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■ 82)葬式道具一式を入れた【つづら♀銀ト】≒仏教の模様ほっそうげ【宝相華】文様2019.10.11

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…現在「つづら」を知る人は少なくなりました…
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東京案内のテレビ番組を見ていたら、中央区日本橋人形町 甘酒横丁にある『岩井つゞら店』があるのを知りました。その時、咄嗟(とっさ) にあゝこれだと思いました。長年求めていたものに出会えたからです。
この町はかつて人形浄瑠璃や芝居を中心とした町人文化が花開いた街で、職人たちが数多く住んでいました。現在も路地を歩くと、三味線や笛などの音色が聞こえてくることもあるそうです。。食べ歩きが楽しい甘酒横丁や、自然あふれる浜町緑道に浜町公園など、憩いのスポットが充実しているそうです。
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日本のお伽話「舌切り雀」に登場するのが葛籠(つづら)です。=【元々はツヅラフジや葛の蔓が丈夫で加工しやすいことから、つる状のものを編んで作る籠のことを材料名から葛籠(つづら‐こ)と呼んでいたようです。単につづら≠ニも…】⇒そこから唐草模様に発展してゆきます。装飾文様の一。
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くず【葛】%凾フつる草から唐草模様≠ノなり、唐草模様は仏教的意匠【宝相華(ほっそうげ)】文様につながり、仏教特有の文様として成立します。宝相華≠ヘ仏教的意匠で、つる草・蓮華・ザクロ・牡丹などを組み合わせた空想上の花文です。
【〔葛(くず)つづら=n=ツタ植物の代表。つづら≠ヘ蔓草の総称。カズラで作った箱(葛籠=つづら=j】
葛籠(つづら)は、元来ツヅラフジのつるで編んだ蓋つきの籠の一種です。後に竹を使って網代に(縦横に組み合わせて)編んだ四角い衣装箱を指して呼ぶことが一般的になってゆきます。 元々はツヅラフジのつるが丈夫で加工しやすいことから、つる状のものを編んで作る籠のことを材料名から葛籠と呼んでいたようです。原材料が変化しても呼称だけは残り、葛籠という字が当てられたまま「つづら」と呼ばれるに至っている。原材料が竹に変化していって洗練された箱になりまっした。
「葛」という字は単体では「くず」ですが、訓読みで「かづら」とも読むことができ、かづらはつる植物の総称としても使われる語句のようです。唐草模様は、「つる草」をモチーフにした模様のことです。
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常用漢字では【葛は音読みでカツ≠ナすし、訓読みではくず∞かずら∞つづら≠ノなります。
【難読漢字】にあるのは→葛飾(かつしか)・葛城(かつらぎ)・葛籠(つずら)
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今ではつづら店は殆ど見かけなくなりました。製作販売をする店です。以前から葬式道具を入れるものが欲しいと思っていたので、寸法・寺紋入れのオリジナルで特注しました。そんなことから完成納入まで半年掛りました。箱は便利な『掛子付き(小物入れ中箱)』です。
『掛子付き』とは、蓋を開けると上下2段になっており、小物やアクセサリーなど、さまざまな収納に使えます。それを箱の縁にかけて中にはめ込む箱。
既製品寸法の箱もあります。既製品だったら納期は早いようです。つづら【葛籠】製作販売する店は現在は珍しいのでアップしました。長年探していました。
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唐草模様の5巾(いつはば)の大判風呂敷に包みます。
風呂敷の柄にはいろいろありまが、昔人間には定番の唐草模様が一番しっくりします?それから素材は化繊よりコットン生地のほうが丈夫で長持ち。
「唐草」は「どこまでも蔓草の茎や葉が絡みあって曲線を描いて生育旺盛に伸びる」イメージからつくられた文様です。長寿・延命・子孫繁栄を意味する縁起がよい吉祥文様です。
仏教でよく使われるのがこの唐草模様【宝相華(ほっそうげ)】文様…。
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今まで風呂敷に包んだり、カバンにしていましたが、このつづらを試してみてやっと満足して重宝しております。下の箱に衣・袈裟(納衣)・帽子を入れ、小物入れの中箱には洒水器、散杖、経本(引導作法次第)、数珠、中啓、五智宝冠、諷誦文等の小物を入れます。整理しやすく大変便利です。風呂敷に包んで持つのも苦になりません。常時車のトランクに入れています。
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調べたら、
【つづらの成り立ちは定かではないが、元禄時代(1688〜1704年)には江戸の商人が婚礼道具として売り出し、庶民にも親しみやすいものになっていたといいます。明治から大正にかけての最盛期には、呉服の街として栄えた日本橋の地にも、つづら店が数多く立ち並んでいた。】
『元々はツヅラフジや葛の蔓が丈夫で加工しやすいことから、つる状のものを編んで作る籠のことを材料名から葛籠と呼んでいたようです。その頃は武骨な籠だったと思います。後に竹を使って網代に(縦横に組み合わせて)編んだ四角い衣装箱を指して呼ぶことが一般的になった 。
原材料が葛で編んだものから竹になって洗練されてきました。材料が竹になっても変化して呼称だけは残り、葛籠という字が当てられたまま「つづら」と呼ばれるに至っています。「葛」という字は単体では「くず」であるが、訓読みで「かづら」とも読むことができ、かずらはつる植物の総称としても使われる語句です。』
ツタをかたどるものは、蔦花文様(ちょうかもんよう)、蔦蔓文様(つたかずらもんよう)などとも呼ばれます。
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仏教でよく使われる唐草模様は、【宝相華(ほうそうげ)】文様です。
ほうそうげ【宝相華】といえば、仏教特有の装飾文様の一。「ほっそうげもん」ともいう。ほっそうげもん≠ニいう読み方は仏教特有の読み方。
唐草模様の一種。想像上の植物をかたどったもの。中国唐代や日本の奈良・平安時代頃、多く仏教において装飾的模様としてさかんに用いられた。
仏教的意匠で、蓮華・ザクロ・牡丹などを組み合わせた空想上の花文。唐代に盛んになります。日本では奈良時代に伝来し盛んに使用され、正倉院宝物の文様にも多く残っています。
多く仏教において装飾的模様としてさかんに用いられます。特にその読みが、ほっそうげ【宝相華】
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現代でも格式高い婚礼の時に着用するフォーマルな着物や、白無垢には「宝相華文」のデザインが使われている程威厳のある華やかな文様です。奈良時代は中国、仏教の影響を強く受けた日本文化が発展した時代です。現代にも通じる古い歴史ロマンを感じる奈良時代を象徴する建造物の1つ。「正倉院」の中に見られます。
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宝相華は興福寺阿修羅立像のスカートにも描かれています。一躍誰もが知れだした美形の仏像です。
正倉院の宝物は聖武天皇ゆかりの品々で、仏具・武器武具・文書・文房具・楽器・調度品・服飾品・食器など多種多様に用いられています。
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現在、泥棒の風呂敷の代名詞(?)ともなっている「唐草模様」はずいぶんとデフォルメされていますが。
「唐草模様」の歴史は大変古く起源は、古代エジプトに遡(さかのぼ)るとされ,その後,ギリシャ,ローマへと受け継がれました。
こうしてシルクロードを通って中国にたどり着き,5世紀の古墳時代末には日本に伝来してきていたと考えられています。
平安時代にはすでに,仏教建築や仏像彫刻(特に光背)・仏画・布の文様に使われていました。
唐草は隙間を縫って自在に曲げることができる便利な図案で,円形のスペースにも四角い中にも自在に空間を埋めるのによく使われます。
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「唐草模様」の歴史は大変に古く,起源は古代エジプトに遡さかのぼるとされ,その後,ギリシャ,ローマへと受け継がれました。
こうしてシルクロードを通って中国にたどり着き,5世紀の古墳時代末には日本に伝来してきていたと考えられているようです。
平安時代にはすでに,仏教建築や仏画・仏像・布の文様に使われていました。
唐草は隙間を縫って自在に曲げることができる便利な図案で,円形のスペースにも四角い中にも自在に空間を埋めるのによく使われます。
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・「つゞら」は「葛籠」の他にも、漢数字で表せば「九十九」でもあります。これは「ツヅラフジ(科)」のつる(植物)が曲がりくねっていることが語源の訓読みと考えられていいます。
日光のいろは坂のような坂道を「九十九折(つゞらおり)」「葛折(り)」と呼ぶのも、これが語源です。
【葛は訓読みで「かつら」だし、[音]ではカツ(漢) [訓]くず かずら つづらです。】
「つづら折り」の語源は諸説があり、 熊野古道の一つであるツヅラト峠越えの古道に折り返しのカーブが多かったことから、鼓の皮を止める糸が鋭角な切り返しで右左となっている様子に似ていることからなどがある。
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・日本のおとぎ話、「舌切り雀」にはおみやげ物が入っている容器として大きな葛籠と、小さな葛籠が登場する。
・心やさしい爺(じじ)のかわいがっていた雀が糊(のり)をなめたので、意地悪な婆(ばば)は怒ってその舌を切って追い出す怖い話。爺は雀の宿をたずねて、土産に軽い葛籠(つづら)をもらって帰ると、中には宝物がつまっていた。これを見た婆は欲張って重い葛籠をもらって帰るが、それには蛇や毒虫などが入っていたという話。
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≪竹製なので軽く、通気性が良く、柿渋と漆の効果で湿度を適宜に保ち、防虫と抗菌の効果がある。耐用年数は100年以上とも言われ、その頑丈さは放り投げてもばらばらになりにくいため、火事などの緊急時に粗雑に扱われても中に保管していたものを守りやすいという特徴を持つ。≫
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『つゞらは、竹で組まれたかごの上に、和紙を貼り、「柿渋」と「漆(カシュー漆、代用漆)を塗って作り上げます。』
職人仕事という感じ。できあがったつづらからも竹の骨組みがわかります。それが味の或るいい模様になっています…!。
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つゞら作りは、竹籠職人から仕入れた竹籠に、布海苔(ふのり)で和紙を貼り、柿渋と漆を塗り重ねる。竹の組み目が美しく見えるよう整えるあんばいは職人仕事。手に取ると実際の印象より軽く、漆がほのかに香ります。
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【一生ものの美しいつづら。】
軽いつゞらは竹と紙でできているので通気性もよく防湿性に優れ、柿渋には防虫効果があります。

