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■ 32)Q :お寺の門を山門と呼ぶのは・・・?2009.2.7

Q:お寺には「さんもん(山門)」とか「さんごう(山号)」と言うのがありますが、どうしてですか?

画は当山の山門です。

(写真はクリックで拡大)

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山門の前の石畳の休憩椅子で【〓21日の『お大師さん』の縁日〓】ここの広場でカフェ≪門前カフェ≫(露店)を開いております。=「プチ:カフェ」です。 
セルフで些細なものですが、誰でもご自由ですから、どうぞ!!
都合によりカフェが開けない時もあります。
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A: お寺の門のことを山門と呼びますが、お寺はもともと山に建てられたことからきています。
有名なのは「高野山」「比叡山」があります。
後に平地であっても、お寺の門は山門と呼ぶようになりました。
また山門は三門とも書き、これは三解脱門(さんげだつもん)を略したもののようです。
三解脱とは、悟りに入るための三つの要素のことで、寺の門はそれを象徴しているとされます。三門は「空・無相・無願の三つの解脱の境地を表わす門」だそうです。禅宗などの大寺に多く、三門と書く場合は、二重門で京都などにある大寺に多いいようです?

:参考:
京都三大門のひとつ南禅寺山門。 
歌舞伎で大泥棒石川五右衛門が、この山門から京都の街を眺めて、「絶景かな〜絶景かな〜」と見得をきるのが有名ですし、三門の字を当てる門で、日本一大きいのはは智恩院の門です。共に二重門です。 


山号と言うのもあります。仏教の寺院名に付与される修飾語の一つです。
だから当寺と言わず、普通当山といいます。住職のことを山主とも言います。
当山は「金谷山」と言います。
当山は日和山の一角にありますが、山号は「金谷山」です。

(以下違った話しをします。:他のお寺さんで実際有った話です。)
それはお寺の住職・寺族が亡くなると、「山門不幸(さんもんふこう)」という貼り出しをするのが、昔からの慣わしです。 
ところが、
或るお寺さんがそうしたら、ご近所に「山門(やまかど)」さんと言う家があり、後になってその家から、うちの家が不幸なのかとクレームがつき、困ったと言う話しをされていました。
そんな事があったので、次は「山内(さんない)不幸」としたら、今度は近所に「やまうち」さんが居られて、そこからも同じようなクレームが来たと言う落語のような実話があります。「やまかどさん」も、「やまうちさん」も自分の所が不幸なのか?と思われたのでしようし、親不孝と言う言葉があるので、知らない人にとっては、とんでもない事で、嫌な思いかも知れません!?
それで、
もし「寺内(じない)不幸」としても「寺内(てらうち)不幸」となり、近所に寺内さんが居られたら同じようになります。
この話しは街の中ならではの事で、田舎では、例え「山門・山内・寺内」さんが近所に居られても、この様な困った話にはならないと思います。
お寺での「山門不幸(さんもんふこう)」という貼り出しは、一般家庭で言う“忌中”の貼紙です。山内で不幸が有りましたというお知らせなのです。


(以下、▽ ▽ ▽数種の資料を総合して)
山号(さんごう) 寺院名に冠する称号。仏陀(ぶっだ)在世中の霊鷲山(りょうじゅせん)のように、インドや中国では山中に精舎(しょうじゃ)や寺院を設ける伝統があった。中国では山中に建てられた寺院に、その所在を示す山名を付して天台山国清(こくせい)寺。廬山東林(ろざんとうりん)寺のように山名と寺名を連称してよぶようになり、のちに山名がそこに所在する寺院の別称にもなった。日本では古代には都などの平地に寺院が建てられたので山号はない。平安初期の延暦寺(えんりゃくじ)や金剛峯寺(こんごうぶじ)はその所在地によって比叡山(ひえいざん)高野山(こうやさん)とよばれたが後世の山号のように形式的な称号ではなかった。平安末に嵯峨清凉寺(さがせいりょうじ)が五台山と名づけられ、鎌倉時代になって禅宗が中国の五山制度に倣い平地の寺院にも山号を冠するようになり、東山(とうざん)建仁寺、金龍山(きんりゅうざん)浅草寺のように形式的な山号をつけてよぶのが一般的になった。

この写真では境内参道の様子がよく分かりませんが、 
正面の護摩堂に上がる階段の手前1〇b辺りまで1b幅で毛氈を敷いたように赤くしています。
そこから手前の山門まではそのままです。途中で止めて中途半端なのです。 
途中寺内の者から反対があったからです!?この手法かなり前衛的?だったのでしようか!?
自分では正解だったと思うのですが!?
この手法 皆さん変ですか???自分では違和感無いと思いますが!!?

石段を上がるとすぐ、門前一面に敷いた広い石畳があります。 
私の計画では、  
山門までの階段を登れば、直ぐその真ん中を通って、「緋毛氈を敷いたように、山門前の数段の階段を含めて、山門の中を通り、そのまま一直線に真っ直ぐ、護摩堂の上り階段・本堂・粟島堂等の諸堂前まで見渡される様に、続けようと思っていた・・・。」のですが!?

多くの人は、お寺は渋いものだという、先入観がどうもあるようですね!
少し講釈を言わしてもらうと、 
真言宗は曼陀羅宗です。この世は色の曼陀羅の世界です。
全ての色(この世は色マンダラです)を肯定し受け入れていく事が、真言宗の教義でもあるのです。
禅宗のモノトーン世界とは違います。
ただ、環境に合うかどうかでしよう。
(奈良・京都)古都の歴史ある大寺では おおらかに明るい色が使われています
:奈良「西ノ京」薬師寺:の
東塔は凍れる音楽と言われ古色蒼然としていて、西塔は現在の再建で、真紅で新旧対比しています。東塔も本来は(創建当時)、新しい西東のように鮮やかなのです。
朱塗りの柱や、緑の連子窓、真っ白の壁。そして何よりも露盤から天空を突き刺すように延びた金色の相輪の色鮮やかさは、今見ると東塔のそれとは全く対照的と言ってよいものです。当に「青丹よし」です。
:余談:「「青丹よし」は奈良にかかる枕詞ですが、 
「青丹よし」と枕詞に詠んだその意味は、 
都はあでやかな「青と赤(朱)」が“よし”:“よく似合う”と言う解釈もあり、そのことはまんざら間違いではないと言った解釈があるそうです。

古都の歴史ある大寺は、禅宗以外では本来、多くは堂内外までも極彩色に彩られているのであり、歴史を経ているから剥がれたり、くすんでいるだけ、と言う事も知っておきましよう!