「金子みすずの詩」
(画はクリックで拡大)
画は、この項に直接関係ありません。 当山日和山八十八ヶ所奥の院広場前の春の景。小鳥がよく囀る頃です。
*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜* 【わたしと小鳥と鈴と】 (金子みすずの詩)
わたしが両手を広げても お空はちっとも飛べないが
飛べる小鳥はわたしのように 地べたを早くは走れない
わたしが体をゆすっても きれいな音は出ないけれど
あの鳴る鈴はわたしのように たくさんな唄は知らないよ
鈴と小鳥と それからわたし みんな違って みんないい
この詩にはマンダラの精神が、隠されているのだと思います。 【 現在小学校低学年の国語の教科書に採用されているそうです。「個性が違っているからみんないい」と言う事を基本にして、学習指導されています。 】 「個性があって違っていても、みんないい」と、単に言うのではなく、 「耀く命の事を、みんないい」と言っているのでは!? 個の「耀く命」を見出さなければなりません。それが大事なのでは!!! 個性を尊重して「個性はみんないい」と、単にそう言っているだけではない気がします。 私(みすず)に耀く命があり・小鳥に耀く命があり・鈴に耀く命がある。 それぞれ「耀く命」が有るというのでは!?
私(みすず)が「私と、鈴と、小鳥との命の輝き。」を見出しているのです。 「鈴と小鳥と、それから私と。」 この中の「と」には、 無数に「私と〜」が隠れている筈です。 みんな、宇宙の、地球上の ・・・・・(全ての命の耀き)という、いろんな「私と〜」が、表しきれないほど私との「と」が無限に続くのです。 「私と〜」の耀く命を、いろいろ見つけだそうよ!と、「作者:みすず」は語りかけているのでは!? マンダラ図に画かれている。その中心が大日如来です。 大日如来は宇宙そのもの。 真言宗ではあらゆるものが大日如来(宇宙神)の変化身と説き、役割は個々に全て異なるが、あらゆるものが命を耀かせ、大日如来(宇宙神)の元に本来一つとなるのです。 小鳥も、鈴も、私も宇宙の一部です。 小鳥の命の耀き・鈴の命の耀き・私の命の耀き。 全ての命は大日如来から出でて、大日如来によって生かされているのです。 それぞれが「別々の命の耀き」でしかも、それには優劣無いことを・・・。 それぞれが「命の耀き」だということを・・・。 だから「みんな違って、みんないい」と言うフレーズは、 「それぞれが、みんな素晴らしい」なのかも。 「生きとし生けるものの、命の耀き。」その事が、「みんないい。 みんな素晴らしい。」 「命の耀きが、みんな違って、みんないい。」 ≒「命の耀きが、みんな違って、みんな素晴らしい。」 だからみんな「生かせ命」;「耀かせ命」です。 だから誰でも個を生かし、個を耀かさなければならないのです。 自ら、 耀かして初めて『みんないい』のであり、『みんな素晴らしい』なのではないでしようか? 「曼荼羅の精神」は≒あらゆるものを包摂し、しかも円輪のごとく秩序を保ちつつ、耀く個性の命の発揮される。調和と共生の世界を説く、それが曼荼羅の精神。 *〜*〜*〜*〜* 日本人なら、だれでも知っている歌(童謡)があります。 「チューリップ」です。 (昭和初期に発表) ♪・・・ さいた さいた チューリップの 花が ならんだ ならんだ 赤 白 黄色 どの花みても きれいだな ・・・♪ 童謡「チューリップ」を幼少の頃、口遊んだことのない人はいないと想うし、チューリップの花は、誰もが幼い頃、最初に描いた花でした。
赤・白・黄色 きれいだな
赤いチューリップも、白いチューリップも、黄色いチューリップも、それぞれの美しさ、良さがある。何事にもいいものがある。 このことも、金子みすずのように“みんな違ってみんないい”精神だと想います。
チューリップの歌詞は3番まであるようです。 1番 さいた さいた チューリップのはなが ならんだ ならんだ あか しろ きいろ どのはな みても きれいだな
2番 ゆれる ゆれる チューリップのはなが かぜにゆれて にこにこ わらう どのはな みても かわいいな
3番 かぜに ゆれる チューリップのはなに とぶよ とぶよ ちょうちょが とぶよ ちょうちょと はなと あそんでる チューリップの歌は、 昭和初期に作者を明らかにしないで発表され、平成になって作詞者(近藤宮子)が裁判で認定された経緯があるようです。高名な国文学者の藤村作を父に持つ父に言われて詞を書いたのだそうです。作曲:井上 武士
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みすずの事。 (以下長門市HPページ参考・数種の資料・事典を総合して) ※金子みすずは、下関の隣りの市、長門市生まれですが、誰にでも愛される多くの詩の創作は、下関でしています。本名、金子テル。 下関西之端町上山文英堂書店で働き始める。それは以下の理由のようです。 みすヾの父、金子庄之助は彼女が3歳の時に死んで、2歳下の弟の正祐が、叔母(母の妹)の婚家先に養子に遣られる。やがてその叔母も死ぬ。その後、叔父の家、上山文英堂書店に、みすずが16歳の時、みすずの母ミチが、みすずを連れて、後添えに入る。以後、生まれた湊町;長門市の事を思い出しながら、ペンネーム「みすず」で童謡を書き、投稿を始める。「童話」・「婦人倶楽部」・「婦人画報」・「金の星」などの雑誌に童謡が掲載され、西条八十より「若き童謡詩人の中の巨星」とまで賞賛される。 しかし短命で、享年26歳。
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