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■ 58)<境内の花>:その52・ポーチラカの花:≪日本ではあまり見かけないオレンジ色の僧衣の「ミヤマ?」の托鉢僧:2010.7.1

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参拝者用の駐車場から、階段を上ると山門前のテラスです。
灯篭の手前は、暑さ、乾燥に強い花。
<ポーチラカの花> ポーチラカは昔からある松葉ボタンによく似ています。

早朝から暑い7月の朝、オレンジ色の僧衣を着て、頭を剃り、サンダルばきで、南の国の修行僧がこの階段を登ってこられ、「ミ・ヤ・マ・に行きたい(ひょっとしたらミヤマへ帰る…だったのかも知れませんが…?)」と、片言で話しかけられてこられましたが、会話が成り立ちませんでした。
私としては、「ミ・ヤ・マ・」が分らなかったので、「深山?、ミ・ヤ・マ?、ミヤマ?みやま?」と何度も、聞き返してみました。すると、手振りで「タイ」・「ミヤマ」と拳で場所を示すように、ゼスチャーをされますので、「ミャンマー」ですかと応じると、「そうです」と、やっと行先だけが理解できました。そうこうするうちに、境内の犬が出てきて、吠えたてたので、大きな声で「ハウス」と叱ったら、すぐこの階段をまた下りて行かれました。当山に来られた目的は、たぶん托鉢だったのだと、後から思いました。
ひょっとしたら、吠える犬に「ハウス」と言ったのが、その托鉢僧には帰れ!の意味?になったのかも知れません?後から頻りに、喜捨をすれば善かったと、申し訳なく思い続ける一日の始まりとなりました。昔見た「ビルマの竪琴(主演: 中井貴一)」という映画を思い出す日にもなりました。。
ミャンマーの公用語は、ミャンマー語。
ただしイギリスの植民地であったこともあり、他民族国家として共通言語の必要性もあって、小学校一年生から英語を学習するんだそうです。 僧侶の仏典は、パーリ語です。
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(ミャンマーは、以前ビルマと言っていました。「*2.ビルマの竪琴」という竹山道雄が執筆した児童向けの作品があり、雑誌「赤とんぼ」に1947年3月から1948年2月まで掲載される。ビルマ(現在のミャンマー)を舞台としている。市川崑の監督によって、1956年と1985年に2回映画化された。各国語にも訳されている。)

インドシナ半島西部に位置し、北東に中華人民共和国、東にラオス、南東にタイ、西にバングラデシュ、北西にインドと国境を接する国です。仏教は南伝仏教、小乗仏教とも呼ばれる。
仏教を二つに大別すると、スリランカ、ミャンマー、タイ、ラオス、等の地域に伝わった南伝の上座部仏教と、ブータン、ネパール、中国、ベトナム、朝鮮、日本中国やチベット、日本等の地域に伝わった北伝の大乗仏教に分類されます 。
南伝仏教(インドから南に伝わった仏教)を上座仏教、テーラワーダ仏教とも呼びます。昔は小乗仏教(現在は上座部仏教)と云われ、大乗仏教と区別していました。
北伝仏教は「漢訳」で伝わる経論で、「*1.パーリ語」で伝わって行くのが南伝の経論です。
南伝仏教を唱える国・上座部仏教は、
南方の主要国 スリランカ、タイ、カンボジア、ラオス、ビルマなど・・・

