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■ 44)=晩秋の境内=降りしきるイチョウの紅葉※色づくも 散るも『諸行無常』≒「色は匂へど散りぬるを・・・」2010.7.1

(画はクリックで拡大);山門内からの画。

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『 諸行無常 』のこと & 『娑羅双樹の花の色』≒『いろはにほへと・・・』
& 「イチョウ双樹?のもみじの色」 & “祇園精舎の鐘”の声ならぬ「“福仙寺境内の鐘”の声;諸行無常の響きあり!」
・鐘つけば銀杏ちるなり建長寺 漱石 (鎌倉五山建長寺)
漱石の友人だった正岡子規はこの句を意識して、有名な<柿くえば鐘が鳴るなり法隆寺>を詠んだと言われます。
夏目漱石と正岡子規は東大予備門の同窓生。
二人の句は調子が似ています。
子規の句は、漱石の句より数か月後に詠まれました。
だが子規の句の方が誰もが知る有名な句になりました。
芭蕉の<蛙飛び込む水の音>のように誰もが知る句です…!


・「金色のちひさき鳥のかたちして いちょう散るなり丘の夕日に」(与謝野晶子)
・「降れ降れと銀杏黄葉(いちょうもみじ)の幹たたく」(仙田洋子 )


鬼平犯科帳のエンデングテーマ・*1.ジプシーキングスの哀愁のこもった、エンディングテーマ「インスピレイション」のCDをかけて、公孫樹が散り始める頃に、天気のいい日に聴いています。
仏教の無常観・侘び寂びが表現されているような、繊細で心揺さぶるフランスの音楽バンド、ギター。人を泣かせる名曲です。
この曲、
何度聴いても飽きません。不思議と日本の風景や四季によく合います。それは仏教の無常観・日本的な侘び寂びが表現されているような、繊細で心揺さぶるギター曲だからと想います。
ギターの哀愁漂う旋律が、むせび泣くが如く、しみじみと奏でられていて、魅せられます。

*1.ジプシーキングスは、
南フランスのフラメンコギターを主とするグループ。初め思うほどあまり売れないグループだったが後、フラメンコに現代音楽のポップ・ロックを加味してから一躍世界的に有名になったギターを主とする8人編成。
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<美しく齢を取りたいと言う人はアホかと思い寝るまへも思ふ>  河野裕子
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この歌を読売新聞が、「四季」欄に載せていました。
「美しく歳をとるとはどう言うことなのか。それはともかく、今の日本にはその夢の為に日夜、努力をする人がいる。産業界も夢の恩恵を受けている。この歌への感想はさまざまだろうが、人生の実相をとらえた歌として紹介したい。」
(以上・「四季」欄;原文のまま)
この河野裕子さんは、「宮中歌会始詠進歌」の選者も務め、新鮮な言葉で女性の心をのびやかにうたう歌人。 

[(イチョウは銀杏;公孫樹の両方の漢字を使います・公孫樹と書くのは、植えてから24.5年経って実がなり出し、孫の代にやっと実がなって食べられるという意味での漢字だそうです。)(「銀杏」の漢字の方は、実の形が杏(アンズ)に似て殻が銀白であることによると言われます。]寿命が長いのでお目出度い樹と言えます。
今、
日本ではアンチエイジング(加齢に伴う症状の予防と治癒・老化防止)という言葉が流行っています。老若男女がエステやサプリメントを利用し、どのようなことをすれば老けないで、健康で美しくなれるのか?。と暇が有りません。
健康には十分、気をつけなければなりませんが、衰えは仕方がないこと。素直にありのままに歳をとる。そんなことを受け入れていく心構えも必要なのでは!!?。
この歌を詠んだ河野さんは、 
「健康でさえあれば、齢相応の見かけでいい !?。」のよ!と、
自分に言い聞かせ「素直に無常を受け入れる、覚悟を持つ事が肝要なのよ!。」 と覚めた(悟った)心境なのでしようか!?。
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さて、
心ある日本人であれば、知らない人はいない『平家物語』の序章の句。
『 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理(ことわり)をあらわす。 おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。 猛き人もついに滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ…。』
これは壇の浦の合戦で、無念にも滅び去った、平家一門の人びとに捧げられた琵琶法師たちの弔いの歌。
(平曲)は、節を付けて歌うことであるが、内容が叙事的なので、「歌う」と言わずに「語る」というそうです。 
語られるのは、驕れる者へであっても、物語の全体を貫いている、深い哀惜の念をそそぐ平家物語。平家の栄華と無常の物語です。
加えて、「祇園精舎の鐘の声、・・・」の句は、あまりにも名文であるが故に、広く膾炙され、聞く人に独特の悲しみを呼び起こさずにはおれません。 
更にいかにも覚めた眼で、人間と世のうつろいを見る仏教の智慧、“無常の教え”をよく現したものなのです。 

