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■ 39)Q:お彼岸の「おはぎ」はお供えしなければいけませんか?≪境内の花≫その21・[萩]:2009.8.31

Q:お彼岸には必ず「おはぎ」をお供えするものでしようか?

A:昔は必ず春・秋の彼岸には、お仏壇にお供えされていました。
むかし「おはぎ」はご馳走で、自家製の「おはぎ」をお供えしていました。「おはぎ」は大ご馳走だったのです。 
お供えされたものは、その後ご先祖様に感謝して、家族で頂いたものです。
しかし、今日では家庭で作ることが無くなったし、お菓子の好みも変わってきて、お供え物自体がかなり違ってきました。
おはぎ・牡丹餅に替わって他の物が多くなりました。
(かわったのは、お供えするご家庭、特に子供たちの嗜好によると思います。お供えを下ろした後、子供達が楽しみにしておりますので!)その子供たちの好みに合わせて供物をし、後子供たちのおやつにしておられるようです。
お供え物がどう替わっても、下ろしたら家族全員で分けて、ご先祖に感謝して頂きましょう。

=余談=「おはぎ」の「お」と「は」の間に(い)を入れたら「追剥」になります。
今頃のお若い人は「追剥」を知らないかも?
「追剥ヶ原へ蛍狩」という諺があります。 
自分から求めて危険な所に行くことの喩えだそうです!

以下=萩・おはぎ・牡丹餅に関して、調べてみました。(百科事典:数種の辞書)

「おはぎ」と「牡丹餅」についての違いが、クイズに出たらどう答えますか?

(画はクリックで拡大) 

   『画は草萩:山門は「薬医門」
「薬医門」とは建築様式です。本柱の後方に控え柱を立て、重心を後にし、その上に女梁(めうつばり)・男梁(おうつばり)をかけ、切妻屋根をのせた門。』 辞典より

昔のお彼岸の供え物には、
「おはぎ」と、「ぼたもち」がつきものでしたが、いったいどう違うのでしょうか!
一説には小豆のつぶし餡か、こし餡かの違いだとか、もち米とご飯の混ぜる割合の違いだとか、単なる呼び方の違いだとか…いろいろな説があるようです。
ところが実際には同じ物で、牡丹餅はもともと「牡丹もち」・ おはぎを「萩もち」であったといわれます。
今では一年中売られていることもあって、混同されてしまいましたが、本来は牡丹の季節である春のお彼岸に供えるのが「ぼたもち」で、萩の季節である秋のお彼岸に供えるのが「オハギ」というのが答えのようです。
お店で売っている場合の多くは、 
「ぼたモチ」ではなくて「オハギ」としているそうです。「オハギ」のほうが言葉が綺麗だからでしよう!
おはぎのことを、
佐賀県西部の方言では、「はんごろし」と言うそうです。それは炊いたもち米をすりこ木で潰して粘り気をだし、おはぎを作ることが多かったから「殺す」=「潰す」の意味となり、半分潰すことから「はんごろし」になったと謂われます。もち米を全て潰すことを「本殺し」と呼ぶそうです。
「宿屋の主人が『客をもてなしてあげたい、半殺しにするか、本殺しにするか』と言っているのを聞き、泊まっていた旅人が慌てて逃げ出した」との民話があるのだそうです。

小豆に似た豆に、ササゲというのもあります。
ササゲ. 名称(マメ科ササゲ属) ササゲはお赤飯に欠かせない豆です。 形・色は小豆の少納言に大変酷似しています。性質はつる性種:草丈が2mから4mになるのにたいし、つるなし種の草丈は:30cmから40cm)。

ササゲは煮ても豆が崩れないから、赤飯に向いているようです。

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萩の余話・・・
萩には、
「草ハギ」と「木ハギ」が有ります。 
「草ハギ」は冬には地上部が枯れても、春には根元から新芽が出てきます。 
「木ハギ」は落葉はしますが、木部が残ります。 
画は「草萩」。むかし萩を土手の土止めに植えていたと聞いた事があります?

「萩」の字は 、
“秋の草”(草かんむり)なので まさに秋の花。マメ科です。
早いものは夏前から咲き出している ( 萩の花をあずきの粒々で表現したとのこと) あずきの粒は夏にできて、秋の「おはぎ」の頃に収穫し、おはぎ”を作り、ご先祖にお供えするのが昔は慣わしでした。
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さらに、
萩の余話・・・
・春の「ぼたもち」、秋は「おはぎ」と言っていた。それに、夏に作ることは昔からあまりなかったようで、、夏は「夜船」と、冬は「北窓」というそうです。
春と秋の彼岸には昔はどこの家でも、お餅をついたもので、夏と冬はあまりお餅はつかない。で、隣り近所にめいわくにならないように、トントンつくのではなく、静かにこねてお餅を作ったらしいのです。
いつお餅をついたんだかわからない。いつ着いたんだかわからない。夜の船はいつ着いたんだかわからない、ということであるらしい。
北の窓も同じだ。北の窓からは月が見えない。つきが見えない。餅つきが見えない、ってわけ。こんなことを考え出すなんて、ほんと、昔は閑人が多かったんだなぁー
「ー小林一茶が、昔は閑人のが多かったのだ」
  閑人や 蚊が出た出たと 触れ歩く
四つの名前の由来よりも重要なのは、なんのためにひとつの物に四つも名前をつけたかということ、それはたぶん、ぼくらはものを食べるときに、物だけをたべているのではなく、物と一緒に気分をたべている、ということだろうと思う。
・江戸時代、陰暦正月・7月の26日の夜(有明の月)、月の出るのを待って拝むこと。月光の中に弥陀・観音・勢至の三尊が現れると言い伝えられ、特に江戸高輪(たかなわ)から品川あたりにかけて盛んに行われた。
・六夜待ち。愛染明王を表しています。
・満月は大日如来を表します。
・旧暦9月13日の十三夜に行う月待の記念として造立した塔である。十三夜月待は虚空蔵菩薩を本尊とする。「十三夜塔」「十三夜供養塔」などと刻む文字塔と虚空蔵菩薩の刻像塔がある。まれに地蔵菩薩もある。
・十五夜
旧暦8月15日の十五夜に行う月待の記念として、十五夜念仏講中によって造立された塔。刻像塔と文字塔には、刻像には大日如来、阿弥陀如来、薬師如来、観音菩薩、地蔵菩薩、虚空蔵菩薩がある。
・十六夜
旧暦16日の月待の記念として、十六夜念仏講中があり、十六夜月待は、関東北部の栃木、茨城、群馬で行われた。大日如来、阿弥陀如来、聖観音、如意輪観音、地蔵菩薩などがある
・二十日夜
旧暦20日の月待には阿弥陀如来、聖観音、如意輪観音、勢至菩薩、地蔵菩薩などを表す。

・旧暦21日の月待は如意輪観音を本尊とする。
・旧暦22日の月待は如意輪観音を本尊とする。准胝観音を本尊とする地方もある。
・二十三夜
旧暦23日の月待は二十三夜待は勢至菩薩を本尊とする。
・二十六夜
旧暦26日の月待は愛染明王を本尊とする。江戸では旧暦7月26日の月を阿弥陀三尊の出現として拝んだ。