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■ 46)≪境内の花≫ その36・ホップブッシュプルプレア(オーストラリア原産)・・・金子みすずの詩no7;みすずの「さびしいとき」2010.6.27

(画はクリックで 拡大)
苗を購入して 鉢植えを地植えにしたら かなり大きくなり 地味な寂しい花を沢山付けます
ホップブッシュプルプレア(オーストラリア原産)
夏は緑 冬は銅色葉に変身する 初夏から秋までは緑葉であるが気温が下がり出す頃からみごとな銅葉に変身し 目立ちます(この種類は60種もあるそうです) 
ブッシュ状に伸びる低木 花のように見えるのは種子のサヤ(楓の種子に似ている) 良く茂るので目隠しや壁木としても利用でき 刈り込みにも良く耐えるので生け垣にもオススメ 花持ちがよく丈夫で育てやすい 切り花や切り枝にも最適です
落葉樹ではなく 冬には細長い葉がコーヒー色に変わり 周囲より目立って来ます それでも冬の花らしいものがない時期には 境内のアクセントになります
寂しい冬の境内を 明るく印象づけてくれる木です むしろ花の時期より冬樹のほうが目立つかも!?
初夏から秋までは薄い緑葉で 花が咲くと それなりに趣がありますが 花と言っても寂しい雰囲気です!

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さびしいという意味は違いますが みすずの「さびしい時」
薄命の詩人『金子みすず』の詩(下関市隣町出身;下関で家庭を持つ)

「さびしいとき」

  私がさびしいときに よその人は知らないの

  私がさびしいときに お友だちは笑ふの

  私がさびしいときに お母さんはやさしいの

  私がさびしいときに 佛さまはさびしいの

私が寂しい時「よその人や友達は 知らん振りしたり 笑ったりする」けど
お母さんは「優しくかまってくれる」の!
だけど 
仏様は「私と一緒に寂しくなって下さる」のよ!・・・!

≪みすずは 仏様の心と共に生かされています≫ 

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仏様の救い(お慈悲)の一つは “一切衆生(いっさいしゅじょう)と同心になって下さる”ことです 
元々のお慈悲は抜苦・与楽の意
即ち
仏様が同じように“苦しんだり・悲しんだり・寂しくなったり”して“「共に生きて」下さること”なのです それが抜苦・与楽の「お慈悲」です 
仏様が同心に!なって下さること

以下「慈悲」について (仏教辞典から)
「慈」はサンスクリット語のマイトリーmaitr(友情)にあたり 深い慈しみの心をさし「悲」はカルナーkarun(同情)にあたり 深い憐(あわれ)みの心をさす 仏典では生きとし生ける者に幸福を与える「与楽(よらく)」が慈であり 不幸を抜き去る「抜苦(ばっく)」のほうが悲であるといいますが 慈と悲はほとんど同じ心情を表し マイトリーまたはカルナーという原語だけで「慈悲」と訳されるのです
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特に真言宗では=「抜苦(ばっく)・与楽(よらく)」と言い
「慈」とは「与楽」;「悲」とは「抜苦」と言う意味になります

慈と悲はほとんど同じ心情を表すのですが それを分ければ「深い憐(あわれ)みの心!」「優しい思いやりの心!」という事になるのです
  
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みすずは 仏様の心と共に生かされています 仏様と同心に!
自分と同じ立場に立って ものを考えて下さる仏様に救われているのです 
それは仏様の「寂しかろう!」という 深い憐(あわれ)みの心に! 優しい思いやりの心に!
まとめれば 慈悲とは【相手と共に喜び 共に悲しんだり 共に生きて寂しくなったり】ということになります
それを象徴的に表現したものが 仏・観音・地蔵等の仏菩薩です
“慈悲の教え”は
【相手と共に喜び 共に悲しんであげる 共に生きて寂しくなったり】してあげましようと言うことになるのです

≪一切衆生とは 一切有情とも謂い≒この世に生を受けたすべての生き物≒特に人間をいう≒生きとし生けるもの≫をいいます 


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