次に同じく、 
諸行無常の心を、独特の感情で、歌い直したのが、
「色はにほへど、散りぬるを、わが世たれぞ、常ならむ・・・」があります。
(一字も重複せず、巧みに歌いこんだ47文字。)+(ん)48文字の七五調4句の今様歌。
それは、
 『諸行無常(諸行は無常なり)・・・・・≪色は匂へど散りぬるを
  是生滅法(これ生滅の法なり)・・・・・我が世誰ぞ常ならむ
  生滅滅巳(生滅を滅し巳って)・・・・・有為の奥山今日越えて
  寂滅為楽(寂滅を楽と為す)』・・・・・浅き夢見じ酔ひもせず(ん)≫です
左は『涅槃経』の四句です。 
左の『・』内を 右側≪・≫内のように和訳した仏教的人生訓。
「この世のすべての事柄は、やがては消えてしまうのだよ。その儚さに気づいて本当の自分を見出すには、一時の欲に溺れないことが肝心だ!よ!。」と言う教えなのです。
実は「いろはにほへと・・・」には、このような奥深さが歌われているのです。

アルファベット(ABC・・・)は、 たった26文字で、一定の順序で配列されただけの単なる記号で、意味はありませんが、日本の「いろは・・・」「イロハ・・・」にはこの様な「深奥な教理」が表されておるのです。 

鏡にうつるわが顔に、迫りくる老醜の影を感じて、人は誰しも不安を持ちます。 
テレビに登場して、時めく俳優や歌手、名のある紳士・淑女も、やがてテレビから、その姿が消え、忘れられて行き、忘れた頃にいつの間にやら、テレビ・新聞等での悲報!・報道! 
万感胸に!!!。
    
     ≪世の中は何か常なる飛鳥川 昨日の今日は瀬になる≫…古今集

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以下は、▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼
≪ご詠歌;無常和讃≫≒≪【いろは歌】を 巧みに織り込んだ和讃」≫
・[霞に迷う桜花。錦おりなす紅葉(もみじば)も、夜半(よわ)の嵐にさそわれて、]
…【いろはに匂えどちりぬるを】 
・[流れ静かに行く水と、人の命の定めなく、呼べど帰らぬ鹿島だち。]
…【吾が世誰れぞ 常ならん】
・[黒目(あやめ)も分かぬ黄泉の路。一人の旅と思いしに、大師のみ手に導かれ、]
…【有為の奥山今日越えて】
・[嬉やここは密厳の、浄土なりけりあなとうと。諸仏菩薩に護られて、]
…【浅き夢みし酔いもせず】

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遥かな昔、 
インドの沙羅双樹のもとで、健やかに老いた八十歳の釈尊(シャカ)は、入涅槃(にゅうねはん)し賜うた。

その釈尊(シャカ)が残された。最後のことば(教え≒遺言)。 
それは、
  『 諸行は無常なり 
       汝ら不放逸(ふほういつ≒怠らず)にして
                精進(しょうじん≒努力)せよ 』です。

