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■ 76)合掌の種類は…!“蓮の蕾”江戸の童歌「ひらいたひらいた」2017. 9. 4

(画は【 click!】で拡大表示)
:蓮の新しい品種です:
納骨堂の隣りにある阿字池の蓮池には、5.6種の品種を植えています。このような状態の蕾になると、明日の早朝から3・4日開いたり、閉じたりということを繰り返し、蓮弁を散らし花は終わります。
その様子を唄ったのが小鳩くるみの童謡、曲名♪「ひらいたひらいた」なのです。

=蓮華合掌(れんげがっしょう)=
両手の平をぴったりとくっつけず合掌して、ピンポン球を包み込むように膨らました状態、この画のような蓮の蕾に似た合掌。これを、蓮華合掌といいます。
この合掌は蓮華の蕾を表わします。蓮華は仏教の教えを説く花です。よく言われることですが、泥の中から花を咲かせ、花を咲かせると同時にもう次の種を持っています。このことは、この世の苦しみの中からでも、花を咲せることができる私たちであり、人間は生まれた時から、仏の子としての種を持っているのとして蓮になぞらえるものです。
そこで、この蓮華合掌をすることで、仏前においては仏から頂いた種を今、咲さんとすることであり、その蕾をもって、仏の教えを頂き開花しようとしています。人と人においては、互いにつぼみを持っているそのことに、礼拝し敬うのです。
普通のお勤めや、お参りは、この合掌でいいです。
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:童謡「ひらいたひらいた」:
この童謡は、江戸に伝わる「わらべ歌」で女子遊びなり(江戸年中行事より)

歌詞
「開いた開いた 何の花が開いた れんげの花が開いた 開いたと思ったら い〜つのまにやらし〜ぼんだ〜…。」サーチしてみたら江戸の女子遊びで唄われたものだそうです。
小鳩くるみが唄っているのを戦後よく耳にしています。
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合掌は蓮の蕾に似せています。
合掌には十二種類あります。
そのうちよく頻繁に使われているのは4種類です。専門的になるので、ここではその四つである@堅実心合掌、A金剛合掌、B虚心合掌、C未敷蓮華合掌、の四種類について触れます。
合掌は印契(いんげい)「印相(いんぞう)とも言う。」密教の作法で,手と指を組み合わせて印を結び,諸仏・菩薩(ぼさつ)の悟りを行者の身に表示するもの。普通は法衣の下で行う。仏像では手と指を組み合わせたものを印,剣・法縄・蓮華(れんげ)などを持つことを契と呼ぶ。

@ 堅実心合掌、
堅実心合掌は字の如く、堅く手を合わせることで、手のひらをしっかりと密着させる。食事の時などに「いただきます」と軽く手を合わせている印です。
A 金剛合掌は、
左右の手のひらを合わせて十本の指先を交互に浅く交差させ、ここで注意するのは五指とも右が上にくるように組み合わせることだ。右手は仏の世界を表し必ず上位とするのが決まりとなっています。この印は四つの中でも重要な印で、僧侶がよく使うものである。
B 虚心合掌(こしんがっしょう)は、
最も一般的にしている形で、自然に両手を合わせるとこの合掌になる。五指の指の先端を揃え合わせると、手のひらは密着せず自然に少し空間がある。この空間が「虚心」というわけ。
C 未敷蓮華合掌(みふれんげがっしょう)は、
上の虚心合掌とよく似ていて、更に掌中の空間に卵を挟めるぐらいに空けて大きくし、実際のハスの蕾のようにします。心もち指先が開くようにする印。まだ開花する前の蓮のつぼみを表すものです。欲望や煩悩にとらわれたままの私たちの心を象徴します。これは開花していない蓮華のつぼみの形なので未敷蓮華と呼ばれていて、未開のつぼみは仏性を持っていながら、欲望や煩悩に囚われたままの私たちの心を表している。
以上の四種類が合掌の基本形である。
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「♪・〜・小鳩くるみの童謡。♪・♪〜♪・」
〓曲名「ひらいたひらいた」
♪・・・
「開いた開いた 何の花が開いた れんげの花が開いた 開いたと思ったら い〜つのまにやらし〜ぼんだ〜…。」
これは、
古く江戸のころから伝わる「わらべ歌」ですが,この「レンゲの花(ゲンゲの花)」は春に野に咲き、良い「みつ源」になるマメ科のゲンゲ(レンゲ)の花、蓮華草のことではなく、池に咲く仏花の「蓮・ハス・はす・蓮華」のことを歌っています。蓮華草と草の字を書くのは、レンゲ(蓮華)と区別するためかもしれません。
このわらべ歌は、子供たちが手をつないで輪を作りながら、「ひらいた」「つぼんだ」の歌詞に合わせ、手を広げて大きな輪になったり、ハスの花がしぼんだり開いたりしながら、花が咲くように小さな輪になったりする遊び歌として歌われました。
「開いた開いた 何の花が開いた・・・」と歌って遊戯をする子供たちの姿は、江戸が平和だったからだと想います。
レンゲソウの漢名は紫雲英(しうんえい )です。
紫雲英と書くのは、輪になって咲く姿をハスの花に見立てたものです。
花が一面に咲いている様子を遠くから見ると、低くたなびく紫の雲のように見えるというところからきているようです。

