(画はクリックで拡大表示)(+)の時更にクリックで拡大表示。 ・この仏画は、京都神護寺の住職が、ある人物に香炉と画を添えて贈ったことが箱の中の書付に記されています。それしか画の情報はありません。
・それがどうして当山に納まったかは不明です。
☆〓= 【この欄の項目、70):69):68)は、すべて、「巨勢金剛」&「楊柳観音」に関するものです。】=〓☆
平安時代:初期から中期の、やまと絵の祖師といわれる伝説的な絵師です。 (花鳥風月を題材とする、国風絵画が来る時代で、巨勢金剛や百済可成が活躍する。)
巨勢金剛は、数々の伝説を残しているようです。 その伝説とは、 日本三大説話集の一つ、古今著聞集(ここんちょもんじゅう)という説話集によると、 「夜に描いた馬が絵から抜け出して歩き回った」とか、「田の稲を食べ、朝、絵の中の馬の足が田の泥で汚れていた。そのため、馬の目をほじくり出すと、抜け出なくなった」となどの話が載っています。この話、確か教科書に載せてあったように思います。 亦、南総里見八犬伝(なんそうさとみはっけんでん)にも、彼の描いた虎の絵に瞳をを付けると生きた虎となって絵を抜け出し、暴れだし、 最後は犬江親兵衛が虎の両眼を射て退治し、虎は絵の中に戻ったとか!? 更に、こんな話もあります、当時は飛ぶ鳥を落とす勢いの、巨勢金岡の前に藤白坂(和歌山県海南市)の「投げ松」の下で、とても絵の上手な子供に出会った時、絵の書きくらべをして負け、くやしさのあまり持っていた筆を松の根本に捨てたといわれています。 以来「投松」は「筆捨松」と呼ばれるようになったそうです。 実はこの子供、熊野権現(くまのごげん)の化身で、思い上がった巨勢金岡を、熊野の神様がいましめたという話だとか…いろいろです。何れにしても「金岡」の絵師としての偉大さを示す逸話です。それ故この画は???です。 狂言の【金剛】は、絵師巨勢金剛が美女に恋をして物狂いとなるが、妻の勧めで妻の顔を彩色して失敗する物語を表しています。 ※…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…※ この画(絹本著色)が入っている箱<漆塗り・金泥書>、その画は上記の項目69)に、アップしています。 それには金泥で「巨勢金剛筆」・「楊柳観音」とあります。箱は立派ですが近代のものだと思います。 ※…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…※ 巨勢金剛とは、「こせのかね(かな)おか」と読みます。この観音様が入れてある軸の箱書きを、初めて見たとき、いきなり「きょせこんごう」と、読んでしまいました。後から調べてみると、大和絵の祖と言われ、教科書にも載っている、日本美術史上で、最も重要な絵師でした。 読みも、「こせのかねおか/かなおか」とあったことから、学生のころに、教科書に載っていたことを、思い出しました。大和絵の創始者のようです。
「巨勢」は、大和にある地名ですので、「金剛」が名前です。美術年鑑には、平安時代の絵師として、「金剛(かなおか):国宝」とだけが載せてあります。、 【「巨勢金剛」】:の『こせ(巨勢)の』“の”は、内容を限定する助詞で、巨勢は地名を示しますから、巨勢の住人という意味になります。 だから、「金剛(かねおか)」が、絵師としての名前です。
それまでの平安時代以前の、唐絵の影響を脱した、大和絵の様式を確立させた功労者とされ、その子孫は、後世において、巨勢派と称される画家集団を形成、宮廷画や仏画の分野において、多大な影響力を発揮したとされます。 この箱書きどおり、真筆かどうかは判りません。 それでよく調べてみると、「巨勢金剛」自身の絵は、まだ確認されていないのだそうです。もし此れ、真筆だったら、寺宝どころか国宝? 初めてこの絵を見た時、興奮しました。 だれの目にもよく描かれているので、全く検証せずに推測で、箱を新調して「巨勢金剛」としたのでは…? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ よく調べてみると、今は不明になっているようですが、明治期・≪フェノロサが集めたコレクション≫の中に、巨勢金剛の『不動図』というのが、あったとありました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 作者がハッキリ認定出来ない理由の一つは、古来から絵師が描く仏画には、落款を入れない習わしです。だから確認しようがないのでしよう…!か? 名を入れずに、いずれ忘却の宿命を受けるのが多くの仏画師です。 (現在では、○○謹写と落款を入れる作家も、いるようです。)
巨勢金剛筆と言っても、たぶん推測で、所謂「伝巨勢金剛筆」のたぐいでしよう…か! この絵の全体的な描き方は、平安時期を思わせる、仏画だとは思いますが!? 以上は、あくまでも個人的な考証です。
