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■ 60)面影を忍ぶ「遺影」:それはどんなのがいいですか?≪境内の花≫;その46:≪ハマユウ;浜木綿≫;2011.7.23

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ハマユウは下関の市の花に定められています。

花の様子が、*1.木綿(ゆふ)を垂らしたように見え、温暖な海岸・浜に自生することから、浜を付けて浜木綿・ハマユウ。浜オモトとも言います。
ハマユウの種子はコルクのように軽く、水がなくても発芽し、放置した状態でも発芽するほど丈夫です。それ故、潮流に乗って遠く流され、温暖な乾燥気味な浜に増えてゆきます。
種子は海に浮くので、遠くても流れ着きます。温暖な海岸沿いに多いい花です。
中心から長さ50〜80cmの太い茎を伸ばし、7〜9月の間に白い花を10数個咲かせます。線形の花びらは6枚で、外側に反り返って咲きます。夕方から開花し、深夜に満開を迎え、よい香りを放つことが特徴です。

*1.木綿(ゆう)とは、以下サーチ【search】
*1.楮(こうぞ)の木の皮を剥いで蒸した後に、水にさらして白色にした繊維である。玉串や大麻の麻苧を木綿(ゆう)と呼ぶ。
利用、
古代、日本に木綿(もめん)が伝わらなかった時代には、麻を主としつつも、様々な植物が糸・布の原料として利用された。楮(こうぞ)もその一つ。
*1.楮
・樹皮の繊維は、和紙の原料になるため、各地で栽培される。
 製紙原料の中で最も強く良質、といわれている。
 「日本書紀」には、
 610年(1400年前!)に、高麗の僧が製紙技術を日本にもたらしたとあるらしい。
 栽培種の楮も、このとき渡来したと思われる。
その後、和紙のことを、「楮紙(こうぞし)」と呼ばれるほど、楮は和紙の代表的な原料となった。
そこからとった「ゆう」(旧仮名遣いで「ゆふ」)が「木綿」と書かれた[1]。これを織って作った布は太布(たふ)、栲(たえ/たく)、栲布(たくぬの)などと呼ばれる。ただし、太布は藤蔓(ふじつる)からとった布も含む[2]。また、木綿(ゆう)から作られた造花を「木綿花(ゆうはな)」と言う。
神道においては木綿(ゆう)を神事に用いる。幣帛として神に捧げるほか、紙垂にして榊に付けた木綿垂(ゆうしで)、冠に懸けた木綿鬘(ゆうかずら)、袖をかかげる襷に使用した木綿襷(ゆうだすき)と、日常用の素材としては廃れた今でも神事では使われることがある。

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〓下関土井ヶ浜「弥生遺跡」〓:〓ハマユウ群落〓

下関市豊北町の「土井ヶ浜遺跡」から、約300体の弥生時代の人骨が出土していて、施設内の弥生ドームでは多くの人骨が、発掘当時の姿でそのまま復元されています。
それらの人骨は渡来の人々。
もっとも多いのが、あおむけに膝などをまげる仰臥屈葬で、ほとんどの頭は寝たまま少し持ち上げる形で、東南の方向(つまり、顔は西北の海の方=響灘を向く)ように埋葬されているそうです。顔の向きは全て、中国大陸・朝鮮半島を望む海岸の方に向けられ、故郷を懐かしむように、葬られているのです。
この辺りの浜は、自生のハマユウが多く、それで下関市のシンボル花はハマユウになっています。特に角島大橋を渡った角島灯台付近には、見事な浜木綿の自然群落地(下関市指定天然記念物)があります。
コルク質の厚く軽い種は海に浮かび、浜辺から浜辺へ流れ着き子孫を増やします。
コバルトブルーの海。そして白い花、肉厚で光沢ある滑らかな濃緑葉のハマユウとがよく似合います。花言葉は「どこか遠くへ」です。
それでいにしえの祖先・個人をしのぶ花は、個人的にはハマユウが相応しいと想います。
海から渡来してきた弥生人をしのぶ花であり、日本人のルーツをたどる花…!?
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帰らぬ人の面影を忍ぶ「遺影」
かっては遺影といえば、背筋を伸ばした固い表情が主流でした。時代は移り、カラーで笑顔・(縫ぐるみ、or、ペット)を抱く笑顔もあり・仕事中・普段着…。等が多くなりました。それはデジカメが普及して、日頃から写真を撮る機会が多いからでしよう。人は生きる中で普段、いろんな表情をします。そんな普段のナチュラルなカットが遺しやすくなったからでしよう。
本来どんな遺影を使うかは、決まりがあるわけではありません。
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遺影とは、
遺影を通して故人とコミュニケーシするものです。それはその人がどう生きてきたか、何を残してきたかを知る最期の姿でしよう。後に残るものがどんな写真を選んでくれるか、それも楽しみ!のひとつ!!
自分で選んでおくのもありです。

下関の市花。浜木綿(ハマユウ)
2.3年前に、丸いコルク質の厚い種を植えて初めての開花。
=参考=以下、ハマユウをサーチ【search】
ハマユウ(浜木綿)はヒガンバナ科の多年草。(ユリ科)。花の様子が木綿(ゆふ)を垂らしたようであることが和名。ゆふはコウゾなどの樹皮を細く裂いて作った繊維から作った布で、古代から神事などに用いられてきたものである。別名のハマオモトは、肉厚で長い葉がオモト(万年青)に似ることから。

水はけが良く日あたりの良い場所を好み、主に温暖な海浜で見られる(海浜植物)。道ばたや公園、庭に植えられることもある。日本に自生するのは亜種 。

形態 、草姿は太い円柱状の幹のようなものの、上から昆布のような葉が周囲に広がる態を成す。この幹のようなものは真の茎ではなく、葉の付け根が多肉質の筒状に重なったもので偽茎と呼ばれ、ヒガンバナやタマネギの鱗茎とほぼ相同なもの。茎はこの偽茎の基部に、短縮した円盤型のものがある。ヒガンバナ科の中でもヒガンバナ属(Lycoris)に縁が近く、ヒガンバナと同じリコリンというアルカロイドを、特に偽茎に多く含み、食べると吐き気や下痢を催す。

花期は夏で、葉の間の真ん中から太くてまっすぐな茎を上に伸ばし、先端に多数の花を散形につける。花序ははじめ苞に包まれ、開花時にはこの苞は下に垂れる。花は短い柄の先にあって白く細長い6枚の花被を持ち、花弁の根本の方は互いに接して筒状、先端部はバラバラに反り返る。花は日没前後から強い芳香を発するようになり、大型のスズメガ科のガが吸蜜に訪れて花粉を媒介する。

受粉が成立すると、花被筒と融合した子房が肥大して歪な球形の果実となり、熟すと裂開して、丸くコルク質の厚い種皮に覆われた種子を数個落とす。この種子は海上を何ヶ月も生きたまま漂流する能力があり、海流によって現在の分布域に広がったと考えられている。種子は水がなくても発芽し、机の上などに放置した状態で発芽するのを観察できる。自然状態では海岸に漂着してから、潮上帯の砂や砂礫の上で発芽し、雨が降って周囲に水が供給されると、速やかに根を伸ばすものと考えられている。

夏の海辺を彩る涼しげな花として古くから親しまれます。
万葉集にも柿本人麻呂が詠んだ歌一首が掲載されています。「み熊野の浦の浜木綿 百重(ももへ)なす 心は思へど ただに逢はぬかも」。葉が幾重にも重なる熊野海岸のハマユウのように、あなたのことを深く深く思っているのに、直接会えないことが残念でならない――。