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真言宗の葬式のこと・・・ …、
このつづら箱の式道具一式で 私がする葬式(引導作法)の時は、以下、…etc.…
葬式を終えると、諷誦文(ふじゆもん)の後、自分のポリシーとして、既に供花されている数本の花枝を抜いて祭壇の前に式の終わりのころ“別れ花≒散華”することにしています。この“別れ花≒散華”は引導作法の中にはありません…。
多くの住職は葬式が済んで焼香させ、その後弔電を披露させています。私は焼香・弔電は同時進行にさせています。弔電は耳で聞けばいいわけで、聞きながら焼香はできるはずです。焼香・弔電は同時進行出来ます。弔電披露は葬式には要りません?焼香・弔電披露後その後読経となると時間がかなり立ちます。焼香+弔電披露+読経では時間がかかりすぎます。
…とは言っても弔電は葬式に花を添えるとも言えますが…!
喪主焼香後すぐ、「只今より、焼香、弔電は同時進行で願います。弔電(司会者に…)直ぐ焼香」焼香はそのままお続けください…(会葬者に…)。」と・・・

弔電の事でいつも思うのは… わざわざ時間をやり繰りして、出席して頂いたお方の紹介をしないのに、出席しないで弔電に代えている人を紹介するのは、本来主客転倒しているように思えるのですが!?中には葬儀に出席しながら、弔電を打つている人を見かけます。 最初に必ず政治家の弔電披露(全文)があり、次に(順不同と言いながら)社会的に目立つ地位の人となります。5.6通全文披露とし、後は(住所)と(名前のみ)となって行くのが通例です。
「本日の御弔電は何通寄せられましたが、ご披露は全て割愛させて頂き、謹んで御霊前に奉奠させて頂きます」として省かれたら、如何でしょうか!?弔電は葬式に花を添えるとも言えますが…!
実際知らないお方のお名前を披露して貰っても、弔電を打たれた方が、誰がだれかも分かる筈もありません。だだ名前を聞くだけです。それよりも、仏前にそのままお供えし喪主や遺族が葬式後落ち着いて読めばいいと思います。個人的にはそう思います。
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「“諷誦(ふじゅ)=vの「“諷”は声をふるわせて朗々と朗読するの意」。誦≠ヘじゅする【誦する】( 動サ変 ) [文] サ変 じゆ・す (経・詩歌などを)声をだしてうたうように読む。唱える。口ずさむ。 「経文を諷誦する」です。
だから諷誦とは、「声をふるわせるように格調高く朗々とした口調で朗読する」と言う意味になります。
真言宗の場合、葬式のときに必ず導師が読み上げるのが諷誦文(ふじゅもん)。諷誦文は『葬式の趣旨を示し、格調高い文章で作られます。仏教用語で死者の供養などのために、僧侶が読経の主旨を示す文書。平安時代以来の風習で、僧は葬式後の読経のあとでこの文書を朗々と読上げるもの…。
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その諷誦文の読み方。
葬式の時の「諷誦文(ふじゅもん)=vは以下のように読むように決まっています。
棺前作法(引導を渡す作法)後、最初に賛を唱え(鉢15)。その後、墓所作法を45分内に済ませ、諷誦文の後(鉢15)で終えます。。土葬の頃は棺前作法をした後、野辺送りして場所を替え、そこで墓所(墓前)作法をしていました。所謂二部式です。現在では火葬ですから棺前作法・墓所作法を、葬儀会館で葬式次第の中で45分内に済ませます。
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葬式の時の諷誦文(ふじゅもん)≠ヘ,以下のように読むように決まっています。
『夫(そ・)レ惟(おもん)ミレバ・・・(中略)・・・今月今日(こんがこんにち)福仙寺引導阿闍梨(いんどうあじゃり)某(それがし)敬(う・や・ま)ッて申(もう)ス。≫』
それを、
夫(そ・)レのそ・で〈力強く声を高く張って〉
・・・(中略)・・・
敬(う・や・ま)ッテのう・や・で≪力強く高く声を張って≫某(それがし)のしで(し・ー)をしっかり音を下げて、敬(う・や・ま)ッテ申すに入らなければ、敬(う・や・ま)ッテで、力強く高く声を張れません!
後賛(鉢15)をついて葬儀は終わりです。
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諷誦文は願文(がんもん)の一種。
願文とは神仏に祈願する文書ですが、願文・造塔堂・造仏・写経などに際して所願を述べ供養する供養願文。施物を表示し諷誦(ふじゆ)を所願する諷誦文・葬式の時のように多種に及びます。】
葬式の諷誦文は、最初に「この世は無常である」という意味の無常の必然と、哀悼の意を述べ、追善作法を説き、最後に亡者のあるべき姿、後生の安心を述べて締めくくります。
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=余談@=
葬儀は一般に葬式とも言いますが、正確には葬儀式と言います。
「儀」という文字は、「○○のこと」「○○に関すること」という意味です。
例えば、○○○○が亡くなった場合で考えると、訃報文や看板を「○○○○儀 葬儀」「○○○○ 儀 式場」とするのは、身内(遺族)が作ったものだからです。
身内だからこそ、「呼び捨て」にしているのです。
身内でなく回覧等で回したり、看板の場合には、呼び捨てにしないで、「○○○○様 葬儀」「○○○○様 式場」となります。注意しましよう。
儀には、〜に関するという意味があります。
したがって故 ○○儀 葬儀と記載されている場合、その意味は○○に関する葬儀になります。

=A儀と言う字の意味。=
儀とは身内に対して用いる謙譲表現になります。
人物に添える一般的な敬称には様や殿がありますが、葬儀において親族が身内に対し上記の敬称を用いることは不適切であり、同時に呼び捨てにすることも好ましくありません。
したがって、謙った表現である儀を用いることで、故人への哀悼及び敬意を示すようにしています。
この表現は、葬儀のみならず結婚式の案内状などにも用いられます。
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・儀は添え字であり、読み方がない。
・儀には〜に関するという意味があります。。
・儀は身内に対して用いる謙った形の敬称です。
更に、儀式(ぎしき)は、特定の信仰、信条、宗教によって、一定の形式、ルールに基づいて人間が行う、日常生活での行為とは異なる特別な行為。宗教的色彩の薄いものは式典とも称される。
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真言宗では葬式が終わり出棺前に、親族や会葬者が最後のお別れをする儀式を棺拝(かんぱい)≠ニ言います。
棺拝≠ニは最後に棺の蓋を開けて、【*2.】引導作法により仏になった故人を拝み、送別(告別)の花を手向ける作法です。
真言宗では【*2.“引導(いんどう)”を渡すと、故人は“即身に成仏する”と説きます。だから故人の葬式が済むと、成仏した仏(故人)を拝むと言うことになります。葬式が済むと以後「過去精霊」とお唱えすることになります。】
引導≠ニ言うことば(作法)は、下関に多いい“浄土真宗”に於いてはありません。同じ浄土門の浄土宗については、調べたかぎりでは、引導と言う作法・言葉もあるようです。同じ浄土門でも、浄土宗の場合は“法名”ではなく、聖道門の真言宗等と同じく“戒名”と言うのを授かるようです。
浄土真宗では唯一拝む対象は、阿弥陀仏のみなので、故人を拝むということはしないのだそうです。だから“棺拝”と言う言葉はありません。他宗のお寺さんもこの棺拝≠ニ言うことは一般的には使われていないかも…!?。
特に下関は浄土真宗=真宗(浄土門)の寺が多く、門徒のお方も多いいので“棺拝≠ニ言う言葉は理解されません。真宗は故人を拝むと言うことをしません。それで安置してある阿弥陀仏や名号に手を合わせ拝むけど、引導作法が済み棺桶に納まった故人には手を合わせて拝むことをしません。だから“棺拝”と言うと、いちいち説明しないと乾杯とまちがえられます。
それで私は、
・葬式を済まして最後のお別れの時、御親族と会葬者に、
「棺拝してお別れしてください。棺拝とは棺の蓋を開けて拝むと書きます。最後のお別れです。夏目漱石の俳句に、<あるほどの菊投げ入れよ棺の中>と言うのがあります。<あるほどのお花を棺に納めてお別れ下さい。>この段取りは、当会館のお方がされますので暫くこの席でお待ちください。」と説明し退出します。
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・葬儀を始める前には、
「只今より真言宗の法則(ほっそく)に則り引導作法を執り行います。【*2.】引導作法とは、亡きお方を速やかに成仏せしめ、仏の世界へと導く作法です。今日ではこの引導作法と、告別式が一つになってお葬式となっております。どうぞ心静かにご聴聞下さい。」と挨拶(説明)して始めます。

