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■ 42)≪境内の花≫その22・ヤブコウジ科;万両…無性とは?…十両…2010.2.9

(画はクリックで拡大)

マンリョウ(万両)は 縁がギザギザした厚手の葉が茎上方端に密集して付くヤブコウジ科ヤブコウジ属の耐寒性常緑低木 初夏に白い小花を多数下向きに咲かせ 花後につく球形の実は 12月頃から赤く熟し落下せず 次の冬まで残っているものもあります 用途は庭木や鉢植え正月の縁起物に使われます  センリョウ(千両)と似ていますが 千両は実が葉より上に付くのに対し 万両は葉が茎頂上部にたくさん付きます また実の付き方で千両は実が葉より上に付くのに対し 万両は房状をした多数の実が下向きに付きます よく見かけるのは赤い実ですが 今日では白い実の万両もあります ジュウリョウ(十両)と
いうのもあります 
この年はコトのほか 実付きがよくて 当に百万両?!のよう!!!

万両は境内に彼方此方あります それは鳥が糞を落として自然に生えたものです
鳥が食べて 果肉を消化して種が糞に交じり 地に落ちて初めて芽が出ます(全ての果実はそうかも知れません?!が!)
赤い果肉が 実に付いていると発芽しないようです だからヤブコウジ科ヤブコウジ属の仲間を発芽させるには 果肉を手で剥いて乾燥させて苗床に蒔くとよく発芽しますよ!
完熟すると 直ぐいろんな小鳥が食べに来ます 特にヒヨドリが来るようになると あっという間に実が食べつくされます
ある日の夕方迄には 全て食べ尽くされ 無くなっていることがあります
≪この光景を見ると 心が出来ていないのか【無性】に腹立たしくなります≫
でも 
小鳥への餌さとして植えたと思えば 【有仏性】になるのかも!!!?本来小鳥へのお接待なのでは! 

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無性とは? 元は仏教用語です (有仏性の略)仏となる素質のあるもの⇔無性
(それは仏性のないこと≒成仏できないことが生まれつき定まっていること)
 無仏性⇔有仏性
無性とは 一般的には「副詞」で使います≒ある感情が激しく起こるさま・自制心が無く正体を失う様です それは「悟りを開く素質のないもの」「仏の心を持たないヤカラ」のさま!?
『むやみに・・・・・』『やたらに・・・・・』というように使う言葉です
「副詞」の役目は  おもに用言(動詞、形容詞、形容動詞)を修飾することばです
仏性とは≒すべての生き物が生まれながらにもっている 仏となることのできる性質 所謂仏心です 
だから無仏性≒無性とは そのような性質/仏心が無い→無性のことです だったら「無性(≒仏性のないヤカラのよう)に腹が立つ」「無性(≒仏性のないヤカラのよう)に寂しい」「無性(≒仏性のないヤカラのよう)に悔しい』
と言うような使い方になってきたと考えたらいいのでしようか!???間違いかもしれませんが!? 
「腹が立つ」「寂しい」「悔しい」というような感情は 仏心とは言えないのです・・・

万葉集;大伴家持の歌
「この雪の 消残る時に いざ行かな 山橘の 実の照るも見む」
「このゆきの けのこるときに いざゆかな やまたちばなの みのてるもみむ」

山橘とは≒薮コウジ科(十両)の事
(雪の白と十両の赤く照る実と その色と光のコントラストを強調した歌)

※ この雪が 消えない内に 見に行こう 山橘の実が 雪に照るのを
※ 雪に照る 山橘の実を 見に行かむ 

山橘は低木の常緑樹 同じ時期に赤い実を付ける センリョウ マンリョウに比して20−30p程度とあまりに小さいので ジュウリョウ(十両)と呼ぶ 夏に小さな白花が秋には赤い実となり 冬の間もずっと実を付けているので緑葉とのコントラストが美しい 盆栽としても好まれる 

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