この言葉を噛みしめ、この世に最後まで頼りになるものは、何ひとつないと覚悟する!。
これが仏教の教え。 
=『無常』=
それは【“人生の一大事!”‥“一大事!”‥“ご用心!”】なのです。
「祇園精舎の鐘の声」は、
≪「無常」それは人生の一大事!‥カクゴ!覚悟!‥ご用心!…。≫と 観念せよと響くのかも!!!。
本来の“覚悟”とは、 仏教用語であり、“迷いを脱し真理を悟ること”ですが、
一般的な使い方は、
きたるべきつらい事態を避けられないものとして、それを受けとめる心構えをすることです。【 “例”「苦労は覚悟のうえだ」「断られるのは覚悟している」等 】

“覚えること”“記憶すること”“知ること”“観念する事”でもあります。 

当山境内の鐘楼の鐘も、そのように朝夕7時に、余韻を残しながら、豊前田の谷に響き渡ります!???。朝夕7時に設定された(自動撞木撞器)からですが!。
時を告げるお寺の鐘の音に、耳を傾けてみましよう。初めはお腹に響くような大きな音。それは何時までも続きません。それが次第に小さくなって、遂には虚空に消えて行きます。 貴方が今抱えている、喜び・怒り・哀しみ・楽しみ、これら総てが、実はこの鐘の音と同じなのです。 
どんな大きな喜びも・哀しみも、そして、今ここに生きている貴方さえも、時の流れと共に、やがては消えゆく運命にあります。 
このように地上にある総てのものが、同じ所に留まることは許されず、時と共に流されて行く、運命を背負っているのです。 
これが『諸行無常』の教えなのです。

のちほど、もう一度最初の画を拡大してみて下さい。 
この画のように、落ち葉散りしきる晩秋の頃は、 
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。」その無常が胸に迫りくるのに相応しい 静寂な名画面!?と勝手に思っています!?!?!?。
沙羅双樹ならぬ、「イチョウ双樹の鐘の声 諸行無常の響きあり!???。」
無常に散り頻る黄色い双樹[二本の木(イチョウ)]の落ち葉の色!!!。
それで、
『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 「イチョウ双樹の紅葉(もにじ)の色」盛者必衰の理をあらわす』と 当てはめてもいいのでは!?。(言葉の響きが そぐわないけれど・・・)
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山門をくぐる所に、大きな銅鑼≒鐃(ニョウ)を置いています。 
写真のように、銅鑼の傍に『鐃(ニョウ)(仏様のみ心をふるわす仏具)を一打♪して、 諸仏にご挨拶して境内に!!』と簡単に、ご案内しています。 
この時期銅鑼を撞いて、諸行無常の響を味わってください。 
“祇園精舎の鐘”ならぬ「福仙寺境内の(銅鑼)の声、諸行無常の響きあり。」でもあります・・・。
仏教は、
【人の世の運命(さだめ)は「無常」】
その事に眼を背けず、直視せよと教えます。

無常を著わした有名なものに、『平家物語』の序章の他に、鴨長明の『*1方丈記』があります。
平家物語は、猛きものに対して目を向け、『方丈記』は、一般世人に向けた仏教的無常観のように思います。
「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。」
これも名文で、多くの人が諳んじています。同じく仏教的無常観で、世の中のはかなさを描いたものです。
仏教的無常を想うとき、「むじよう・感」と、「むじよう・観」があると思います。
無常を感じるという、単なる無常感でなくて、無常観を諦観することが肝心です。
【無常感とは=変化する世界をあきらめる、情緒的な感情だと思います。
 無常観とは=変化する宇宙原理を容認して、自身に宿し、心理・道理を見極めて、何事にも動じない境地で、本質をハッキリ見極め、あきらめ悟って超然とする。】ことだと思います。

