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■ 13) Q :弔電が多いい場合 どうしたらいいでしょう・・・?弔電について思う事…本葬:密葬とは?2008.6.27

(写真クリックで拡大 )
ここは山門ですが、階段を上って山門の手前迄の、石畳のテラス状の広場です。
毎月【〓21日の『お大師さん』の縁日〓】には、≪門前カフェ≫オープン(露店)ですが開いております。=「プチ:オープンカフェ」です= 
セルフで些細なものですが、誰でもご自由ですから、どうぞ!!都合によりカフェが開けない時もあります。

Q:弔電が多いいので、どこまで披露したらいいでしよう。数を制限すると、どれを披露してどれをしないか迷います? 

A:弔電は本来葬儀で、紹介されるために送るものではなく、喪主・ご遺族に対して弔意を表すものです。
だから基本的には、披露をする必要はないと、個人的には考えます。

喪主・ご遺族だけが、弔電で弔意を下さったお方のお気持ちを、汲み取るものです。
式中に時間を割いて、披露がよく行なわれます。
一般的に引導作法と、告別式が一つになって、同時に行なわれるのが、今日の葬式です。
引導作法=告別式として、同じ日:同じ時間に行なわれるのです。

弔電の事でいつも思うのは… 
わざわざ時間をやり繰りして、出席して頂いたお方の紹介をしないのに、出席しないで、弔電に代えている人を紹介するのは、本来主客転倒しているように思えるのですが!?中には葬儀に出席しながら、弔電を打つている人を見かけます。 
最初に必ず政治家の弔電披露(全文)があり、次に(順不同と言いながら)社会的に目立つ地位の人となります。
5.6通全文披露とし、後は(住所)と(名前のみ)となって行くのが通例です。
「本日の御弔電は何通寄せられましたが、ご披露は全て割愛させて頂き、謹んで御霊前に奉奠させて頂きます」として省かれたら、如何でしょうか!?
この事を葬儀会館の司会者に、事前に伝えておかれたらいいと思います。実際知らないお方のお名前を披露して貰っても、弔電を打たれた方が、誰がだれかも分かる筈もありません。だだ名前を聞くだけです。 
それよりも、仏前にそのままお供えすべきだと、個人的にはそう思います。
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弔電は故人に花を添える意味で、披露されるのでしょう!?
それ故、披露はしなくていいですよとは、なかなか言えないものです。
そんな意味から、私は弔電と焼香を、同時進行でするよう司会者に指示しております。
そうすると焼香・弔電披露と、別に区切ってしなくて済むので、時間がかなり省けます。 
以前大きな社葬が行なわれ、弔電が余りにも多いいので、本葬の始まる10分前から読み上げられ、その後式が始まり、弔辞・主催者挨拶の後から、焼香中に残りの最後の読み上げがありました。
「社葬なので全て読み上げるのが、会社の意向で・・・」と葬儀会館の司会者の弁でした。
こうなると、商売に係わる取引業者の弔電披露が、主目的になるのでは!?!?
これではかなり考えさせられます・・・
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本葬とは、  
密葬(事前に導師が引導作法を渡し;棺前作法を済ませて荼毘にふす事≒所謂身内だけでする葬式)
後日広く知らせて、告別式を主体にして、行なわれる葬儀の事だとおもいます。
社葬(本葬)とか大きな葬式になると、急に準備がととなわないからそうなります。
本来密葬は、本葬とセットで考えられたものでした。つまり故人が会社の経営者や有名人であったりした場合、お知らせや準備に時間がかかるため、まず死亡直後に親族や親しい者だけで密葬を行い、荼毘に付し、そして後日一般の参列者を招いて、告別式を主体にして本葬を行うというものです。
しかし現在、本葬のあるなしに関わらず、 
身内を中心にして、誰にも知らせず家族だけで、密かにすることを、密葬と呼ぶようになってきています。 
本来は、本葬があるから密葬なのです。
密葬があって次に本葬なのです。
だからどんなに隠すように葬儀をしても、質素にしても、家族だけでしても、友達だけでしても一般のお葬式は、単に葬式でいいのです
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画は山門からの写真ですが、 
石畳の参道を赤く塗ることを、手前三分の二(公孫樹の落ち葉で埋まっている)辺りで途中止めています。中途半端なのです。 
コンテンツ「お知らせの項目」(38)梅咲く境内「梅にメジロ」の写真に、落ち葉に隠れている辺りが写っています。
途中、寺内の者から反対があったからです!?これかなり前衛的?だったのでしようか!?
自分では正解だったと思うのですが!?
この手法、皆さん変ですか???自分では違和感無いと思いますが!!?
石段を上がると、すぐ門前一面に敷いた広い石畳があります。 
私の計画では、  
山門までの階段を登れば、直ぐその真ん中を通って、「緋毛氈を敷いたように、山門前の数段の階段を含めて、山門の中を通り、そのまま一直線に真っ直ぐ、護摩堂の上り階段・本堂・粟島堂等の諸堂前まで、見渡される様に、続けようと思っていた・・・」のですが!?
多くの人は、お寺は渋いものだという、先入観がどうもあるようですね!
少し講釈を言わしてもらうと、 
真言宗は曼陀羅宗です。この世は色の曼陀羅の世界です。
全ての色(この世は色マンダラです)を肯定し、受け入れていく事が、真言宗の教義でもあるのです。
禅宗のモノトーン世界とは違います。ただ、環境に合うかどうかでしよう。
(奈良・京都)古都の歴史ある大寺では、おおらかに明るい色が使われています。
:奈良「西ノ京」薬師寺:の東塔は、凍れる音楽と言われ古色蒼然としていて、西塔は現在の再建で、真紅で新旧対比しています。東塔も本来は(創建当時 新しい西東のように鮮やかなのです。
朱塗りの柱や、緑の連子窓、真っ白の壁 そして何よりも露盤から、天空を突き刺すように延びた、金色の相輪の色鮮やかさは、今見ると東塔のそれとは全く対照的と言ってよいものです。当に「青丹よし」です。
:余談:「「青丹よし」は奈良にかかる枕詞ですが、「青丹よし」と枕詞に詠んだ、その意味は、 
都はあでやかな「青と赤」がよく(よし)似合うと言う解釈があり、そのことはまんざら間違いではない、と言った解釈もあるそうです。

古都の歴史ある大寺は、禅宗以外では本来、多くは堂内外までも極彩色に彩られているのであり、歴史を経ているから剥がれたり、くすんでいるだけと言う事も知っておきましよう!