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■ 69)巨勢金剛筆?と云われる楊柳観音?を仰ぐ善財童子の部分。2013.2.17

(画像はクリックで拡大表示)
・この仏画は、京都神護寺の住職が、ある人物に香炉と画を添えて贈ったことが箱の中の書付に記されています。それしか画の情報はありません。

・それがどうして当山に納まったかは不明です。


この画の*1. 『善財童子』が首にかけている翻る天女のような薄い衣の流れは、東大寺の絵巻物(国宝)の姿によく似ています。違うのは童子の髪形です。髪形は奈良安倍文殊院の国宝「善哉童子像」そのままです。

サーチ【search】しました。
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巨勢金剛(こせのかなおか)は、
やまと絵の祖師といわれる伝説的な絵師です。
(平安時代:初期から中期の花鳥風月を題材とする、国風絵画が来る時代で、巨勢金剛や*2.百済河成が活躍します。)
百済河成は平安時代初期の画家。本姓余(あぐり),のち百済姓を賜る。武官でもあったが,正史に画名の出た最初の人として著名。画跡は不明であるが,文献によると写実的な肖像,山水草木に巧みで,平安時代世俗画の出発点になったとされ,巨勢金岡(こせのかなおか)とともに,平安絵画史上重要。 (782-853)
『金岡』の画は一切現存していないとされます。だから「巨勢金剛筆:楊柳観音画(軸)」の納めてあった立派な漆の箱であっても、比較的新しいので、この画の真贋は???です。
*2.【百済河成(くだら‐の‐かわなり )】のことは、
[782〜853]平安初期の画家。百済からの渡来人の子孫で、姓は余(あぐり)。のち百済朝臣の姓を賜る。武官であったが、画技にすぐれた。作品は現存しないが、正史に名を残す最初の画家。今昔物語によると、肖像・山水・草木などを緻密(ちみつ)に描いたとされる。

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76)巨勢金剛筆?と云われる楊柳観音?を仰ぐ善財童子の部分。
70)大和絵の始祖・平安初期の、【巨勢金剛】の絵らしきものを、見たことがありますか…? これがその絵と云われる 〓『楊柳(ようりゅう)観音画(軸)』〓の全体画像です。
69)ここの項目の上下・:「巨勢金剛筆:楊柳観音画(軸)」の納めてあった漆の箱。しかし楊柳観音ではない?のでは…!
68)平安初期の伝説の画家:「巨勢金剛」の名前が読めますか…?これが「金剛筆」の仏画“楊柳観音”と云わる観音部のトリミング。
以上の76):70):69):68)は全て、「巨勢金剛筆:楊柳観音画(軸)」のことです。
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*1.善財童子とは、以下サーチ【search】しました。
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善財童子とは、
『華厳経』入法界品に現れる童子の姿をした菩薩の名。法を求めて 53人の善知識を訪ねて教えを請い,ついに普賢菩薩のところで十大願を聞き、阿弥陀浄土に往生することを願うようになる。華厳経(けごんきょう)』に説かれる善財童子(ぜんざいどうじ)の壮大な遍歴の旅の説話を描いたもの。虚空(こくう)のごとく澄んだ心をもつという童子。
華厳経入法界品(にゅうほっかいぼん)に登場する文殊菩薩(マンジュシュリー=もんじゅぼさつ)が教えを説き、発心して次々と53人の善知識(ぜんちしき)を歴訪し、教えを請い、最後に普賢(サマンタバドラ=ふげん)菩薩に会って、浄土往生を願ったという、仏法修業の段階を示したものとされるものです。
(アバァローキテーシュバラ=観自在菩薩=観音菩薩)には、28番目に歴訪して教えを請います。
 「その53人の中には、文殊菩薩をはじめとする優れた菩薩たちだけではなく、比丘(びく)、比丘尼、」すなわち修行僧や女僧、あるいは童子・童女・女人,医師、長者、金持ち、商人、それから船子(船頭)、神々、仙人、外道(げどう)すなわち仏教外の人までいるのです。またバラモン、さらに遊女までも含まれています。道を求める心の前には、階級や職業の区別もない、宗教のちがいも問わないという、ひじょうに崇高な立場に基づいている物語です。」 

