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■ 46)≪境内の花≫その42…≪アスクレピアス≫と「美しすぎる蝶!」2010.9.24

(画はクリックで拡大)
花の名前は、長く知りませんでしたが、調べてトウワタ(ガガイモ科)と判りました。
唐綿(トウワタ)学名:Asclepias curassavica原産地 南北アメリカ・アフリカ、花期が長く春から晩秋まで咲き続け丈夫です。 植えてみれば重宝する花で、広い庭でも、アクセントになるビビッドカラーな配色で好きな花です。ビンクや白の花もあるようです。
欠点は、@徒に増えすぎること、A花にやたらとアブラムシが付くことです。
追い羽のような形。赤と黄色の配色でトロピカルなイメージが強いので、今では唐綿とは言わず、「アスクレピアス」という、洒落た名前で、呼ぶんだそうです。初めて見た人は一目惚れするかも!。
赤い球状のつぼみが開花すると、赤の花弁を真後ろに反らせ、その上にオレンジの副花冠を乗せて、強調した独特の魅力ある花姿を見せます。夏の盛りの花の少ない時分に境内を美しくしてくれます。可愛くて野生的で魅力的な花です。小さな花が群がって咲きます。綺麗な可愛い色使いで、一輪の花は耳のピアスにむいた形だと思います!?。妖精が踊っているよう!な!!。
花後は種袋のなかに、綿毛をつけた種を一杯含み、弾けて彼方此方飛びよく増えます。又花の付近の茎にアブラムシがよく付くことから、そのアブラムシの出す蜜に寄るのでしょうか?。初めて揚羽蝶が止まりました。
初めは3羽ほど飛び交っていました、今までこの花に止まるのはあまり見たことはありません。 
蝶は神経質なので、2羽は直ぐ逃げ、一緒に撮らせてくれませんでした。
揚羽蝶類の幼虫の食草は、ミカン・カラタチ・サンショウなどのようです。
日本の揚羽蝶は数種います。最初この画の蝶は、黒アゲハ蝶と思っていました。そうではないようです。
【search】した範囲では、この画の蝶はたぶん「もんきあげは(アゲハチョウ科)」
前翔長60〜73a、名前は紋黄だが、紋の色は白に見えるとあります。 
大型の揚羽蝶で、数も少ないとありました。 
この黒い蝶・・・前翅は全黒(表面の半分にビロード状の光沢がある)・後翅は黒のベースに、ッキリしたかなり大きな白い紋・・・品のある翅・・・。
「ご婦人の黒い喪服のようで、素敵ですよね〜!」美しすぎる蝶!!!
見飽きません。一時もジッとすることなくせわしく飛び交います。 
今年は初夏から、4.5頭(匹・羽)このアゲハをよく見かけました。遠くから見てないと直ぐ逃げて行きます。暫くすると亦戻ってきますが・
揚羽蝶は通り道(飛翔ルート)が決まっていると、子供の頃、聞いたことがあります。
「紋黄アゲハ」がヒラヒラ優雅に飛び回る姿は、とても幻想的です。

当山の前の海峡で、 
平家一門が海に沈んで滅んだ時、平家の魂は抜け出して平家蟹となったのと同じよに、蝶になったという伝説があるのだそうです(下関だけで主に言われているのは「平家蟹」と「小平家」と言われる鯛のことです)。 
関門海峡では、般的に10センチくらいの美しい鯛のことを「小平家」と呼ばれています 源平の合戦の際に海に消えていった公達の女房・官女・子女の生まれ変わった姿だともいわれています 
それらの事を知って
一般に言われる「蝶になったという伝説」のことは   
この画の「紋黄アゲハ」なのかな〜!と想像するようになりました。白い紋がある品のいい喪服のようであるが故に!?。
単純な紋様でありながら、自己主張のある、貴族の文様をしているように思えませんか!?。

平家蟹と言うのが関門海峡に生息しています。甲羅の凹凸が人の憤怒の表情に見えることから、
壇ノ浦で敗れ海に沈んだ、家の怨念が宿るものとされたからと言われます。
ただし実際には、海道からアジアの広い海域に生息しているそうです。
蟹は平家の無念に散った武士・公卿であり、「小平家」と言われる「鯛」や「蝶」は、平家の女房や女官・子女なのかも知れませんね!。

以下、▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼サーチ【search】しました。  
モンキアゲハの夏型は日本で一番大きい蝶。  
『あげは』蝶の仲間には・・・
日本では、
「アゲハ」・「黄アゲハ」・「黒アゲハ」・「紋黄アゲハ」・「長崎アゲハ」・「尾長アゲハ」・「カラスアゲハ」・「みやまカラスアゲハ」・「じゃこうアゲハ」・「あおすじアゲハ」等の種類があります。
そしてそれぞれ、「春型」と、「夏型」がいます。 
「夏型」は「春型」より大きいようです。  
揚羽と言う意味は、羽を直立させて休むからと言われます。

