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■ 41)≪境内の花≫その23…≪コウホネ‥河骨≫金子みすずの詩no32009.9.18

境内:阿字池の「コウホネ」
(画はクリックで拡大 )

「コウホネ」は、園芸事典によれば、
・川などに生え、水中にある根茎が白く、ゴツゴツして骨のように見えるので、 河骨(かわほね)と書かれる。
「かわほね」から「こうほね」に変化。
・夏に黄色い花が咲く しっかりした厚手の花 。
・河骨の根茎は「川骨(せんこつ)」の名で、漢方薬としてよく用いられ。
干して止血剤や浄血剤・強壮剤として使われる。
・「川骨」とも書く。 
・何種類かあるようです。 環境省の絶滅危惧種に指定されている。
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阿字池のこの「コウホネ」は、晩夏に輝いた。黄金の最後の一輪です。鯉や金魚は大きな池でも、毎年夏の終わりまでは、何匹か死にます。 亦、青鷺が街の中の池であるのに よく飛来して来ますので、小さい鯉・金魚は育ちません。 (今では小さい金魚・鯉は新しく入れていません。)
黄金に輝く、晩夏の「コウホネの花」は、金魚がお墓の中で「幻と見るのに相応しい花!!?。」
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「金魚のおはか」金子みすずの詩

  くらい さみしい 土のなか
  金魚はなにをみつめてる
  夏のお池の藻の花と
  ゆれる光のまぼろしを
          (以下略・・・)
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・・・只今書き込み中・・・
みすずの事。 (以下市HPページ・数種の資料・事典を総合して)
金子みすずは、下関の隣の市。山口県長門市に生まれ。女学校卒業後、下関西之端町上山文英堂書店で働き始める。みすヾの父。金子庄之助は彼女が3歳の時に死んで、2歳下の弟の正祐が叔母(母の妹)の婚家先に養子に遣られる。やがてその叔母も死んで、その後添えにみすずの母ミチが入る。みすヾが16歳の時であった。(みすずが番頭と結婚する頃まで、弟は実の姉と言う事を知らなかったと言われる。) 母が再婚した上村松蔵は下関で手広く書店を経営していた。女学校を卒業したみすずも下関に出て、上村文英堂書店を手伝うことになる。先に養子に来ていた正祐とは姉弟の血縁関係だったが、店主の松蔵の意向でこのことは正祐に知らされていなかった(それが後の悲劇につながる一因?!。弟正祐もみすずも、後に悩む事になるのでは?!。)
(みすず本名・テル)は明治36年(1903年)4月11日。山口県大津郡仙崎通村(現長門市)にて生まれた。女学校卒業後大正12年(1923年)下関西之端町商品館内の上山文英堂書店で働き始め、6月頃よりペンネーム「みすゞ」で童謡を書き投稿を始めた「童話」:「婦人倶楽部」:「婦人画報」:「金の星」などの雑誌に童謡が掲載され、西条八十より「若き童謡詩人の中の巨星」とまで賞賛される。
大正15年(1926年)2月同書店(義父になる店主)に奨められ番頭・宮本啓喜と本意ではない結婚。この年の「日本童謡集」に「お魚」と「大漁」の二編が掲載されるが、創作活動に反対する夫により活動を停止する1930(昭和5年2月に離婚。その後娘ふさえの養育権を、夫に奪われた事を苦に服毒自殺。 享年26歳。

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