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■ 16)夕顔と彼岸花!!  ≪境内の花≫その132008.9.25

当山の山門に入るまでの階段に咲く、彼岸花と夕顔。
(この夕顔は、源氏物語「夕顔」の花とは違います) 

儚い夕顔の命と、命の燃えるような真紅との対比! 白と真紅の対比!

(画はクリックで拡大)⊕の時更にクリックで拡大。

彼岸花(曼珠沙華)は秋の季語にぴったりですが、一般的には、あまりいい感じを持たれていない花です。
葉がないのに花が咲き、墓場等の痩せ地にもよく咲き、球根に毒があることから、不吉とされるのでしょう…か?
彼岸花は人里植物といわれ、人の生活圏に限って見られ、人里離れた家のない山奥には見られないようです。 
秋と言えば、田舎でよく見かけ、実りの田圃の畦道でよく見かけます。お彼岸のお墓参り等で、この彼岸花を先ず思い起こします。日本の秋によく似合う花の一つです。
それ故、昔から名前が沢山与えられています。

以下少し調べました。
別名の曼珠沙華は、法華経中の梵語に由来する。(梵語での発音は「まんじゅしゃか」)に近い。また"天上の花"という意味も持っており、相反するものがある。=仏教の経典より= 仏教でいう曼珠沙華は、「白くやわらかな花」であり、ヒガンバナの外観とは似ても似つかぬものである。 万葉集にみえる"いちしの花"を彼岸花とする説もあるようです。 
「路のべの壱師(いちし)の花の灼然く人皆知りぬ我が恋妻は」

異名が多く、死人花(しびとばな)・地獄花(じごくばな)・幽霊花(ゆうれいばな)・剃刀花(かみそりばな)・狐花(きつねばな)・はっかけばばあ等と呼んで、日本では不吉であると忌み嫌われることもある。しかしそのような連想が働かない欧米を中心に、 園芸品種が多く開発されている。園芸品種には赤のほか白、黄色の花弁をもつものがある日本では地方による別名・方言は何百も有ると云われています。おそらく国内で、もっとも沢山の別名を持つ植物のようです。 

また韓国では彼岸花のことを「相思華」ともいうそうで、 これは彼岸花が花と葉が同時に出ることはないから、「葉は花を思い、花は葉を思う」という意味。なるほど!! 
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本来は仏教では、「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」といって、おめでたいことが起こる前触れとされ、空から赤い花びらが降ってくるという意味で、「天上の花」又は「天蓋花」とも呼ばれています。 
そのことに加え、彼岸は悟りの境地という意味≒悟りの彼岸に咲く花ともあるので、本来仏教では良いイメージであるべきなのです。

金子みすずの「曼珠沙華(ヒガンバナ)」と言う可愛い詩

   村のまつりは 夏のころ 
   ひるまも花火をたきました
 
  秋のまつりは となり村
  日傘のつづく 裏みちに
  地面(ヂベタ)のしたに 棲むひとが
  線香花火を たきました
 
   あかい あかい 曼珠沙華

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「彼岸」のことですが、 
元は「日願(ひがん)」からきているとも云います。なるほどとうなずけます。 
日本に限らず古来から、太陽や祖霊信仰は原始宗教の頃からのつきものなのだそうです。仏教語の彼岸は、後から結びついたものであるという説があります。
=仏教民俗学者、五来 重=
季語では、単に「彼岸」といえば春の彼岸を指し、秋の彼岸は「秋彼岸」「秋の彼岸」といいます。

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 ≒夕顔≒
夕顔からはかんぴょう(干瓢)が取れます。(瓢箪の花は雌雄異株です)
写真の夕顔は、朝顔より大振りな、白い種子がとれるだけ(朝顔は黒い実)で、かんぴょうとは似てもにつかない実です。 
朝顔の実に似ていて、少し大きいだけで、違いは色。(白色)  
調べてみたら、今は(写真の)この種の夕顔は実は“ヨルガオ”?と言うそうです。改良された園芸種なのでしょうか? ヨルガオと言うのも間違いだとするのも有りました? 源氏物語の「夕顔」の花とは別物です。 
源氏物語の「夕顔」の花≒古来からある干瓢の花。  

平安時代から、古来の“夕顔”は瓜科で実から干瓢を作る。全く別の植物のようです。いまは夕顔の花といえば、直径が10cm程もあろうかと思われる白い大きな花「夜顔」を、一般的に夕顔といわれているようですが! 