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日本では、まだ「巨勢金剛」の絵は、一切確認されてないということですから、画家集団・後の巨勢一派のものかも知れません? でもある資料では、 松尾寺の寺宝として、国の文化財に指定されている「普賢延命像」と「孔雀明王像」は、金岡の筆であると云われているようですし、また、元慶四年、京都御所紫宸殿の障子に、「聖賢の障子」といわれるのを、画いたのも残っている。とありました…!? よくわかりません…これらも「伝巨勢金剛筆」なのかも知れません。
奈良地方には、今でも巨勢という、地名があります。 (大阪府堺市北区、金岡町の地に、住んでいたとされる巨勢豪族の一族。巨勢金剛は宮廷のお抱え絵師で、画家集団を束ねて、それまでの唐絵から、大和絵に移行させたとされる、日本の美術史では、有名な絵師。大和国から紀伊国に通ずる「巨勢(こせ)の道」の一部(奈良県御所市)。金剛山、葛城山の南東、巨勢山の麓を辿る道は、大和朝廷の前、葛城王朝の流れを汲む、巨勢一族ゆかりの地。)大和の古代豪族の一。高市郡(今の御所市古瀬)を本拠とする竹内宿禰の後裔と称す。(許勢。) 現代でも古道が残されている。「葛城の道」「巨勢の道」には、歴史ロマンが残されていて、御所市一帯は、天皇家の外戚として権勢を誇った、葛城氏や巨勢氏の本拠地となっていたのだそうです。 <巨勢の道>(御所市観光協会HPより) 飛鳥から高取町を経由して、現御所市戸毛・古瀬の曽我川を遡り、重坂峠を越えて吉野や和歌山県へ至る古道です。
・・‥‥…━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━…‥‥・・ 【 当山の〓仏画・小仏像・絵画・什物等〓は、全て境内外(寺外)に保管、保存しております。】 ・・‥‥…━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━…‥‥・・
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やまと絵の開祖とされる絵師:「巨勢金剛」:の名が読めますか?
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:「巨勢金剛:(こせのかねおか)」は、平安時代:初期から中期の、やまと絵の祖師といわれる、伝説的な絵師です。 それまでの、平安時代以前の、唐絵の影響から脱した、大和絵の様式を、確立させた功労者とされ、またその子孫は、後世において、巨勢派と称される画家集団を形成し、宮廷画や仏画の分野において、多大な影響力を発揮したとされ、日本の美術史上、最も重要な絵師です。ボストン美術館所蔵・有名な*1:狩野元信の“*2白衣観音図”(室町時代)を想わせます。しかしこの画のほうが金彩を使い色彩豊かです。
*1:狩野元信(1476 - 1559) *2:頭から白い布をかぶり白い衣を着る姿につくられる。なお、白衣(びゃくえ)とは、僧が着る袈裟ではなく、在家の着る白い衣のことです。
この仏画が収まっていた軸箱、*1.箱書きに【「楊柳観音」:「巨勢金剛筆」】とある通り、“巨勢金剛筆”の真筆なのかは、判りません。
真筆だったら、寺宝どころか国宝?。しかし、“巨勢金剛筆”の作品は一切現存してはいないようです。
この画で苦しく、難儀に想うことは、
・初めてこの絵をれば、興奮するほど、だれの目にもよく描かれていることです?
この「巨勢金剛」の“楊柳観音”絵図は、 下記68)に、観音部のみを、トリミングして、クローズアップしています。この画は、全体像です。保存状態は、全体的に時代の煤け、巻きズレが、かなりあります。 特に観音の光背部分に、絹切れが数ヶ所ありますが、おおむね良好です。 これ以上巻き切れ・巻き傷みが出来ないように、現在或る百貨店の美術部に、裏打ち補修して*1:太巻き軸にするように出しています。修復完了すれば、画を差し替えます。
〓【*1:太巻軸箱とは、巻き傷み・絵の顔料が折れるのを防ぐために使用する軸箱です。 中に太い*2.芯棒が入っていて、この芯棒に掛軸を巻きつけます。通常の巻き方だと、絵の具の顔料が折れるなどの恐れがある場合に使用し、 通常の掛軸箱よりサイズの大きい「太巻軸箱」とあわせて作られます。そのような軸箱を作った後、今までの軸箱は、そのまま別に、大切に保存することになります。】*2.芯棒の材は軽い桐材〓
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:楊柳(ようりゅう)とは中国での呼び名、日本で言う柳のことです。:
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立派な*1.金泥書の漆塗り共箱=「巨勢金剛」・「楊柳観音」= その写真を、この欄のすぐ下、項目69):にアップしております。
・・‥‥…━━━━━━━: 仏画素人迷鑑賞 :━━━━━━━━…‥‥・・
