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本堂裏の丘が 八十八ヵ所ミニ霊場が在るところです。 一番奥に奥の院が在り、その上は展望台となっています。昔は日和山の頂上(境内で一番高い所)に野焼きの火葬場が在りました) 日本での火葬の始まりは、仏教が日本に渡来してから本格的に普及してきました。
Q:自分の仕事の都合で「何日」にお葬式をしますと言ったら、「友引」だから葬式が出来ないと言われました どうして・・・?
A:「友引」にしないと言うのは、 友引はその日に葬儀を行なうと、友を引き寄せて一緒に冥土に連れて行くという、迷信から起こった風習です。
そんな昔からの風習から、都会以外では、火葬場が休みという自治体が多いいと言う事です。 たとえそうであったとしても、「友引」はほぼ一週間ごとに巡ってきます。それで[火葬場の従業員さんの休日」だと思えばそれでいいのです。 都会以外の多くの地方自治体がそうしております。友引を昔どおり火葬場の休みにしていて、友引に葬式をしてもその日に、(火葬)が出来ないようになっています。
地方においても、 佐賀県の大村市にお葬式に行ったことがありますが、そこは「友引」でも葬式をしました。(実際は月2回するそうです) 対応は自治体によって違いがあります。 大村市ではそうする時、人形を棺に入れるんだそうです。 都会以外の多くの地方自治体は、「友引」を火葬場の休みとしている所が多いいようです。 それは都会は人口が多いので、火葬場を「友引」毎に休みにしていては、仮想がさばけないからです。 (新しく火葬場を作ろうにも場所はないし、住民の反対があったりして困難だからです)だから都会では、休みなくフル回転ということなのです。だから友引にも拘らず葬儀が出来るのです。
最近聞いた話ですが、関西方面の或る地域では、火葬は環境問題から昼間にせず、夜中にして、次の日お骨あげをしに行くんだそうです。
以下辞典からの引用・・・ 「友引」はその日に葬儀を行なうと、友を引き寄せて一緒に冥土に連れて行くという、迷信から起こった風習です。 これは先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口の順序で循環する六曜の一つで、旧歴正月の1日が「先勝」、2月の1日から「友引」を当てて、6日ごとに循環する仕組みです。 本来の「友引」の意味は、孔明六曜星では「相打ち共引きとて、勝負なしと知るべし」 とされ、引き分けの意味で悪い意味はなかったのですが、葬送の凶日凶方を知る「友曵方」とが、混同されて信じられたものといいます。 その他の説では、1716年(亨保元年)に表された『暦之抄』の中に、辰・巳・午の日には葬儀をしてはいけないとあります。これとは逆に二十八宿における「昴」と「ともぼし」が葬送にふさわしいとされています。六曜の名称が今のような形になったのは、江戸時代末で、それが普及したのは幕末の頃と言われています。 =余話= 喪服は現在では“黒色”と決まっていますが、古くは“白色”だったのです。
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