蝶はまさに、変体する造化の神秘、
その蝶をもっともみごとに、文様に採り入れたのが平家の公達です。以後平家以外に多くの武家が、この揚羽蝶を家紋にして行きます。
美しい揚羽蝶紋は平安後期にはすでに図柄が完成し、最初平家の公達などが、文様に用いていたといいます。   
この時代はまだ家紋が定着していなくて、彼らは鎧や兜の裾金物や、直垂(ひたたれ)などに蝶の文様をつけた。これらの文様が後に家紋に転化していったのだそうです。ことに平清盛系統の者が多用したので後世、蝶は清盛流の代表紋になったとされます。
それ以後平家の魂は「蝶になったという伝説」が生まれたのだと思います。そのために、家紋がいつしか平家一門のシンボル・マークになったのであって、源平合戦当時、すでに平家の家紋だったとは考えられないそうです。
意外だけど、
源平合戦の時、なぜ平家が赤旗で源氏が白旗なのか、その由来は詳らかではないのだそうです。
それは単に、敵味方を識別するためのものだったようです。
平家と源氏がそれぞれ赤旗・白旗を掲げて戦ったことは、
「源平盛衰記」に、
「西のはたには平家、赤旗を捧げて固め、東の河原には源氏、白旗を捧げたり」などとあり、「源平合戦図」や「平家物語絵巻」でも、赤白の旗が入り乱れて戦う様が描かれていることでも知られます・・・。
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この写真が撮れた後、ご年配のご婦人(此処まで駐車場からの階段が数段あります)が手摺りを持ちながら、お参りに上がって来られました。

以下はその時の話しです。 
「齢は、嫌ですね!」と言う会話になり、互いに齢の話しになりました。
そのなかで「齢は取るものではなくて、齢は来るものですよ!」と言われました。 
なるほどな〜!と思いました。 
若い時は、齢は取るとしか考えませんでした。
出生からの経過時間を年単位で表したものが、若い時の年齢概念。
よく考えてみれば、ある一定の歳を過ぎると、生まれた時から、定められている自分の運命の寿命に、段々近づいていくるという感覚になるのだと思います。それは自分が持って生まれた寿命齢・その天寿が、前から近づいていることでもあるのです。
そのことは、とりもなおさず「齢は取るものではなくて、齢(自分に定まった天寿)は来る」ものです。
昔は誰もが、数えで齢が来て、正月で重ねたように!。

<死にはせぬ 何処へも行かぬ ここに居る
 たづねはするな ものは云はねど>
(何処にも行かない ここにいる お前のそばにいる 何も語りかけないけれど・・・。)一休道歌より

  ・・‥‥…━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━…‥‥・・
一休は「狂雲集」で、
『門松は冥土の旅の一里塚、めでたくもあり、めでたくも無し』と詠み、正月にドクロを杖の頭につけ、『ご用心 ご用心』と叫びながら練り歩いたと云われます。 
誰もが、正月ごとにあの世に向かって近づいていると強調したかったのでしょう。そのことに気付くことが齢が「来る」こと・・・なのでしよう!!!。

=『狂雲集』(きょううんしゅう)とは、一休宗純による風狂破格の世界を呈する漢詩集 ほとんどが七言絶句。「狂雲」とは一休の号=

後からこの事を一日中思い、揚羽蝶の種類の画をサーチ【search】したのを見比べたら、この「紋黄アゲハ」が一番上品のように思えました。ヒラヒラ飛ぶ実物を見るとほんとに惹かれます。この≪黒い蝶・・・前翅は全黒・後翅は、黒いベースに大きな白い紋・・・品のある翅・・・ご婦人の黒い喪服のようで妖しげで・素敵です。≫

日本で一番大きな蝶は、この「モンキイアゲハ」の雌だそうです。
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≪参考≫
ところで、蝶の数え方は「何頭」と呼ぶのだそうです。 
しかしなぜ蝶を「頭」で数えるのかについては、諸説あり定説はないようです。
『数え方の辞典』によりますと、

・英語で牛など家畜を数える際に“head”で数えていた。

・動物園でも使われ始めた。

・動物園で飼育されている全ての生きものに対し、“head”が用いられるようになっ   た。

・そのうち昆虫学者たちが、論文などで蝶の個体を“head”で数えるようになった。

・日本語に直訳(誤訳)したのが定着した。 という説が有力だとあります。
「蝶の数え方の不思議」の本では、昆虫学の祖がそう言った。海外の文献を訳し間違えた。などの説が載っています。
実際の使用という面では「匹」も「頭」もどちらも使われており、『岩波日本語使い方考え方辞典』では、蝶は「匹」で数えると載っています。
『ことば百科 絵で見るモノの数え方辞典』には、一般用語では「匹」・学術用語では「頭」とあります。『新明解国語辞典』では、数え方として「一羽・一匹・一頭」で載っています。
やはり蝶の数え方は「ー羽」が一番似合うように思います。
いろいろ調べていたらその夜、黒揚羽蝶(「紋黄アゲハ」)の夢を見ました。

モンキアゲハの紋は白です。ズバリ、モンシロの名を貰っているのが、モンシロ蝶(モンシロ蝶は春によく見かける蝶です。)

この画の蝶、モンキアゲハは「紋は白なのに、なぜモンシロチョウと言わないの?」となりそうです。 
そこでこの理由ですが、モンキアゲハを標本にして、しばらく放って置くと、白い紋が段々黄色く変わるからだそうです?。白い紋の変化は、羽化したばかりの時はほぼ、白いが、 日数が経つにつれて黄色みを帯び、 更に標本などでは日が経つにつけ、黄みがかると言うことです。

いろいろ調べていたら、その夜、黒揚羽蝶(「紋黄アゲハ」)の夢を見ました。

=堀口大学=
<百合の花は昆虫の化粧室だ
蝶がでてまゐる
金粉の着物をきて>
鮮やかな、美しい比喩の詩です。
 
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