真言宗の仏の世界とは「大日如来=宇宙神」のこと。全ての仏の浄土を含む「密厳浄土」のことになります。
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真言宗は【*3.聖道門】なので、
【“引導(いんどう)”を渡すと、故人は即身に成仏する≠ニ説きます。だから故人の葬式が済むと、成仏した仏(故人)を拝むと言うことになります。葬式が済むと以後「過去精霊」とお唱えすることになります。】
“引導”と言うことば(作法)は浄土門の浄土真宗≠ノはありません。同じ浄土門の浄土宗については、調べたかぎりでは、引導と言う作法・言葉もあるようです。同じ浄土門でも、浄土宗の場合は“法名”ではなく、聖道門の真言宗等と同じく“戒名”と言うのを授かるようです。下関に多い浄土真宗のみ戒名≠ナはなく“法名”と言うのを授けられます。
以下、聖道門と浄土門との違い。
・浄土真宗の教えでは「臨終即往生」と言って、亡くなるとすぐに極楽浄土に行って仏様になるので、他宗のように「冥福を祈る」「死出の旅路につく」「告別」というような概念はないのだそうです。だから「告別式」は浄土真宗にはありません。「告別」は永久の分かれになるので、何れ誰もが「臨終即往生」で、何時か極楽浄土で必ず再会できるから「告別」ではないのだとか!?。浄土真宗は49日忌以降はお位牌を作りません。過去帳と法名軸を作ります。しかし葬式の時には白木のお位牌を作るようです。葬式の時には仮位牌(白木の位牌)は作りますが、本位牌は作らないようです。
・浄土宗は白木の仮位牌→本位牌のようですが、浄土真宗は白木の位牌→過去帳か法名軸となるようです。
浄土真宗(門徒宗)は、
・位牌のように魂を宿らせるものではなく、故人の名前を記し残していくという目的で、「法名軸」や「過去帳」に法名を書いておくと言う考え方をとるようです。しかし位牌を作ってはいけないとなっていようでもあります。事実、浄土真宗でも位牌を作るお家もあるようです。位牌を作るかどうかと言うことは、お寺さんによって見解が異なる場合もあります。「それは浄土真宗の教義に反することなので過去帳に替えて下さい」と言われるご住職もいれば、「よろしいのではないでしょうか」と言われるご住職もいるのが現実のようです。他宗には枕経と言うのがありますが、枕経にあたるうのが浄土真宗では臨終勤行と云うのだそうです。しかも枕経・葬式は故人に向かって拝むのではなくて、阿弥陀如来に向かってお勤めするのであって、人生の終わりに臨んで、阿弥陀如来に対てする最期のお礼の勤行なのだそうです。
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【*3.】「聖道門」⇔「浄土門」のこと。
【「聖道門(しょうどうもん)」は、「浄土門(じょうどもん)」に対する語。様々な修行を通して、自力によって成仏することを説く宗旨のことです。法然が浄土宗を確立した当時、仏教といえば密教系の天台宗と真言宗が主流だったため、主にこの二宗をさします。その直後に登場した禅宗もこれに含まれる。浄土教(浄土宗・浄土真宗)以外の宗旨でしか“棺拝”の言葉は、地域にもよりますが通常使われません。】
浄土宗については“棺拝”と言うかどうかよく分かりません。
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真言宗では、昔のように土葬をしていた時代は、「1.*引導(棺前作法)と、野辺送りの時にする(土葬を済ませた後にする墓所作法)」と言うように二部に区切ってしていましたが、現在は土葬が無いので「引導を渡すときにする“棺前の作法”と“野辺の送りの時にする墓所の作法”」を、葬式の中に含めて、4.50分内に納まるように行っています。土葬の時代は、二部形式の(葬儀・野辺の送り)でした。
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【1.*引導(いんどう)≠ニは、死者を成仏させること。
葬儀式の中で行う引導の習俗は、浄土真宗を除く各宗派で行われていますが、その作法は宗派ごとに異なっています。
真言宗の葬儀は、死者の霊を弔い鎮める導師が、棺前において死者にこの世との縁を切らせ、即身に成仏させることを目的とする作法です。

お葬式の際に住職(導師)が棺の前で、死者が悟りを得て成仏できるように、経文や法語を【*4.】声明(しょうみょう=節)をつけて、唱える作法を行うことを引導を渡すと言います。そのことから、「決定的なことを言い渡すことを“引導をわたす”などと言うのはここからきているのです。」
真言宗では故人に諸行無常の理(ことわり)を説き、必ず仏の救いにあずかり、密厳浄土に行けることを説いて、死者にこの世との縁を切らせ、即身に成仏させることを目的とするのです。】
【*4.声明は(せいめい)と読まず(しょうみょう)と読みます。
(以下サーチ【search】)して、
宮(きゅう)・商(しょう)・角(かく)・微(ち)・羽(う)という5音からなり、呂(ろ)・律(りつ)・中曲(ちゅうきょく)と呼ばれる音階、旋律に関する3つの概念に則ってパターン化されている。五音(ごいん)/(ごおん)ともいう。1オクターブ内の5つの音からなる音列(5音音階)のこと。下から順に,宮(きゅう),商(しょう),角(かく),徴(ち),羽(う)と呼ぶ。 これらの概念は天台、真言など流派によって解釈が多少異なる。儀礼の場において、呂曲、律曲は四箇法要や二箇法要などの場を飾るための曲として使われ、呂曲のほうが相対的に重要な地位を占めている。中曲は日本独自の様式であり、儀礼と儀礼の間をつなぐ、本尊に願いを伝えるなど、儀礼を進行させるための実用的な機能を持つ。現存する日本語歌詞の声明のほとんどは中曲に属し、仏教の経文を朗唱する声楽の総称。インドに起こり、中国を経て日本に伝来した。法要儀式に応じて種々の別を生じ、また宗派によってその歌唱法が相違するが、天台声明と真言声明とがその母体となっている。声明の曲節は、平曲・謡曲・浄瑠璃・浪花節・民謡・歌謡曲・演歌・艶歌などに大きな影響を与えた。「民謡・浄瑠璃の語り物・お能の謡曲・浪花節など…。声明は、広くそれらに発展して、日本の音楽の源流となる。そこから派生したのが、現代の音楽にも脈々と受け継がれている、遊び歌・祝い歌・仕事歌・酒盛り歌・盆踊り歌です」】以上サーチ【search】して。
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通夜のことですが、
多くの葬儀会館は、館内に「通夜式○○時・葬式○○時」と案内しています。しかし、葬式は式ですが、通夜は式ではありません。
全国に葬儀会館が出来たころに葬儀会館が“式”にした筈です。
「葬式が“式”」で「通夜も“式”」なら、それでは合わせて式々(式х2)になります。
ただ単に案内の看板は「通夜○○時・葬式○○時」とすればいいのです。通夜を通夜式として勝手に“式”にしたのは葬儀社です。
葬式には司会者要ると思いますが、通夜には司会者は要りません。住職が取り仕切ればいいと思います。
それから葬式の後、直ぐに同じ会館で七日忌をさせています。これも葬儀会館が始めだしたものです。「葬儀費用」+「初七日忌費用」になるようです?!
当たり前の「初七日忌」でするのが正しいのです。また供えれた花はつかいまわしが多いようです?!
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通夜の参列者の服装は、平服ではなく「略喪服」が多くなりました。
・最も改まったものが正喪服、それから準喪服・略式喪服の順に続きます。
一般的な葬儀に着用するのは準喪服が多く、これはほとんどの法要の場面で通用する装いです。
・略式の喪服は、急な弔問やお通夜、年忌の法要に列席など急な悲報に整いすぎた装いでは失礼にあたる場面に適しています。
また、「お別れの会」や「偲ぶ会」のような近親者のみで行う葬儀の席でも使えます。
正喪服や準喪服に比べると制約が少ないのが特徴で、黒に限らず、上下セットであればダークカラーもOKとされています。
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通夜の時、略式の喪服が多くみられるようになったのは、葬儀会館が通夜式と言う式”にして来たからでしようか!?。
本来通夜の服装は、平服で駆けつけるていいのです。しかし、現在は通夜の時、多くの人が略式の喪服を日頃用意している時代になりました。それで略式の喪服が殆んどです。だから通夜に自分一人だけ平服で参列すると違和感を感じます。
そんな時代になったのは、昔のように家で通夜・葬式をすることなく、葬儀会館と言う改まった場所になったことも関係しているのかも?また、葬儀社が通夜を通夜式として勝手に“式”にしたからでもあるのでしようか?
それと通夜の時、司会者が「只今より通夜式を始めます。」と案内します。昔は町内講組の互助で、自宅で近所隣りが、葬式の段取りをしてくれていました。だから司会者はいなかったと想います…。地域によっては町内の方が仕切っていたかも知れません?。通夜には誰もが平服で参加していました。
本来通夜は式ではないので、司会者は要らない筈です。通夜には菩提寺も関わらなかった時代もありました。現在でも菩提寺が通夜に係らず、枕経→葬式と言う流れになるところもあります。
司会者が「通夜式を始めます。」と言わなければ納まりが悪く、通夜式≠ニ言う締りのよい言葉を使いたいのなら、“通夜法要or(通夜法会)≠ニ言うのが相応しいと個人的には想っております。「只今より、通夜法要≠始めます。」と…!。
しかしこの言葉は司会者が発する言葉ではありません。住職が通夜を始める言葉です。
本来、“通夜”・“葬式”は司会者を置かず導師(住職)が主導して始めていけばいいと想っております。どうしても通夜を進行する人が必要なら、葬儀会館側は「只今より通夜法要が始まります。」となるかも!
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私は通夜を始める前に「只今よりお通夜のお勤めを始めます。」と参列者に向かって始めて行きます。そうしたら進行する司会者はいらなくなります。
古くは通夜には、お寺は関わっていませんでした。「枕経」→「葬式=棺前作法」→「野辺の送り」→「埋葬」→「墓前作法」と言う流れでした。本来、通夜は住職が主導して始めていけばいいと想います。
(通夜は式ではないので、葬儀会館であっても通夜時には、進行する司会者は要らない筈です。住職が通夜を主導進行して行けばいいと想います。)
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古くは通夜とあまり云わず、「夜伽(よとぎ)」をすると言って、町内講組の手を借りて身内だけでしていました。夜伽″は別の意味もあるのでそれで“通夜”と言う言葉だけに定着させたのです。
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夜伽とは本来三つの意味がありました。
「本来夜伽の伽(とぎ)の意は、誰かに付き添って、相手の要望に応じて相手を楽しませるサービスのことです。」
伽〈カ・ガ・キャ〉は、梵語(サンスクリット)のカ・ガ・キャの音に当てた字。意味はありません。音は、「伽藍(がらん)・閼伽(あか)・瑜伽(ゆが)・伽羅(きゃら)」のようになります。
元々、「伽」は「お伽話」のように「話相手をして退屈を紛らわせる」という意味だったようです。
〔音〕 カ(漢音) ガ(呉音) キャ(慣用音)〔訓〕 とぎ

