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■ 77)境内の<オオタニワタリ>≒<法輪(イメージ)>=<車輪状の古代インドの円盤形の武器>パーリ語とは?2016.8.26

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オオタニワタリ(大谷渡り)は亜熱帯植物・シダの仲間で絶滅危惧植物です。
長崎五島ご出身の檀徒の方から鉢植えで戴きました。五島には自然に生育しているのだそうです。着生植物で土壌に根を下ろさず、森林内の他の木の上、あるいは岩盤などに根を張って生活します。シダ植物。単に谷渡りとも言う。本州南岸以南に分布するが、南では近似種が他にもある。

葉長は1b位あるので直径2b近くあります。地植えではなく、鉢植えのまま木陰(公孫樹の木の下。)に置いたものです。古い葉に落ちているのは、公孫樹が花粉を落した後の空の雄花。この時期、辺りは黄緑い花粉で染まります。花粉が舞い散るころオオタニワタリの新芽の頃です。
この柔らかい新芽は食べられます。山菜扱いです。
料理の例、
柔らかい新芽をテンプラや、炒め物に出来ます。そうして山菜風にして食したことはまだありません。
シャキシャキ感のある歯ごたえと、クセが無く少しのヌメリ感があって美味しいとのこと…!
しっかりした葉は、生け花の素材にも用いられます。

以下サーチ【search】
オオタニワタリ(大谷渡)は、シダ植物門チャセンシダ科チャンセンシダ属オオタニワタリ種の常緑着生シダ植物です。庭植え・鉢植えにもします。 一枚一枚の葉は生け花の素材に用いられます。
葉は細長く、先端がとがった広線形で、切れ込みなどはない。主軸はしっかりしていて、褐色に色づく。基部には少し葉柄があって、鱗片が密生する。胞子のう群は葉の裏側に並ぶ。葉の先端の方から中程まで、主軸の両側に、多数の直線状の胞子のう群が、主軸から斜め上方向へ、平行に並んでいる。
茎は短くて直立する。葉は茎の先端に集中して放射状に配列。茎の側面はたくさんの根が出て、黒褐色のふわふわしたスポンジ状の固まりとなる。着生植物で、熱帯や亜熱帯では樹木の幹や枝に付着して成長する。
この大谷渡りを上から見ると、イメージだけど…!仏教のシンボルの一つ法輪に似ています。
それで以下法輪のこと…、
・「法輪は、【*1.】dharma chakraと言い=【*1.】サンスクリットのダルマチャクラDharma‐cakraの訳。ダルマは法,またチャクラは車輪もしくは円盤形の武器を意味する。釈迦の説いた教え(法)を車輪にたとえて呼んだもの。=仏教のシンボルの一つ、法輪(ほうりん)は、仏さまの教えを意味しています。dharmaとは法、仏の真理・教えのこと。chakraとは古代インドの王が持っていた武器としての円盤のはたらきになぞらえたもの。王がこの武器をころがして自由自在に敵を撃破するように、仏の説法も私たちの迷いを破り正しい仏の道へ導いていく、そこから仏さまが説法することを転法輪(てんぼうりん)といいます。」仏の教えが、車輪が転がるように広まることを言います。
・「法輪(ほうりん)は、仏教の教義、特に釈迦が説いた四諦・八正道の別称。」
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【*1.】サンスクリットのことですが、サンスクリット語にほゞ近いものに、南方仏教徒が使うパーリ語があります。
パーリ語は、古代インドの言語です。以下サーチ【search】
パーリ語とは、
A.古代インドの標準的文章語であるサンスクリット語にたいして、俗語ないし方言にプラークリット語があります。それにはマガダ語やパーリ語です。パーリ語は中部以西(釈迦族)の俗語と考えられていて、パーリとは聖典を意味する。他の俗語に比べ比較的サンスクリットに近く、崩れは少ない。ブッダおよび弟子たちはマガダ語を使っていたが、仏滅後、弟子たちの西方への布教によってパーリ語が用いられるようになり、パーリ語仏典が作られるようになる。また別にマガダ語からサンスクリット語の仏典も作られます。パーリ語仏典はアショーカ王時代にスリランカに伝えられ、後に東南アジア全域に広がり、上座部仏教(いわゆる小乗仏教)では現在に至るまでパーリ語が使われています。そのため南伝仏教のことをパーリ仏教とも言う。
パーリ語はお釈迦さまが2500年前に実際に話されていた言葉です。
お釈迦さまが長く滞在して教えを説かれていた国の一つにマガタ国というインドの北東に位置する王国がありました。パーリ語は、当時のマガタ国で話されていた言語だといわれています。お釈迦さまは、多くの宗教学者たちが好んで用いていた学術語であるサンスクリット語は使われずに、一般の人々が使っていた話し言葉で話されました。パーリ語も、お釈迦様が説法された言葉のひとつでした。現在お釈迦様の教えを完全に残しているのはパーリ語だけです。
“パーリ語”は、
インド中部に起こった仏教が、南方に伝わった当時の古い言葉。スリランカ・ミャンマー・タイ・カンボジア・ラオスで、今も仏教徒の間では“パーリ語”で唱えられています。ただ、南方の仏教徒と言っても、ベトナムは中国方面から伝わったので、ベトナム以外の東南アジア仏教国は上座部仏教(昔は小乗仏教と言った)ですが、ベトナムは北伝(中国からの)ですから中国・韓国・日本と同じで大乗仏教のようです。
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以下、“パーリ語”の三帰依文の例。
三帰依
パーリ語 ブッダン サラナン ガッチャーミ
ダンマム・サラナム・ガッチャーミ
サンガム・サラナム・ガッチャーミ
 (私は仏陀に帰依いたします。
 私は法(真理)に帰依いたします。
 私は僧(聖者の僧団)に帰依いたします。)