幼い頃、この小鳩くるみの童謡・「ひらいたひらいた」の歌は、蓮華草の事だとばかり思い込んでいた時期もありました。よく観察すれば、ハス花は早朝に咲いて、午後には花弁を閉じて、つぼみ状になります。これを4,5日開いたり、つぼんだりして花弁を散らします。よく考えれば蓮華草(ゲンゲ)は開いたり、閉じたりすることはありませんよね…!
草でしかも花が蓮華によく似ているから、蓮華草というようです。

「蓮華の花開いた」は、 女子遊びなり(江戸年中行事より)

女子遊びと言うより幼い男女を混ぜた子供の遊びなのだと想います。男女手をつないで中心に集まりしゃがんで、そこからひらいたひらいたと、歌いながら中心を広げて輪を大きくするように「蓮華の花がひらイた、ひイらいた」と歌いながら,つないだ手を一杯に広げそこから「つウぼんだつウぼんだ、と、おもったら、やツとこさと、ひイらいたやツとこさ」と数人の子供らが、互いに両手を握り合って輪を作り大声で「蓮華の花がひらイた、ひイらいたと思ったら、やツとこさと、つウぼんだ、つウぼんだつウぼんだ、と、おもったら、やツとこさと、ひイらいた」と、互いに開いたり、つぼんだりしている内に、つまずいたり倒れたりする。怒ったり泣き出したりすることもあって、仲間が手を離し崩れてしまう。そんな幼い女児の遊びのようです。そんな遊びを仏様が見守っている様な(踊り歌)。 そこには一休さんが加っていそうな遊戯歌のよう!。

蓮の蕾が早朝に咲いて、4.5日で昼には花を閉じてしまう生態は、江戸の童歌『ひらいた ひらいた』の歌詞に表らわしています。
子供たちが手をつないで輪を作りながら、「ひらいた」、「つぼんだ」の歌詞に合わせ、手を広げて大きな輪になったり、花がしぼむように後ずさりしてしゃがんで、小さな輪になったりする遊び歌として歌われた江戸の童歌。唄を歌いながら手をつないで、開いたりしぼんだり。

歌に唄われている通り、朝開いた蓮の花は昼過ぎにはつぼみ、翌朝にまた咲く、ということを繰り返します。
蓮は泥の中で育つにも関わらず美しい花を咲かせることから仏教において清浄のシンボルとなっており、「南無妙法蓮華経」でお馴染みの「法華経(←「妙法蓮華経」の略)」の名にもなっています。極楽浄土に往生した人は蓮の花の上に座るとされており、仏像を載せる台座は蓮の形をした「蓮台(れんだい)」ですし、「一蓮托生(いちれんたくしょう)」とは、死後、同じ蓮に身を託す、転じて死ぬまで運命を共にすることを意味します。

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:童謡「ひらいたひらいた」:
この童謡は、江戸に伝わる「わらべ歌」で女子遊びなり(江戸年中行事より)

歌詞
「開いた開いた 何の花が開いた れんげの花が開いた 開いたと思ったら い〜つのまにやらし〜ぼんだ〜…。」と言う江戸の女子遊びで唄われたものだそうです。
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合掌には十二種類あります。
そのうちよく頻繁に使われているのは4種類です。専門的になるので、ここではその四つである@堅実心合掌、A金剛合掌、B虚心合掌、C未敷蓮華合掌、の四種類について触れます。
合掌は印契(いんげい)「印相(いんぞう)とも言う。」密教の作法で,手と指を組み合わせて印を結び,諸仏・菩薩(ぼさつ)の悟りを行者の身に表示するもの。普通は法衣の下で行う。仏像では手と指を組み合わせたものを印,剣・法縄・蓮華(れんげ)などを持つことを契と呼ぶ。

@ 堅実心合掌、
堅実心合掌は字の如く、堅く手を合わせることで、手のひらをしっかりと密着させる。食事の時などに「いただきます」と軽く手を合わせている印です。
A 金剛合掌は、
左右の手のひらを合わせて十本の指先を交互に浅く交差させ、ここで注意するのは五指とも右が上にくるように組み合わせることだ。右手は仏の世界を表し必ず上位とするのが決まりとなっています。この印は四つの中でも重要な印で、僧侶がよく使うものである。
B 虚心合掌(こしんがっしょう)は、
最も一般的にしている形で、自然に両手を合わせるとこの合掌になる。五指の指の先端を揃え合わせると、手のひらは密着せず自然に少し空間がある。この空間が「虚心」というわけ。
C 未敷蓮華合掌(みふれんげがっしょう)は、
上の虚心合掌とよく似ていて、更に掌中の空間に卵を挟めるぐらいに空けて大きくし、実際のハスの蕾のようにします。心もち指先が開くようにする印。まだ開花する前の蓮のつぼみを表すものです。欲望や煩悩にとらわれたままの私たちの心を象徴します。これは開花していない蓮華のつぼみの形なので未敷蓮華と呼ばれていて、未開のつぼみは仏性を持っていながら、欲望や煩悩に囚われたままの私たちの心を表している。
以上の四種類が合掌の基本形である。
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「♪・〜・小鳩くるみの童謡。♪・♪〜♪・」
〓曲名「ひらいたひらいた」〓

