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■ 50)幼い頃、夜・よく唄った≪ないしょの話≫・あのねのね!の歌。夜の海峡ゆめタワーが見える風景(その21):★関門海峡の夜★2010.12.29

(画はクリックで拡大)
「海峡ゆめタワー・関門橋・関門海峡を、この高さ・方向・角度で写した画。」は、今まで出回っていなかったと思います。最近建った山口県で一番の高層マンション・ベルタワーが出来るまでは!?!。
知人に入れてもらって、最上階の22階の東非常階段から撮ったものです。
ここから幼い頃によく歌った童謡、「ないしょの話」をなぜかいつの間に口ずさんでいました。

同じ方向から見た画は、この欄の項目、
【49)天空≒「中秋の月輪(がちりん)」に輝く関門海峡;海峡ゆめタワーが見える風景(その18)*【月輪観】*月を詠み西方浄土へ行く人・それは西行法師*月は悟りの象徴*西行に憧れた晋作≒その名は東行】に有ります。
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♪⌒♬♪〜♪⌒♪♪⌒♪〜、
童謡「ないしょの話」
          作詞: 結城よしを ・昭和14年作詩:24歳で戦病死
          作曲: 山口保治
一、♪〜♪⌒♬♪⌒♪♪♪〜・・・「ないしょ ないしょ
 ないしょの話は あのねのね
  にこにこにっこり ね 母さん
   お耳へこっそり あのねのね
    坊やのおねがい きいてよね」
二、♪〜♪♬♪・♪⌒♪♪♪〜・・・「ないしょ ないしょ
 ないしょの話は あのねのね
  あしたの日曜 ね 母さん
   ほんとにいいでしょ あのねのね
    坊やのおねがい きいてよね」
三、♪〜♪♬♪・♪⌒♪♪♪〜・・・「ないしょ ないしょ
 ないしょの話は あのねのね
  お耳へこっそり ね 母さん
   知っているのは あのねのね
    坊やと母さん 二人だけ」
          
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この歌の「ないしょ:(内緒:内所)」と言う言葉は、
仏教用語の【内証】が⇒【ないしょう・ないしょ・ナイショ・内緒】に転じた、当て字、なのです。
〓【内緒】〓は、意外にも仏教用語の内証(ないしょう)を約した言葉。
元来の内証(ないしょう)とは、仏教(密教;真言宗用語)です。
(重複しますが※1・※2・※3)
※1・如来・仏の悟りの境地を意味するもの。また自らの心の中で真理を悟ることを意味したり、心内の悟りを意味するサンスクリットの漢訳で「自内証」ともいう。自分の心のうちで真理を悟ること。また、心の中で体験する悟り。内心の悟り。
※2・人間が容易に意慮分別して推測できないということを強調して用いられる言葉。また悟りそのものを表す場合でもあります。つまり仏意のことです。この「内証」により、外に現れた利他の働きを外用(げゆう)といい、また「内証外用」と総称される。このことから密教(真言宗)を中心に用いられる仏教用語です。
※3・自分の心のうちで真理を悟ること。また、心の中で体験する悟り。内心の悟り。
その意味が転じて、外から知ることが出来ない秘密の事柄をさすようになり、内輪の事情や、暮らし向きなどの意味にも使われるようにもなる。
上記の理由から、秘密やその事柄を示す言葉として、使われるようになり「内緒」と転化された。また俗に家計状態などをいうようになったようです。

「内緒」と書くのは「内証;ないしょう」から⇒「ないしょ」に転じた当て字です。「内緒」の他に「内所」とも書きます。
「内緒(ないしょ)」の語源。≒【「内証」】。
いろいろな意味に変化して行きます。下記の広辞苑@〜Iへ。

さて、この童謡「ないしょの話」は、繰り返しが多いものですが、母子が心底に通い合わす、二人だけの悟りの証しにも似ており、現在は忘れられがちな瞳と瞳で心通わす悟りにも似たものといえるのかも!?
【内証】を得た境地には、言葉は要らなくなります。

『信心によって、仏と(観応)したような働きかけと、それを受け止める自己の心』に似ています!?
当に『信心が仏に通じる』関係!?

