(画はクリックで大きく拡大) Q;長澤芦雪に興味があるので、落款の所を拡大して見せて頂けますか?と言うメールがありました・・・ので… A;普段は境内外。寺の外に保管しています。
仕事を終え、 2人のインド人らしい象使いが、前足・後足をそれぞれ手分けし、 労って洗ってやってやっているところを、中心に拡大しました。 拡大して見ると、普段使用しない異国風の銅製の大きな水壺が印象的・・・!
本物の生きた象が、蘆雪の生まれるわずか二十数年前の享保十三年(一七二八)、オランダ船によって日本にもたらされているようです。長崎から山陽道、京都を経、江戸にまで運ばれ、そこで将軍吉宗(一六八四〜一七五一)の上覧にも供されていました。。
(篆刻)印章について
画の篆刻印は□印だけです 澤長の2字で□印 その下に 魚 一字で□印 合わせて二個の□印です
魚という印章は、 (以下数種の資料・事典を総合して) 京都四条の應擧宅に修業に通っていたある冬の朝、盧雪は小川に張った氷の中に閉じ込められている魚を見かけます。 その帰り道、氷が溶け自由を得て嬉しげに泳いでいる魚の姿がありました。その事を師匠に話したそうです。 すると師匠の應擧は「苦しい修業時代も段々と氷が溶けるようにして、画の自由を得るもの、それをよく心得よ」と諭したそうです。 その事を悟った盧雪は、凍った水の中の魚の文字を落款印に刻み、生涯使い続けました やがて盧雪は、多くの弟子の中から、めきめきと頭角を現すのです・・・ と。
この画の篆刻印は真四角だから、若い時期のものかも知れません!??? 晩年の印章は 囲いが梅の花みたいになり その輪郭が 一部欠けたように少し開かれていて、魚が自由を得て氷の囲いから、出て行くような印章になっているともいいます。(梅が咲く頃氷が緩むからでしようか!?梅香氷解?) (重文に指定されている宮島の「山姥」の落款印が、そのような印だったと思います。 魚が氷の囲いから、ようやく自由を得て出て行けるようなに印章なっているように思えます)
だから推測するに、この絵は青年期の物でしょうか・・・!!??? まだ氷が融けていないで、魚が氷にガッチリ囲まれ、出られない状態(未熟な心境・技量)だから若い時の作品!?????
この画には片鱗は少し窺えますが、晩年のような奇抜さ・写実を無視した極端なデフォルメが、まだ余り見受けられないように、素人にも思えます。 これ全て私素人の評です。 この画は平成14年4月、当山の寺宝展に、初めて世に出した物(その当時・毎日新聞に載りましたが)真贋の程は分かりません。 その事を申し添えておきます。
「落款」とは 「落成の款識」の意味です。 書画に筆者が「自筆」で「署名」したり、「印」を押すことをいいます。 ですから、「はんこ」・・印鑑・・もその中に含まれるようです。、「署名」及び「印」ということにもなります。
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