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■ 70)境内一隅の “小熊笹”熊笹は「隈取り」から付けられた名前です。皆さんこれ知っていましたか?熊笹の「熊」は当て字!!本当は「隈」なのです…。!2014.1.12

(画は【 click !】で拡大表示)



  和名は熊笹(クマザサ)とよぶ。

一般のクマザサは、標高が高い山に自生していて、高さが1-2mになる大型のササで、葉は長さが20cmを越え、幅は4-5cm。葉に隈取りがあるのでそれが名前の由来。
この*1.隈取りは、若葉には無く、葉が越冬する頃に縁が枯れて隈取りになる。
【*1.】隈取りとは、
@濃い部分と淡い部分、あるいは、光と陰とが接する部分。
Aくまどり。歌舞伎(かぶき)で、荒事(あらごと)を演じる役者が顔に施す、いろいろな彩色の線や模様。京劇にも顔に派手な隈取りを施します。
B色と色とが相接するところ。
Cぼかし。

クマ笹は当山の境内がある日和山には自生していません。隈笹は本州では山奥や標高1000〜2000mの高山に多く群生しています。そのような高所には餌になるような木の実等がないと思うので、熊は生息できないのでは?

境内の熊笹は「小熊笹」で園芸種です。植えつけたものです。
日陰にも、日向にも向くので、庭木の根〆に使えます。「小熊笹」は背丈が低いので庭のグランドカバー向きです。正月のお飾り=門松用に使えます。門松の根〆に用います。しかし、竹や笹等は切ると水揚げが悪くすぐ萎れます。

今の年になるまで知らなかったのですが、熊笹というからには、熊が出没するような山奥に生育しているので、「熊ザサ」というのだと思っていました。葉が越冬する頃に葉の縁が枯れて、画のように“隈取り”になるからのようです。皆さんこれ知っていましたか?だから「隈笹」が正しいのであり、「熊笹」は当て字なのでしよう。よく「熊笹」と表記されのが多く見受けられるが、それは「隈笹」の誤字・当て字のようです。隈は「描く」のではなく「取る」と表現されます。

   隈取り笹→隈笹→くま;クマササ→熊→熊笹
 
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歌舞伎の隈取り。初世市川団十郎の荒事の隈は、不動明王や仁王像・四天王等の仏像の怒りの相から案を得て進化したといわれています。顔の血管が浮き出るのを「青筋立てて」といいます。「 隈取」は、そうした人間の顔面の筋肉・血管をデザインした歌舞伎独特の化粧法(化粧どり)です。それは、団十郎が信仰しているとき考案した*.千葉成田の不動明王や、四天王などの仏像の、様式的な表情をとり入れたたようです ・・・。
歌舞伎の“見得を切る”という動作も、*.新勝寺の不動尊や、山門の両脇にある怖い程の阿吽の二対の力強い仁王(二王)像の表現を表しているのです。

【*.成田山新勝寺は、京都府東山七条にある智積院を総本山とする真言宗智山派の大本山です。】
“不動の見得”というのもあります。歌舞伎の「見得」(みえ)という芸は、役者の演技がピークに達したところで、顔の表情やポーズをそのままにして、しばらくのあいだ動かずにいることを「見得」といいます。お不動さまのゆるがぬ心を歌舞伎に現したのがこの「見得」です。二代目自作の歌舞伎の中で演じた“不動の見得”は、まさに見得の中の見得だということです。この二代目は初代に子が授からなったので、成田の不動尊に祈願して授かった子でした。そのことから市川家は成田山と深い繫がりが生まれ、そのことにより成田屋を名乗ります。仁王像は、 右側が「吽形像」で、口を閉ざしていて、目じりをつり上げ、右腕を上に挙げ、左手に「金剛杵」を持ち、敵を追い払う武器を持ちます。
向かって左側が「阿形像」で、口を開いていて、右腰の前で金剛杵を立てて構え、左腕を曲げ、手の平を広げ、左足を一歩踏み出しています。それも 歌舞伎の「見得」です。

“見栄を張る”となると別の意味になります。「見得を切る」と「見栄を張る」は似て非なる二つの表現です。

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中国の「 京劇 」で顔面化粧法がありますが、これは元々「 面 」を付けていたのを「 直接顔面 」に塗るようになったもので、歌舞伎の「 隈取り 」とは根本的に発想が異なるようです。
「 京劇 」の歴史の記載によると、昔の劇では面をかぶり演劇を行っていたようです。、演劇の発展に伴い、演員達の顔の表情を見せる為、面をかぶる事を止め、墨・どうらん等で顔に直接塗り始める事になります。 

