(画はクリックで拡大)
関門橋が架かる早鞆ノ瀬戸の上辺り、 厚く黒い雲間の下に観る、少しの≪かぎろい≫現象。瀬戸内海方面です。 直ぐに雲に隠れましたが、東の空には*1.三日月(月齢27.7)も浮かんでいました。 雲のない厳寒の日の≪*2.かぎろい≫は、寒気で上空が澄んで綺麗な時、上空が瑠璃色になり、その下が(金色・朱色)に染まり、瑠璃色と(金色・朱色)のグラデーションが見事なんだそうです。一面に雲も無いそんな綺麗な ≪かぎろい≫は、年に数回しか現れないといいます。(この日、快晴で雲が無かったらどんなに綺麗だったでしよう。!)古くから言われる*3.曙色がこれに当たるのかも!?(曙色≒茜色?)
*⌒*⌒*⌒ 東に薬師如来の浄土が有るという信仰があります。 西方の弥陀浄土の真反対、遥か東方に浄土を持つ、薬師如来の浄土があるのです。 薬師如来は、 薬壺という持物を手にし、「薬師如来十二大願」をたて、平安時代以降は「除病安楽;御利益信仰が広がります。そして「薬師三尊像」として、三尊形式をとることが多くなっていたようです。三尊形式では、両脇侍に日光・月光の両菩薩を従えます…。それはまさに日光・月光の両脇侍の事を思えば、いにしえの人が綺麗な≪かぎろい≫現象が観える太陽と月が昇る東方に、この様な<かぎろい>現象を観て、瑠璃光如来の浄土が存在すると、希望を持ったことは、自然なことだといえます。 薬師如来のことを正式には、 薬師瑠璃光如来と云い、略して瑠璃光如来と云います。 当に、東の空に現れる瑠璃色の空を、表現しているようでもあります。 (薬師如来をお祀りする御堂は、「瑠璃殿」と謂います。よく「瑠璃殿」という扁額が掲げられています。) 日輪が沈む西方の<夕焼け>よりも、朝日が昇る東の<かぎろい>の方が、希望に満ちていて、現在人にとっては、西にある来世の弥陀浄土より、東にあると言う現世の薬師浄土の方が、イメージがもち易いのでは!?そんな感じもします!
*⌒*⌒ 夕焼ける西方には、阿弥陀如来の極楽浄土。それは来世の希望・望み かぎろう東方には、薬師如来の浄瑠璃光浄土。それは現世での希望・救い。 このような自然現象の<かぎろい>を観て、昔の人は、東にも薬師如来の浄土が存在するということを素直に思い浮かべたことでしよう。現在人であってもご来光に憧れます。 「西」の夕焼け空の向こうに、弥陀の浄土があると信じたと同じように、かげろう空、「東」にも薬師瑠璃光如来の浄土があると思うのも*4むべなるかなと思える程ですよ!
◆●〔 <かぎろい>をネットで探すと、綺麗な画が載っています。 〕●◆ 高度を飛ぶ航空機から、撮ったのもありましたよ!
★☆※*⌒*⌒*⌒*⌒*⌒*⌒*⌒*※☆★ *1.この日2月1日。暦では月齢27.7とありました。 *2.≪かぎろい≫ @日の出前の数十分前辺りから東の空にさし染める光。曙の光の風景。朝陽のこと。 Aかげろう:輝く光のこと。;陽炎・火光: Bほのお ―の【陽炎の】 C「かぎろひ」は、一般的に陽が昇る少し前、東の地平線近くの空が朱色に染まり、その上が紫、そしてまだ暗い東天に現れる光のページェント。刻々と明るくなって来るのでこの美しい空は数分しか続きません。「かぎろひ」そのものは快晴の冬の夜明け前、気温や・大気中の(水蒸気・細かい氷)などの条件が整て、初めて現れる自然現象です。 @ABCのように、いろいろな説があるようです。 一般的に言えば、日が昇る数十分前辺りから、東の空に出来る朝焼けのことを陽炎(かぎろい)と云い、よく厳冬期に綺麗に出るようです。 夕焼けのように雲が焼けるのではなく、天空が曙・茜に朝焼けすることを言うのだと思います。きっと気温や・空中の水蒸気などの条件が整て、大気が太陽光のスペクトル現象で彩られるのだと思います? ・☆・.★----------------------------------------------------★.・☆・
「かぎろい」のことを歌った、あまりにも有名な万葉の歌。 *5.万葉仮名の原文、 ≪ 東野炎立所見而反見為者月西渡 ≫ 柿本人麻呂
これを下記のように読み下したのは、賀茂真淵という、17世紀末〜18世紀半ばの国学者だそうです。
