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■ 45)≪月に住む兔の話の始まり≫は“今昔物語”その元は“ジャータカ”から 法隆寺の玉虫の厨子 『捨身飼虎図』&『雪山童子施身聞偈図』も“ジャータカ”が題材なのです。2010.9.22

この画は、朧月ではなく、 
 : 境内から観た中秋の月です :
(画はクリック拡大)
お天気の加減で、ヴェールが掛かった春の望月のようですが…!

ところで、平安初期、朧月を詠んだ有名な一首。
< 照りもせず曇りも果てぬ春の夜の朧月夜にしくものぞなき > 大江千里
(…照るというわけでも、曇るわけでもない、朧月夜の風情を一言でとらえたもの。…)
昔から和歌・俳句の手本とされる有名な歌のようです。
  
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 「木の間より もりくる月の 影見れば 
            心づくしの 秋は来にけり 」  
                     ―古今集 よみ人しらず―

 「大空を照りゆく 月し清ければ 
            雲隠せども 光けなくに」     
                     ―古今和歌集;尼敬信―
(大空を渡る月は、清らかに照るので、
           雲が隠しても、その光が消えないのですよ!)の意。  

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「うさぎ・ウサギなにみて跳ねる。十五夜お月さん見て跳ねる。」
こんな歌を子供の頃口ずさみました。 
薄暗い月面の凹凸の影が、肉眼でも観えるのは、
「月の中に兎が棲んでいて、餅を搗いているんだよ。」と教えられ、
昔の多くの子はそう信じていました。
<ウサギが月で餅を搗くという伝説の起こりは、
「満月≒望月(もちづき)」から、
餅搗(もちつき)への転化という説があるようです。>
しかし人間が月面着陸(一九六九年)して以来、
このような月にウサギの伝説はすっかり忘れられて来ています。
   
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“月にウサギの伝説”は『今昔物語』巻五が元になっています。 
その物語は、 
仏教思想の『ジャータカ』
〔本生譚(ほんじょうたん;お釈迦様の前世でのお話)〕に由来します。 
その『ジャータカ物語』とは、
お釈迦様が前世でウサギ・サル・国王であっても先の世では、
“菩薩”であったことを表わしていると言う話。 
『ジャータカ物語』は、
紀元前一世紀頃にインドで始まるもので、
七世紀初めの頃の法隆寺の有名な国宝「玉虫の厨子」には、
「ジャータカ」の中の二話が画かれてます。 
それはお厨子の右に『捨身飼虎(しゃしんしこ)図』・
左に『雪山(せっせん)童子施身聞偈(せしんもんげ)図』です。
この二つのことは以降で説明します。
その前に、
『ジャータカ』≒〔本生譚; ほんじょうたん 〕とは、
=釈尊が悟りを開かれて、仏となられたのは、
因果応報の習いどおり、前世においても、きっと善い行いがあったからに違いないということで、紀元前三世紀頃、釈尊の前世の善行を集めた物語ができたと言われます。 
それは547の説話からなり『千夜一夜物語』『イソップ物語』『グリム童話』などに影響を与え、世界文学史の上からもとても重要なものとされています。=
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その『ジャータカ』〔本生譚〕の中の話しの一つが、日本では“月とうさぎ”の話になって『今昔物語』に伝えられています。
「今は昔、天竺に兎・狐・猿。 三(みつ)の獣ありて、共に誠の心を発(おこ)して、菩薩の道(どう)を行ひけり」と始まります。その三匹の獣は痩せた老人をみると、猿は木の実を拾い、狐は川原から魚をくわえ老人にささげた。ところが兎はあちこちを求め行けどもささげるものが何も見つからない、老人は何も持ってこない兎を見ると、「お前はほかの二人と心が違うな」となじります。兎はせつなく言いました。「猿に柴を刈ってきてくれ、狐にそれを焚いてくれと頼み、わが身を燃える火の中に投じささげた。」捨身一命を投じた慈悲行をしました。その時老人は、帝釈天となり「此の兎の火に入たる形を月の中に移して、あまねく一切の衆生に見せしめんがために、月の中に籠(こ)め給ひつ、然れば、月の面(おもて)に、雲の様なる物のあるは、此の兎の火に焼けたる煙なり。亦、月の中に兎の有るといふは此の兎の形なり。万(よろづ)の人、月を見むごとに此の兎の事思ひいづべし。」といったことが示されています。この話は、兎の捨身の心、慈悲行を物語っているのです。
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「立てば立つところに止まり今日の月」  鷹羽狩行( 1930年山形県生まれ)
今日の月とは中秋の名月。
天上の月と地上の自分が、一対一の境地となれるのが中秋の名月!。
幼い頃は、何処に行っても、何処までもついて来る月を不思議に思えました。  

