパネラーが品評していきます。 また「トリビアの種」のコーナーでは、視聴者からの投稿された日常の疑問を番組スタッフが検証。番組発のトリビアを生みだしていくようです。
芸能界きっての雑学王のタモリさんが、品評会会長としてパネラー席に座る。 そんなタモリさんも知らなかったと驚く、ネタが多く登場する。
薄伽梵・婆伽梵は梵語(bhagavat;バカヴァットの音写)福徳有る者・聖なる者の意・世尊と訳す。 仏の尊称特に釈迦牟尼の事。
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