戻る
■ 24)海峡ゆめタワーが見える風景 (その12)※駅前タワーマンションからの夜景※2009.3.15

関門海峡・関門橋・火の山 対岸の明かりは門司レトロ街方面
駅前:「海峡ゆめタワー・関門橋・関門海峡を この高さ・方角・角度で写した画」は今まで出回っていなかったと思います 最近建った山口県で一番の高層マンション・ベルタワーが出来るまでは!?!知人に入れてもらって 最上階の22階の東非常階段から撮ったものです
 
(写真クリックで拡大)
 
  桃柑芭蕉の実売る磯街の
    露店(よみせ)の油煙青海にゆく
                
            若山牧水

山陽本線の終着駅だった旧下関駅、関門、関釜連絡船の埠頭につながる一帯は「山陽の浜」とよばれる。
明治末期、大陸および、九州方面へ訪れた若山牧水は、桃・柑子(みかん)・芭蕉の実(バナナ)がならぶ夜店の風景を詠み、歌集「海の声」収録している漂白の詩人の胸に旅情の灯をともした山陽の浜は、すでに幻となったが、この牧水の歌とともに今も人々の郷愁をさそう海峡の街
以上 街づくり実行委員会より
(上記の この歌と説明は 今は無き山陽ホテルの近くにあります)
 この画の「ゆめタワー」の少し向こう、東方です)

「昔この山陽ホテルで働いていた女給さんは 当時女性の憧れの仕事」だと言われていたと聞いております。今の国際線のスチューアデス以上の 憧れだったのでしよう!
当時の山陽ホテルは格式高く、女給さんは有名女学校(たぶん下関南校出身)の才媛で、器量良しだったため、全国的に有名で、胸元にフリフリが付いた白いエプロン・紫の着物・袴で働いていたことから「紫の君」と、呼ばれていたと、御年輩の方から聞いたことがあります。
昭和34年にベーブ・ルース:昭和37年にヘレン・ケラーが宿泊しています。

以下、市観光ホームペジを参考。
JR下関ビル(旧山陽ホテル)、
左手に現・下関警察署。文化会館の上方には海峡タワーが見えます。
正面の関門海峡を背に、かつて馬関駅、旧下関駅がありました。
明治34年(1901)、神戸・下関間を結ぶ山陽鉄道が開通し、釜山などへの渡航場所と接していた下関駅周辺(現在の細江地区)は、大陸に向かう玄関口として賑わいを見せていました。山陽ホテルはこの鉄道開通の翌年、渡航者のための宿泊所、日本初のステーションホテルとして開業しました。ホテルとしての格の高さはかなりのもので、戦前は大陸へ渡航する皇族や政府高官は必ずここに宿泊し、財界の要人も数多く利用しました。
 大正11年の火災により焼失した後、建設されたのが現在の建物です。設計は、赤レンガの東京駅(大正3年)の設計者として知られる辰野金吾が率い、当時第一級にランクされた辰野葛西建築事務所が担当しました。
 外観は近代感覚あふれるものとなっていますが、アーチ型の窓は様式の厳しさをたたえ、タイル壁の微妙な凹凸は手法の確かさをしのばせています。1階車寄せのひさしを支える鉄柱はコリント式ですが、その中に古典様式を引き写しています。建物は現在、貸事務所(広成建設山口支店)として使用されており、内部はかなり改修されていますが、玄関の大理石階段、エレベーターシャフト回りのテラコッタなど、細部に優れた意匠が見られます。
ところが、
建物に耐震性が無くなったと言うことで、平成23年に解体されました。
いまは更地になり、JR西日本の管理地(コイン式の駐車場)になっています。ホテルの東側歩道に、在りし日の写真を、プレートに焼き付けた記念碑が建立されています。