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■ 53)小堀鞆音(ともと)の絵:雅楽:題:還城楽(げんじょうらく=見蛇楽(げんだらく)」が転じたもの。);:(額装)2012.3.31

小堀鞆音(ともと)の「古式の舞」(額装)


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【 当山の〓仏画・小仏像・絵画・什物等〓は、全て境内外(寺外)に保管、保存しております。】
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重複するとこらがあります。

知識なく初めて見たとき、この画を以下のように感じました。
・子供が蛇のトグロを、独楽に見立てて遊んでいる様子。
 それをお目出度い邪気を払う儀、<古式の舞・神楽>風にして描いている。

・まさしくトグロは、高速回転する隙がない安定した独楽に似ています。

・神聖視された蛇を宗教儀式風・古式の舞・神楽風に描いたもの。

・蛇は知恵と財産のもたらすという信仰があります。目出度い画です。
  
・トグロをコマに見立てたことに、(ともと)の独創性が窺えます。
 それをお目出度い「古式の舞」・「雅楽」風にして、表しているのでしよう…か!?
 それは神道的見立て…!?

・やまと絵の手法を継いだ歴史画風でもあります。
 (掛軸ではなくて、額入りにしてあります。)

・蛇がとぐろを巻く理由は、
 全方位からの攻撃に備える、究極の防御姿勢ということになります。
 その姿勢を、「鞆音」はコマに見立てています…
 それを「古式の舞」・「神楽」風に、見事に描いています。

初めは以上のように知識なく単純に画を見て、直ぐに面白く推測しましたが、後日、深く調べてみたら、還城楽(げんじょうらく)という雅楽のようです。
この雅楽は、一説には「見蛇楽(げんだらく)」が転じたもので、蛇を好物として食していた中国西方の胡国の人が、蛇を見つけて捕らえ喜ぶ様を舞いにしたものと伝えられています。また、唐の玄宗が専横的な伯母・韋后を誅して凱旋した曲ともいわれています。玄宗の死後宗廟で奏すると、玄宗の霊魂が蛇となって現れ、喜んだといわれます。

本当の舞楽では、舞人は蛇を見つけて喜ぶように舞います。面も迫力のある容貌で、額に血管が浮き上がった赤い顔、太い眉で鼻は大きいのが特徴のようです。
一人舞。胡人の扮装に朱の仮面をつけ、桴(ばち)を持ち、作り物の蛇を捕えて舞う。西域の人が蛇を食うさまを写したという。

・巳は胎児の型をした象形文字・蛇が冬眠から覚めて地上にはい出した姿ともいいます。

・「已」は(い:「止む」の意味)で、草木の成長が極限に達した状態を表しているとされる

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【:参考(蟒蛇・おろち・大蛇):】
・蟒蛇(うわばみ)とは、辞書では大きな蛇のこと。大蛇、あるいは伝説上の生物おろち。俗語では転じて、酒豪、大酒呑み(常習的かつ一度に大量の酒類を摂取する人物)を指す。大蛇が大きなものを丸飲みすることから。また、日本神話に登場するヤマタノオロチが酒に目が眩んで成敗された事から、酒好きの大酒呑みを意味する。
・(おろち) 日本神話の八岐大蛇(やまたのおろち)ほか、各種神話、伝説に現れる伝説上の生物。うわばみとも。

