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■ 39)下関真言宗:≪境内の花≫その15・(ツワブキの花):[煩悩即菩提]:≒〔煩悩は悟りのタネ〕≒〔蕗の灰汁が即ち味・風味〕〓なのです2009.12.12

『画は山門前の手水鉢とツワブキの花:画はクリックで拡大)』

山門前の石畳広場に休憩椅子・机があります。

ツワブキの一番上の花と、一番下の花にシジミ蝶(あまり目立たない、燻し銀のような)がとまっています。
上には半開きの羽・下は羽を閉じて、とまっています。拡大し、探して観て下さい。
シジミ蝶は此の種の他に、日本には数十種いるようです。

境内は中秋の頃になると、彼方此方にツワ蕗が、黄色い花を咲かせます。
この蕗は瀬戸内の温暖な海岸沿いに自生し、野菊に似た黄色い花です。 
花が野菊に似ている事から、きっと菊科の植物だと思います。咲く時期も同じです。
 
春先の新しい葉の茎は綿毛で覆われます。
若い茎を熱湯につけ、皮をむいて少し鹹めに きんぴら風にして食用にもします。
(亦は佃煮、そのお茶漬けが最高)です。風味のあるなかなかおつなものですよ!
通に好まれます。山蕗や他の蕗とは違った独特の風味が有ります。
その「味・風味」の素は、この蕗の持つ独特なアクに他なりません。 
『「アク」(それを喩えれば煩悩。)≒「風味:味」(それを喩えれば悟り。)』
即ち、「灰汁(アク)」即「風味:味」なのです。

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[煩悩即菩提] と言うのがあります。 
それを平たく言えば、
〔毒は薬の素≒毒のある植物でも、使い方によっては、有用な薬になる〕と言うこと
でしようか!!?毒が無ければ薬にはならないとも言えます。 
大乗仏教の概念の一つで、とくに密教(真言宗)においては、
「煩悩即菩提」といい、煩悩(迷い)と菩提(悟り)は、
「而二不二(ににふに)」といって、二つであってしかも二つではないと説く。
『真の悟りとは、煩悩を知る(煩悩がある)ことによって得られる。』
ものだということ…。
[煩 悩] とは、
〔心を強くひきつける欲望、あるいは心身を悩まし苦しめ、煩わせてけがす精神的作用。〕
煩悩から逃げずに、正面から向き合う事が大事。それが修行。 
だから煩悩を断ずるいたずらな努力は、必要ないといえます。 
修行はいたずらに煩悩を、断ずる事をせよという事ではありません。
「煩悩(迷い)」と、「悟り」は[対語]です。
『煩悩』⇔『「菩提」:「悟り」:「正覚」』

=余話=
毒島(ぶすじま)という名字があります。
猛毒の鳥兜すら伝い方によっては薬になるようです。
「美人」の反意語で使われる「ブス」という言葉は、
実はトリカブトが語源であると言われています。
名字に「毒島」と書いて「ぶすじま」というのがあるようです。
その謂れは有毒部位であるトリカブトの塊茎を「附子(ぶし)」と呼びます。
誤って食べてしまうとその毒性から神経に麻痺が出て、
顔の表情が変になってしまう事から
「ぶす・ぶし」が訛って「ブス」となったと言われています。
それで「附子(ぶす)」を取り扱う人たちは、
名字に「毒島(ぶすじま)」を授けられたといいます。
「ぶすじま」と打てば、パソコンで変換すれば毒島と変換すれます。
その家に生まれた女子はさぞ嫌がられたことでしょう!!

昔はトリカブト使って薬を作る職業としていた人達を、
附子(ぶす・ぶし)を取り扱うことから毒島(ぶすじま)の姓を授かったのだといわれています。

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このツワブキは濃緑の葉で、艶があります。
艶葉(ツヤバ)木が椿と名がついたように、
このツヤバ(艶葉)フキがツワブキの名になったと聞いています。
此花が咲くと師走が近いのです。

    『つわの花』       =坂村真民:詩=
  
   かくて今年も つわの花
   咲いて 暮れゆく
   思うこと 多くを残し
   悔いを重ねて 手を合わすのみ

そんな思いを抱いて手を合わせ、毎年我境内の除夜の鐘を撞くことになります。