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■ 82)=恭賀新正=毎年正月の庫裏本玄関入口の間、二曲一雙(双)・【芙蓉峯と三保松原“素人迷鑑賞”】2014.12.31

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〓 正月・本玄関の間 〓
 〓 めでたの画 〓
       (= 東天の日輪・富士・三保松原・丹頂遊ぶ東海 =)
       
以下、サーチ【search】
屏風は本来風よけの家具で、室内の間仕切り、また絵画やさまざまな加飾によって室内装飾用などともなった。
二曲(にきょく)・・・曲とは折りたたんだ面を数える単位(扇)。
           二曲とは折りたたむ面が二面であること。
一隻(いっせき)・・・隻とは屏風を数える単位。
            したがって二曲一隻は、二枚折りの屏風が対で一本の
             屏風をさします(四曲・六曲等も同じ)。
この屏風は、二曲屏風が二つ並ぶことで成り立っています。屏風の面の、一つの面を指して「扇(せん)」と呼びます。扇は向かって右側から左に向かって、第一扇、第二扇と数えます。折れ曲がった扇の数によって、屏風の形状は「二曲(きょく)」「四曲」「六曲」などと数えます。この屏風は、二曲屏風が左右二隻なので、これは「二曲一双」です。

これは二曲屏風が左右二隻なので、「二曲一雙(双)」形式の屏風です。
  ・・‥‥…━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━…‥‥・・
三保松原『白砂青松』の情景を俯瞰して描いています。
白砂青松(はくしゃせいしょう)とは、白い砂と青々とした松(主にクロマツ)により、形成される日本の美しい海岸の原風景のたとえ。「はくさせいしょう」と読むこともあります。黒松は本来丈夫な木で、潮風の吹く海岸線や、主要な街道沿いに昔は多く観られました。乾燥や汚染、塩害に強いために、街路樹や防潮林に使われる。昔から浜にある松原はクロマツで構成されています。【*】松食い虫で消えた松原もあります。
「白砂青松」は昔の日本には多くありました。今日では多くが減少し一部に限られます。
【*松くい虫で枯れる原因】を調べたら、
枯れる原因としては、マツノザイセンチュウ説、大気汚染物質説、酸性雨説、菌類説などいろいろな説がありますが、激害的な松枯れの主な原因はマツノザイセンチュウであるとされています。マツノザイセンチュウが松の体内に入ると、松の生体反応から水を吸い上げる働きが阻害され枯れてしまうのです。
マツノザイセンチュウ
北アメリカ原産の線虫で、明治時代に品物を輸入する時に使われる梱包材と一緒に日本に入り込んだとされています。 体長は約1mm程度の小さな線虫ですが、卵で生まれて親になるまで3〜5日しか必要とせず、メスは約100個の卵を生むため松の体内で莫大な増殖が行われます。現在は松食い虫の被害はあまり聞きません。

━…‥‥【芙蓉峯と三保松原】“素人迷鑑賞”‥‥…━

この画で印象的なのは、東天に昇り切った深紅の日輪です。全体的に色彩を抑えて静かな印象で描かれている中に、真紅の日輪で際立たせ、鮮やかに引き締めています。
上手な絵とは正直あまり思いませんが、金砂子で霞を入れ効果的に全体に効かせて、日本を象徴する清々しく聳ゆる富士と、美保の松原を凱風快晴という東天に昇り切った日輪をよく表わしているとは想います。凱風快晴の穏やかな元日です。

銭湯に描かれる定番の富士の情景なのかも!?

凱風とは南風のこと…
題をつけるとしたら「…三保の松原初日の出…」でしようか?。昔からの典型的な図柄です。これぞ!“日の本一の明けきった初日の出”=大人しい簡素な図柄。
恰も【※.】“日本の夜明け…!”のような…!。そんな日本を象徴する風景…?。維新を成し遂げた“日本の夜明けを象徴する風景”かも…?。
ところで、
【※.】坂本竜馬がよく言う、土佐弁で“日本の夜明けぞよ”というこの表現について、これは坂本竜馬の言葉のように誰もが思っていますが、調べてみたら、幕末を舞台にした大仏次郎の時代劇“鞍馬天狗”の中で、勤皇側であるヒーロー“鞍馬天狗”と、鞍馬天狗を小父さんと慕う少年の角兵衛獅子の杉作が、次のようなセリフをいう名場面があります。
「天狗のおじちゃん、これからどうなるんだろうね?」
「いいか、杉作、日本の夜明けは近いぞ」と杉作に語ります。
“日本の夜明けは近いぞ”と言うこの表現は、その後世間で、このフレーズが流行ったみたいです。そんなことから、いつの間にか維新の立役者、坂本竜馬が土佐弁で言う“日本の夜明けぞよ”という表現として転用されて、竜馬の言葉として定着したのだとか…?。
“鞍馬天狗”は、幾度も映画化・テレビ化がされ、特に嵐寛寿郎(アラカン)主演の映画(白黒フイルム)は、鞍馬天狗像を決定づけるものとなりました。
ところで、
鞍馬天狗の子役“杉作”と言う名は、作者・大仏次郎が「高(杉・)晋(作・)の名を念頭に、角兵衛獅子の名を、晋作ならぬ“杉・作・”と名付けたのだと思います?。
作者の大仏次郎は、高杉晋作の名を借りて、高杉晋作の働きを杉作に宿したのかも知れません。