「夜伽」とは夜の寝室で伽をすることを指すので、死者の霊に一晩付き添って霊を鎮める儀式を指すこともあります。それが通夜。
また、夜病人などの看護をして一晩付き添ってお世話することです。
それで夜伽=@ABのいかと言うことになります。三種の寝ずの番のこと…。
@君主のため女が男の意に従つて共に寝ることに云ふ。女が男と同衾すること。夜お相手をするの意から出た語。「枕のとぎ」に同じ。“とぎ”とは、添い寝すること。
A夜病人などの看護をすること、又する人のこと。病人のためなどに、夜寝ないで付き添うこと。
B 夜伽(葬式の前夜)などで夜を通して起きていること。所謂通夜。

本来は@ABと言う意味があったので、同じ意味でも@Aは相応しくないので、現在は@Aの夜伽を使わず、Bの葬式前夜の通夜と言う言葉のみに限って使われるようになりました。
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祖父・祖母の葬式で、子・孫・曾孫が集まり葬儀場で、燥いだり賑やかにするそんな様を表した諺に「孫子(まごこ)の正月」と言うのがあります。恰も孫子が集まって正月のように賑やかに騒ぎます…!
幼児にとって祖父母の死の意味はほぼ理解できません。葬式のときは同い年の従姉弟が集まり、花や果物が飾られ、親戚の人達が大勢来るので非常に興奮します。孫子が正月に親元に集まってよく似ています。このことはよく見かける光景です。 実際、葬儀の時に会場等を大喜びで走り回っている幼児をよく見かけます。その様子が「爺々婆々の葬式は孫子の正月」と言う諺になって昔から残っているのです。そのように賑やかに集まってくれる姿をお爺さん・お婆さんは、会館で喜んで見守ってくれているでしよう!
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棺桶について、
明治の漱石の頃は現在のような寝棺(平棺)ではなく【座棺】だったと想います。現在棺の形状は、座棺から寝棺へ移り変りました。鎌倉時代には既に、樽の形(箍=タガをはめた丸い桶)の座棺があったといいます。この樽型の座棺から「棺桶」という言葉が定着したのでしよう?。
現在は寝棺(平棺)ですから棺・桶の二字を使って死者を納めるために使う「棺桶」という意味に集約されています。戦後直前までは、いつでも使えるように、自分用の棺桶を生前につくって、田舎では天井裏に保存していたということを聞いたことがあります。
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岡山美作(津山)の森家(森蘭丸の弟=森忠正が祖・菩提寺は本源寺)は、4代で後継ぎがなく、「無嗣断絶 むしだんぜつ」と言って、改易されされた後、徳川家康の第2子結城秀康を祖とする松平宣富が入国し、津山藩主松平家の菩提寺となった泰安寺。その菩提寺の境内に在る松平家一族の墓所を一部移設した時、棺桶は備前焼の大甕だったと聞きました。
むかしから備前焼の【※】大甕を棺に転用した例は、裕福な家に多くみられたようです。今では古備前の壺として更に高価かも…!?。江戸時代になってからは、
当時は骨董価値のある甕でなく日用品だったとしても、大名だからこそ、高価な大甕は松平家一族の座棺として使用された筈です。

「備前焼甕棺(びぜんやきかめかん)は、 岡山市内各地墓地出土遺跡から、江戸時代 には、備前焼の甕棺は、江戸時代の埋葬用の甕で、俗に「シビトガメ」とよばれていて、岡山市内各所の墓地遺跡から出土するようです。江戸時代は土葬が一般的で、火葬にされることはきわめてまれなようです。それはむかしは土葬する場所に困らず、火葬は手間もかかったからでしようか?
棺の材料の多くは、ほかに木製の棺や桶などを利用したものなどがみられますが、備前焼の産地に近い岡山市内では、これらの甕棺がよく出土しています。
この「シビトガメ」の形状は、日用品で貯蔵容器の大甕と違って、墓地遺跡から出た棺向き専用の筒状平底に造られています。円筒形寸胴(ずんどう)形です。
あちこちの墓地遺跡からは、これらの「シビトガメ」が一時盗掘されて骨董的価値ある備前甕として多く出回ったとも言います。
豊臣秀吉の波乱に満ちた生涯を締めくくる葬儀は、慶長三年に執り行われました。備前焼き好きだった太閤は、備前の直径一メートルほどの【※二石入り】の大甕に納めて遺体を塩漬けにして葬られたと言います。明治30年、「秀吉三百年忌」の墓所改葬の折りに、その甕が発見されているのだとか…。
秀吉の入った甕棺は、秀吉のことですから、甕棺は江戸時代以前なので高価な日常使用の貯蔵容器の大甕だった?ようにも想います。「シビトガメ」専用の形態になるのは江戸時代に入ってからでしようか!?。
=【※備考「一石=2.5俵で米の重さで言うと150キロ」】備前焼の甕は、主に米・水・油・酒造等の貯蔵容器。
※その甕に秀吉の遺体が、保存のため塩づけ?にされたと言うことも聞きました。秀吉の墓は、豊国廟(とよくにびょう)がある京都市東山区にある阿弥陀ヶ峰です。
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=余談A=
壺と甕(かめ)の違い。似た形状を持つ壺と【※甕の区別について、「頸部の径が口径あるいは腹径の2/3以上のものを甕と呼び、2/3未満のものを壺とする」という定義されるのだそうです。】そして胴から底に向かってすぼんだ形がその特徴であり、壺は甕より小型です。しかし、備前焼きの大甕を座棺に使う形状は、棺向き専用に特別に筒状に作られます。
長方形の杉材を竹材のたがで円形に結って作った桶(おけ)、つまり結桶(ゆいおけ)が昔の座棺用の棺桶になります。現在は全て火葬炉に適した寝棺になりました。
B「享年」と「行年」の違いは?、
どちらも耳にしたことのある言葉だと思いますが、その違いを知らない方も多いのではないでしょうか。
「享年(きょうねん)」とは、天から享(う)けた年数という意味で、数え年で考えます。
「行年(ぎょうねん)」とは、この世に生まれて何歳まで修行したかを意味する満年齢です。
私たちが日常的に使用しているのは満年齢のほうで、生まれた時点を0歳とし、誕生日を迎えるごとに年齢を加算する数え方です。
昔は数え年といって、生まれた時を1歳として1月1日(元旦)に歳を加算する数え方をしていました。昔の歳のように誰もが正月で歳を取りました。
三回忌、七回忌などの法要も、この数え方をします。

