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■ 81)【87)・88)・肉筆浮世絵画の着物の部分拡大アップ。美女(吉原?遊女)が纏った着物のが美しい…!2014.12.31

(画像はクリックで拡大表示:もう一度クリックでさらに拡大表示)   
   【〓誰の落款か分からない肉筆浮世絵。
     身に纏った着物、その素人迷鑑賞〓】
・配色がいい着物。良い身形(みなり)の若い美女(遊女)。
・退色することのない高価な岩絵の具を使っています。
・襦袢・着物の裏地・帯等極上品、袂・裾模様には上品な一重の山茶花模様の雅な着物。この娘(こ)の着ている山茶花模様は、静かで浄らかな雰囲気を醸しています。これが梅や百合でも香があって刺戟が強すぎ!!。亦、桜や、牡丹、しゃくやく、の花であっては、あまりに華やか過ぎます。山茶花の色こそ、静かで浄らかで、しかも淋し過ぎない花だと思います。微かに匂いを放つ山茶花。その模様がこの美女(遊女)にお似合いです。椿には匂いがありませんが、サザンカには匂いがあります。爽やかさを想いおこさせます。花びらがはらはら落ちるのが山茶花です。そのハラハラ散るさまも、この娘(こ)の未来を暗示しているよう…?。

(素人迷鑑賞なので、纏りなく重複します。)
・品の良い着物の大人しい色合いが、この美女にお似合いで、身形(みなり)が良く、品のいい高級な遊女(吉原)の画。振袖新造の身に纏った着物の美しさは極上です。
・身に纏った着物の美しさは垢ぬけています。着物は手書き京友禅?手描き江戸友禅?。手描き加賀友禅?。
・武士のご新造さんが着る様な上品さがあり、着物の柄や、綺麗で上品な色合いの着物は、現在にも通じるように想います。
・上品な着物を着て琴を弾く芸を嗜む、高級遊女のいでたちです。
・郭の極彩色のド派手な衣裳ではありません。当時の武家や商家の良家の女性しか着られないような、特別扱いの上品な着物のように想えます。現在の女性にも通用する品のよさです。
・着物は秀逸なデザイン、色合いです。
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ここに浮世絵の遊女の画を載せることには憚れる思いですが、『華厳経』入法界品に現れる善哉童子が、法を求めて53人の善知識を訪ねて教えを請い、 53人の善知識を訪ねて教えを請うその中には、先入観や偏見を持たずに謙虚に教えを請う為に、遊女まで善知識に加えて訪ねています。
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『華厳経』入法界品に現れる童子の姿をした菩薩の名。法を求めて 53人の善知識を訪ねて教えを請い,ついに普賢菩薩のところで十大願を聞き、阿弥陀浄土に往生することを願うようになる。華厳経(けごんきょう)』に説かれる善財童子(ぜんざいどうじ)の壮大な遍歴の旅の説話を描いたもの。虚空(こくう)のごとく澄んだ心をもつという童子。
華厳経入法界品(にゅうほっかいぼん)に登場する文殊菩薩(マンジュシュリー=もんじゅぼさつ)が教えを説き、発心して次々と53人の【※、】善知識(ぜんちしき)を歴訪し、教えを請い、最後に普賢(ふげん)菩薩に会って、浄土往生を願ったという、仏法修業の段階を示したものとされるものです。どんな人でも自分以外は師(善知識)と言うことだと想います…。所謂、吾れ以外は、全て和我が師と言うことでしようか?。
【※、】善知識とは、「善き友」「真の友人」、仏教の正しい道理を教え、利益を与えて導いてくれる人を指していう。「善友」とも漢訳されます。
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この画に、大綱宗彦( だいこう そうけん)が、沢庵和尚乃讃を書き入れています。
この画(軸)と大綱が書いた墨蹟から、以下の賛は一休禅師ではないことがはっきりすると思います。