誰もが知る鞍馬天狗の話は、
「零落した公家の嫡男であり、幼少のころに父を叔父に殺され、父の忠僕の世話で鞍馬の山奥で武術の鍛錬をしていた小野宗房 は、罪なき人々が傷つく世の中を憂い、その類まれな正義感から鞍馬天狗となって悪を退治することを誓う。
長州藩士・桂小五郎と知り合い、公卿を捨てた宗房は、倉田典膳 と名乗って人の良いチャーミングな浪人として振る舞う一方、ひとたび我慢ならない悪党が現れるや、黒頭巾を被り、白馬に乗った無敵の剣士・鞍馬天狗に変身する。」

美空ひばりのオリジナル曲“越後獅子”の挿入歌。
以下、
作詞:西條八十、作曲:万城目 正、唄:美空ひばり。
作詞:西條八十・作曲:万城目 正のコンビで泣けるような歌になっています。映画“鞍馬天狗”が流行った世代だから涙を誘う唄・歌詞で忘れることができません。曲を聞くと自然と涙します。歌詞・曲共に哀愁あるものです。カラオケで練習したものです。
いたいけない旅芸人越後獅子の唄は、S25年の歌の女王ひばりのオリジナル唄で、十八番で秀逸ですが、島倉千代子の歌う越後獅子は哀愁漂っていてこれも秀逸でした。島倉千代子はこの曲が好きで歌手を目指したといわれます。他に多くの越後獅子を唄います。田川寿美・上杉香織里・川野夏美・森昌子・岩本公水・小林幸子等の女性歌手が唄い夫々持ち味があります。4番歌詞共に味わいがありますので、4番まで載せます。

