あるかぽーとバースに入港した、海自の大型輸送艦「くにさき」。(呉基地:母港)(全長178.0b) (画はクリックで拡大) 操舵室が右舷に片寄り、全通甲板をそなえて広く、艦首部分の一部以外の全通甲板と、右舷側に寄せたアイランド型の艦橋構造物。ステルス性を高めるため、艦体・艦橋構造物ともに傾斜をつけ、なるべく凹凸を減らした平面で構成されているようです。一見小型の空母のようです。 下関水上警察署海峡交番辺りから、関門橋方面(東)を見る。 よく当ホームページ(掲示板・お知らせ)に、下関に寄港した海自の船を載せていますが、」 下関の今(関門海峡)を紹介しようと思って、載せているものです。けっして戦争等を賞賛したり、讃美しようとするものではありません。海自船のみならず、いろんな船を載せていますよ! 国際航路:海峡だから最新鋭の船が、よく似合うと言った感覚です!? それだけのことです。 それから港町である事を知ってもらう事でもあります。それに下関の観光の一助?とも思って!
さて、仏教には、 小乗仏教と大乗仏教があります。「小乗とは小さい乗り物(小さい舟≒自分一人乗り)修行によって自分だけで悟りの岸に到達しようとする教団)」 「大乗とは大きな乗り物(大きな船;自分だけでなく皆と一緒に、悟りの岸に到達しようとする教団)と言う。」意味合いです。
=以下「仏教辞典」等を参考にして= お釈迦様が入滅されてから、しばらくして、お釈迦様の教えを、文字通り忠実に守ろうとした人々と、説かれた教えの心を、生かしていこうとする人々に分かれていきました。前の人々のことを部派仏教あるいは小乗仏教とよび、お釈迦様の教えの心を中心にして、いこうとする人々の仏教を大乗仏教とよんでいます。 大乗・小乗の乗というのは「乗り物」という意味です。私達の迷っているこの岸から、悟りの彼岸に渡してくれる教えを、乗り物に例えて、「乗」というのです。大乗は「大きな乗り物」小乗は「小さな乗り物」と言うことになります。大乗と言う所以は、人々はみな迷っている存在ではあるが、しかし必ず仏になる種子を持っており、そして自分よりもまず他人の幸せを願って、共に仏様の教えに従っていこうとする菩薩の道を説くところから「大きな・深い教え」と名づけられたのです。これに対して小乗では、仏様はお釈迦様だけで、他の者は声聞とか、阿羅漢という位にしかなれないとする考え方です。 「大乗・小乗仏教」でサーチ【search】してみたら、 小乗仏教では、 綺麗に咲いている花を見て美しいと思うのは、迷いであると説くのに対して、大乗仏教は美しい花を見て美しいと感じるのは迷いではない、しかしその美しさに心をうばわれ、囚われてとらわれてはいけないと説くのです。 このように小乗仏教は、戒律を厳しく定め人間の欲望などは迷いのもととして、自分を律していくのに対して、大乗仏教は「物事にとらわれない、おおらかな心と、まず他人のことを考えようという目を、外に向ける立場」と説明されてていました。
現在ではセイロン・ビルマ・タイなど東南アジアの仏教国は、だいたいこの小乗仏教(部派仏教)系で、中国・日本などは大乗仏教の教えを奉じているのです。 しかし現在では、 小乗・大乗では語弊があるので、小乗・大乗と言う言葉を使わずに、部派仏教あるいは、長老派仏教・南方仏教などと言うのだそうです。
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