=*1鴨長明は、京都下賀茂神社の次男として生まれ、出家して方丈記を執筆。出家から数年後(1212)に方丈記執筆。方丈とは、1丈四方の狭い空間(部屋)のこと=

又、俳聖芭蕉は、:奥の細道:に、
「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり・・・」

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以下、▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼
・本場の祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)とは、須達(しゆだつ)長者が釈迦とその弟子に寄進した寺。

・沙羅双樹(さらそうじゅ・しゃらそうじゅ) インドクシナガラ城外、娑羅の林の中、釈迦が入涅槃(にゅうねはん)し賜うた直ぐ近くの四方に、二本ずつ相対して生えていたという娑羅の木。

・盛者必衰(じょうしゃひっすい・しょうじゃひっすい) 世の中は無常であり、勢いの盛んな者にもついには必ず衰え、滅びるということ。

以下サーチ【search】しました。
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・“祇園精舎”の正式名称は、
祇樹給孤独園精舎(ぎじゅぎっこどくおん しょうじゃ・サンスクリット:Jetavana Anathapindadasya-arama)中インドのシュラーヴァスティー(舎衛城)にあった寺院で、釈迦が説法を行ったとされる場所。天竺五精舎(釈迦在世にあった5つの寺院)の一つ。

・京都の有名な花街である祇園は、もと祇園社と称した門前町であることから、その名を得たとされます。八坂神社が祇園社と称した由来は、祇園寺の別名は観慶寺とされ、この“祇園精舎”の名前をつけた聖域で、僧侶がお釈迦さんを偲んで、修行した寺です。だから元は神社と言うよりはお寺なのです。
明治維新の神仏分離により、祇園が八坂神社となり、祇園が地名となって残て居るのです。

・京都「八坂神社」は慶応4年(1868年)の神仏分離令(廃仏毀釈運動)により、元々「祇園神社」・「祇園社」・「祇園感神院」と呼ばれていたのが、「八坂神社」と改められる。
八坂神社を総本社とし、素戔嗚尊(スサノオ)を祭神とする神社が、日本全国に約2300社あるとされる。
祇園祭は貞観11年(869年)に各地で疫病が流行した際に、神泉苑で行われた御霊会を起源とするもので、天禄元年(970年)ごろから当社の祭礼として毎年行われるようになった。

・祇園社は当初は興福寺の配下であったが、10世紀末に戦争により延暦寺がその末寺とした。1070年には祇園社は鴨川の西岸の広大の地域を「境内」として認められ、朝廷権力からの「不入権」を承認された。
足利義満は、祇園社を比叡山から独立させた。祇園祭は経済的に力をつけていた京の町衆により行われるようになり、現在に至っている。
慶応4年(9月8日に明治元年に改元)の神仏混交禁止により「感神院祇園社」の名称を「八坂神社」と改めた。

・現在の八坂神社は、東側にしだれ桜で有名な円山公園 (京都府) が隣接していることもあって、地元の氏神(産土)としての信仰を集める。お盆の「おけら参り」が有名です。

・おけら参りとは、
大晦日(おおみそか)から元日の朝にかけて、神前に供えた削掛と薬草のオケラをたいて邪気を払い、参拝者はこの白朮火(おけらび)を吉兆縄に移して持ち帰り、元日の雑煮を煮たり、神棚や仏壇の灯明をともしたりする。
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・最初に紹介した歌人河野裕子さんは、
「宮中歌会始詠進歌」の選者を務めたりして活躍していましたが、河野さんの訃報が平成22年旧盆に報道されました。 64歳“哀悼”)

=余 話=
戦後しばらく、小瀬戸(小戸:本州・伊崎側)に、ゼンカイ(禅海?)さんと言う琵琶を弾くお坊さんが居られ、請われれば(おくど<竈;かまど>に祀る神様;荒神さん)を、琵琶を弾きながら拝んでまわっておられました。