♪ 〜 ・・・・・・

1 笛にうかれて 逆立ちすれば
  山が見えます ふるさとの
  わたしゃ孤児(みなしご) 街道ぐらし
  ながれながれの 越後獅子

2 今日も今日とて 親方さんに
  芸がまずいと 叱られて
  撥(ばち)でぶたれて 空見上げれば
  泣いているよな 昼の月

3 打つや太鼓の 音さえ悲し
  雁が啼く啼く 城下町
  暮れて恋しい 宿屋の灯(あかり)
  遠く眺めて ひと踊り

4 ところ変われど 変わらぬものは
  人の情けの 袖時雨(そでしぐれ)
  ぬれて涙で おさらばさらば
  花に消えゆく 旅の獅子

角兵衛獅子とは、以下サーチ【search】。
新潟県新潟市南区(旧西蒲原郡月潟村)を発祥とする郷土芸能。越後獅子(えちごじし)もしくは蒲原獅子(かんばらじし)とも呼ばれる。獅子頭(ししがしら)をかぶった子供が、親方の笛・太鼓に合わせて曲芸をして、銭を請うた。江戸中期から後期に盛行した。
児童が中心として演じる獅子舞の大道芸です。獅子舞は7歳以上、14、5歳以下の児童が、しま模様のもんぺと錏(しころ):兜(かぶと)の鉢の左右から後方に垂れて頸を覆うもが付いた小さい獅子頭を頭上に頂いた格好で演じる。獅子頭の毛には鶏の羽根が用いられ、錏には紅染の絹の中央に黒繻子があしらわれている。
人員構成は、かつては獅子舞4人、笛吹き1人、太鼓1人の計6名(これより少ないと定めの曲ができない)であったが、後に獅子舞2人、笛吹き兼太鼓の3人が増え9名となった。このうち笛吹きまたは太鼓打ちを「親方」と呼ぶ。親方は曲名を言い、掛け声調子を取り、獅子舞はその指示に従って芸を演じる。
新潟県月潟村に伝わる門付け芸の一つ越後獅子。農民の農閑期に各地を訪問して初春を寿ぐ芸です。しかし、大道芸としては、明治時代に衰退してゆく。更に義務教育の定着などの社会の意識の変化により、児童に対して親方と呼ばれる大人が鞭を用いた体罰で芸を仕込むことや学校にも通わせないことに対する嫌悪感が生まれ、次第に忌避の対象となっていった。明治中期の東京では、小石川柳町が角兵衛獅子の棲家で、2〜3人の親方が貧しい家の子を4〜5歳のうちに4〜5円で買い取り、体を柔らかくするために酢を飲ませたり、棍棒や分銅を使って稽古をさせるなどしており、その扱いが残酷であるとして警視庁から新たな子供を加えてはいけないという禁止令が出され、次第に数が減っていったと云われます。しかし、この歌にあるような児童虐待ではなく、実態は全国の人が待ち望んみ歓迎したのだそうです。実際は児童虐待ではなく、東北の貧しい家庭を手助けした面もあるようです。
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三保の松原(みほのまつばら)は、静岡県静岡市清水区の三保半島の砂嘴と呼ばれる一種の半島。羽衣の伝説がある白砂青松の景勝地。ここから仰ぐ富士は、その 美しさから日本新三景、日本三大松原のひとつとされます。三保の松原には現在、およそ5万4千本の松の木が約キロに渡って茂る松原の海岸線のようです。
社団法人・日本の松の緑を守る会が選定した、100ヶ所の日本の景勝地があります。美しい松原(マツ樹林)をともなった海岸。日本には白砂青松100選を選定されています。
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これは最近の屏風(制作期不明・落款がありますが私の知識では読めません!作者不明?です。制作年代は明治末期〜大正時代?
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画は、「一に富士、二に東天の日輪、三に松原、四に丹頂の遊ぶ東海」と言う日本の風景を象徴したものです。ドローンを飛ばして俯瞰して撮ったような描き方です。
この画の光景によく合って、この画の賛に書き込んでも合う歌があります。
それが“愛国行進曲”
=(歌詞)=
それは漢語調で、昭和十三年発表された“愛国行進曲”です。作詞作曲共に公募された結果、詞は鳥取県の23才の青年が、曲は「軍艦行進曲」の瀬戸口藤吉が一等当選したもの。

『見よ東海の空あけて旭日高く輝けば天地の生気溌剌(はつらつ)と希望は踊る【※1.】大八洲(おおやしま)おゝ清朗の朝雲に聳ゆる富士の姿こそ【※2.】金甌無欠(きんおうむけつ)揺るぎなきわが日本の誇りなれ。』
【※1.八島・八洲(やしま)・金甌無欠。以下、サーチ【search】
日本の呼称(雅称)の一つ。大八洲国、略で大八洲とも呼ばれる。『古事記』では、本州・九州・四国・淡路・壱岐・対馬・隠岐・佐渡などの「八つの島」の総称とされている。しかし、日本神話においては八は聖数とされ、また漠然と数が大きいことを示すことにも用いられた。よって本来の意味は、「多くの島からなる国」です。】
【※2.「金甌」は黄金の瓶。高貴なものということから、国家や天子の位にたとえる。「金甌(きんおう)欠かくる無し」と訓読する。=完全無欠=十全十美】    