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法隆寺国宝「玉虫の厨子」には、『ジャータカ』≒〔本生譚〕にある「捨身飼虎」;「施身聞偈」の物語が異時同図法で表されています。 
これが法隆寺に伝来する国宝・玉虫厨子須弥座両側面に描かれているものです。 
前者は『金光明最勝王経』捨身品・後者は『大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)』の聖行品による菩薩(釈尊の前世)の善行として描かれていることで有名です。
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●捨身飼虎図は、極度の空腹に耐えかねた母虎が、今にも自分の子供を食べようとしているのを菩薩が見、自らは衣を脱ぎ、身を高所から投じて、母虎に与えるといった時間的な流れを、同一画面上に表わすという手法をとっています。『@崖の上で衣服を脱ぎ樹木にかける王子。A崖から身を投げ落下していく王子。そしてB無惨にも虎に喰われる王子の身体』
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●雪山(せっせん)童子の話は、仏教の根本思想、諸行無常のことが描かれています。
ここに描かれているのは、ジャータカ(本生譚)と、呼ばれる釈尊の前世の物語のひとつ、薩埵王子(さったおうじ)が、飢えた虎とその7匹の子のためにみずからの身を投げて虎の命を救ったという「金光明経」の説話をモチーフとしたもの。
雪山(ヒマラヤ)で修行していた雪山(せっせん)童子が、羅刹(鬼)が「諸行無常・是生滅法(しょぎょうむじょう・ぜしょうめっぽう)と称えるのを聞き、この句の後半が必ずあるはずと、その羅刹に聞かせてくれるよう頼みます。
すると、羅刹は「自分は腹が減っているから、汝を食わせろ。そうしたら教えてやろう。」と言います。童子は承知し、後半の「生滅滅已・寂滅為楽(しょうめつめっこ・じゃくめついらく)を教えてもらいます。
そして、その句の意味を深く味わい、岩にその句を書き込み、約束どおり我が身を与えようと崖の上から身を投じると、そのとたん羅刹は帝釈天の姿となり、空中で修行者を抱きとめてくれたという逸話です。(この雪山童子こそ釈迦)
以上の前半の二句と後半の二句で、
『諸行無常・是生滅法』しょぎょうはむじょう・これしょうめつのほう)
『生滅滅已・寂滅為楽』(しょうめつすでにやみて・じゃくめつらくをなす)
それは(この意味は)、 
「この世にたとえ華やかな歓楽の生活があっても、それはやがて消え去り、滅ぶものであり、この世は、はかなく無常なものである。」≒『諸行無常・是生滅法』 
「この常ならぬはかなさを乗り越え、それを脱するためには、浅はかな栄華を夢見たり それに酔ってはならない。」≒『生滅滅已・寂滅為楽』
という解釈です。当にそれはいろは歌なのです。
「相対的な世界にこだわって、一喜一憂する迷妄の世界を超脱すれば、一切が安楽となる。」と説く『涅槃経』の四句の偈(この偈を「諸行無常偈」とも「雪山偈」ともいいます。)を和訳したものです。 
それは一字も、見事に重複せず、47文字で示されているものです。 最期に(ん)を加えて48文字。
  諸行無常(諸行は無常なり)・・・ 色は匂へど散りぬるを
  是生滅法(これ生滅の法なり)・・ 我が世誰ぞ常ならむ
  生滅滅巳(生滅を滅し巳って)・・ 有為の奥山今日越えて
  寂滅為楽(寂滅を楽と為す)・・・ 浅き夢見じ酔ひもせず(ん)
「捨身飼虎」」と「施身聞偈」図は、『ジャータカ』≒〔本生譚〕の中から採られたもので、釈尊の前生である薩捶王子が、飢えた親子の虎に我が身を与えるべく、崖の上から虚空に身を翻らせて墜死し、餓虎の餌食となる光景の画法が、同一画面の中で、上から下へ連続であらわされています。
そして右側面にも、 同じように「施身聞偈」図が描かれています。それは前生において婆羅門(僧侶階級)の修行者として雪山(ヒマラヤ)に住み、羅刹(鬼)が「諸行無常・是生滅法」と称えるのを聞き、この句の後半が必ずあるはずと、その羅刹に聞かせてくれるよう頼みます。すると「自分は飢えているから、食わせてくれたら教えてやろう」というので、約束をし後半の「生滅滅已、寂滅為楽」を教えてもらいます。そしてその句の意味を深く味わい、岩にその句を書き込み、約束どおり我が身を与えようと、崖の上から身を投じると、そのとたん羅刹は帝釈天の姿となり、空中で修行者を抱きとめて救ったという物語。これも同一画面の中に描きだされています。
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月を宗教的に捉えて、月を歌ったのが『西行』。何処までも月を意識して諸国を行脚して修行しました。
以下この掲示板〓49)2009.10. 4にアップ〓に続く。
  
【49)天空≒「中秋の月輪(がちりん)」に輝く、関門海峡;海峡ゆめタワーが見える風景(その18)*【月輪観】*月を詠み西方浄土へ行く人・それは西行法師*月は悟りの象徴。へ・・・。