蛇のつく諺
・竜頭蛇尾=〔頭部は竜で、尾は蛇である意〕初めは勢いがよいが、終わりは振るわないこと。
・蛇の道は蛇=蛇が通った道は、その蛇でなくてもよく知っている。同類は同類の行動をよく知っているという意味。物事にはそれぞれ専門があり、その道の専門の知識が必要である。その道に通じ合った者同士にはよくわかる。
・鬼が出るか蛇が出るか=前途にはどんな運命が待ち構えているのか予測できないこと。
・口縄(蛇が縄に口が付いている意)の口裂け=欲が深すぎるあまり、身を滅ぼすことのたとえ。
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 〓蛇の信仰〓
ヘビは古来、世界的に信仰の対象であった。
『足を持たない長い体や毒をもつこと、脱皮をすることから「死と再生」を連想させること、長い間餌を食べなくても生きている生命力などにより、古来より「神の使い」などとして、各地でヘビを崇める風習が発生した。』
キリスト教では、「原罪の象徴」ですし、ヒンドゥー教の主神のベッドは、アナンタと言う蛇です。南米、アステカには、ケツァルコアトルと言う蛇が、人間に文明をもたらしたとされています。
中国では、龍は水を司る神と崇められ、インドでは蛇神(ナーガ)は、川の神といわれています。
日本でも神道系では、「巳さん」として祠を立てて、一般に各地で信仰されています。
蛇は神聖な生き物として敬われています。また古代から、水を司る神様は蛇の姿をしているものと考えていたようです。
蛇が角を生やし、龍となり天に昇り、雷雨を呼ぶとされていた龍神伝説もあります。
古来から日照りが続くと、人々は、雨乞いにお詣りしていました。

白蛇(しろへび)は、白化現象を起こしたヘビで、その希少性により、日本各地で縁起のいい動物として、信仰の対象となっています。
他に蛇の信仰の使いとして、富をもたらすものとして有名だし、水神としても有名です。これはその他多くの蛇神と共通するもので、多くの神社・仏閣で祀られています。

山カガシという言葉があるように「カカ」は蛇の古語。
古言語の面から見てみると,「カカ」という音は蛇を意味しているそうです。カガミとは「蛇身:鏡」のことになり、正月の飾り物である、鏡餅とは<蛇身餅>となった。鏡餅のてっぺんにはミカンを載せるが,あのミカンは蛇の頭を表しており、崇拝していた時代の祭祀の名残となり、神道のシンボルとされる<鏡>も、神である蛇の目の光を崇拝していたためだという説もあるようです。神道の大祓詞にも「カカ」という音があります。

蛇=しめ縄から見れば、
出雲系神社においては、〈蛇の象徴〉である「しめ縄」が,それもとても太く力強い絞めかたで作られ,垂らされる。このしめ縄の下で「あなたも神を拝めば,天上界にいける!」あるいは「天上界に連なる聖域の入り口」をこのしめ縄が教えているという、天上界への〈標:しるし〉。
あるいは、蛇の交尾を模式化したしめ縄は(二本の縄を雌雄に見立たてる)の意味があり、直接的な御利益として「子孫繁栄」があるようです。

古代から中世にかけては、尾をくわえたヘビ(ウロボロス)の意匠を
西洋など各地の出土品に見ることができ、「終わりがない」ことの概念を象徴的に表す図象としても用いられていた。

ユダヤ教やキリスト教、イスラム教では聖書の創世記から、ヘビは悪魔の化身あるいは悪魔そのものとされてきた。

ギリシャ神話においてもヘビは生命力の象徴である。杖に1匹のヘビの巻きついたモチーフは「アスクレピオスの杖」と呼ばれ、欧米では医療・医学を象徴し、世界保健機関のマークにもなっている。

このモチーフは世界各国で救急車の車体に描かれていたり、軍隊等で軍医や衛生兵などの兵科記章に用いられていることもある。また、杯に1匹のヘビの巻きついたモチーフは
「ヒュギエイアの杯」と呼ばれ薬学の象徴とされる。

ヘルメス(ローマ神話ではメルクリウス)が持つ二匹のヘビが巻きついた杖「ケリュケイオン」(ラテン語ではカドゥケウス)は、商業や交通などの象徴とされる。
「アスクレピオスの杖」と「ヘルメスの杖(ケリュケイオン)」は、別のものであるが、この二つが混同されている例もみられる。』

蛇が 意味を膨らませ 死と再生 そして 医療の分野にまで入り込む・・・

『インド神話においてはシェーシャ、アナンタ、ヴァースキなど、ナーガと呼ばれる蛇身神が重要な役割を果たしている。宇宙の創世においては、ナーガの一つである千頭の蛇アナンタを寝台として微睡むヴィシュヌ神の夢として、宇宙が創造され、宇宙の構成としては、大地を支える巨亀を自らの尾をくわえたシェーシャ神が取り囲み、世界を再生させるためには、乳海に浮かぶ世界山に巻き付いた。ヴァースキ神の頭と尾を神と魔が引き合い、乳海を撹拌することにより再生のための活力がもたらされる。
これらの蛇神の形象は、中国での竜のモデルの一つとなる。

