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■ 71)〓【:絵画素人迷鑑賞:】〓・・・小野雲鵬(おの うんぽう)の「巌上鳥」〓「巌上の孔雀と巌下の薔薇」2014.12.11

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岸駒の影響を受けた画家。小野雲鵬(おの うんぽう)1796(寛政8)−1856(安政3)の「孔雀と薔薇図」です。清の画家・沈南蘋の系統を引く写生的な画。幕末の日本画家。倉敷市に生まれる。通称貞三郎、初号は湘雲、後に雲鵬。黒田綾山について南画を学んだ後、14歳で京都に出、四条派の柴田義董に入門したという。義董の没後は、岸駒に絵画を学ぶ。文政五年(1822)には画の部で「平安人物誌」に名前をつらねる。修行を終えて帰郷し、丹波亀山藩の飛地であった倉敷市玉島長尾に居を構え、在地のまま亀山藩松平家の御絵師に登用され、士格に準ぜられる。山水画は南画と四条派の折衷的な傾向を持つものが多く、花鳥画には岸駒の影響からか江戸中期、長崎に来た清の画家・沈南蘋の系統を引く写生的で濃彩の加えられた鮮明な作品がある。代表作に「孔雀図」のふすま絵(笠岡市個人蔵)や虎を描いては、全国的に名を駆せたその師、岸駒の作品を超えると思われる「虎図」と云われる虎の絵などがある。
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孔雀は仏格化されて、仏教「密教・(真言宗)」にとり入れられています。
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それは孔雀明王として…。元はインド神話の女神マハーマーユーリー、孔雀が神格化された存在を原点とします。仏教で珍しく明確に女性として描かれる尊格であり、明王の特徴である「憤怒の相」をとらずに穏やかな表情を浮かべている。そのため「孔雀仏母」「孔雀王母菩薩」という女性的な別名を持ち、その姿も菩薩のように非常にたおやかです。一面四臂で、倶縁果、吉祥果、蓮華、孔雀の尾を持ち、蓮座を背中に載せた孔雀に跨っている。孔雀の「毒蛇・毒虫を食らう」という食性から、悟りを開く妨げになる「三毒」(貪・瞋・痴)を食らって浄化し、悟りへの道を手助けするとされます。
それで孔雀明王は、孔雀は美しい姿をしながら、毒虫やコブラなどの毒蛇を好んで食べます。しかし孔雀はその毒に侵されることがありません。それで孔雀明王は人間にとって毒である「苦しみ」や「災厄」、「煩悩」を取り除く功徳があると言う、信仰が伝えられたのです。

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【 当山の〓仏画・小仏像・絵画・什物等〓は、全て境内外(寺外)に保管、保存しております。】
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 ・・‥‥…━━━: 小野雲鵬「巌上鳥」絵画素人迷鑑賞 :━━━…‥‥・・

・巌上には鳥の王者・孔雀を、巌下に花の女王・野薔薇を描いています。

・共箱の題には、雲鵬の自筆で「巌上鳥」とだけあります。

・それで、画題は別に仮題を「孔雀と薔薇」としました。

・孔雀には牡丹が定番だと思いますが、ここでは野バラを添えて描いています。昔から孔雀は題材とされ、百花王という異名をもつ牡丹とともに、吉祥富貴の象徴として好まれ、多く描かれてきたと思います。

・孔雀と薔薇の取り合わせは、新しい試みだったのでしよう…か!。

・伝統的な「孔雀と薔薇」ではなくて、新しい組み合わせで、「孔雀と薔薇」を描いているので、仮題を「孔雀と薔薇」としましたが、表現を新しいニュアンスで「ピーコックとローズ」とすべきかも…!?

・南画風に墨絵的で、写真ではハッキリ観えませんが、クジャクに控えめに金彩をほどこしており、それが返って大人しい、印象的な画になっています。

・孔雀を実際に見たような極色彩で描いたのではないことに返って、孔雀のリアルさ、細部を感じます?。

・着色しないで僅かに金彩をほどこしたことは、新しい試みなのでしよう…か?

・その控えめでありながら、要所を押さえた箇所に金彩し、鳥の王者としての風格に描いています。重なり合う飾り羽の重量感も感じます。

・その控えめな金彩を、もし濃厚に金彩していたら、画全体から浮き出て、絵から浮き出て違和感が感じられます。

・そのクジャクが、迫り出した岩の上から、下のバラを保護するように被さり、クジャクの貫録を表しています。それがかえって控えめに、金彩をほどこした孔雀の鳥の王としての存在をより示しています。

・クジャクの羽で、下に描いた画を保護・育んでいるように想えます…!!。

・多彩で派手さはありませんが、写生的で緻密な画です。

・クジャクの下の水墨淡彩の岩や、薔薇画は力を込めて描いています。

・クジャクの止まっている足元から下、薔薇の画を少し彩色したら、どんな感じになるでしょうか?