、楊柳観音は、衆生を済度するのにさまざまな姿に、変化して出現する三十三観音の一尊で、手に楊柳(ヤナギ)の枝を持っていることが特徴です。別名を「薬王菩薩」ともいわれ、あらゆる病を除く菩薩として、信仰されて来ています。 図像をみると、背景には滝や、水の流れなどが描かれています。それは一般に、観音浄土・楊柳観音の浄土は、「補陀洛山(ふだらくさん)」と呼ばれる、山中であるとされているからだと思います。 観音と柳とが、縁あるのは、水があるところには、柳がつきものだからなのでしよう。
善財童子が、発心して53人の善知識(ぜんちしき)を歴訪して、山中で観音に遭遇して、教えを乞うている姿を、描いたのだと思います。 楊柳の葉?を敷き詰めた磐石の上に、観音が坐し、善財童子が直立し、顔を上げぎみに観音を拝しています。 谷川の観音の座す、磐座周辺には、山中の滝のしぶきや、谷川の流れ、波紋が、克明に描写されています。「補陀洛山(ふだらくさん)」と呼ばれる、山中であることを想わせる絵です。
この絵を素人なりに、考証して見ると、全体的に見て、平安様式と思え、大和絵風だということは、間違いありません。 特に観音が結跏趺坐(けっかふざ)している磐座の描き方、画面周りの棚引く雲、滝や谷川の波紋…・当に大和絵です。 ほんとに穏やかで、包容力のある優しさです。薄化粧をしたような、肉感的な丸顔の観音の手前には、向いあって見上げて合掌している、丸顔の善財童子が描かれています。 どことなく海外に流出しているボストン美術館所蔵の狩野元信“白衣観音図”(室町時代)を想わせるところもあります。しかしこの画のほうが色彩豊かです。
今までいろんな、観音様の絵を見てきましたが、この巨勢金剛の「楊柳観音」のように、穏やかでふくよかな丸顔、女人のような薄化粧をしたお顔・肌を、見たことはありません。本当に綺麗な絵と想います。観音の多くは、細面に描かれているのが普通のように思います。初めてこの軸絵を開いて見た時、興奮しました。
この絵の観音や、*2.善財童子の丸顔…、これは平安時代の美人顔? このような掛軸の全体的な古さや、見惚れるお姿や、絵の技法から、「巨勢金剛」と推定したものだと思います。軸箱は立派ですが、近代のものだと思います。 きっと「伝・巨勢金剛」筆、のたぐいなのでしようか! 以上は、あくまでも個人的な考証です。
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以下68)までは、「巨勢金剛」:「楊柳観音」の項目です。 68)には、「巨勢金剛」のことを、調べて載せています。
*2.善財童子とは、以下サーチ【search】しました。 ▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽ 華厳経入法界品(にゅうほっかいぼん)に登場する文殊菩薩(もんじゅぼさつ)が教えを説き、発心して次々と53人の善知識(ぜんちしき)を歴訪し、教え請い最後に普賢(ふげん)菩薩に会って、浄土往生を願ったという。仏法修業の段階を示したものとされます。 (アバァローキテーシュバラ=観自在菩薩)には、28番目に歴訪して教えを請います。 日本において華厳経が広まった時期には、善財童子は民衆の人気者であったようで、東海道の〈五十三次(つぎ)〉や武芸の〈指南(しなん〉〉という言葉の語源となり、東大寺の絵巻物やジャワ・ボロブドール遺跡彫刻の主要テーマとなっています。 観音様は、法華経によれば、法(ダルマ)を求めて修行することを本願とし、同時に衆生(しゅじょう)の許へ赴き、そのすべての悩みを救うことを誓願された、諸願一切成就(じょうじゅ)、現世利益(りやく)の菩薩です。その強い力を誇示するために、本来は同じ観音様であるものが、時として十一面観音、あるいは千手観音(せんじゅかんのん)などとして表わされ、広く民衆の信仰を集めてきました。華厳経の観音様は、この説話の中で五十三ヶ所の善知識(聖者)の一人として出てくるだけですが、その居城の美しさが人びとを魅了し、これを基に補怛洛迦山浄土(ふたらかさんじょうど)の信仰も起こり、中国で道教や禅の風潮のもと、水辺にくつろぐ悠然として美しい観音像として好んで画かれ、水月(すいげつ)観音、百衣(びゃくい)観音、そして楊柳(ようりゅう)を手に持つ楊柳観音が信仰されるに至ったものと思われます(本文の観音様の一節の柳云々は筆者が挿入したものです)。『西遊記』の中でも、たびたび楊柳を手に持った観音様が登場して、三蔵法師の一行を救い導くなど、民衆の人気のほどはわかります(善財童子も端役で登場します)。
大和絵(やまとえ)は日本絵画の様式概念の1つ。中国風の絵画「唐絵」(からえ)に対する呼称であり、平安時代の国風文化の時期に、発達した日本的な絵画のこと。「やまと絵」「倭絵」「和絵」などとも表記され、「日本画」と書いて「やまとえ」と読むこともある。源氏物語絵巻などの絵巻物に典型的に見られる。土佐派などの流派に受け継がれ、近代・現代の日本画にも影響を及ぼしている。 狩野派は大和絵の伝統と、中国の水墨画の技法・主題を統合したと評される。
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