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*1.落款があり、落款印が二個ありますが、落款・落款印とも崩しが解らず作者は判別できません。制作時代も不明です。
一般的な富士山・美保の松原をモチーフにした伝統的な画です。
左隻「芙蓉峯に群鶴?」二曲屏風;右隻二曲「旭日と三保松原」。世界文化遺産「三保の松原・富士山」と言ってもいいかもしれません。平成弐拾五年六月に世界文化遺産・三保の松原・富士山が登録されました。
凱風快晴。凱風とは南風のこと。凱はやわらぐの意。往年は三保半島全体が松におおわれ、清水湊をはさんでのぞむ姿は、さながら海に浮かぶ松の島のようだったといいます。
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古くから江戸中期までの富士の画は、頂上の真ん中を少し高く描き阿弥陀如来を表し、その左右にも峰を描き、右は大日如来・左は薬師如来を表して描いたそうです。それは子供のころからよく描いた頂上を三峰にした富士山です。だから富士山は古来信仰対象の山なのです。
富士山は姿が美しいだけでなく、雪解けや雨水により、伏流水となった年間20億トンの磨かれた神聖な水を蓄えた宝の山のようです。
10万年前に噴火が始まり、約1万年前の富士山の噴火によって、約30kmに渡る三島溶岩流と呼ばれる水を良くとおす地層がつくられました。富士山の降水量は平均して1日約600万トンと計算され、そのうち25%が蒸発し、残り450万トンがほとんど、地下へしみ込み伏流水となると言われている。以上、サーチ【search】して。
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=左隻【芙蓉峯に(*.群鶴?)】の二曲屏風;右隻二曲【旭日と三保松原】=
きっと富士見100選の一つ?
左隻には丹頂鶴が数羽描かれていますが、昔はこの辺りにも、丹頂が飛来して来ていたのでしようか?。
富士の峰のことを芙蓉峰と言います。
以下、サーチ【search】しながら、
・「“芙蓉峰”は富士山の雅称。単に「芙蓉」と呼ぶことも…。」
・「本来“芙蓉”とはハスのことです。花木の芙蓉もありますが、蓮と区別するために特に「木芙蓉」とも言っ た。 古くは往々にして蓮(ハス)の花を指したもの。美女の形容としても多用された表現です 。花木のフヨウと区別するために「水芙蓉」とも。」
・「“芙蓉”は、ハスの美称でもあることから“水芙蓉”とも言います。花木の芙蓉について は、とくに“木芙蓉(もくふよう)”とも呼ばれる。花木のフヨウは、一日花ですが茶花に使われます。
中国では芙蓉は、古く往々にして蓮(ハス)の花を指した。美女の形容としても多用さ れた表現でもあります。“芙蓉( フーロン)”は、花木のフヨウの意で使われるほか、ハスを表す漢字は、“水芙蓉”という漢字をあてます。。
「“芙蓉の顔”とは、ハスの花のように美しい顔。美しい顔立ちのこと、美人の喩え。蓮 の花には“金蓮歩”という言葉もあり、美人の歩くさま…の意。」
・「中国では、古く芙蓉は、ハスの花をさし、花木の芙蓉は、【*.】木芙蓉の字をあてます。池に咲く芙蓉(ハス)は“水芙蓉”の 字をあてます。」
【*.酔芙蓉「一重と八重の咲く(咲き始めは純白で、午後から酔った様にピンク・赤色に変化)する芙蓉」は、酒に酔って頬を染める楊貴妃の美しさにたとえた。】
・「古くは往々にして芙蓉は、蓮(ハス)の花を指した。美女の形容としても多用された表現です。」
・「新田次郎作の“芙蓉の人”という小説があります。それは、日本の天気予報を正確にするには、富士山頂に観測所が必要と、その信念に燃えて真冬の富士山頂にこもり、命を賭けて夫と行をともにした夫人の行動と、心情を感動的に描いたものです。」
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以下、サーチ【search】
ハス:蓮:は、現在の中国では「木芙蓉」と書き、蓮の花のことを「水芙蓉」と区別しています。
漢名ではハスの実がひとつずつ独立しておらず、連なっていることから、「蓮」は実を表す。
漢 名は:荷:
ハス全体を総称する名称が「荷」で、「葉や花が水面から出ている草」を表している。
・「(泥の中に地下茎を伸ばして花をつけ、実を結ぶことから子孫繁栄をも意味します。)」
漢字源に由れば「荷」は、会意兼形声。
「荷」は「艸(廾)+音符何(人が直角に、にもつを載せたままの意)」で、茎の先端 に直角に乗ったような形。茎の上にT型に乗った型で、花や葉がつくものの意。即ちそ の代表が蓮。
・「になう(荷う)の意は、
