戻る
■ 20)『長澤芦雪』の画をクリックで拡大して見れます2008.11.11

この画も寺宝の所にも紹介していますが、
拡大の画が小さいので、 
ここに入れて更に、拡大して見れるようにしました。

(画はクリックで拡大)


最近表装換えをしています。 
元の軸裏の隅に「正面の象」と題してありました。お寺の床の間にしか掛けられまい大幅画です。普通の家の床の間には掛けられません。

仕事を終えて、2人のインド人らしい象使いが、 
手分けして前足・後足をそれぞれ、洗ってやっていて、労ってやっているところです。
それに応える象の大きな目の優しさが、非常に印象的です。

象はアフリカゾウ・インド象の二種あります。調べると二種の見分け方は、頭のこぶが左右に2つあり分かれているのが、インド象のようです。 頭のこぶが、中央部に1つだけあるのがアフリカゾウです。だからこの画の象はインド象です。二種の象は、鼻先の形も違います。アフリカゾウの耳は大きく、インド象は少し小型です。
八大将軍吉宗の命令で江戸に向かうゾウ享保13年(1728)6月7日、広南(いまのベトナム)から、中国の貿易商鄭大成が長崎に、牡牝(オスメス)2頭の象をつれてきた。牡は7才、牝は5才であったが、牝は上陸3ヶ月後の9月11日に死亡した。牡は長崎の十善寺にて飼育され、翌年の5月に江戸将軍家に献上されることになったそうです。江戸入り後、浜御殿(現在の浜離宮恩賜庭園)に到着して、5月27日  江戸城で徳川吉宗と対面。
上記サーチ
〜〜〜〜〜
この「象使い」はインド人?かネパール人?です。
象は仏画や日本画に多く描かれていますが、何れも細めの目として描かれます。この芦雪の画も細目でいかにも優しい目元です。この目元に、仕事を終えて足元を「象使い」に、洗って貰っている象の幸せ感がよく表わされています。


画の篆刻は□印だけです。
   
     澤長の2字で□印。 その下に、
        魚。一字で□印。 
      合わせて二個の□印です。

魚という篆刻印は、
(以下数種の資料・事典を総合して) 
京都四条の應擧宅に修業に通っていた ある冬の朝 盧雪は小川に張った氷の中に閉じ込められている魚を見かけます その帰り道 氷が溶け自由を得て嬉しげに泳いでいる魚の姿がありました 
それを芦雪から聞いた 應擧は「苦しい修業時代も段々と氷が溶けるようにして画の自由を得るもの それをよく心得よ」と本人に諭します
その事を悟った盧雪は 以来 落款印に水中の魚の文字を刻み 生涯使い続けました やがて盧雪は 1000人を数える弟子の中からめきめきと頭角を現すのです と
盧雪を始め 与謝蕪村・伊藤若冲・曽我蕭白などの天才たちが同時代に生きていた京の町で その頂点に君臨していた円山應擧「生を写し 気を描く」を神髄とした應擧は あらゆる絵画の伝統を統合し 斬新な眼差しで日本画の新しいスタンダードを確立した京画壇の巨匠 その應擧の弟子として活躍し 時に應擧を凌ぐほどの恐るべき腕前を持つ 異能の絵師・長澤盧雪
いたずら好きで多芸多趣味 酒好きで 3回の破門を経験している とも・・・。

この画の篆刻印は真四角だから、若い時期のものかも知れません!???
晩年の落款印は、囲いの梅の花が、一部欠けたように少し開かれていて(重文に指定されている宮島の「山姥」の落款印がそのような印だったと思います。魚が自由を得て氷の囲いから、出て行くような落款印になっているといいます。
だから推測するに、この絵は青年期の物でしょうか・・・!!??? 
まだ氷が融けていないで、魚が氷にガッチリ囲まれ、出られない状態(未熟な心境・技量)だから若い時の作品!?????
この画には片鱗は少し窺えますが、晩年のような奇抜さ・写実を無視した極端なデフォルメが、まだ余り見受けられないように、素人にも思えます。

この画は数年前の当山の寺宝展に、初めて世に出した物。だから真贋の程は分かりません。その事を申し添えておきます。

壺は三耳壺ですが、耳が惜しくも全部欠けております。茶壷なのでしょうか?
観音さんは足元の裏に「九谷」とあります。