パーリ語 ドゥティヤンピ ブッダム・サラナム・ガッチャーミ
ドゥティヤム・ピ  ダンマム・サラナム・ガッチャーミ
ドゥティヤム・ピ  サンガム・サラナム・ガッチャーミ
( 再び私は、仏陀に帰依いたします。
 再び私は、法(真理)に帰依いたします。
 再び私は、僧(聖者の僧団)に帰依いたします。)

パーリ語 タティヤンピ ブッダム・サラナム・ガッチャーミ
タティヤム・ピ  ダンマム・サラナム・ガッチャーミ
タティヤム・ピ  サンガム・サラナム・ガッチャーミ
 (三たび私は、仏陀に帰依いたします。
 三たび私は、法(真理)に帰依いたします。
 三たび私は、僧(聖者の僧団)に帰依いたします。)

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法とは、三宝のひとつ、法を説いた仏や、法を拠り所として生活する僧とともに重視される。この宝物無くして仏教はありえない。

僧とは一人の僧のことを云うのではなく、出家修行者(比丘・比丘尼)らによって構成される僧団のこと。「衆」(しゅ)、「和合衆」(わごうしゅ)とも漢訳される。
シャーキャ族出身のガウタマ・シッダールタ(釈迦)が仏教を布教してからは、「samgha サンガ」は仏教修行者の集団も指すようになり、それについては、「僧伽(そうぎゃ)」と漢訳されている。→僧伽

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パーリ語:三帰依文三返

・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜 
私は一人で三帰依文を唱えるとき、必ず以上のパーリ語で唱えています。
 〜〜〜〜〜〜〜〜〜 
普通は以下のように唱えます。
無帰依仏 (なむきえぶつ)=“仏に帰依したてまつる”
南無帰依法(なむきえほう)=“法に帰依したてまつる”
南無帰依僧(なむきえそう)=“僧に帰依したてまつる”
帰依文は、以上を三返唱えます。