もと、「何」と書いていたが、「何」が疑問詞に使われだしたため「荷」がになうの意 に用いられるようになった。
そのことから、茎の上にT型に乗った型で、花や葉がつくものの意。」
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*、富士山を「芙蓉」または「芙蓉峯」と喩えたのは、
以下、・サーチ【search】
*、富士山は、小御岳(こみたけ)・古富士の両火山上に生成した成層火山。日本の最高峰で体積約400km3(小御岳,古富士,新富士を含める)の大きな火山。基底は直径50q。
…↓…  …↓…  …↓…  …↓…
以下、・サーチ【search】しながら、
富士山頂部には「八葉」と呼ばれる八つの峰(芙蓉八朶、ふようはちだ)があり、古来、仏教でいう八葉蓮華(はちようれんげ:仏が坐(すわ)る八枚の弁をもつ蓮華座)にたとえられていたことに由来するもので、この八葉はこれまで様々な呼び名で呼ばれており、資料ごとでその名称が異なっています。八葉蓮華とは花弁が八葉ある蓮華のことです。 真言密教などでは胎蔵界曼荼羅の中央にこれを描き,中央に大日如来,八葉に四人の 仏陀と、四人の菩薩を配するものです。
明治時代の神仏分離令の影響を受け、富士山においても廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動が起こり、富士山中の仏教系地名が神道系の名称に変えられました。
現在「お鉢巡り」と呼んでいる火口の周りを一周することも、この八葉の峰をめぐる「お八めぐり」が転化したものと考えられているようです。
富士山山頂には、剣ヶ峰を含めて八つのピークがあり、八神峰(はっしんぽう)とも、八葉(はちよう)とも称されます。かつては、この八つの峰を実際に巡っていたことから「お八巡り」と呼ばれました。
噴火口の形状にちなみ、「お鉢巡り」に変化したものと考えられています。しかし、現在はいくつかの峰は通行禁止になっています。なお、火口は「お釜」とも呼ばれますが、「お釜巡り」とは言いません…!それでは語呂が変ですよねェー!
「お鉢巡り」をするときは、仏教に基づいて右回りです。それは本来お鉢巡りは仏教の礼法である右繞(うにょう)と言う作法に基づき、右回りを正式とするようです。
富士登山に使われる金剛杖の柄が八角形なのも、この八神峰に由来しているんだとか…
数字の「八」は、日本において「聖数(せいすう)」とされ、特別な意味を持つ数字として富士山に纏わる重要な数字です。見方によっては、末広がりの「八」は、富士山の形を現しているようにも思えます。
この「八葉」の名称の歴史的名称の変化と、現在の「八葉」の名称及びその背景。
山頂を『芙蓉八朶<ふようはちだ>』や『八葉九尊』、『八葉蓮華』ともいわれていました。八葉九尊とは、仏教の胎蔵界曼荼羅の中台八葉院における八葉の蓮華上の四仏および四菩薩と、それら八葉の中央に坐する大日如来のことをいい、明治8年までは山頂の峰々は仏教系地名で呼ばれていましたが、神仏分離令の影響により改名されました。
一般の富士山信仰の形態。それが江戸時代彼方此方に築かれた富士塚です。(現在でも残されています。)
富士山を信仰の対象としている富士浅間信仰という信仰があります。この信仰では富士山に登山することが修業にあたるのだが、江戸時代にはなかなか実際の登山はできませんでした。そこで地元に富士山のミニチュアを作り、そこに登ることで富士登山を疑似的に体験する施設が作られた。それが富士塚です。(お四国八十八ヶ所霊場のミニ八十八ヶ所霊場のように…!。)頂上には浅間神社を祀り、関東地方を中心に分布します。
「八葉」の名称の由来 は、富士山の八葉についてはいくつかの由来があります。
 ・「頂上の峰々を蓮の花の八弁に例えた説。」
 ・「富士山を蓮花に見立てたり、芙蓉峯と言ったりしたのは、
  その姿が秀麗なところからきた説。」
 ・「八つの峰(八っのピーク)があることから芙蓉(蓮花)と称した説。一番高いのが剣ヶ峰(3,776 m)です。」
 ・「芙蓉といわれることから“八朶”とつけた。」
 ・「芙蓉とはハスの花の別称で、美人の例えであり、富士山の雅称として芙蓉峰・蓮岳(れ んがく)と呼ばれた。芙蓉は美人の事で“美しい峰”と言う意味。」 
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 〓:余話:(サーチ【search】)〓
@「明治5年まで女性は、信仰の山なので、富士山への登山は禁じられていました。ところが江戸時代に、ある女性がちょん髷を結って男性に変装して登ったという記録があるようです。」