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「月にウサギの伝説」;「捨身飼虎」;「施身聞偈」の物語等は、一部にかなり残酷な内容も含まれています。これらに限らず、昔話には残酷なものが多いようです。
アラビアの『千夜一夜物語』;西洋の『イソップ物語』『グリム童話』なども例外では有りません。
最近盛んに昔話は、残酷なところが有ると、騒がれ始めました。
今日では残酷と思えるところを書き直し、かなり内容を緩めているそうです。
しかし、昔から伝わる話には残酷さばかりでは有りません。
「残酷と教訓」が含まれている昔話の中で、小さな残酷を経験するにしたがって、子供の中に徐々に克服されるてゆくのでは?
語り継がれて来たこれらの昔話に、あまり目くじらを立てることは無いと思います。
情報が豊富な世の中です。昔話を純粋な話しにしていく事自体、無理なことです。
自然の中の残酷さを含めて、子供は自分でクリアにして大人になるのでは?
物語のメッセージを、真正面から受けとめさせるべきだと思います。

=参考=
法隆寺国宝「玉虫の厨子」
・08年制作の復刻版(玉虫6000匹を使って制作された)

月に関連ある曲、
ジャズのスタンダード曲 「Blue Moon」以外に、ベートーベンの「月光」、ドビッシーの「月の光」、グレン・ミラーの「ムーンライトセレナーデ」などがある。月からいろんなインスピレーションを受けて、湧きあがってくる情感を曲に託したもの。

=余 話=

「Blue Moon」とは、(ひと月に満月が、2回出る=所謂珍しいことを言う)
以下サーチ【search】しました。
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ブルームーン(Blue Moon)の意味は、いくつか存在し、「実際に青く見える月」や「ひと月に2回の満月」のことであったり、カクテルや薔薇の一種を指すようです。

月の満ち欠けは、平均約29.5日を周期として繰り返される。月の初めに満月になると、その月の終わりに再び満月が巡ってくる場合がある。ひと月のうちに満月が2回ある(3年ないし5年に1度)の周期。この2回目の満月を「ブルームーン」と呼ぶ。
本来大気中の塵の影響により、月が青く見えたことをブルームーンと言っていたようですが、ひと月のうち2回目の満月をブルームーンと呼ぶようになった。このとき、特に1回目の満月を「ファーストムーン」、2回の満月を「ブルームーン」と呼ぶ場合があるとされます。めったに見られない現象であることから転じて「極めて稀に」という意味の「once in a blue moon」という慣用句もある。
唯、
「珍しいことのたとえとして、ブルームーンと呼ばれるようになった経緯を考えれば、どちらの満月も、ブルームーン」であることに違いありません。

また、大気中の塵の影響で月が本当に青く見えることもあり、これもブルームーンと呼ばれる。例えば、1883年のインドネシアのクラカタウ火山の噴火後、約2年間は日没を緑に、月を青に変えたと言われる。このように、多くは火山の噴火、もしくは隕石の落下時に発生するガスや塵などの影響によって、かなり稀でいつ起こるか分からないものの、月が青く見えることがあるとされている。しかし、そのように青い月を見ることは大変難しく、そのことから、「極めて稀なこと」「決してあり得ないこと」といった意味を指して使われる言葉となった。そのことから、19世紀半ばに "once in a blue moon" (めったにない)という熟語が生まれた。そういった意味を含めて、ブルームーンという言葉で特別なことを指す場合もあります。

ブルームーンという言葉は天文の正式な用語ではなく、定義がはっきりしていない。辞書において「ひと月に2回満月があるときのこと」などという記述は見つからず、大抵の場合は「大気のちりの影響で青く見える月」と記載されている。また、月が青く見えるのはあまり頻繁には起こらないことから、ブルームーンは「めったに起こらないような珍しい出来事」の意味で、慣用句として使われることが多い。

また、「ブルームーンを見ると幸せになれるという言い伝えがある。」
菅原都々子のヒット曲をよく歌っていました。
「月がとっても 青いから♪ 遠廻りして 帰ろ ♪あのすずかけの 並木路は 想い出の 小径よ・・♪」
当にこの歌のように青い月は、幸せそうな気分がわきます。

花のブルームーンは、薄紫とも赤紫ともとれる儚げな色をしたバラと、青い花色から別名「ブルームーン」と呼ばれるイソマツ科の半耐寒性花木ルリマツリ。香りはとても甘く繊細で、数あるバラの品種のなかでも評価が高い。

カクテルのひとつ。19世紀後半にアメリカで発祥したといわれているが、時代も作者も不明という説もあり、謎が多いカクテルと言える。ジンベースで、「青い月」という意味であるが、バイオレット(菫のリキュール)を使うため、薄紫色に見える。レモンの酸味とジンのほろ苦さが程よくマッチした、菫の妖艶な香りのするカクテル。色の美しさはカクテルの中でもトップクラスを誇る。

直訳の「青い月」という意味のほかに、「完全なる愛」「叶わぬ恋」「出来ない相談」という意味もあります。

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