*7.≪東(*6.ひむかし)の 野にかき(ぎ)ろひの 立つ見えて かへりみすれば 月西渡(つき、かたぶ)きぬ≫ 意味は、 <東の野に陽炎が立つのが見えて、振り返って西の空を見ると傾いた月が見える> 原文のままでは五、七、五・・の短歌の形にならないので、東を「ひむがし」、「炎」を「かぎろひ」と読んて、賀茂真淵以後、現在の歌の形になったようです。 *2.「かぎろい(現代仮名遣い)」「日の出前に東の空にさし染める光」を言います。「かぎろひ」は、陽が昇る少し前、東の地平線近くの空が金色・朱色に染まり、その上部が紫・瑠璃色が織り成すまだ明けやらぬ、天空を染める壮大な光のページェントです。刻々と明るくなって来るので、この美しい空は数十分くらいしか続きません。 「かぎろひ」そのものは快晴の冬の夜明け前、気温や大気などの条件が整ったときには、いつ、どこに現れてもかまわない自然現象ですが、人麻呂が歌を詠んだとされるのは太陰暦11月17日。ちょうどこの日に、うまく「かぎろひ」が現れることは残念ながら滅多にないことだともいわれています。亦、まさに沈もうとする月を薄明の西の空に見るためには太陰暦17日、つまり十六夜の翌朝がもっとも具合がいいのだそうです。 「かぎろい」が現れるのは、空が晴れ渡っていて、「放射冷却現象」で気温がぐんぐん下る条件が必要です。だから厳冬期が好機です。頑張って朝早く起きて観て下さい。 この人麻呂の歌を読めば、与謝蕪村 の *8.≪菜の花や月は東に日は西に≫を思い出されます。ひょっとしたら、人麻呂の歌を頭に浮かべていたのでは?と、よく言われるようです。 更に気づくのは、 *7.柿本人麻呂・*8.与謝蕪村を読めば、 東の夜明け、西の日没で、自然・人生の無常(循環)の原理にも似ている事を想わせます。 *5.万葉仮名とは、 =漢字を本来の意味を離れ仮名的に用いた文字。真仮名・男仮名。=
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以下サーチ【search】しました。 ▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽ =参考= *1.(この日、暦では月齢27.7とありました): *2.曙〓太陽の登る明け方のこと。(「明仄」(あけほの)が転じた言葉) 日本の伝統色の名のひとつ。曙色とも。 *6.ひむがし: :「東」の原語は、ひんがし。ひむかし。「日が向く方角」または「日に向く方」が原義。更に「西」のことは「往(い)にし」で「日が去る方角」の意です。現在のある地方の方言にも、「去る」ことを「いぬ」という地方があるのに似ています。: *4.「むべなるかな」は現在ではあまり使われる言葉です。「ムべ」について調べてみました。: ・「宜(むべ)」なるかな。最近はあまり使わなくなった言葉。 この「宜なるかな」は、 「いかにももっともなことだ」・「いかにもそのとおりだ」という意味を表します。 これを中国語で書けば「宜乎」と書き、「なるほど」のような意味になります。 では、何故この「宜」を「ぎ」とか「よろしき」のように読まずに、 「むべ」と読むのか不思議に思えます。それは「むべ」は、植物のアケビに似た「ムベ」に由来するようです。 以下のような古事に由来があります。<ネット情報。> 昔、天智天皇が近江八幡市の方へ行幸されたとき、老夫婦に長寿の秘訣を尋ねたところ、 この地で秋に採れるこの果実を食するからだと答えたそうです。 それに対して天智天皇が、「むべなるかな」と云われたのが始まりとされています。 「ムベ」が先なのか、「むべなるかな」が先で「ムベ」になったのか、 私にはよく分かりませんが、いずれにしても、植物の「ムベ」がこの故事に関係しているのは確かなようです。 この近江八幡市では、かなり最近まで、「ムベ」を皇室に献上していたようです。 ムべとは、 ・ムベは日本の山野に自生するアケビ科の蔓性植物で、アケビに似た実ができます。果実は鶏卵よりやや大きい形で、秋に熟すと暗紅紫色になります。実を割ると緑色の果肉と種がキウイフルーツのようにあって、口の中で種子をより分けながら果肉部分だけを食べます。強い味ではありませんがほのかな甘みがあり、なかなか美味です。 ・アケビとの大きな違いは、アケビは果実が割れますが、ムベは割れないこと、そして常緑性であることです。ですから、ムベのことを別名でトキワアケビ(トキワは常磐)と書く。漢字で書けば「郁子」と書きます。
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