A「富士山は歴史記録に残っているだけで、20回以上の噴火が記録されていて、かなり活動的な火山のようです。」
・「平安時代だけでなく、室町時代などにも噴火の記録はあり、過去2000年間で、 大規模な噴火は9世紀の貞観大噴火と、18世紀の宝永大噴火の2回だけ。記録のない小さな噴火を入れたらまだ多いいかも知れません。富士山は高さと山体の大きさに於いて日本最大の活火山です。富士山は最近10万年で急速に大きく成ったと考えられており、その意味では「若い火山」に分類されるのだそうです。私達の世代では、富士山は死火山(休火山)と教わりました。正しくは活火山と呼ぶそうです。」
・「火山学上の定義として、“活火山”“休火山”“死火山”という識別がされていて、富士山が火山であることも多くの人が知っている事実です。
でも、活火山であることを知っている人は少ないのではないでしょうか。、昔は富士山は“休火山”という扱いでした。」
「300年もの長い間噴火していないのだから、もう噴火しないのでは・・・」
と考えてしまいがちですが、火山の長い一生から見れば、300年というのはほんの一休みくらいの期間でしかありません。富士山は過去の歴史上何度も噴火を繰り返しています。その間には、350年以上活動を休止していた期間もあります。たかだか300年ほどの休止期間で「富士山はもう噴火しない」と、判断するのはあまりに楽観的ということのようで、火山としては新しく、「活火山」ですから何時噴火するか分からないのだそうです。
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「古い本に富士山を「心神」とよんでいる」と言って、富士山の絵を得意として、富士を多く描いたのが、日本画の巨匠、横山大観(生涯に1,500点もの富士山を描いたといわれています)。「大観と言えば富士、富士と言えば大観」と謳われた日本画の巨匠です。また富士を多く画材にした画家に葛飾北斎・歌川広重がいます。二大連作の“富嶽三十六景”・“富嶽百景”等の版画が知られています。他に歌川広重の冨士三十六景です。富士は絵や歌に多く扱われています。
北斎の「富嶽三十六景」は錦絵ですが、冊子本として制作された『富嶽百景』は、墨の濃淡を見事に使い分け、富士誕生の神話的な場面から始まり、花鳥画や故事・人物画まで、様々な趣向をこらした富士の姿が表現しています。そんな葛飾北斎でも、大観の描いた富士の画の数には及びません。それほど大観は生涯に多くの富士山を描いて、富士に傾注したのがよく分かります。富士山に日本の魂を観たのだと想います。
大観の謂う心神のことを広辞苑で引いたら、心神とは=【*.心。精神。たましい。】とあり、今昔物語(15)「我れ―変わらず」とありました。
「心神とは魂のことだが、私の富士観もこの言葉に言い尽くされている」・・・これは横山大観が生前口にしていた言葉だそうです。
画家である大観にとって、富士山は日本の魂を見い出す対象であり、「富士山を臨めば心に神を宿す信仰の山」・「日本の魂」という思いを込めたのが、“大観の富士観”なのでしよう!富士は「日本の象徴」≒「心神」≒「富士山」とさせたのでしよう!か?
大観にとっては日本の「心神≒富士そのもの」でしよう!これは大観だけでなく、多くの日本人の「こころ・精神・魂」でもあります。
これらのことは、朝日新聞の記事の中で取り上げています。
【『古い本に富士を「心神」とよんでいる。「心神」とは魂のことだが、私の富士観といったものも、つまりはこの言葉に言いつくされている。・・・(エベレスト)は世界最高の山だけに、さすがに壮大で立派だった。・・・素晴らしい壮大な山だとは思ったが、富士を仰ぐ時のような、なんというか清々とした感情はわかなかった。富士は、そういう意味でも、たしかに日本の魂だと、その時も思ったことだ。】と…この言葉の中での古い本に富士を「心神」と、よんでいると云ったような、大観が直接に富士を「心神」と書いたような「古い本」は、調べたかぎり見つかりませんでした。これはあくまでも大観自身の“富士観”なのです。「心神」とは それは日本の魂、富士の姿なのだ!
大観が云ったような『古い本に富士を「心神」とよんでいる』と直接言っている文献を探しても、見つかりませんでした。
*.「心神」とある古い本の文献を探すと、以下、・サーチ【search】
万葉集 巻三 、遠長く 仕へむものと 念へりし 君坐さねば 心神もなし
万葉集 巻十九、妹を見ず 越の国べに 年経れば わが心神の 和ぐる日もなし
続日本紀 仁明天皇紀 天長十年二月條、「心神是れ没す」
今昔物語 巻十五 東大寺戒壇和上明佑 往生語第三、「我、心神変わらず」
古今著聞集 巻十五 孝博入道管絃に執心の事 、「心神安楽なり」