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近代になると座棺は、人が屈んで入れるほどの高さ(座高より少し高い)で、桶屋が作る水漏れを気にせず、すっぐ出来る死者を入れれるほどの真四角な箱や、丸棺になります。寝棺(平棺)は、現在よく見かけるような人の身長ほどで長方形です。
箱型や丸棺の座棺用は、火葬習慣が主流になる以前は、男二人(or四人)で棺を輿に載せて担いで運びやすい形態だったことや、土葬に適していたために使われていました。
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以下、「棺」と「柩」と2つの漢字があるので説明。
棺(かん)、ひつぎ(、柩)とは、ともに遺体を納めて【※】埋葬するための容器。
【※埋葬(まいそう)とは死者を土の中に埋めることです。 墓地、埋葬等に関する法律 においては「死体を土中に葬ること」として、いわゆる土葬を指す言葉として定義されています。慣用的な用法としては、火葬後の遺骨を墓地や納骨堂などに収納することを指す場合もあります。】
俗に、中身が入っていないものを棺、遺体が収められたものを「柩」とする説があるようですが、遺体が収められたものを家から火葬場に送り出すことを「出棺」(しゅっかん)といったり、棺には「ひつぎ」の意読があるので、現在では「かん」と「ひつぎ」の使い分けはほとんどないようです。なお、遺体が収められたものを霊柩(れいきゅう)ともいいます。霊柩車と言うのもあります。
それで世界大百科事典をしらべました。以下、
棺(かん、ひつぎ、柩)は、遺体を納めて葬るための容器。 俗に、中身が入っていない ものを棺、遺体が収められたものを「柩」とする説がある、遺体が収められたものを家 から火葬場に送り出すことを「出棺」(しゅっかん)といったり、棺に「ひつぎ」の訓がある ように、「かん」と「ひつぎ」の使い分けはほとんどありません。なお、遺体が収められたものを 霊柩(れいきゅう)ともいい、それを運ぶための車(自動車)を霊柩車(れいきゅうしゃ)ともいいます。
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処によっては、通夜の前に遺体を火葬する風習があるところもあります。火葬→通夜→葬式となります。そんな地域があります。そんな葬式を鳥取県で一度したことがあります。そうなると葬儀後霊柩車での出棺はありません。
葬儀の流れというと、通夜を営み、翌日に葬儀・告別式、そして火葬場へ向かって荼毘に付すという流れを思い浮かべる方が多いかもしれません。しかし、日本全国を見れば“これが常識”とは言いきれないようです。
葬儀の流れを大きく分けると、遺体で葬儀を営む「遺体葬」と、荼毘に付して遺骨で葬儀を営む「骨葬」、の2つに分けられますが、骨葬の場合、さらに火葬のタイミングで、通夜も遺骨で営む「骨葬」に分かれます。
葬儀の流れは、地域によって大きく以下の3つに分けることができます。
@通夜→(翌日)→葬儀・告別式→火葬 という流れの「後火葬」の地域。
A通夜→(翌日)→火葬→葬儀・告別式 という流れの「前火葬」の地域。
B火葬→通夜→(翌日)→葬儀・告別式 という流れの「骨葬」の地域。
地域によって火葬・葬儀の順番が違います。
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火葬は本来仏教が日本に入ってきてから始りました。
其れまでは古来の神道の影響で、死をけがれととらえ、死霊を封じ込める為に遺体を穴に埋め、大きな石を乗せたり遺体に抱かせたりして埋葬しました。しかし、仏教伝来すると火葬が行われるようになりました。
古来よりインドでは火葬を行われており、釈迦自身も火葬たったという伝統があるからです。
記録では、南都六宗の一つ「法相宗」(奈良・薬師寺)を起こした道昭((629年-700年)が荼毘(火葬)に付されたのが火葬のはじまりとされています。
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日本で火葬が始まったのは、仏教が伝来してからです。
古来よりインドでは火葬が行われております。それはお釈迦さま自身も火葬たったという伝統があることによります。それで日本の火葬の歴史は、1300年ほど遡ります。

仏教伝来以前の日本では死をけがれととらえ、死霊を封じ込める為に遺体を穴に埋め、大きな石を乗せたり遺体に抱かせたりして埋葬してました。

しかし、仏教が伝わってくると、火葬を行われるようになりまります。
古来よりインドでは火葬を行われており、釈迦自身も火葬だったという伝統があるからです。
以下、サーチ【search】しながら、
・聖武天皇(756年没)から、明治天皇の前の孝明天皇まで、葬儀はすべて仏教式で行われていました。神道式で行う天皇家の葬儀は、実は、国家神道を推し進めた明治政府による政治的なものです。
現在多くの国民は、過去にも神道式で天皇の葬儀は行い、陵墓に土葬で埋葬することに、何の疑問も持っていません。

・最近宮内庁の羽毛田信吾長官は天皇・皇后両陛下の「ご喪儀(そうぎ)」について、両陛下の意向を踏まえ、江戸時代以降の慣例となっている土葬ではなく、火葬の方向で検討していくと発表しました。
(但し葬儀は、今まで通り神道式に替わりはないと想います。)

・天皇家の火葬と深い関連がある寺として、京都東山の御寺(みてら)泉湧寺(せんにゅうじ)があります。空海(弘法大師)が創建した真言宗の寺です。

・貞応3年(1224年)には後堀河天皇により皇室の祈願寺と定められた。後堀河天皇と次代の四条天皇の陵墓は泉涌寺内に築かれ、この頃から皇室との結び付きが強まります。江戸時代には後水尾天皇以下、幕末の孝明天皇に至る歴代天皇が山内に葬られている。泉涌寺はこれらの皇室の陵墓に対して香をたき、花を供える香華院となり、「御寺(みてら)」と尊称されます。

・公家武家双方からも帰依深く、貞応3年(1224年)には後堀河天皇から皇室の祈願寺と定められた。後鳥羽・順徳・後高倉院のほか、北条政子や北条泰時が訪れ受戒を授かったといいます。また入滅後も時の皇室からの帰依は尽きず、仁治3年(1242)に四条天皇が葬られると、江戸時代の後水尾天皇以下、幕末の孝明天皇に至る歴代天皇の墳墓がこの寺に築かれるようになりました。
泉涌寺が別名「御寺」と称されるのは、ここが皇室の菩提寺として、今なお厚い信仰を集めているからです。

・皇室といえば神道、というのは常識ですが、明治維新より前には、歴代天皇をはじめ多くの皇族がお寺に埋葬されています。
京都東山の泉湧寺では、天智天皇と光仁天皇から、南北両朝の天皇を含め、昭和天皇までの位牌を安置しているほか、境内にある月輪陵【つきのわみささぎ】には、鎌倉時代の後堀川天皇、四条天皇、江戸時代の水尾天皇から幕末までの25人の歴代天皇の陵墓があって、今も皇族方の参拝があります。
このお寺は「御寺(みてら)」なだけにどこを見ても上品な宮廷の雰囲気を感じます。

・神式で行われ陵墓に葬られた葬儀は、明治天皇・大正天皇・昭和天皇のわずか3回です。飛鳥・奈良の昔から江戸時代の孝明天皇の葬儀(1867年)まではずっと仏式で行われ、天皇家の菩提寺は泉涌寺(京都市東山区)でした。江戸時代の天皇の葬儀は京都東山の泉涌寺で行われています。もちろん仏式の葬儀で、遺体は境内の「帝王陵」と呼ばれる区画に埋葬された。「陵」といっても墳丘があるわけではなく、大名の墓に似た石塔が立ち並んでいるだけです。
古墳のような墳丘が復活したのは、幕末の慶応2年(1867)に崩じた孝明天皇のときです。尊王攘夷運動が高まり、明治維新に向かう時期のことである。王政復古の気運は天皇陵の形にも及び、墳丘が築かれた。ただし、その場所は泉涌寺の裏山で、葬儀も泉涌寺で行われた。

・貞応3年(1224年)には後堀河天皇により皇室の祈願寺と定められた。後堀河天皇と次代の四条天皇の陵墓は泉涌寺内に築かれ、この頃から皇室との結び付きが強まる。江戸時代には後水尾天皇以下、幕末の孝明天皇に至る歴代天皇が山内に葬られる。泉涌寺はこれらの皇室の陵墓に対して香をたき、花を供える香華院となり、それ故「御寺(みてら)」と尊称されます。

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< あるほどの菊投げ入れよ棺の中 > 
本来菊は、健康、長生き、若返りという縁起が良い花です。
菊花は上品で美しく、昔はお葬式など仏事に用いられる花の定番とされていました。特に白い菊は、「死」を連想されるとされていました。
なぜ菊がお葬式に用いられるようになったかは、
・菊の花言葉が「高貴」「高尚」などであり、厳粛な式にふさわしいこと
・菊は香りがよくお香と匂いが似ていること
・菊は栽培しやすく、花が長持ちし、調達しやすい花であること
など、諸説があるのでしよう。
白はお葬式の花として用いるようになっていました。また喪服の正装は黒ではなく、古くは白だったのです。
皇室の家紋のように、菊は長寿の格式高い縁起の良い花から一転して、日本ではお葬式や仏事に用いられる“縁起の悪い花”と認識されるようになったのは明治以降です。
日本国内で長寿の象徴だった菊は「死」を連想させる花となってしまいました。
現在、菊は種類やカラーも増え、バラやラン・ガーベラ等の色花で祭壇などでも飾ることが増えました。基本的にはこの花を供えてはいけない、この花はいいと言うことはありません。真言宗は花曼荼羅・色マンダラ【※1.】マンダラ宗とも謂います。
【※1.マンダラとは、本質や真理に至るための図のこと。壇,道場,円輪具足,集合などと訳される。本来の意味は仏の悟りの本質ですが,日本・中国では仏・菩薩が集まり充満しているさまを図示した形像(ぎょうぞう)曼荼羅をさしていう。仏の悟りの世界をあらわした密教(真言宗)独自の図。諸尊の集まった姿が図式的、幾何学的に描かれているのが特徴です。
曼荼羅は「本質を有する」という意味になります。斑(まだら)という言葉は、曼荼羅と言う言葉から発生したもの。円・渦・方形などの複数のシンボルを一定の秩序で組み合わせ、豊かな色彩とともに表現されたものを曼荼羅と呼んでいます。
曼荼羅とは、宇宙の本質を表したもの。「まんだら」の撥音(はつおん)「ん」が表記されない形。
多くの要素を持った集合体のことで、ここには「大自然界の空間・領域・場の本質を図式で示したもの」が表されています。マンダラ自体の訳は円板,円輪の意。壇,輪円具足などと訳します。】