修行僧達はアラハー(阿羅漢)になることを目標とします。アラハーとは、自分の力で魂の不死の状態に達し、自分で救いを見いだす人の事です。そのため、自分が悟りを開くことを目的に、厳しい戒律に従う出家中心の宗教です。このことから、南伝仏教は、小さな乗り物という意味で、小乗仏教と呼ばれることが一時ありました。しかし、この言い方は北伝仏教から見た偏見とも言え、誤解を招くので、現在は上座部仏教と言います。
ところで、仏陀の教えをそのままに、生きようとした人たちは、最初在家の信者、つまり出家していない信者から、食べ物や飲み物のほどこしを受けながら歩き回っていました。やがて僧院ができ、その中で共に生活できるようになると、はっきりとした教団を形づくって、サンガと呼ばれる要になった。サンガは初期の頃から仏教の中心になって行き、僧はオレンジ色の僧衣を着て、頭を剃り、裸足かサンダルばきで歩いている。僧院には子供のうちに入ることができ、その後相談して、もし僧院の生活がその人に適しているということになれば、正式に僧として認められ、サンガに身をゆだねる。そして、僧として新しい名前、法名をもらい、非常に厳しい戒律に従って生きる義務を負う。また、簡素で厳しい生活を送る。瞑想と読経に大部分の時間を費やし、経験豊かなる僧ならば、信者や若い坊さん達を集め、仏教を教える。彼らは毎日、在家の信者から施しを受けるために鉢を持って、托鉢に歩く。食事は一日一回だけで、午前中に食べることになっている。結婚も遊びも許されず、身に僧衣をまとうだけで、財産を持つ事も許されない。
タイやミャンマーでは、仏教徒の男性は、一生のうち一定の期間を、僧侶として過ごさなくてはならない決まりがあります。
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*1.パーリ語とは、(以下仏教事典より)
インド語で伝えられた仏教経典の言語は、すべてインド・アーリア語。インド・アーリア語の源泉は、正統派のバラモン教聖典であるヴェーダやウパニシャド等で使用されているサンスクリット(梵語)です。バラモン経が発生した西北インドが源泉である梵語は、諸地方に流れて各地域の俗語となったとされています。インド諸地方のこれら民衆語は、プラークリット(俗語)と呼ばれます。インド語の経典の言語は広義のプラークリット(梵語に近い俗語を含む)に属します。
西北インドで栄えた説一切有部(せついっさいうぶ) は梵語(仏教梵語)の経典、中インドで栄えた正量部(しょうりょうぶ) は、シュラセーナ語の経典、南インドに起こった大衆部(だいしゅぶ) はマハーラーシュトラ語の経典、そして西インドで栄えた上座部はビシャーチャ語の経典を伝えました。
上座部に伝わったビシャーチャ語の経典が、スリランカ(セイロン)、ビルマ、タイなどの南方諸国に伝わり、今日まで伝えられたものがパーリ語経典です。
「パーリ語」という表現は言語学的なものではなく、「パーリ」は、聖典を意味しており、「パーリ語」は「聖典語」と言う意味で、スリランカに上座部経典が伝わり、そこに使われている言葉が、いつの頃からかパーリ語(聖典語)と呼ばれたようです。
パーリ語というインドの古代言語が、分別説部(上座部)という仏教の一宗派において伝えられ未だ用いられているといっても、それはバラモンにとってのサンスクリットと同様の言語、聖典を伝える「神聖な言語」としてである。あるいはまた、西洋におけるラテン語のように聖職者や知識人の教養としての言語としてであって、日常会話で使用されることなどない、死語です。英語の習得が一般的でなかった一昔前は、異なる国の上座部僧同士が(互いにほとんど異なった発音による)パーリ語で「無理矢理」会話をしたこともあったが、今はそういうことはほとんどないようです。

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南方諸国の上座部の僧衣は、ミャンマーが赤黒い色、タイが黄色、 ラオスは鮮やかなオレンジ色、 カンボジアは朱色が多いようです。


三帰依文の漢文と、パーリ語・サンスクリット語
   
漢文       パーリ語
南無帰依仏 = ブッダンサラナンガッチャーミ 

南無帰依法 = サンガンサラナンガッチャーミ 

南無帰依僧 = ダンマンサラナンガッチャーミ 

サンスクリット語(古くは梵語)の三帰依文

[ブッダン シャラナン ガッチャーミ]

[ダルマン シャラナン ガッチャーミ]

[サンガン シャラナン ガッチャーミ]

〓余話〓
現在はあまり使われなくなった言葉に、南無三(なむさん)という言うのがあります。
仏に帰依し救いを求めること。また失敗した際に「しまった」と言った感動詞として発する言葉です。
南無三(なむさん)とは、南無三宝(なむさんぽう)の略。南無は「ナム」「ナモ」と読むことがあります。
三宝とは仏、法、僧のこと。とっさの危難に対して、助けを乞うおまじないの意味で、使用されることもあります。
また、「しまった」「大変だ」といった感動詞として「なむさんだ」と言うようになりました。
『南無』と『三宝』という二つの言葉が合わる、「南無三宝(なむさんぼう)」の略。
「仏」「法」「僧」の三宝にすがり、救いを請うといった意味です。
ナムサン(なむさん)は、オー‐マイ‐ゴッド【oh my God!】の、ニュアンスになるのかも知れません。
マンガ「一休さん」などで、「たすけて!」というところを「南無三(なむさん)」という場面があります。昔は一般的によく使われていました。
テレビアニメの「一休さん」オープニング中には「あ〜ナムサンだ!〜」と流れていました。

『南無』とは、サンスクリット語のナマス(namas)及びナモー(namo)の音訳で、「帰命」「帰依」といった意味があります。それが転じて「命を捧げる」もしくは「命を捧げるほど大事に敬う」、「信じて寄りすがる」といった意味にもなります。
驚いたとき、失敗したときなどに発する「南無三、こいつは困った」など、

南無三宝=南無帰依仏・南無帰依法・南無帰依僧(仏、法、僧)

。「*2.ビルマの竪琴」という竹山道雄が執筆した児童向けの作品で、多くの版元で重版した。雑誌「赤とんぼ」に1947年3月から1948年2月まで掲載された。ビルマ(現在のミャンマー)を舞台としている。市川崑の監督によって、1956年と1985年に2回映画化された。各国語にも訳されている。

*2.「ビルマの竪琴」のあらすじは、次の通りです。
太平洋戦争が日本の敗戦に終わったビルマに、歌う隊とよばれる日本軍の部隊があり、その隊に竪琴のうまい水島という上等兵がいました。水島は隊長の命令で、敗戦を信じないで、まだ戦おうとする日本兵たちの説得にでました。ところが、水島は、それっきり隊へもどってきませんでした。あちこちに打ち捨てられている日本兵の死骸。はじめは、自分だけではどうにもならないと思いましたが、イギリス兵が、その敵の死骸をていねいにほうむっているのを見て、自分はビルマにとどまって、日本兵の霊をなぐさめることを決心した話です。