明恵上人伝記 上 元久二年春比條 、「心神深く潔斎して」
「心神」(わがたましひ)の語源である伊勢神道からの発展、 垂加神道−山崎闇斎 『垂加社語』
神の垂(しで)は祈祷(ねぎごと)を以て先と為し、 冥(くら)きの加(ま)すは正直(ますぐ)を以て本と為すと。
嘉が自賛に、神垂祈祷、冥加正直、我願わくば之を守り、身を終わるまで違うこと勿らん
と。必死の祈願を神様は必ず御照覧になり、力を与え給うものであるというのが伊勢神道の心である。
以上が「心神(わがたましひ)」に至る垂加神道を拓いた山崎闇斎が伊勢神道から得た境地です。
  ・・‥‥…━━━━━
富士八峰(ふじはっぽう)や八神峰(はっしんぽう)・霊峰と言われ、神秘的で美しい山日本人の魂の山という意味がこめられるから、大観は<心神>と言うのでしようか?
(エベレスト)は世界最高の山だが、高きが故に尊からずで、心神という名称には、信仰の山「日本の魂」という思いが、きっと込められているのでしよう。「富士を仰ぎ見れば、心に神を宿す・・・!」・「日本の魂」・「信仰の山」であるがゆえに「富士山」は、心神と言ったのだと想います!?
富士を仰げば心に神を想うことは、古来からの日本の魂です。
「日本の魂」≒「富士山」≒「心神」
「日本心神(五島美術館所蔵)」と言う題の富士の大作が大観にはあります。
大観が想う、「日本心神」≒「日本の魂」≒「富士山」と言うのは、あくまでも大観の主観です。富士を「心神」と言うのは、大観自身の“富士観”なのでしよう。“富士を仰げば心に神を想う”ことは、古来から誰もが想う「日本人の魂」でもありす。
大観の絵は、
雄大な雲海から、堂々たる霊峰富士が佇む雄姿を描いた大観の代表傑作。威風堂々にして圧倒的な存在感と、神の功徳を感じる神々しく威厳に満ちた大作です。大観が全身全霊を込めて描いたものです。
ー・−・−・−・−・
:「心神」余話:
以下、サーチ【search】
純国産ステルス戦闘機の試作機となっている「先進技術実証機“ATD−X”」の非公式愛称は、“心神=しんしん”となっています。2016年4月22日に初飛行しました。実証機だからこの初飛行の一機しかないのだそうです。此の試作機。近代日本画壇の巨匠である横山大観が、富士山を日本の「心神」と呼んでおり、名称には「日本の魂」という思いが込められているのだとか?
試作機の心神は、試作機とはいえ、事実上の「日の丸ステルス機」の第1号で、“平成のゼロ戦”とも言われます。
現段階では技術実証機です。国産戦闘機の研究機の名が「心神(日本の魂)」とは実に良い命名に思います。
此の実証機の型式は、正式に「X-2」と定められました。先進技術実証機 (Advanced Technological Demonstrator-X, ATD-X) が正式な呼称のようです。それはプロジェクト初期には部内での愛称が富士山を意味する「心神(しんしん)」と呼ばれていたが、型式発表時点で心神という名称は使用されていません。一方、一部メディアでは依然として心神という通称が使われています。それほど“心神”という名称が、ゼロ戦のように受け入れられたということになります。
将来の国産戦闘機に適用できる先進的な要素技術を実証するために開発されるステルス研究機です。X-2はアメリカの【※.】Xプレーンと同様の実験機であり、ステルス技術の研究・開発を通じてノウハウを蓄積することを目的としているのだそうです。その性格上、平均的な現世代の戦闘機と比べて機体は大幅に小型で、運用寿命も数百時間と短い。また、エンジン1基あたりの推力も現代の作戦機用途としては小さく、機体にも武器の搭載能力はない。平均的な現世代の戦闘機と比べて機体は大幅に小型で、運用寿命も数百時間と短い。
【※.次世代超音速ジェット旅客機「Xプレーン」】
防衛省は、X-2を「第5世代戦闘機」と呼ばれる現在のステルス機の上を行く「第6世代戦闘機」のカウンターステルス機の礎にすることを目指しているようです。
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「閑話休題」
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この画の左隻にいる鳥は、一見コウノトリと見えますが、よく見れば丹頂鶴です。最初この辺りに、丹頂鶴が居るのかと不思議に想いました。この画は何時描かれたか分りませんが、鶴が数羽描かれています。鶴を小さく描いていて、写真ではよく分かりません。実画をよく見ればナベヅル、マナヅルではなく、頭頂が赤いので丹頂鶴に間違いありません。最初疑問だったのは、現在は富士山の見える美保の松原辺りで、丹頂鶴を見ることはありません。この絵はよき昔の日本の風景。

