戻る
■ 4)下関市高野山真言宗福仙寺:合祀墓『阿字の里』 改装しました2008.1.25

平成十九年『阿字の里』の、
納骨室を、納骨し易い様に一部改良し(規約も一部改正)しました

写真は納骨式。
ご本尊は大日如来。

(写真クリックで拡大)

花は山桜、 
後の崖からかぶさる様に懸崖となり、白っぽい花と、新芽とのバランスが美しく、秋の紅葉も綺麗ですよ!

昔は代々の住職のお墓は、坊搭墓(芋墓とも言う)にして、それぞれ別個につくられていましたが、これからは住職を初め寺族を含めて、全てこのお墓に一緒に入ることにします。無論ご希望があれば誰でも平等に入れます。(納骨するのには、納骨規約を定めております。)『阿字の里』の事は、
ホームページトップの左コンテンツの六番目『阿字の里』と一番下『お知らせ』。 又、掲示板(1)冠婚葬祭とは・・・に詳しくふれております。 

今迄の経験から、
これからの世は、早ければ2代目ぐらいには、次第とお墓が無縁になっていくように思います。それでお墓の型式も変わらざるをえなくなると思います。
「うちのお墓がそちらの墓地に在りませんか?」と、よく問い合わせが有ります。
あちこちのお寺に問い合わせておられるのでしょう・・・。

子供の数が少なくなるし、跡継ぎがおっても、地元で就職しない子が多くなると言う事で、そのことはますます加速するでしょう。夫婦別姓と法改正が行なわれば、更に加速します。 
これからは家ごとにお墓を作らずに、皆で仲良く入れる型式になって行くと思います。 
お浄土(真言宗では弥勒の浄土と言います)は皆平等なのですから。

「現在のようなお墓(石塔)の形式になったのは明治以降で、それまでは石塔のお墓を作っていたのは一般庶民では、或る部落の共同墓地で調べてみたら、埋葬された10人の内8人には墓石が建てられていないのだそうです。後は殆ど同じ場所に繰り返し墓石も建てず埋葬されていて、死んだ人がこの世に残すのは実は、家ごとの仏壇にある位牌だけなのだそうです」と或る民俗学者の公演を聞いた事があります。
更に「記念保存のために有る先祖の墓石。それは永い墓石の歴史からいえば僅か歴史上の一瞬の現象に過ぎない。現在の大型の墓石が目立つからといって、それが墓石の基本であり伝統であると考えるのは、墓石の変遷史からみれば大きな間違いなのです。」という話しでした。

『阿字の里』に入れば、代々下関日和山大師の福仙寺に、ご先祖がおられると、語り継がれて行き易くなり、ご先祖の聖地になるでしょう。ご先祖が何処に居られるかが分かりやすくなります。
それは本来の、お墓の在り方から外れたものではありません。
家代々の枠にはまらない、生き方を選ぶ人が増え、「寂しくはない、皆で仲良く入れるお墓」は、益々必要なものとなって行くように思います。
合祀墓『阿字の里』の「永代供養墓」は、「無縁墓」ではありません。
「永代供養墓」に納骨された方々は、お寺が変わってご供養をさせて頂きます。

この項目に関連したものに、
『掲示板:いろいろ・・・』 1)冠婚葬祭とは・・・にあります