大綱の墨跡の賛には、
『仏は法を売り、祖師は仏を売り、末世の僧は祖師を売る。
汝五尺の身体を売りて、一切衆生の煩悩を済度す。柳は緑、
花は紅の色いろ香。池の面に月は夜な夜な通へども 水も
濁さず影も止めず』。
とあり、沢庵和尚乃讃。八十八翁大綱寫とあります。

この賛のキーワードは、
「柳緑、花紅(柳は緑に見え 花は紅に見える。)」です。しごく当たり前のことをいっているにすぎない言葉です。だが 人は当たり前のことを見失いやすくなります。当たり前のことを あるがままに捉えることが 悟りにつながるというのです。素直に当たり前に「緑の柳がそのまま緑・花は紅に見えれば」 それが悟りであるというのです。判ったような判らんような? 迷句ですが、これが悟りの入りへの口になります。だから上記の賛の意味を想うとき、この画(軸)と大綱が書いた墨蹟から、上記の賛は一般には、賛意から考えて、如何にも一休の賛のように想えますが、大綱と沢庵は同じく大徳寺の歴史に残ります。同じ大徳寺大綱が沢庵和尚乃讃としていますから、間違いなく、沢庵和尚乃讃です。如何にも一休の賛のように想えます(またそういわれています)が、沢庵と大綱は、同じく大徳寺の歴史に残る僧(持住)です。同寺で同じ歴史に残る大綱が、沢庵和尚乃讃としていますから、間違いなく、之は一休ではなく沢庵和尚の【*2.】讃ではないでしようか?。大綱最晩年の賛書きです。大綱の死は八十九歳。大綱死の前年の遺墨です。大綱最後の遺墨ということになります。

以下、サーチ【search】
【*2.賛(讃)】は仏教で、法会や日常の勤行に詠唱された歌。讃文ともいう。敦煌から出た唐代写本の例はみな七言句で長短不定。一韻で通すものと換韻するものとの二種がある。梵語の経典に用いられた偈(げ)から発展したもので、宗旨を述べたり仏の徳をたたえたりしたものが多い。〈涅槃(ねはん)讃〉〈浄土讃〉〈念仏讃〉〈出家讃〉など。〈悉達太子讃〉(全60句)は《悉達太子修道因縁》という長編の変文の冒頭に枕として用いられてもいる。

『一休と地獄太夫をご存知でしょうか。地獄太夫は室町時代に泉州堺の遊郭に実際にいた遊女です。山賊にかどわかされて苦界に身を沈めたのですが、これも前世の不信心ゆえであると・懺悔の心を込めて自らを「地獄」と名乗り、地獄模様の着物を羽織って仏の御名を唱えながら客を送り迎えたそうです。風狂で知られる一休禅師はその評判を聞いて地獄太夫のもとを訪ねました。「聞きしよりみてうつくしき地獄かな」と詠むと、地獄太夫は「生きくる人の落ちざらめやも」と返したと言います。こうして一休禅師と、地獄太夫はうちとけて語り合いました。地獄太夫が「出家して仏に仕えることができれば救いもあるものを」と嘆くと、一休は「五尺の身体を売って衆生の煩悩を安んじる汝は、邪禅賊僧にまさる」と言って慰めたそうです。また、有名な「門松は冥途の旅の一里塚 目出たくもあり目出たくもなし」という歌は、一休が地獄太夫に贈ったものだとの伝もあるそうです。そんな言い伝えから、上記の賛は一休のものとされた可能性があります。』しかし、賛の墨蹟を大綱宗彦が沢庵和尚として残しているので、一休ではなく沢庵和尚のものと確定されると想います。この画の遊女は太夫でなく、若い振袖*.新造です。
【*.新造】は「新艘」の意。色里の隠語で「舟」が女性を指すことから、新米の 遊女を新しい船に見立ててこう呼んだようです。新造は武家の奥さんを言うこともあるようです。