*「煩悩も含めて、ありのままが悟り」と説くのが、密教系(真言・天台)の教えです。だから、
・花の種類はどんな花(百華)でもいいのです。“ありのままの花”を全て受け入れます。供花・祭壇の花・花色“花曼荼羅(全ての花を受け入れ肯定する)”思想だからです。

・更に供花(くげ・きょうか)・祭壇の花・花色は、どんな色でもいいです。
それは真言宗はマンダラ、“色マンダラ(すべての色を肯定して受け入れる思想)”の宗派だからです。

ですが、まだこの供花・祭壇の花の花色は止めた方がいいと言う人がいるのも事実です。
また一般的にはお葬式の花と言えば、まだ「菊」のイメージかも知れません。それに花の色と言えば「白菊」のイメージかも知れません。
明治、昭和の長きにわたり、「葬式=菊=白菊」という認識でした。

当たり前ですが漱石の頃は葬式の花と言えば菊。
        <…あるほどの菊投げ入れよ棺の中…>  楠緒子
その菊は、きっと白菊だった…!。
漱石にとって、楠緒子は白菊の如き!?君なりきだったのでしようか!?。

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真言宗の葬儀。
【葬儀式は即身成仏への引導作法として示されます。剃髪・授戒・戒名の授与までが前段階で 大日如来のもとへ導くための準備段階の作法で、それ以降が後段階として 大日如来との一体感 すなわち 永遠の生命との一体感をきわめる作法となります。具体的な葬儀の進行内容は 真言宗内 宗派、地域により異なります。
弘法大師の作と言われるご詠歌(ごえいか)に「“阿字(あじ)の子が、阿字の古里、立ち出でて、また立ち帰る、阿字の古里”」は真言宗に於ける葬儀観を示したものとされます。阿は梵字で書かれ、大日如来とその生命を表わします。死者(亡者と呼ぶ)を宇宙生命の源である大日如来の大生命に包まれている弥勒菩薩の浄土である“都率浄土”へ送り返す事が葬送儀礼の精神とされます。従って葬儀式は即身成仏への引導作法として示されます。剃髪・授戒・戒名の授与までが前段階で 大日如来のもとへ導くための準備段階の作法で、それ以降が後段階として 大日如来との一体感 すなわち 永遠の生命との一体感をきわめる作法となります。具体的な葬儀の進行は 真言宗内 宗派、地域により異なります。】
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お葬式をする意味は、二度とこの世に帰ってくる事のない、死者との永遠の別れをつかさどる最後の儀式と定義づけられます。
死者に対する尊敬と畏(おそ)れ、この二つを調和させて死者をあの世に送る。それが葬儀でしよう。
真言宗の立場で言えば、お葬式は菩提寺の住職(引導阿奢莉)が引導作法によって宗教的作法し、亡きお方を成仏させ、仏の世界に導く事です。
だからお葬式とは、 
この引導作法に告別式が加わって、同時に行なわれる事を謂います(主体はあくまでも引導作法です)。
葬儀式は宗教儀礼、告別式は社会儀礼です。それを同時(あわせて1時間以内)に執行するのが、今日では一般的です。
真言宗の葬式は、広辞苑にあるような「葬式≒死者を葬る儀式」と言うような、単なる意味ではありません。
【参考:「漢字源」に葬とは、
古代中国の経書の一つ『易』の中に 「昔の埋葬は草木で死者を厚く包み覆った」と書かれているように、「葬」は「艸(廾≒草)が上下二つ+死」で 生い茂ったくさむらに 草の敷物を置き、また死(死者)をその上に置き 更に(廾≒草)で隠し去ることを表しています。
以上のように(草で隠す)事から「草の葉の下の意」≒「草葉の陰」となり、墓の下、あの世「草葉の陰から見守る。(墓の下から見守る)」と言う言葉になっていったのでしようか???
【「礼記」には「葬とは蔵(ゾウ)なり」とある】とあります。だから有史以来【葬式とは簡単に言えば「蔵(ゾウ)」となり「隠す」ことなのです。】
これらが辞書での意味です。
真言宗で言えば、導師によって引導を渡たし成仏させます。 
葬式後から初めて「南無過去精霊」とお唱えし、拝む対象にされるのです。
それは引導作法によって、始めて即身に成仏するとされるからです。
48日忌までの後祀りの祭壇には、 
葬儀社はよくお遺骨を中心にして祀ってくれますが、お位牌が中心になるべきです。
葬式が済んだら、お位牌が主体になります。

(参考:「南無」とは帰命・敬礼の意「身命をささげて帰依し、敬礼する事」)

(参考:多くの地域では葬式を済ませて荼毘に付しますが、荼毘に付してから、その後葬式をするという地方もあります。密葬を済まし荼毘にし、その後本葬にうつる場合もあります。)
(余話:「ウグイス」は、葬式の隠語として使われる。泣(鳴)きながら埋め(梅)に行くからのようです!。


浄土真宗の葬儀の仕方を調べてみたら、他の宗派と大きく異なります。葬儀の中に授戒と引導が無い為、葬儀は 日常の勤行(ごんぎょう)がそのまま葬儀式の構成となります。これは 在家仏教ゆえに戒が無く、“絶対他力”ですので 信心をいただいていない人が亡くなっても その人を往生・成仏される力は私たち凡夫(僧を含む)には出来ない、阿弥陀如来の一人働きによるのみとされ、“平生業成”から生前に信心をいただいていたならば、浄土往生と成仏は、すでに約束されている事なので、故人の成仏を祈る必要はない、との考えから引導もないようです。
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【*1.大塚楠緒子のこと、以下サーチ。 
大塚楠緒子は歌人・作家として明治の末に活躍した才色兼備との呼び声も高く、名をはせ、若くして亡くなってしまいます。漱石が彼女の死に寄せて詠んだのが、この句のようです。
『硝子戸の中』には、ふとすれちがった彼女の顔のうつくしさに、漱石は誰とも思い出せぬまま“じっとその人の姿に見惚(みと)れていた”ことが書かれているそうで、またほかのエピソードを上げて、彼女の控えめな優しさについて思いをはせています。それらをふまえてこの句を読むと、純粋な哀悼のほかに、なんとなく男女の情愛めいたものを感じそうになってしまいます。
また、それら背後のことを抜きにしても、楠緒子をおさめた棺の中に有るほどの菊花で埋めたい、と願う気持ちがよくあらわされている名句です。】


=余談@=
花を故人にお供えする文化は古く、6万年前のネアンデルタール人が死者に花を手向けた事が起源とされています。そこから今現在、宗教に関わらず、お墓や葬儀、または慰霊祭等でも故人へ花をお供えします。
イランのシャニダール洞窟で、ネアンデルタール人の化石とともに、ノコギリソウやヤグルマギクなど数種類の花粉を大量に発見されたそうです。人骨化石の付近から花粉の量が極端に多いので、「ネアンデルタール人には死者を悼む心があり、副葬品として花を遺体に添えて埋葬する習慣があった」と云う説があります。
以下漢字源より、
=余談A=
:=葬=: 
古代中国の経書の一つ『易』の中に 「昔の埋葬は草木で死者を厚く包み覆った」と書かれているように 「葬」は「艸(草)が上下二つ+死」で生い茂った草叢に 草の敷物を置き 死(死者)をその上に置き 又草をかけて隠し去ることを表しています 「礼記」に「葬とは蔵(ゾウ)なり」とある 
「草葉の陰」という言葉は草で隠す事から 草の葉の下の意 所謂墓の下≒あの世
「草葉の陰から見守る(墓の下から見守る)」になったのでしようか?
=余談B=
:=墓=:
「土」が形を表し「莫」(バク)が音を表す形声文字。死者を葬った後 日(太陽)が草の中に隠れて見えない様子 昔の人たちはお墓の中身は 太陽が昇ることのない暗闇の世界だと考えていたのです
「墓」の意味は『葬り(はぶり)のか処』と言う事から『はか』となったとされます
「莫(ばく)」の部分は 太陽が草の中に沈んで隠れる事を示す会意文字「墓」の字には死者を見えなくする土盛りの意
平らな物を「墓」 土を盛ったものを「塚」 高く築いたものを「墳」と呼びます
一般の庶民の墓が建てられるようになったのは 江戸時代になってからです 
それから寺の境内に墓が出来だしたのも江戸時代以降です 
=余談C=
:=死=:
死は「歹(骨の断片)+人)で 人が死んで骨きれに分解された状態 「ヒ」は人がひざまずく意味 死者の前で 人がひざまずいて祈りを捧げている様子を表した会意文字
=余談D=
:=喪=:
「哭(こく:なく)+口二つ+亡(死人でいなくなる)「哭」は声をあげて口々に泣くこと 「亡」は人の死を意味する会意文字 一説には木の葉がそぎ落ちて 枝だけになった状態をガクといい 遺体が骨だけになってやがて失われてしまう様子を表した文字ともいわれています
=余談E=
:=逝=:
「之+音符折」ふっつりと折れるように行ってしまうこと 「折」ははっきりと断つ ぷっつりと途絶えること かたく結ばれていた絆が離れて ばらばらになってしまう状態であることから 転じて「死」を表すようになりました また、中国古代の思想家・孔子が「逝く者は斯くの如きか(この世にあるものはすべて川の流れのように移ろい変わっていくのだろうか)」と述べているように 去ってしまって 二度と戻ってこないという意味でも使われるようです
=余談F=
:=忌=:
「心」と「己(キ)」という音符が組み合わさった形声文字 「己」には押さえつけられたものが 起きあがるという意味があることから 心中にハッと抵抗が起きて 素直に受け入れられない気持ち すなわち肉親などの死を表すようになりました 現代では 「忌諱(忌み嫌うこと)」「忌克(他人を妬んで勝とうとすること)」など どちらかというと「よくないとして避ける はばかる」という意味合いで使われることが多いようですが 天武天皇の時代には忌寸(いみき)という立派な姓氏も存在しました 。
=余談G=
:=寂=:
「死を言う。特に僧(仏教を開いた釈迦の教えです、いつどんな時
  にも変わる事のない、正しい物事の道筋を自分のものにする為に、
  修行を行う人が死ぬこと」(仏教語)