仏教信者にとり、この仏法僧は三宝(三ッの宝)として尊ばれ、法を説いた仏や、法を拠り所として生活する僧(サンガ)とともに重視されます。これを三宝として大切にします。三宝無くして仏教はありえません。
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=余話@=
子供の頃はよく、
@「南無三!」…! …! …!と、危急の時に口にして居りました。(現在の子供たちはそんなことを口にしなくなりましたが…。)
“南無三!”とは、三帰依文を簡略化したもで「南無三宝」の略ですが、人が何か危急の時、危難の迫る時に、あらためて三宝に帰依して、何とかその危機を回避しようと用いられた呪文のようなものです。「あゝ!…神様・仏様!」でしょう?か。
あるいは、
A(ええ!南無三)と言うこともあります。それは「人が意を決して捨て鉢な行動に出る時にも用いられる言葉」です。
(えゝ!まゝよ)と同じ使い方でしょうか…?
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以下サーチ【search】
=余話A=
また、イタリヤ語で(Mamma Mia )マンマミーアと言うのがあります。それは、「オーマイゴッド!」や「オーマイガッ!」と同じ意味になるのだそうです。直訳すると「おれのかあちゃん!」、意訳すると「なんてこった!」という感じ。英語でいう「Oh My God!」です。母親中心社会のイタリアならではの言葉なんだそうです。イタリヤ語でmamma(マンマ)=お母さん。イタリヤでは神様よりお母さんの方が偉大?。
デジタル大辞泉では、
≪原義はイタリヤ語の「私のお母さん」》≒≪なんてこった!。≒えゝ!まゝよ!≫英語の“oh my God!!”に相当するようです。
=余話B=
ところで、「オーマイゴッド!」と「オーマイガッ!」と言う、両方の発音がありますが、正しい発音はどっちらかと前から思っていたので 調べてみました。
日本で“Oh my God!”のカタカナ表記に「オーマイゴッド!」と「オーマイガッ!」と発音しますが、「ゴッド」と「ガッ」、正しい発音はどちらなのでしょうか?
実はどちらも発音していて、アメリカ英語かイギリス英語かの違いのようです。
「ゴッド」はイギリス英語。
「ガッ」はアメリカ英語。(もしくは“ガ”と“ゴ”の中間の音)
アメリカ英語の方は「ガッ」と表記されて最後の“d”を発音しません。
生来の表記は“d”を発音します。
=余話C=「イエス(Jesus)」はギリシャ語だと「イエス」という読み方で、ジーザス (Jesus) は、イエス・キリストの「イエス」の英語読みのようです。このため、映画や 演劇などには「ジーザス」という言葉を多用した作品が多く存在するようです。また、「おお神よ」 という表現や「神様!助けてください」という場面などに「ジーザス」ということもある。ジーザス=Jesus=イエス・キリストのこと。イエス・キリストを英語読みすると、ジーザス・クライストとなります。
外人が「ジーザス!」と言う場合「神様!」的な意味です。もっとくだけると「あ〜ぁ!」という感じ。 「オーマイゴッド!」みたいな感じです。ちなみにイエス・キリストはギリシャ語読みで、英語読みはジーザス (Jesus)になるんだそうです。「あぁ!神様!」とか、「なんてこったい!」みたいなニュアンスで使われます。
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=余話C=
昔テレビで有名な漫画の一休さんが、頭の上で両手の人差し指をクルクルしながら、
「あーあーあー!南無三だー!(失敗した)」と歌い、
その後、
(失敗したけど)
「気にしない、気にしない、気にしない!」
と続けて歌っていました。
 ・・‥‥…
一休さんの全エンデングテーマ―は以下、
すき すき すき すき すき すき 愛してる
すき すき すき すき すき すき 一休さん
とんちはあざやかだよ 一級品  度胸は満点だよ 一級品
いたずらきびしく 一級品 だけど けんかはからっきしだよ 三級品
アーアー 南無三だ
とんちんかんちん とんちんかんちん 気にしない
気にしない 気にしない 気にしない
望みは高く果てしなく わからんちんども とっちめちん
とんちんかんちん 一休さん
すき すき すき すき すき すき 愛してる
すき すき すき すき すき すき 一休さん
一休さん
すき すき すき すき すき すき 愛してる
すき すき すき すき すき すき 一休さん

=余話D=
インドの国旗の中央にある車のようなものは何でしよう?
ちょっとみた印象は車のようであり、糸車のようでもあります。
A.あれは仏教の象徴チャクラ(法輪)なのだと云われます。