この屏風は、
【昔は三保の松原辺りにも、丹頂鶴が飛来していて、よき時代の日本の実景を描いたものだと想われます。】

・温暖化の無かった昔は、江戸辺り以外にも、更に広範囲に丹頂が見られたのかも知れません。

・黒松が強い海風に押されて画面の右に全体に広がり、左に丹頂が飛び立ち左右に広がる構図。そこから中央に霊峰富士・旭日を仰ぎ見る画図になっています。

富士・旭日・丹頂を描いた三保松原は、富士山を描く際の典型的な構図で景勝地です。歌川広重(1797〜1858)等の絵画作品をはじめ、海外にも景勝地として知られています。
江戸時代の絵図によると、当時は三保半島のすべてが松で覆われていた。三保は江戸幕府の直轄地(天領)であり、御穂神社の朱印地(寺社領)、いわゆる鎮守の杜として所領が安堵されていたが、明治維新後に杜の禁が解かれ、御穂神社周辺の松は旧幕臣の手により壊滅的に伐採されたと伝わる。また、三保半島は過去の地震で度々沈降したと伝えられ、三保の松原や砂浜も被害を受けています。

〓余話〓
以下、サーチ【search】
正月のお重ねは「鏡餅=蛇説」があるようです。2段に重なったお餅は、蛇がとぐろをまいた姿を表すという説があります。形がそもそも蛇と鏡は密接な関係があったといわれています。(そう云われれば蛇のトグロ)によく似ています。
現在では蛇は「へび」と読みますが、古来は「かがち、かがし、かがみ」などと呼ばれていました。現在でも蛇の一種として「ヤマカガシ」という名前をもったものがいますが、これは古語の名残ともいえるのだそうです。このことから、「かが」もしくは「かか」という言葉は、すべて蛇を指していたという説なのです。
では、なぜ鏡が蛇に共通するのか? これは強い呪力、霊力を持つとされた蛇の目を象ったものだというのです。確かに蛇の目は、まん丸であり、鏡と同じ姿をしているということもできます。つまり、鏡餅は横からみた場合はとぐろを巻いた蛇をあらわし、上からみると、蛇の目である鏡を表すというわけです。
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お重ねの下段にあるのは、龍が捲きついて水が湧く銀製の磐を模したものの上に、水晶玉があります。此の水晶玉は大きいから「練成水晶」です。
子供のころから神秘性を感じる水晶に憧れていました。幼少のころ、山の何処にあるかも分からないで、当てなく山奥に一人で探しに行ったことがあります。山から夕暮れて家に帰るほど時間をかけましたが、見つけることはできませんでした。それは愉しい想いでです。
それで以下、サーチ【search】
本物の水晶の簡単な見分け方は、舌の先でちょっとナメてみて、冷たかったら「水晶」で、温かかったら「ガラス珠」だそうです。屈折特性を利用する方法が一番簡単で確かです。
小さな水晶では難しいのですが、手軽に判別できる方法です。

1:白い紙に細い線を引くか、髪の毛をまっすぐに伸ばして置きます。
2:その上で水晶をゆっくり動かして、線が2本に見える角度を探します。
  線が2本に見える角度があれば、その玉は「水晶」です。
(但しこの方法ではガラスやアクリルとの区別はできますが、人工か天然かは分かりません)
此の水晶玉は、線が2本に見えるので水晶です。
「本物の人工水晶」
オートクレーブと呼ばれる圧力容器を使った水熱合成法で、水晶の成分である石英などを結晶育成したもの。人工と言っても鉱物結晶としては本物の水晶ですし、微量の他の元素などが混じる天然と違って均一なので、主にクォーツ時計の振動子など工業用に使われます。育成には費用も時間もかかるため、安価なアクセサリで出回る事はあまりありません。
「練成水晶」
天然水晶の粉末(石英粉)とガラスを溶解して固めたもの。
非常にクリアなうえ安上がりなので、透明すぎるのに安い球やアクセサリの多くはこれである事が多いです。結晶させたわけではないので、カットで六角柱にしているものもあります。
「天然水晶」
完全にクリアなものは貴重で、インクルージョン(内部のキズ)がどこかにはあるのが普通です。(同じ内包物でもルチル・水銀・マンガンなどが美しく入ったものは針水晶などと呼ばれ高価。カットして磨いていない結晶のままなら、成長の証として側面に凸凹の縞があります。
【見分け方】
人を惹きつけて止まない水晶玉。幼少のころ、この丸い透き通った水晶玉が欲しくてたまりませんでした。店頭の商品が水晶玉かガラス玉かは、専門家でもなかなか区別が付きません。最近では水晶が人工的に作られるようになり、ガラス玉と水晶玉の値段が変わらなくなりました。ちまたで安価な水晶玉として売られている物はほとんどが溶融水晶といい、人工的に結晶成長させて作ったものです。
その、
 ・見分け方1「熱伝導率を使う」
水晶はガラスの8倍の熱伝導率をもっています。両者とも触った瞬間は、研磨面が美しければ手に密着して冷たく感じますが、そのまま握り続けていると水晶の方が早く温かくなるのです。もっとも、これは同じ大きさの2つの玉を比較してこそ正しく判定することができます。1個しかない場合は残念ながらあまり役に立ちません。

 ・見分け方2「偏光板を使う」
水晶は結晶質、ガラスは非晶質という違いがあります。非晶質ということは、原子が一定の規則をもってしっかり結合しているのではなく、適当な方向を向いてルーズにつながっているということです。ですから、ガラスは年を経ると結合がゆるみ、変形し下の方にガラスが垂れてきます。何百年も経ったヨーロッパの旧家ではそういう窓がたくさんあるそうです。さて、話を見分け方に戻しましょう。結晶構造の違いは偏光板を使うとわかりやすいのです。非晶質のガラスは2枚の偏光板を通しても、ぼやっと暗いままです。一方、水晶は偏光板2枚に挟んでいろいろな角度に回していき、ちょうどよい角度になると、とても美しい虹色の干渉色が表れます。
この原理を応用して結晶を判定する顕微鏡が偏光顕微鏡です。宮沢賢治が、初めて偏光顕微鏡で鉱物を見たときに、その美しさに感動して「石の中にも宇宙が見える」とつぶやいたのは有名な話だそうです。
「A:閑話休題」
水晶は仏像の眉間にある*1.白毫に使われています。(ガラスの場合もあります。)
*1.白毫(びゃくごう)とは、仏(如来)の眉間のやや上に生えているとされる白く長い毛。右巻き に丸まっており、伸ばすと1丈5尺(約4.5メートル)あるとされる。眉間白毫とも。三十二相 の31番目であり、白毫相、眉間白毫相とも。