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■ 44):≪境内の花≫その24・枝垂れ桜:「悟り」とは? けっして難しい事ではないのです!?2010.2.21

(画はクリックで拡大)

  <さまざまの事思い出す桜かな> 芭蕉

春の訪れとともに、万物が一斉に自らの「いのち」を開花させ輝きます。
境内は花咲き、メジロ・小鳥が飛び交い、美しくさえずり、いろんな「いのち」が輝いていきます。
陽春に草木も!生きとし生けるもの全てが!動いていきます。

これからの境内は、いろんな小鳥たちの混声ビージーエムで「心」が豊になります。
(小鳥達のそれぞれの声の主が聞き分けられません。名前を憶えて聴き分けれられると楽しいのですが!)
それをぶこつなカラスがビージーエムを乱します。(凡夫にはそう思えます)。でもこれを含めて仏の声!!!

「いのち」を精一杯輝かせましょうと、いろいろの花が咲き≒「姿」。「命」ある私たち全てに語り≒「声」かけてくれます。それらがそのままにして如来(仏)の説法なのです
その事に先ず気付くのが【悟り】なのです。
 
【悟り】とはけっして難しい事ではありません!?
このように自然の中に、『仏の姿』『仏の声』『仏の命』『仏の心』の【実相を気付く】ことです。

一般的な「悟り」の意味は、知らなかったことを知ること、気付く事、感づくことを言い「覚り」とも書きます。

宗教上の「悟り」・「覚り」は迷妄を去って、真理を知ること。またその「真理」。
「開悟」・「菩提」・「覚」ともいいます。
「悟りを開く」・「覚りの境地」という言い方があります。

その反対が「迷い」。
「悟り」⇔「迷い」です。
「覚り」と「悟り」とで覚悟です。
覚悟の使い方は、
〇仏教用語では迷いを脱し、真理を悟ることですし、〓仏教で言う「悟り」≒「覚り」を一言で言うと、
【修行や苦行によって「宇宙の真理を体得」することになると思いますが、そうなればなかなか難しくなります】
難しく考えず普段の自然の中にそのまま『仏の姿』・『仏の声』・『仏の命』・『仏の心』を、【自然の実相として気付く】ことからです。

『禽獣草木は皆是れ法音なり』(お大師様の言葉)。
鳥獣草木の声や音響は、全て仏の「言葉」である。その事を宇宙の本性(曼荼羅の実相)として悟ることです。世界の現象が大日如来(宇宙の本体)の顕れ(表象)であると言うことです。

大悟(たいご)でなくとも、身近な悟りでいいのです。
そのような日常の一つ一つの悟りが、積み重ねられたらいいのです。

悟りは段階的な手順を得て起きるとする場合と、悟りは瞬時に起きるとする場合がる場合も有るようです。瞬時に起こる場合は、西行の歌の中に有るのでは?
     『 ゆくへなく 月に
             心のすみすみて 
          果てはいかにか ならんとすらん 』
    <どこまでも、月を見ているうちに心が澄んでいき、 
           ついには私の心は、どうなってしまうというのだろう!>
西行にとって「澄んだ月の光」は、恍惚を伴う「覚り」のようです・・・!?!?!?
自らの悟りの心境を、月に喩えたのでは!?「月」を多く読んでいいる西行には、月は悟った自らの宗教心の、象徴的な発露なのだと思います!?

実際厳密な聖道門の宗教的な悟りは、難しい定義があるのかも知れません。

・・・書き込み中・・・

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