戻る
■ 83)“野良ばえ”の桜(幼木)、年明け早々葉桜になる珍しい?桜。2020. 3.12

鳥の糞から野良ばえしたと思われる境内の桜、幼木。
年明け早々、葉桜になる珍しい?実生の桜。
それにしても葉の展開が早すぎます。
新品種なら超早咲きサクラになるのでは?!

(画は【 click!】で拡大表示)

最初気づいたときは、秋に落葉しないでそのままなのかと思っていました。柔らかい葉なので去年から残っている古葉ではなく新葉です。
一葉千切って嗅ぐと特別にいい香りです!!
桜餅用に向きそう!!多くの桜餅の葉は大島桜。
ー・−・
ひっとしたらこの桜、新品種の桜?かも!! 実生だから可能性はあります…(万が一の可能性?だけど!)花が咲いてみないと判りわかりません…が?!。きっと山桜系?
染井吉野は接ぎ木(クローン)だから元の枝(親木)が大きくなったようなもので、木の寿命が短いのだそうです。実生だからキット長寿のサクラになるでしょう。花が咲かない桜木があると聞いたことがないので何時か花は咲くと思います。これからは何時葉が展開するか正確に確認することにします。
どんな花が咲くか楽しみです。花を確かめて,『命名』してから死にたい!?!??
「 ○○ 桜 」と、もうそう想う年です。
散るからこそ美しいサクラ。
それは仏教の無常観です。
-・−・
「日本人と桜」:【仏教と桜】
この世は移り変わりゆくもので、権勢を誇っている者も、何時までも栄え続けることはない。栄える時代があれば、衰退する時代もある。
桜の美しい時期は、ほんのひとときです。それは平家の栄華と没落に似る。
美しい花は、1週間もすると、はかなく散りゆきます。でも、だからこそ良いのだと感じるのが、日本人の美意識になります。
すぐに散るけれど、生きている間は、醜い姿をさらさず、美しくいたい。これは、日本の「恥の文化」につうじてゆくのかも!
-・−・
「祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり」平家物語の冒頭のこの言葉は、日本人ならたいてい覚えています。
「諸行無常」とは、「諸行」はこの世のすべて、
「無常」は、常がない、続かないということですから、この世の一切は続かないということです。
そしてこの「諸行無常」こそ、他の宗教にない仏教だけの旗印(教え)
「祇園精舎の鐘の声」の「祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)」とは、
お釈迦さまご在世中時の、祇園寺というお寺の名前です。その祇園精舎は多くの修行者達がいるお寺とは知っていましたが、祇園精舎の鐘の声が、そこで修業している修行僧の死を告げる鐘ということを調べてみるまでは、具体的には知りませんでした。
ただ定時に日々決まった時間に物悲しく鐘が,響いて聞えるものだとばかりと想っていました。
【そこで修行しているお釈迦さまのお弟子たちは、死が近づくと、祇園精舎の中の無常堂という場所に移動し、お弟子が亡くなるとそのつど無常堂の鐘が鳴らされたのです。】
お弟子が亡くなって鳴らされる祇園精舎の無常堂の鐘の響きには、一切のものは続かないという諸行無常の響きが聞こえるということを、「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」と表現しているのです。その鐘の声はきっと寂しく、悲しく響いたことでしょう!
そんな無常の理をよく表しているのが当に桜の花の散る様なのです。

