9月になったら咲き出します。
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酔芙蓉(スイフヨウ)は八重咲きの園芸品種です。普通見かける白:ピンクの芙蓉は一重です。 ハイビスカスやムクゲも、同じくフヨウ科;一日でしぼんでしまう。 この花も一日花で儚い花です。10月中毎日新しい花を次々咲かせてくれる。
咲き始めの午前中は純白で、昼前から酔ったように、 ピンク→夕方には赤と色変わりし落花。
挿し木で増せます。
「いろは歌」とは? 世の無常を説いたものであり、発音の異なる仮名47字を巧みに七五調四句の歌にしたものです。 この歌は「相対的な世界にこだわって、一喜一憂する迷妄の世界を超脱すれば、一切が安楽となる」と説く『涅槃経』の四句の偈。(この偈を「諸行無常偈」とも、「雪山偈」ともいいます。)を和訳したものです。見事に一字も重複せず、47文字で示されているものです。 ======================================================================
いろはにへどちりぬるを・・・・・諸行無常(諸行は無常なり) わごよたれどつねならぬ・・・・・是生滅法(これ生滅の法なり) ういのおくやまきょうこえて・・・生滅滅巳(生滅を滅し巳って) あさきゆめみしえいもせず(ん)・寂滅為楽(寂滅を楽と為す)
諸行無常(諸行は無常なり)・・・色は匂へど散りぬるを 是生滅法(これ生滅の法なり)・・我が世誰ぞ常ならむ 生滅滅巳(生滅を滅し巳って)・・有為の奥山今日越えて 寂滅為楽(寂滅を楽と為す)・・・浅き夢見じ酔ひもせず(ん)
昔はお葬式の時、この「偈」を紙の旗に、 (諸行無常:しょぎょうむじょう)・(是生滅法:ぜしょうめっぽう)・(生滅滅巳:しょうめつめつい)・(寂滅為楽:じゃくめついらく)と、それぞれ4枚書いて、葉のついた4本の笹を取って来て、その「旗」を取りつけ、門先の庭に準備していました。 葬式後にその笹竿を掲げて、お墓まで野辺の送りをしていたのです。 今日では多くの地方でも、野辺の送りを省くようになりました。それは土葬が無くなった頃から始まり、葬式を家ではなく会館でするようになって、この光景をすっかり見なくなりました。一部の田舎では、今も形式として残っているかも知れません! 葬式の時に位牌・写真持ちの役は、現在でも残っておりますが、昔から在ったほかの役は省かれて来ています。(実際の役は無くなり、役の読み上げだけが残っている地域もあります。) この和訳した『偈』に、「ん」を加えて48文字の「伊呂波歌;いろはうた」が出来ました。
『色は匂へど散りぬるを 我が世誰ぞ常ならむ 有為の奥山今日越えて 浅き夢見じ酔ひもせず』≒『花は咲いてもたちまち散り 人は生まれてもやがて死ぬ 無常は生ある者の免れない運命である 生死を超越してしまへば もう浅はかな夢も迷ひもない そこに本当の悟りの境地がある』という意味。 要するに、 世の中すべて移り変わるのが原則だから、「物に執着する迷いをすてて生きなさい」 と教える『涅槃経』の四句を、和訳した仏教的人生訓なのです。
咲いてたちまち散るこの花が、「人は生まれてもやがて死ぬ 無常は生ある者の免れない運命であること」を、端的に誰にも示します。
12世紀の高僧・新義真言宗の祖である覚鑁(かくばん)は、「密厳諸秘釈(みつごんしょひしゃく)」の中でいろは歌の注釈を記して いろは歌は世に無常偈(むじょうげ)として知られる『涅槃経』の偈「諸行無常・是生滅法・生滅滅已・寂滅為楽」の意であると説明しているようです。 誰も安楽な最期を望みます。 「うらうらと死なむずるなと思ひとけば 心のやがてさぞとこたふる」 〓西行〓
(よくよく考えて、のどやかに死ぬのがいいなという、思いに至れば、心がただちにその通りと答えるよ!)
うらうら、 日ざしが明るく穏やかなさま(春)
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