♪⌒、♪・〜♪⌒・♪⌒♪〜・♪⌒♪⌒
【坊やから母さんへのお願い「あのねのね!」】
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一番の、お耳へこっそり あのねのね♪ 
    
二番の、あしたの日曜 ね!母さん♪
    
三番の、知っているのは あのねのね♪
    坊やと母さん 二人だけ!

♪⌒「ないしょ」・♪⌒「ないしょ」・♪⌒「ないしょ」を三回くり返し、歌い出されます。
「あのねのね!」は呪文!?みたいなもの?。
「ないしょ」の話の内容は書かれていません。書かれていないことによって、ないしょ話の内容は歌う人の想像のなかにあります。
また、「ないしょ」は誰の言葉でしょう?
一番の、「お耳へこっそり」は、坊やが母さんにおねだりしている様子。
二番の、「あしたの日曜」は、母さんが頷くように約束したもの。
三番の、「坊やと母さん 二人だけ!」は、母・子を外から第三者的に見つめたもの?「あのねのね!」は、甘えたあどけない感じですが、母子の内心の悟りにも似た言葉(真言)のようなもの?三番まで歌えば、ニコニコ・ニッコリしているのはお母さんだけではありません。坊やも、歌う人も、聞く人も、ニッコリ・ニッコリの観音様のような笑顔!になれます。
内緒の中身は具体的ではなく、判りませんが、この歌は、単なる親子のないしょ話の情景描写ではないと思います。
「ね!母ちゃん」と歌った時、悟った真理のように、母と坊やが一体となり観応道交したものだと思います。

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※1;「観応」も※2;「観応道交」も仏教用語。
※1、(観応)≒(感応)とは、
【人に対する仏の働きかけと、それを受け止める人の心。また、信心が仏に通じること。】

※2、観応(感応)道交(かんのうどうこう)とは、
仏と人間の気持ち、また教える者と教えられる者の気持ちが通じ合うこと。衆生の機根と仏の応化が相互に通じて融合することをいう。広義では、身近な人と分かり合うことを指していう場合もあるが、本来は師匠と弟子などといった立場の違いがある。

※3、「道交」とは、
動機やきっかけにしていくことを「道交」といいます。
感応道交とは「仏の働きかけと、それを感じ取る人の心とが通じ、相交わること。また 師と弟子とが相投合する」という仏の教えです。
この教えは、私たち日常の仕事や生活一般に当てはまる教えです。心と心が交わってこそ生活がスムースになります。心が相反していたり、離れていることではありません。
感応する、反応することが日常大切になります。
人の言葉に感応する。すると、自身の心と交わりができ、察することが出来ます。「道が交わること」なのです。
 
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『ないしょの話』は、
「坊や」と「母さん」と(聞き手)・(歌い手)とが、内に持っている想い。「内証」「内心」・「本心」・「内意」を観応共有した真理・悟り」に似たものと言えるのかも!
自身(坊や)と仏(母)との内証を共有したもの、自らの心の中に、真理を悟ることが出来た心境!?に似ているとも言えます???
自身(坊や)と仏(母)の心内は、側から容易に意慮分別して推測できませんが、声を出して唄えば、(母子)・(聞き手)・(歌い手)も、観応し内証を共有出来るようになると思います。!!!???。

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以下、「広辞苑」より
@(仏)自らの心の内で真理を悟ること。内心の悟り。紗石集(2)「真実の―は同じと言えども、因は深く果はあさし」
A内に持っている考え。内心・本心・内意。天草本平家物語「てんどうの御―にもそむきまいらせずる」
B表向きにせず、内々にすること。内緒・内密・秘密。「―遊び」「―借り」「―事」
C内々の都合。内々の様子。
D奥向き。勝手向き。
E妻または妾。
F身うち。うちわ。うちうち。
G一家の財政。暮らし向き。「―は苦しい」
H遊女屋で、主人の居間或は帳場。また、主人を言う。内所(ないしよ)
I他人の妻の尊敬語。浄瑠璃・仮名手本忠臣蔵「塩治が―かほよの頼み」

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・・・書き込み中・・・