♪♪・・・
「開いた開いた 何の花が開いた れんげの花が開いた 開いたと思ったら い〜つのまにやらし〜ぼんだ〜…。」
これは、
古く江戸のころから伝わる「わらべ歌」ですが,この「レンゲの花(ゲンゲの花)」は春に野に咲き、良い「みつ源」になるマメ科のゲンゲ(レンゲ)の花、蓮華草のことではなく、池に咲く仏花の「蓮・ハス・はす・蓮華」のことを歌っています。蓮華草と草の字を書くのは、レンゲ(蓮華)と区別するためかもしれません。
このわらべ歌は、子供たちが手をつないで輪を作りながら、「ひらいた」「つぼんだ」の歌詞に合わせ、繋いだ手を広げて大きな輪になったり、ハスの花がしぼんだり開いたりしながら、花が咲くように小さな輪になったり繰り返す遊び歌として歌われました。
レンゲソウの漢名は紫雲英(しうんえい )です。
紫雲英と書くのは、輪になって咲く姿をハスの花に見立てたものです。
花が一面に咲いている様子を遠くから見ると、低くたなびく紫の雲のように見えるというところからきているようです。

幼い頃、この小鳩くるみの童謡・「ひらいたひらいた」を聞いて、蓮華草の事だとばかり思い込んでいた時期もありました。よく観察すれば、ハス花は早朝に咲いて、午後には花弁を閉じて、つぼみ状になります。開いたり、蕾んだりします。よく考えれば蓮華草(ゲンゲ)は開いたり、閉じたりすることはありませんよね…!
草でしかも花が蓮華によく似ているから、蓮華草というようです。

「蓮華の花開いた」は、 女子遊びなり(江戸年中行事より)

女子遊びと言うより仲良く幼い男女を混ぜた子供の遊びなのだと想います。男女手をつないで中心に集まりしゃがんで、そこからひらいたひらいたと、歌いながら後ず座りし中心を広げて輪を大きくするように「蓮華の花がひらイた、ひイらいた」と歌いながら,つないだ手を一杯に広げ、そこから「つウぼんだつウぼんだ、と、おもったら、やツとこさと、ひイらいたやツとこさと開いた」と手をつないだまま、また中心に集まります。その時繋いだ手をそのまま上に上げるとより蓮の蕾に似ます。手をつないだまま元に戻りしゃがんで小さなわ輪に戻る(実際の遊びの遊戯は知りませんが…?このことは想像です。)
数人の子供らが、互いに両手を握り合って輪を作り、大声で、「蓮華の花がひらイた、ひイらいたと思ったら、やツとこさと、つウぼんだ、つウぼんだつウぼんだ、と、おもったら、やツとこさと、ひイらいた」と、互いに開いたり、つぼんだりしている内に、つまずいたり倒れたりする。怒ったり泣き出したりすることもあって、仲間が手を離し崩れてしまう。そんな幼い女児の遊びのようです。そんな遊びを仏様が見守っている様な(踊り歌)。 そこには一休さんが加っていそうな遊戯歌のよう!。

蓮の蕾が早朝に咲いて、4.5日で昼には花を閉じてしまう生態は、童謡『ひらいた ひらいた』の歌詞に表らわしています。
子供たちが手をつないで輪を作りながら、「ひらいた」、「つぼんだ」の歌詞に合わせ、手を広げて大きな輪になったり、花がしぼむように座り込んで、小さな輪になったりする遊び歌として歌われた江戸の童歌。唄を歌いながら手をつないで、開いたりしぼんだり。

歌に唄われている通り、この画の蕾の状態から4,5日咲いたり蕾んだりを繰り返し花弁を散らします。この画の蓮の蕾から朝開いて昼過ぎにはつぼみ、翌朝にまた咲く、ということを4,5日繰り返します。
蓮は泥の中で育つにも関わらず美しい花を咲かせることから仏教において清浄のシンボルとなっており、「南無妙法蓮華経」でお馴染みの「法華経(←「妙法蓮華経」の略)」の名にもなっています。極楽浄土に往生した人は蓮の花の上に座るとされており、仏像を載せる台座は蓮の形をした「蓮台(れんだい)」ですし、「一蓮托生(いちれんたくしょう)」とは、死後、同じ蓮に身を託す、転じて死ぬまで運命を共にすることを意味します。