普段は境内外、 寺の外に保管していますが、 ここにアップしました。
「古無 今無 刻木作圖 人倫之道」 (昔も、今も、木を刻み、圖を書くことは、人倫之道。) 「木を刻み作図するとは、(木を刻み仏を作り、仏画を作図することなのでしようか?)」その事が、人の道と言うのでしようか?
・・・只今書き込み中・・・ (写真クリックで拡大 表示後 ルーペが+の時は 更にクリックで大きく拡大) (以下数種の資料・事典を総合して) 仙豪`梵(せんがい ぎぼん)寛延3年(1750年)ー天保8年(1837年))は、江戸時代後期の博多の禅僧。 軽妙洒脱な人柄で、 広く博多の人々に慕われたようです。 その容姿は 、丈は矮小で、顔は猿、と自称したとも言われ、 禅の修行は月船和尚の下で修め、印可もそこで受け、その後、 聖福寺に住職として赴任してきた時(1788)には、小坊主どもに乞食坊主に間違えられた逸話が残っているそうです。 権力におもねることを、極端に嫌い、いろんな逸話を残しているようです。終生黒の麻の袈裟で過ごし、絹の紫衣などは本山妙心寺の命令でも無視しています。 全て型破りで、博多の庶民に愛された人物です。 美濃に生まれ、博多の聖福寺の住持を二十年務め、多くの洒脱・飄逸な絵画(禅画)を残しました。東京の出光美術館は仙高フ絵のコレクションで知られている。
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