華厳経入法界品(にゅうほっかいぼん)に登場する菩薩(ぼさつ)の名。教え請い日本において華厳経が広まった時期には、善財童子は民衆の人気者であったようで、東海道の五十三次(つぎ)は、五十三人の善知識というのが語源となり、東大寺の絵巻物やジャワ・ボロブドール遺跡彫刻の主要テーマとなっています。
観音様は、法華経によれば、法(ダルマ)を求めて修行することを本願とし、同時に衆生(しゅじょう)の許へ赴き、そのすべての悩みを救うことを誓願された、諸願一切成就(じょうじゅ)、現世利益(りやく)の菩薩です。その強い力を誇示するために、本来は同じ観音様であるものが、時として十一面観音、あるいは千手観音(せんじゅかんのん)などとして表わされ、広く民衆の信仰を集めてきました。華厳経の観音様は、この説話の中で五十三ヶ所の善知識(聖者)の一人として出てくるだけですが、その居城の美しさが人びとを魅了し、これを基に補怛洛迦山浄土(ふたらかさんじょうど)の信仰も起こり、中国で道教や禅の風潮のもと、水辺にくつろぐ悠然として美しい観音像として好んで画かれ、水月(すいげつ)観音、百衣(びゃくい)観音、そして楊柳(ようりゅう)を手に持つ楊柳観音が信仰されるに至ったもの。『西遊記』の中でも、たびたび楊柳を手に持った観音様が登場して、三蔵法師の一行を救い導くなど、民衆の人気になります。(善財童子も端役で登場します)。

文殊師利菩薩が、 求道の志をたてた善財童子という人に 各地の「善知識」を尋ねまわってあれこれ質問してみたらと勧め、 善財童子はその勧めに従って諸国の「善知識」たちを尋ねて教えを乞うていく‥というものなのです。 その「善知識」の一人(28人目)として観音様が登場してきます。

奈良東大寺のご本尊は、毘盧遮那仏(バァイローチャナ)で、『華厳経』の教主です。
実はこの善財童子の話はアジア諸国では有名で、善財童子が善知識と出会う場面の一つ一つが「ボロブドゥール」遺跡全体にレリーフに刻み込まれています。

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三蔵法師の名が出たので、
ついでに、古代インドの二大叙事詩のひとつ
『ラーマーヤナ』の影響受けた中国の『西遊記』・日本の民話『桃太郎』について…。

以下、サーチ【search】
古代インドの二大叙事詩のひとつ『ラーマーヤナ』。この物語はインドと東南アジア全域に伝わり、中国にも影響し、 『ラーマーヤナ』に登場する猿の将ハヌマーンは、様々に神通力を駆使して活躍する『西遊記』の孫悟空像の源流の一つとされます。
そのほか平安時代の日本にも伝播しているようで、日本の民話『桃太郎』に至るまでこの物語の影響は、広範囲に及んでいるとされているとされます。
 <『ラーマーヤナ』のあらすじ>
コーサラ国の第一王子のラーマは、継母の陰謀によって国を追われ森で暮らすことになる。ところが彼に思いを寄せる魔王ラーヴァナの妹を拒絶したことから、ラーマは魔王の怒りを買い、妻のシーターをさらわれてしまう。そこで彼は国を追われていた猿の王を助けるのと引き替えに、猿たちの協力を得る。そして猿の将ハヌマーンの活躍によってシーターの行方を突き止めたラーマは、猿の大軍とともに魔王ラーヴァナの本拠地のランカーを攻め、魔王を討ってシーターを救い出す。しかしラーマはシーターの貞操を疑って彼女を再び妻に迎えるのを拒絶、シーターは身の潔白を証明するため火の中に身を投げるが、彼女は無傷であり、これこそ彼女の潔白の証であった。こうしてシーターを取り戻したラーマは、コーサラ国に戻り、国を挙げての歓喜の中、王位につく。
インドでは古来よりサンスクリット語による『ラーマーヤナ』の翻案がされ、東南アジア『ラーマーヤナ』はすでに7世紀にはカンボジアで広まり、東南アジア全域に浸透していく。人形劇、舞踏劇、影絵芝居、僧侶による朗唱、タイの壁画、カンボジアのアンコール・ワット、寺院の彫刻や壁画に様々に取り入れられた。