☆=================================★

=お葬式をする意味=

二度とこの世に帰ってくる事のない、死者との永遠の別れをつかさどる最後の儀式と定義づけられます。
死者に対する尊敬と畏(おそ)れ、この二つを調和させて死者をあの世に送る。それが葬儀でしよう。
真言宗の立場で言えば、
お葬式は菩提寺の住職(引導阿奢莉)が引導作法によって宗教的作法し、亡きお方を成仏させ、仏の世界に導く事です。
だからお葬式とは、 
この引導作法に告別式が加わって、同時に行なわれる事を謂います(主体はあくまでも引導作法です)。
葬儀式は宗教儀礼、告別式は社会儀礼です。それを同時(あわせて1時間以内)に執行するのが、今日では一般的です。
真言宗の葬式は、広辞苑にあるような「葬式≒死者を葬る儀式」と言うような、単なる意味ではありません。
【参考:「漢字源」に葬とは、
古代中国の経書の一つ『易』の中に 「昔の埋葬は草木で死者を厚く包み覆った」と書かれているように、「葬」は「艸(廾≒草)が上下二つ+死」で 生い茂ったくさむらに 草の敷物を置き、また死(死者)をその上に置き 更に(廾≒草)で隠し去ることを表しています。
以上のように(草で隠す)事から「草の葉の下の意」≒「草葉の陰」となり、墓の下、あの世「草葉の陰から見守る。(墓の下から見守る)」と言う言葉になっていったのでしようか???
【「礼記」には「葬とは蔵(ゾウ)なり」とある】とあります。だから有史以来【葬式とは簡単に言えば「蔵(ゾウ)」となり「隠す」ことなのです。】
これらが辞書での意味です。
真言宗で言えば、導師によって引導を渡たし成仏させます。 
葬式後から初めて「南無過去精霊」とお唱えし、拝む対象にされるのです。
それは引導作法によって、始めて即身に成仏するとされるからです。
48日忌までの後祀りの祭壇には、 
葬儀社はよくお遺骨を中心にして祀ってくれますが、お位牌が中心になるべきです。
葬式が済んだら、お位牌が主体になります。

(参考:「南無」とは帰命・敬礼の意「身命をささげて帰依し、敬礼する事」)

(参考:多くの地域では葬式を済ませて荼毘に付しますが、荼毘に付してから、その後葬式をするという地方もあります。密葬を済まし荼毘にし、その後本葬にうつる場合もあります。)
【:余話:】
「ウグイス」は、葬式の隠語として使われる。泣(鳴)きながら埋め(梅)に行くからのようです!。

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「千の風になって」と言う歌が流行りました。 
「亡くなった人は お墓にはいません・♪・♪・」と歌います。
自由自在にいろんな物になって、何時もあなたの周りにいて、慰めてくれますと歌います。
真言宗では成仏させる事を主眼として、死者の霊を迷わせることなく、即身に成仏させて安定させる儀礼をします。 
それで、 
亡くなった人に引導作法を行なえば、以後「仏」と言われるのです。 
それが真言宗のお葬式の「引導作法」です。
故に、
成仏された故人(霊魂)は、いろんな物になって変化(へんげ)するほど、色々迷ってはいないのです。 
だから遺された遺族も、同じ境地であるべきです。 
「鳥になり・光になり・風になり・雪になり・♪・♪・いろんな物になり」とは「迷いの心」が、そうさせると解釈されるからです!!
(秋川雅史の歌唱力に惹かれる 心情は分かりますが!)
この歌を調べてみると、 
戦死した彼を想って、一時的に追想するもので、初めイギリスで歌われだしたものだと云います。  
また既にあった詩を或る葬儀で、俳優のジョン・ウェインが朗読したという話や、女優マリリン・モンローの25回忌にも、朗読されたという話もあります。
さらに19世紀末に、米国に渡った英国人が残した詩という説や、米国先住民から伝承された詩など、様々な諸説があるようです。
所謂、原詩は作者不詳で、日本では秋川雅史が歌い、一気に有名になりました。新井満と言う人が日本語での訳詩を付け、自ら作曲を務めたことにより生まれた曲のようです。
新井満と言う人のサーチ【search】して見ました。趣味として世界中の著名人の墓参りをして来たそうです。著書の一つに「自由訳般若心経」があります。
この歌のように、「鳥になり・光になり・風になり・雪になり・♪・♪・いろんな物になり」と言う「迷いの心」を起すべきではありません。真言宗の引導作法(葬儀)によって個人(霊魂)は安定した仏の世界(浄土)に安住します。
だから後に残された者も葬儀後は徐々に死を受け入れる努力に努めるべきです。『故人を偲び、懐かしく思い出す、追憶するということ』は有っても…

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「鳥になり・光になり・風になり・雪になり・♪・♪・」とは、単に、
「死というものを受け入れがたい、納得しがたい」という、発露現象(心の中にあるものや、隠れていたものがおもてに現れ出る。)の一つと言えます。 
故に、 
心の中にあるものや、隠れていたことがおもてに現れ出ること、そのことは故人(霊魂)も、遺された者も同じく、「千の風」≒「ちじ(千々)に迷った心(風)」≒「残された人が複雑な悲嘆にくれる」ことだと言えます。 
段々と「単純な悲嘆」に戻して行かなければなりません。

・謂わんとするところで大事なのは、遺族は成仏を祈り、死を納得することから癒しを得て、悲しみを抱えながらも乗り越え、(故人を忘れる事とは違います。) 次第に離別を終え、供養を重ねて行くことによって、遺族自らが、次に新しく生きていく道を進むことなのです。それが真言宗で行なわれる葬式の本来の意義です。
・偲ぶということは、想いを馳せるということ。そのことで、気持ちの整理を徐々におこなっていくことで別離を終えなくてはなりません。
「鳥になり・光になり・風になり・雪になり・♪・星になり・・・♪・」亡き人がそうなるのではありません。むしろ喪が明けたら残された自身が進んで、供養をしてゆきながきながら外の空気を吸いに自身が「鳥になり・光になり・風になり・雪になり・♪・♪・」ということを自ら外に出て体感して行くべきです。そしたら残されたものが、より生きてゆく勇気がわくかも知れません!
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仏教的に言えば、
葬儀をして「あきらめて行く」ことだと言う事かもしれません。
「あきら(諦)める」という言葉には本来は、仏教の言葉で「明らかにする」という意味があります。
「あきらめる」というよりも、「とらわれない」と考えたほうがいいのかもしれません。
出世にとらわれない。お金にとらわれない。特定の人にとらわれない・・・です。
何かにとらわれない自由な心で、自分なりの生き方を選択できるように、なれたらいいのではないでしようか?
葬儀後の段階になると、愛する人はもうこの世にはいないという、つらい現実を「あきらか」に見つめて、死を受け入れようとする努力を始めます。 
死の受容は、ただ運命に押し流されるのではなく、事実を積極的に受け入れて行かなければならない事なのです。
それが為には喪が明けたら、積極的に外出して行くようにわたしは勧めています。人や友達に誘われたら、断らずに一緒に外に出て楽しみを見つけなさいと言っています。
悲嘆や苦しみがあっても、積極的に目を外に向けてゆけば「日々が薬」『日にち薬(英語ではTimes cures all (things). となります。そんな諺が昔からあるように悲嘆や苦しみは、自然に癒えてゆきます。時間が癒してくれます。
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最近「生前葬」をする人がいるそうです。「生前葬とは生きている間に自分のお葬式を済ますこと。」
「生前葬」をするのは自由だけど、 
それは「葬」と言わない方がいいのでは!? 何か別の言葉にしたら!?と思います。
初に書いたように、 
少なくとも、「漢字源」にそぐわないと思います。
:「漢字源」に葬とは【古代中国の経書の一つ『易』の中に、「昔の埋葬は草木で死者を厚く包み覆った」と書かれているように、「葬」は「艸(廾:草)が上下二つ+死」で生い茂ったくさむらに敷物を置き、また死(死者)をその上に置き(廾:草)隠し去ること:を表しています。 
「礼記」に「葬とは蔵(ゾウ)なり」とある】ことなのですから!
「蔵(ゾウ)」とは「隠す」ことです。
少なくとも「葬」の字をつけない方がいい !! そう思います。
生前葬をして直ぐ、自らお隠れになるのなら別ですが!!!?
そんなことは人騒がせでしかありません。
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また、
お遺骨をダイヤモンドにして、遺すという記事を見ました。
特許を持つアメリカに遺骨を送り、ダイヤモンドにして貰うのだそうです。そして首飾りに!!!。
骨の中から炭素を取り出し、超高圧・超高温で出来るようです。 
それは単なる炭素原子です。 
そうなると、 はや、故人と特定する物ではないのでは…!?。 
自然界に沢山存在する、単なる炭素原子となんら変わる物ではありません。
「だから特定の遺骨≒そのダイヤモンド≒特定の故人とは考えられません !。」
その事は、千の風と同じ感情でしかないのでは!!。
「手元供養」と称して、遺骨やその加工品を身近に置くことで、心のよりどころとしたり、故人との絆を再確認する供養の方法が登場してきています。自宅保管用ミニ骨壺や納骨ペンダント、遺骨から作られたメモリアル・ダイヤモンドなどです。こんなダイヤにしたとしても何十年後には、何時か失われて塵として紛失するでしょう。そうなると粗末になります。
かつて死者の霊魂は、愛しいと同時に恐ろしい存在でもあったので、いつまでも一緒にいてほしいという思いと、どこか遠くで安定した状態になってほしいという思いが、複雑に交錯していましたのだと思います。