〓余話@〓
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熊は落葉樹林がある標高7.800mほどの山奥に生息しているとされています。
熊が冬眠の前に木の実とともに、このササを大量に食べ、春になって目覚めると、雪の下にも枯れずに残っているこの葉を大量に食べる。

クマザサには葉緑素はもちろん、多糖体、たとえばキシロオリゴ糖がたっぷり含まれていて、腸を整える働きをするとか、またその他の成分に抗菌作用や抗炎症作用があり、自然治癒力を助ける働きをする。
その作用を利用したのが、鱒すし、上州から上越にかけての笹団子。それから笹茶もあります。

「タケとササの違い」を調べました。
タケは大きくササは小さいものとして区別されていますが、簡単な見分けかたは、タケノコが成長するに連れて、竹の皮が次々に落ちていくのがタケ、竹の皮ガいつまでも残っているのがササ。
「名前がタケなのにササ、ササなのにタケ」
何々ダケ、何々チク、何々ザサと名前だけでタケやササの区別はできないようです。ヤダケ・メダケは名前がタケでも、竹の皮がいつまでも残っているのでササ、カンチクも同様にササの仲間。オカメザサは名前がササでも、竹の皮が成長するにつれて落ちるのでタケだそうです。

〓余話A〓
MRJはプロペラ機「YS11」以来約、53年ぶりのジェット国産旅客機開発中です。
開発機のユニークな塗装は、赤、黒、金「歌舞伎のくま取り」から表わしているのだと言います。
白色の細身の機体側面には赤、黒、金色の筋。三菱重工の関係者らが「歌舞伎のくま取り」と呼び習わしているイメージカラーだという。

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子供の頃普通のササや、クマザサの先端の柔らかい新芽を引き抜いて食べた思い出があります。それは「*1.ツバナ」の穂を摘んで食べた思い出と重なります。
(笹の巻いている新芽の柔らかいところはサラダや青汁に…)
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【*1.】チガヤ(茅萱)/ツバナ(茅花)イネ科 チガヤ属
まだ葉鞘に包まれた若い花穂は「ツバナ」といい、ほのかな甘味が あるので、昔の子供たちはよく摘んで生で食べたものです。だから、 「チガヤ」というより「ツバナ」と呼んだほうがわかり易いかもしれません。別名:「チバナ(茅花)」

日当たりの良い野原や河原の土手などに群生する多年草で、高さは30〜80cmになる。葉は長さ30〜60cm、幅1cmほどで、かたくてざらつく。花期は4〜6月。花穂は長さ10〜20cm、幅1cmほどの円柱状で、銀白色の長い毛におおわれている。花の頃は赤紫色の雌しべと雄しべの葯が よく目立つ。 日ざしの強くなる頃、一面に白い穂を伸び立たせて風にそよぐ姿は、万葉の時代から恋の歌や叙景に多く詠まれているようです。 分布:日本全土

「チガヤ」の名前の由来については、幾つかの説がある。先ず、穂が出たばかりの頃は血液のように赤っぽいので、血の茅で「血茅」。 第2の説は、チガヤは草原に大群生することが多く、千株も沢山群生するということで、千の株の茅で「千茅」。さらに、穂が隠れている状態の時に穂を開いて噛むと甘味を感じる。この味が乳の甘味に似て いることから、「乳の茅」でチガヤ。

なお、チガヤの別名の「ツバナ(茅花)」は、火打石で火をおこす時、 炎を採るためにチガヤの綿毛を利用していたので、この火をつけるツケ バナが「ツバナ」になったという説もあります。 
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タケ類は開花するとほとんどのものが枯死してしまいます。一斉に枯れるのを見て、昔の人は伝染病のせいだと考え、伝染するのを恐れて皆伐して焼き払ったりもしましたのだそうです。
しかし近年、一度に枯れる原因は伝染病ではないことが分かっています。目的を持って植えられた竹の中で有用なものは地下茎を隣の人が貰い受けます。
これをまた貰って植えることがくり返されると、ひとつの部落や渓谷で栽培される竹は同系統のものとなることが多くなります。
そうすると、広大な竹藪の元をたどるとひとつの個体に行き着くため、似通った環境で育った竹は同時期に開花してタケ類は開花後に枯れる特徴があるため、同系統のタケ類は一斉に枯れてしまうのだそうです。

笹・竹類はイネの仲間ですから、発芽してから長い年月、地下茎によって繁殖を続けますが、 ある一定の時期に達すると、花を咲かせ、種子を実らせて一生を終えます。一部の種類の竹林はある周期で一斉に花を咲かせ、その後すべて枯れてしまいます。笹・竹の種類によって開花周期に幅が見られるが、一般にはおおよそ60年から120年周期であると考えられています。笹、竹の花は、七不思議の一つといわれるほど、珍しいものです。