日本語ではこの語は「竜」と訳される。この語で示される生物には二種類あり、一つはこの項で語られているドラゴン、もう一つは、アジアに広く分布する伝説上の蛇のような生物(一説にはワニが起源)、いわゆる中国風の竜である。前者を「竜」、後者を旧字体の「龍」で書き分ける慣習があるが、一般には漢字で区別されることはない。
この2種類の生物は厳密には分けて考えられることもできるが、鱗に覆われた爬虫類を思わせる巨大な体、超自然的な能力など共通する点も多く、同一視することもある。この場合、東洋の「竜(龍)」に対してドラゴンを「西洋竜(西洋龍)」と称する場合もある。ドラゴンは羽を持ち、火を噴く大蛇。
元々は原始宗教や、地母神信仰における自然や、不死の象徴として崇められる蛇が、神格化された存在だったと思われる。キリスト教的世界観では、蛇は悪魔の象徴であり、霊的存在を意味する翼が加わることで、天使の対としての悪魔を意味することがある。時代が流れ、「自然は人間によって征服されるべきもの」等といった思想の発生や新宗教が生まれ、新宗教が旧宗教の信者を取り込む際等に征服されるべき存在の象徴(征服されるべき者=悪者)として選ばれた事もあるという。
「竜」は日本では水神として祀られ、中国では国王の象徴とされる。

 〓生きていく上での、蛇の「とぐろ」の大きな役割。〓
とぐろを巻いた状態(独楽状…)だと、ヘビは360度に注意を払うことができ、迫り来る敵に対して、瞬時に攻撃ができます。それに対し、長く伸びた縄状の時は、後ろまで注意が回らず、スキだらけになります。
つまり、とぐろを巻く理由は、全方位からの攻撃に備える、究極の防御姿勢ということになるということです。その姿勢を、「鞆音」はコマに見立てているのです…!まさしく高速回転する隙がない、安定した独楽に見立てています。

トグロの漢字【塒/蜷局】
【塒】の[訓] とや ・ ねぐら・ とぐろ :[音] シ ・ ジ

【塒/蜷局】・意味・
蛇などが、からだを渦巻き状に巻いた状態でいること。また、その状態。
蜷局・塒(とぐろ)を巻く。
1、 蛇などがからだを渦巻き状に巻く。
2、 何人かが特に何をするでもなく、ある場所に集まっている。「若者たちが道の端で   ―・いている」
3、 ある場所に腰をすえて、動かないでいる。

蜷局:とぐろの漢字・「蜷」は(にな)と読みます。
「虫」偏に「卷」と書いて「にな・みな」と読みます。意味はある生き物を表す言葉ですが、みなさんはご存じでしょうか?
「虫」は、昆虫のことを表すこともありますが、ここでは「小さな生き物」を表す言葉として考えるようです。
このように考えると、「蜷」は、「なにかを巻きつけようとする小さな生き物」とか、「渦巻きの形をしている小さな生き物」ということになりなります。・・・所謂この「蜷」とは、巻貝の(海ニナ・川ニナ)のことを表す言葉のようです。
「蜷」は、大変古い時代から使われている言葉で、日本最古の歴史書である「古事記」や、「日本書紀」の中にもみられるということです。
「卷」は現在「巻」に変化しています。

・局の漢字・字音=きょく・ごく
:意読=つぼね/ちじまる(ちじんでせまい枠)

(こぼり・ともと)は、
明治・大正期の画家.古画の摸写に従事するかたわら、やまと絵の手法を継いで、歴史画を得意とし、雑誌の挿絵を描いた画家。
「鞆音」は、師の川崎千虎の本名「鞆太郎」の一字を貰ったと言われており、「鞆」は弓を射る時の皮製の武具。弦があたると、それが音を発するという意味を成す。それは得意とした武者絵と、作者の名と画業を象徴しているかのような画号です。

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