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■ 19)拳骨和尚こと 物外(もつがい)の句と書 拡大できます2008.11.9

この書は物外の書です。

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今では拳骨和尚と言われても拳骨和尚って何?物外さんのことも知る人は少ないと思います。物外と書いてぶつがいと読まず、もつがいという事も・・・。
物外は伊予松山出身で(元は武田姓)物外となり出家し、諸国を行脚修行し、尾道の斉法寺の住職なっております。
(以下数種の資料・事典を総合して)
物外不遷和尚は「げんこつ和尚」の別名を持つ傑僧として名高く、柔術不遷流の開祖として3千人の弟子を抱え、幕末勤王僧として活躍したそうです。 
怪力無双。碁盤の横腹を拳骨でなぐると、大きく碁盤が引っ込んだという!?逸話の持ち主。また京都の新撰組の道場で、近藤勇がくり出す槍を鍋の蓋で取り押さえたという逸話も残っているそうです。
鍋の蓋で取り押さえるとは、何処かで聞いたようでもあります。塚原卜伝!!?

俳句にも長け、多くの句を残す文武両道の傑僧で、この書にも物外和尚の気骨が伺えます。
当山に保存されているので、あまり見る機会が無いと思って、ここに載せました。

     鱩(ハタハタ)の光り
           とふ登し
             御代の春

冬の季節の訪れに轟く雷(神鳴り)と共に、秋田近辺の日本海に、昔は突然海岸にうちよせる獲りきれないほどのハタハタの大群は、雷神様がつかわした魚と信じられ、「霹靂神がつかわしたありがたい魚」として、
鰰(魚偏に 旁に雷と書く)と呼ばれるようになったと言われています。

素人にはこの書の、鱩の旁の雷が、雷にあまり見えませんが、やはり魚偏に、旁は雷と書く、ハタハタの漢字でしよう。 
(以下数種の資料・事典を総合して)
 
「秋田名物八森ハタハタ 男鹿で男鹿ブリコ」と秋田音頭にも謡われたハタハタは 江戸時代以前から秋田の食卓になじみの深い魚である 冬の雷が鳴る頃にハタハタが沿岸に集まるので 別名「カミナリウオ」とも呼ばれている
海が荒れる危険な時期にもかかわらず ハタハタ漁は慶長年間の文献にもその名が登場し 献上品としても200年間にわたって秋田の特産品を代表してきた かつては豊漁が毎年続き 捕れ過ぎで価格が暴落「箱代にもならない」と言われるほど大漁貧乏が続いた時期もあった
 だが長い歴史を誇るハタハタ漁だが 開発による海洋環境の変化と乱獲などがたたって激減 大衆魚から高級魚になってしまった 平成4年3年間の自主禁漁に踏み切り 禁漁期間中は 稚魚の放流が行われた「育てる漁業」の実践のようです
解禁後も漁獲量の割り当て配分が行われ 確実にその数を増やしている 過去の大漁はもはや昔話だが ハタハタの大群が怒涛のように押し寄せる日を漁民はもちろん 県民も心から夢見ている
(参考:「ふるさと通信・秋田を味わう」、八森町、男鹿市パンフレット)

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