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境内の隅にも、春が! 春が!! 来ましたよ!!! 〜〜〜〜〜〜〜〜〜 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 花が咲く前蕾のころ、よくウソという鳥が飛来します。 スズメより一回り大きい林の小鳥です。雄は灰色と黒色、雌は茶色と黒色の配色で綺麗です。雄は頬から喉に目立つ赤色(緋色)があります。日本では本州と北海道の山地の針葉樹林で繁殖し、冬には南下し平地の林でも見られます。 美しくておっとりした感じで、正直で善良そうに見えるそうです。
この鳥の食性の特徴は、群れをつくってサクラ並木や果樹園などにやって来て、ふくらみかけた花のツボミを食べてしまうことです。せっかくのツボミをむしり取ってしまいます。 嘘を付くという漢字「鷽」と書きます。この名前の由来はよく解っていなくて、一説では「口笛を吹く」という意味、九州の方言〈うそぶく〉にから来ているとされているようです。 この鳥は「フィフィ」とまるで人の口笛の声で鳴き、昔は口笛をウソ ( 嘯 ) と呼びんだようです。この鳥の鳴き声が人の口笛を連想させるので名づけられたのだと云われます。
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「春風の花を散らすと見る夢は さめても胸のさわぐなりけり」;西行法師
< さまざまの事思い出す桜かな >:芭蕉
この山門前で、鬼平犯科帳のエンデングテーマ・ジプシーキングス(ギター曲)の 哀愁のこもったエンディングテーマ「インスピレイション」のCDを、桜が散る頃、天気のいい日に毎日かけて聴いています。ギターで人を泣かせる名曲です。 この曲、 何度聴いても飽きません。 不思議と日本の風景や四季によく合いす。それは仏教の無常観・日本的な侘び寂びが表現されているような、繊細で心揺さぶる曲だからだと想います。 ギターの哀愁漂う旋律が、咽ぶが如く、しみじみと奏でていて、魅せられます。 *1.ジプシーキングスは、 南フランスのフラメンコギターを主とするグループ。初め思うほどあまり売れないグループだったが後、フラメンコに現代音楽のポップ・ロックを加味してから一躍世界的に有名になったギターを主とする8人編成。
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下関に縁のある「みすずの唄」が好きなので、ここに「花:春:桜」を詠った六編を載せます。 山門の前の石畳の休憩椅子で、「インスピレイション」をかけながら子供に聞かせてやりたい名曲と、「みすず」の、 「つゆ」:「花のたましい」:「蜂と神さま」:「足ぶみ」:「山ざくら」:「さくらの木」 と言う感性豊な詩です。 一度「金子みすずの宝石箱のような詩」を読んでみて下さい。
【山門の前の石畳の休憩椅子】 ここの広場でカフェ≪門前カフェ≫を開いております。 セルフで些細なものですが、誰でもご自由にどうぞ!! 都合によりカフェが開けない時もあります。】 現在このカフェは八十八ヵ所奥ノ院前に移動しています。
西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるも享年26歳。みすずの事は後に載せています。
(没後50余年を経て作品が発掘され 全貌があきらかになっております)
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「つゆ」
だれにもいわずにおきましょう 朝のお庭のすみっこで 花がほろりとないたこと もしもうわさがひろがって はちのお耳へはいったら わるいことでもしたように みつをかえしえにゆくでしょう
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「花のたましい」 散ったお花のたましいは み仏さまの花ぞのに ひとつ残らず生まれるの だって お花はやさしくて おてんとさまが呼ぶときに ぱっとひらいて ほほえんで 蝶々にあまい蜜をやり 人にゃ匂いをみなくれて
風がおいでとよぶときに やはりすなおについてゆき
なきがらさえも ままごとの 御飯になってくれるから
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「蜂と神さま」
蜂はお花のなかに お花はお庭のなかに お庭は土塀のなかに 土塀は町の中に 町は日本の中に 日本は世界の中に 世界は神さまの中に さうして さうして 神さまは 小ちやな蜂の中に
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「足ぶみ」 わらびみたよな雲が出て 空には春がきましたよ ひとりで青空みていたら ひとりで足ぶみしましたよ ひとりで足ぶみしていたら ひとりでわらえてきましたよ ひとりでわらってしていたら だれかがわらってきましたよ からたちかきねが芽をふいて 小みちにも春がきましたよ
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「山ざくら」
さくら さくら 山ざくら 私は髪に挿しました 山ひめさまになりました
さくら さくら 山ざくら その木の下に立ちました 山ひめさまは立ちました
さくら さくら 山ざくら 舞っておみせ といいました 山ひめさまがいいました
さくら さくら 山ざくら ひらりしゃらりと舞いました 山ひめさまにみせました
さくら さくら 山ざくら 髪から みんな散りました 駈け駈けかえる山みちで
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「さくらの木」
もしも母さんが叱らなきゃ 咲いたさくらのあの枝へ ちよぃとのぼってみたいのよ
一番目の枝までのぼったら 町がかすみのなかにみえ お伽のくにのようでしょう
三番目の枝に腰かけて お花のなかにつつまれりゃ 私がお花のお姫さまで ふしぎな灰でもふりまいて 咲かせたような 気がしましょう
もしも誰かがみつけなきゃ ちょいとのぼってみたいのよ _|_|_|_|_|_|_|_|_|_|_|_|_|_|_|_|_|_|_| みすずの事 (以下長門市HPページ参考・数種の資料・事典を総合して) 金子みすずは 下関の隣の市 山口県長門市に生まれ 女学校卒業後 下関西之端町上山文英堂書店で働き始める みすヾの父 金子庄之助は彼女が3歳の時に死んで 2歳下の弟の正祐が叔母(母の妹)の婚家先に養子に遣られる やがてその叔母も死んで その後釜にみすずの母ミチが入る みすヾが16歳の時であった (みすずが番頭と結婚する頃までは 弟は実の姉と言う事を知らなかったと言われる) 母が再婚した上村松蔵は下関で手広く書店を経営していた 女学校を卒業したみすずも下関に出て 上村文英堂書店を手伝うことになる 先に養子に来ていた正祐とは姉弟の血縁関係だったが 店主の松蔵の意向でこのことは正祐に知らされていなかった(それが後の悲劇につながる一因?! 弟正祐もみすずも 後に悩む事になるのでは?!) (みすず本名・テル)は明治36年(1903年)4月11日 山口県大津郡仙崎通村(現長門市)にて生まれた 女学校卒業後大正12年(1923年)下関西之端町商品館内の上山文英堂書店で働き始め 6月頃よりペンネーム「みすゞ」で童謡を書き投稿を始めた「童話」「婦人倶楽部」「婦人画報」「金の星」などの雑誌に童謡が掲載され 西条八十より「若き童謡詩人の中の巨星」とまで賞賛される 大正15年(1926年)2月同書店(義父になる店主)に奨められ番頭・宮本啓喜と本意ではない結婚 この年の「日本童謡集」に「お魚」と「大漁」の二編が掲載されるが 創作活動に反対する夫により活動を停止する1930(昭和5年2月に離婚 その後娘ふさえの養育権を 夫に奪われた事を苦に服毒自殺 享年26歳
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