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:余談:
=葛籠、以下サーチ【search】
かつ【葛】[漢字項目]
[常用漢字] [音]カツ(漢) [訓]くず かずら つづら
1 つる草の名。クズ。「葛藤(かっとう)・葛根湯」
2 クズの繊維で作った布。「葛布/裘葛(きゅうかつ)」
[名のり]かず・かつら・かど・さち・つら・ふじ
[難読]葛飾(かつしか)・葛城(かつらぎ)・葛籠(つづら)
くず【葛】
マメ科の蔓性(つるせい)の多年草。山野に生え、茎は長さ10メートル以上に伸びる。葉は先のとがった楕円形の小葉3枚からなる複葉で、大きい。秋、紫赤色の花が集まって咲く。肥大している根は葛根といい薬用、また葛粉をとる。秋の七草の一。《季 秋》「あなたなる夜雨の―のあなたかな/不器男」

くず‐かずら〔‐かづら〕【葛/葛×蔓】
[名]クズの別名。
[枕]
1 クズの葉が風に裏返るところから、「うら」「うらみ」などにかかる。
「秋はつる三室(みむろ)の山の―恨みしほどの言の葉もなし」〈新葉・恋五〉
2 クズのつるを繰る意から、「来る」にかかる。
「契り置きし露をかごとの―来るも遅しとなほや恨みん」〈新後拾遺・恋五〉
つづら【▽葛/葛=籠】
1 (葛籠)ツヅラフジの蔓(つる)で編んだ、衣服などを入れる箱形のかご。のちには竹・檜(ひのき)の薄板で編み、上に紙を張って柿渋(かきしぶ)・漆などを塗った。つづらこ。
2 襲(かさね)の色目の名。表は青黒色、裏は薄青色。
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
大辞林 第三版の解説
くず【葛】
@ マメ科の大形つる性多年草。山野・荒地に自生。葉は卵円形の小葉三個からなる複葉で、裏は白っぽい。秋、葉腋ようえきに紅紫色の蝶形花を総状につける。肥大した根から葛粉を採るほか、漢方で葛根かつこんといい発汗・解熱薬とする。茎の繊維で葛布くずふを織る。秋の七草の一。クズカズラ。 [季] 秋。
A 「葛粉」の略。
B 「葛餡くずあん」「葛溜くずだまり」の略。
C 「葛布くずふ」の略。
[句項目] 葛晒す ・ 葛掘る ・ 葛を引く
葛 (カズラ)
植物。蔓性植物の総称
葛 (クズ)
学名:Pueraria thunbergiana
植物。マメ科の落葉つる性植物,園芸植物,薬用植物
葛 (ツズラ)
植物。葛藤の別称


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『いのちの理由(りゆう)』作詞作曲:さだまさし
この曲をある葬儀会館の中で聞きました。初めて聞いたとき新鮮な深い感動を覚えました。クリス・ハートがうたっていたもので、心に染み入りました。
これは、浄土宗が大遠忌記念曲として、さだまさしさんに作詩・作曲を依頼した「いのちの理由(りゆう)」のようです。今ではCDが発売されています。さだまさし自身歌ってもいるし、歌手:岩崎宏美の手話付きで動画になってもいます。コロッケも動画になっています。コロッケは上手に歌っています。
詩は以下、
この詩のメッセージはどこまでも深く私たちの心に刺さります。生きとし生けるものに問いかける歌。
人は皆、兄弟や友達をはじめたくさんの人物と関わり合いながら成長していきます。
そして最愛の人に巡り合い、また新しい命を自らが育んでいくことになるのです。
『この世の誰もが幸せになるべく生まれてきたに違いありません。』
悲しく辛いことがあっても、いつかそれらを覆い包みこんでくれる喜びが待っているはずです。
私もこうして愛しいあなたに出会うことができた。そしてあなたを護ることが、私が生きていく新たな理由の一つだとうたうのです。
人は本来ならば誰しも両親の愛情に包まれてこの世に迎えられるはず。

生まれてきた理由は、たぶん家族姉妹子供たち、全ての人々、地球全ての生き物たちに会うためであり、この世の全てに共振すること。

生きとし生けるものに問いかける歌。
私が生まれてきた訳は
父と母とに出会うため
・【人は本来ならば誰しも両親の愛情に包まれてこの世に迎えられるはず。】
私が生まれてきた訳は
きょうだいたちに出会うため
・【そして人は皆、兄弟や友達をはじめたくさんの人物と関わり合うことで成長していきます。人は皆、兄弟や友達をはじめたくさんの人物と関わり合うことで成長していきます。】
私が生まれてきた訳は
友達みんなに出会うため
・【人は皆、兄弟や友達をはじめたくさんの人物と関わり合うことで成長していきます。】
私が生まれてきた訳は
愛しいあなたに出会うため
・【そして最愛の人に巡り合い、また新しい命を自らが育んでいくのです。】

春来れば 花自ずから咲くように
秋くれば 葉は自ずから散るように
しあわせになるために 誰もが生まれてきたんだよ
悲しみの花の後からは 喜びの実が実るように

私が生まれてきた訳は
何処かの誰かを傷つけて
私が生まれてきた訳は
何処かの誰かに傷ついて
私が生まれてきた訳は
何処かの誰かに救われて
私が生まれてきた訳は
何処かの誰かを救うため

夜が来て 闇自ずから染みるよう
朝が来て 光自ずから照らすよう
しあわせになるために 誰もが生まれてきたんだよ
悲しみの海の向こうから 喜びが満ちて来るように

私が生まれてきた訳は
愛しいあなたに出会うため
私が生まれてきた訳は
愛しいあなたを護るため

−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−

『いのちの理由(りゆう)』作詞作曲:さだまさし

以下の詩は、
この詩のメッセージはどこまでも深く私たちの心に刺さります。
人は皆、兄弟や友達をはじめたくさんの人物と関わり合いながら成長していきます。
そして最愛の人に巡り合い、また新しい命を自らが育んでいくことになるのです。
『この世の誰もが幸せになるべく生まれてきたに違いありません。』
悲しく辛いことがあっても、いつかそれらを覆い包みこんでくれる喜びが待っているはずです。
私もこうして愛しいあなたに出会うことができた。そしてあなたを護ることが、私が生きていく新たな理由の一つだとうたうのです。
人は本来ならば誰しも両親の愛情に包まれてこの世に迎えられるはず。

生まれてきた理由【生まれてきたことを全て肯定する為の歌】

私が生まれてきた訳は,『生きとし生けるものに問いかける歌』

父と母とに出会うため
・【人は本来ならば誰しも両親の愛情に包まれてこの世に迎えられるはず。】
私が生まれてきた訳は
きょうだいたちに出会うため
・【そして人は皆、兄弟や友達をはじめたくさんの人物と関わり合うことで成長していきます。人は皆、兄弟や友達をはじめたくさんの人物と関わり合うことで成長していきます。】
私が生まれてきた訳は
友達みんなに出会うため
・【人は皆、兄弟や友達をはじめたくさんの人物と関わり合うことで成長していきます。】
私が生まれてきた訳は
愛しいあなたに出会うため
・【そして最愛の人に巡り合い、また新しい命を自らが育んでいくのです。】

春来れば 花自ずから咲くように
秋くれば 葉は自ずから散るように
しあわせになるために 誰もが生まれてきたんだよ
悲しみの花の後からは 喜びの実が実るように

私が生まれてきた訳は
何処かの誰かを傷つけて
私が生まれてきた訳は
何処かの誰かに傷ついて
私が生まれてきた訳は
何処かの誰かに救われて
私が生まれてきた訳は
何処かの誰かを救うため

夜が来て 闇自ずから染みるよう
朝が来て 光自ずから照らすよう
しあわせになるために 誰もが生まれてきたんだよ
悲しみの海の向こうから 喜びが満ちて来るように

私が生まれてきた訳は
愛しいあなたに出会うため
私が生まれてきた訳は
愛しいあなたを護るため