=余話=
うば‐ざくら【姥桜】 とは、
以下サーチ【search】
@花が咲くのを女性の美しさの盛りとみて、そのときに葉(歯)がないので「姥桜」と洒落ていったもの。江戸時代から言われる。
かなり年増でありながら美しくなまめかしい女性をい言う。最近は年齢に似合わず若づくりをしている女性を、からかい気味にいうことが多いいようです。
「姥桜」は、葉が出るより先に花が開く桜の通称の通称で、ヒガンザクラ・ウバヒガンなどもいいますが、葉がないことを「歯無し」に掛け姥(老女)に見立てた言葉なのです。
女盛りを過ぎても、なお美しさや色気が残っている女性。誉め言葉?。
A【乳母桜】
以下の話は、小泉八雲(ラフカデェオ・ハーン)の「怪談」にも収められています。
【乳母桜】【search】
昔々、角木長者といわれる長者がいた。長者は子供に恵まれず、大宝寺のお薬師様に「子供が授かりますように」と願かけをした。この願いが叶い女の子が生まれ、名を「るり」と名付け乳母が大事に育てていた。ある日、乳母の乳が出なくなり子育てに難渋していた。子供を授かったお薬師様に願ったところ、やがて乳母の乳も元通りになり、お礼に本堂を建立したという。
娘は成長し15歳を迎えた頃、重い病になり、乳母は「我が命に代えてでも、るり様をお助け下さい。」と大宝寺のお薬師様にお祈りをした。その甲斐あって、るり姫は平癒し元気を取り戻したが、乳母の身体は衰弱し、お薬師様との約束事だと言って薬も口にせず「お薬師様のお礼に、桜の木を植えて下さい。」と言って死んでしまった。長者は乳母の真心を思い、桜の木を本堂の前に植栽した。
桜は成長し花の咲く時期になると、母乳のような色の見事な花を咲かせているという。それで、この桜は【姥桜】【乳母桜】と呼ばれている。

-・−・−・−・

「祇園精舎の鐘の声」で始まる軍記物語『平家物語』、西行の「願はくは花の下にて春死なん その如月の望月の頃」に代表される散りゆく桜と人生の儚さ、吉田兼好の随筆『徒然草』、「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」で始まる鴨長明の『方丈記』など、仏教的無常観を抜きに日本の中世文学を語ることはできない。単に「花」と言えばサクラのことであり、今なお日本人が桜を愛してやまないのは、そこに常なき様、すなわち無常を感じるからとされる。「永遠なるもの」を追求し、そこに美を感じ取る西洋人の姿勢に対し、日本人の多くは移ろいゆくものにこそ美を感じる傾向を根強く持っているとされる。仏教によるこのような「無常」「無常観」は、中世以来長い間培ってきた日本人の美意識の特徴の一つ。

仏教にある人生観で、この世の無常を表している言葉。
『平家物語』の冒頭にある【「祇園精舎】の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理(ことわり)をあらわす(祇園精舎の鐘の音は「世の中に不変はないと言っているように聞こえる。沙羅双樹の花の色は、盛んな者は必ず衰えることを表している。思い上がった者は長く続かない)」は、あまりにも有名。

【「祇園精舎」とは、お釈迦さまご在世中の昔、給孤独(ぎっこどく)長者が布施したお寺のことです。】
そこで修行しているお釈迦さまのお弟子たちは、死が近づくと、祇園精舎の中の無常堂という場所に移動し、お弟子が亡くなるとその無常堂の鐘が鳴らされました。
人間の命が続かないことほど悲しいことはありませんから、お弟子が亡くなって鳴らされる祇園精舎の無常堂の鐘の響きには、一切のものは続かないという諸行無常の響きが聞こえるということを、「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」と表したのです。
このように、この世の一切が続かないことを、「諸行無常」といわれるのです。
仏教はこれを旗印として掲げます。

「盛者」は「じょうしゃ」「せいじゃ」とも読む。
平家琵琶(『平家物語』の文章に節をつけて琵琶で伴奏する日本の伝承文化)では「沙羅双樹」を「しゃらそうじゅ」と読むときには「盛者必衰」を「じょうしゃひっすい」と読み、「さらそうじゅ」と読むときには「せいじゃひっすい」と読むとされている。

-・−・−・−・

世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし
原業平・古今集・伊勢物語
(世の中に桜と云うものがなかったなら、春になっても、咲くのを待ちどおしがったり、散るのを惜しんだりすることもなく、のんびりした気持ちでいられるだろうに…。)

以下は有名な反歌です。
「散ればこそ いとど桜はめでたけれ 憂き世になにか久しかるべき」
(桜は惜しまれて散るからこそ素晴らしいのです。この世に永遠なるものは何もないのだから。)