(画はクリックで拡大) 【『悠々たり悠々たり 「 太 」( はなは ) だ悠々たり: 「 内外 」( ないげ ) の けんしょう 千万の軸あり: 「 杳々 」( ようよう ) たり杳々 たり 甚だ杳々たり: 道をいい道をいうに .... (みちをいい みちをいうに ひゃくしゅのみちあり) 書死え諷死えなましかば 本何がなさん (しょたえ ふうたえなましかば もと いかんがなさん) 知らじ知らじ 吾も知らじ (しらじ しらじ われも しらじ) ・・・中略・・・ 三界の狂人は狂せることを知らず 四生の盲者は盲なることを識(し)らず』】 以上は、弘法大師(空海)の著書「秘密曼荼羅十住心論」を要約したご自身の略本〔秘蔵寶鑰:ひぞうほうやく〕の中の序文です。 更に続く言葉に、 ・:=【生まれ生まれ生まれ生まれて 生の始めに暗く(暗⇔明) 死に死に死に死んで 死の終わりに冥(くら)し】(冥≒くらいと読みますが 奥深く外からハッキリわからない様をいう)=:・ (うまれうまれうまれうまれて しょうのはじめにくらく しにしにしにしんで しのおわりにくらし) と言う一節があります。
黄昏時の海峡ゆめタワーが見える船溜まり(日が昇れば黄昏があり、日没が必ず来る!)黄昏の夕焼けを見て、よく思うのは源氏物語の老いを語った光源氏ではないけど、“さかさまにいかぬ年月よ”です。 この夕焼けの雲(SUNSET CLOUDS)の様は 何か無性にもの悲しく想えるのですが!!? 人は何のために生まれてきたのか、生の根源は何処からなのか、闇で何も分からない。亦死の行く末も奥深く解らない。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 :四生の盲者: 「四生」とは、 仏教において『生き物の生まれ方を四つに分類したもの。卵生(らんしょう)胎生(たいしょう)湿生(しっしょう)化生(けしょう)の四種』をいう。 卵生とは鳥類のように(@卵から生まれるもの。) 胎生とは獣類のように、(A胎内から生まれるもの:即ち哺乳類。) 湿生とは虫類のように(B湿った場所から生まれるもの。) 化生とは天人や地獄の生き物のように(C拠り所をもたずに忽然(こつぜん)と生まれるもの)をさします。
「迷いの世界に狂える人は、自分が狂っていることを知らない。四生の生まれの命は、全て自分の命の実体を見ていない。人間は生まれ生まれ生まれ生まれ、生を繰り返しても生の始まりを知らない。死に死に死に死んで、死を繰り返しても、死の終わりが理解出来ない。死の意味すら気づかない。」と言うのです。 過去からの命の連続。 途絶えることなく、次から次に生まれてきた全ての生き物は、何処から生まれてきたか 誰も知らないし、亦全ての生まれた生き物は死んだ後、何処に行くのかも解らない。 全ての生き物は『宇宙の根源から生まれ出て、この地球(宇宙の中のオワシス)に生き 亦宇宙の彼方に過ぎ去って行く、是を繰り返して行く。』のみです。 この事だけは確かでしょう! 生命の誕生以来、果てしない命の循環が繰り返されてきました。私達もこの世に生を受け、やがていつの日かその終焉を迎えることになります。にもかかわらず、今なお生死(しょうじ)に暗いというのが、我々のいのちの実態です。 ノーベル物理学を受賞された、小柴昌俊先生のお話では、この宇宙に次々生まれた巨大な恒星が寿命を終えて大爆発した際、大量に放出された素粒子ニュートリノの働きで、水素からウランまで、92種の元素全てが宇宙空間にばら撒かれた。 ニュートリノがなければ、46億年前に地球も生まれず、生命の誕生もないとのことです。 最初は一つだった生命の命が、誕生以来、幾つもの枝分かれし、連綿と繋がって今に至っています。しかし個々の命は一代限り一瞬であり、不老不死の生物は存在しないのが、紛れもない事実です。 あらゆる命は、外から元素を取りいれて生き、死んで外に元素を戻します。それは仏教で言う輪廻であり、無常の教えにほかなりません。 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
『生まれ生まれ生まれ生まれて 生の始めに暗く 死に死に死に死んで 死の終わりに冥(くら)し』 このお大師さんの繰り返しの言葉を、口に出して読み、言葉のイメージを膨らませてみると、今まで気付かなかった不思議なリズムを感じるし、何か漠然とした命の行方が見えるような気がしませんか?!?だから解釈は人それぞれ違うと思います!?そして果てしない問いでもあります。
「生まれ生まれ生まれ生まれて・・・死の終わりに冥(くら)し」とは ・一切衆生が次からつぎへと、迷いの生死を繰り返す(輪廻転生)という意味なのか? ・地球に生命誕生以来、つぎから次ぎへと、この地球の中に生まれ出て、又、次から次に死んで行く無数の命ある者と言う意味なのでしようか? ・暗い期間は、生の前より、死後のほうが遥かに永く、更に無限∞です。 ・宇宙の中で唯一生命の棲むオワシスのようなこの地球。過去から現在・未来に渡り、多くの生命が生まれて、通り過ぎて行きます。生まれる前も死んだ後も、永劫に暗闇が広がっている。 ・生と死の本然の姿は、科学が発達した今日でも依然として深い深い謎に包まれている。 ・生きているその間だけが、明るく輝いている。生の輝きは一瞬。その前後は永遠にくらい。くらいのが普通なであって生きて輝くのは、それ自体が奇跡である。そのことに気づかず、漫然と生きている人間であってはいけない。 ・私と言う命を乗せた船は、何処からきてまたどこへ向かうの?
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「あなたにとって、死とは何ですか」と言う、或るアンケートによると、 ・人生の終わり ・死後の人生の始まり ・霊魂が宇宙の意識に帰ること ・無 ・永遠の眠りと いろんな答えがあるようです。 私の個人的に考える命の最後は よく極彩色に耀く、宇宙ハッブル望遠鏡で観る、天文雑誌で見かける銀河・星雲の群れを連想するような、大日如来(宇宙神)を中心にした仏・菩薩・諸天・善神たちの居並ぶ、大宇宙の神々しい曼荼羅の世界に行くのでは!?それが浄土世界(真言宗は弥勒浄土)と想像しています?! 子供の頃は、死は無になることだと思い、永遠の無が無性に不安で、恐怖で堪りませんでした。今では死とは大宇宙の曼荼羅世界にワープする事と思えるようになり、不安も恐怖も無くなりました。死とはそんな宇宙の根源へ帰る。魂の故郷へ帰る事なのではと自身は考えます!!??私たちは死んでも宇宙から飛び出す事は出来ないのです。
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空海:弘法大師の即身成仏というのは、「死んで仏となるのでは無く、生きながら宇宙の根源と一体となることを目指すもの。自身が宇宙そのものであると気づくこと」です
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