平安時代、夕顔の花といえば、「ふくべ(ひょうたん)」の花のことを指していたようです。今の園芸種の花。夕顔のように鮮やかな白い大輪の花を咲かせるわけではないし、蕾は細かな産毛の様な毛が生え、小ぶりな花の咲く様は、ゆるりとほどけるように咲き、繊細で優雅な花は、源氏物語の夕顔とイメージが重なるそうです。
ところで、昔からある夕顔の実は、干瓢の実のことを謂うんだそうです。 
平安時代夕顔の花といえば、「ふくべ(ひょうたん)」の花のことを指していたようです今の園芸種夕顔のように、鮮やかな白い大輪の花を咲かせるわけではないし、蕾は細かな産毛の様な毛が生え、小ぶりな花の咲く様は、ゆるりとほどけるように咲き、繊細で優雅な花は、源氏物語の夕顔とイメージが重なるそうです。

ところで!
儚さが売り物の源氏物語の夕顔を、現在の園芸種のように<夜顔>とすれば、どういうイメージになるでしょう!!・・? 
<夜顔>と名を替えるだけで、源氏物語の“夕顔の巻”はかなり印象が変わってくるのではないでしょうか・・・!
ユウガオ(夕顔)の響きから、儚さ!を思い、ヨルガオ(夜顔)の響きからは、夜の花魁の厚化粧!のイメージです。
言葉を替えただけでもそんなイメージが!!・・・? 

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さて日本へは、太古に中国から朝鮮半島を経て渡来したようです。ヒョウタンと同じ種類で、俗に「花は夕顔,実(み)は瓢箪(ひょうたん)」といわれているそうです。 
平安時代には、花は観賞用に、果実は加工して容器にするために栽培していたそうで、花は雌雄に分かれます。
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以下のこともちょっと調べたので、(数種の資料を総合して)知っておいてください。

源氏物語より以前に、清少納言は枕草子の中で、≪夕顔は あさがほに似て言ひつづけたる をかしかりぬべき花の姿にて にくく 実のありさまこそ いとくちをしけれ などて さはた生ひ出でけん ぬかづきといふもののやうにだにあれかし されど なほ夕顔といふ名ばかりはをかし≫
(夕顔の花は花の形も朝顔に似ていて、アサガオ・ユウガオと続けて言うようなしゃれた花の姿なのに、 あの実といったら、もうぶち壊しだ。なんであんなに不格好に、育ち過ぎてしまったのだろう。せめて実はホオズキぐらいの大きさであってほしいのに。そうはいってもやはり、夕顔という名前だけはすてきだ。)
と書いているそうです。やはり夕顔が夜顔になっては台無し・・・! 

この時代のユウガオは果実に苦味があったので、野菜として食べることはほとんどなかったようです。


=余 談=

「長崎物語:昭和13年」という歌があります。
「♪赤い花なら曼珠沙華・・・♪」ではじまるこの歌は、
江戸幕府が鎖国政策をとったとき、外国人と日本人との間に生まれて、差別され国外追放された「ジャガタラお春」という女性を主人公にしたとか…!!?「ジャガタラお春」という女性が実在したのかは「?」でしよう。それにしても、赤い「曼珠沙華」を「お春」と、どうして結びつけたのでしようか?共通しているのは、美しさと、謂われ無き差別だと思います。
「お春」と「彼岸花」を、関係ずけたのは、美しいと思えども「差別によって嫌う」醜い人の心の業からでしよう!?「お春」の場合は、江戸幕府の鎖国政策が加っています。
心では美しいと思いながら、「彼岸花」:「お春」は、謂われない偏見から起きた差別。そのことは同じだと思います。

現在では、「彼岸花」を不吉な花と思う人は少なくなりました。園芸花として改良され、赤色以外に数種の色が取り入れられています。当に"天上の花"です。逆さまに吊るせば、そのまま、仏天蓋・瓔珞・人天蓋のように美しいと思います。

1 赤い花なら 曼珠沙華
  阿蘭陀屋敷に 雨が降る
  濡れて泣いてる じゃがたらお春
  未練な出船の あゝ鐘が鳴る
  ララ鐘が鳴る

2 うつす月影 彩玻璃(いろガラス)
  父は異国の 人ゆえに
  金の十字架 心に抱けど
  乙女盛りを あゝ曇り勝ち
  ララ曇り勝ち

3 坂の長崎 石畳
  南京煙火(はなび)に 日が暮れて
  そぞろ恋しい 出島の沖に
  母の精霊が あゝ流れ行く
  ララ流れ行く

4 平戸離れて 幾百里
  つづる文さえ つくものを
  なぜに帰らぬ じゃがたらお春
  サンタクルスの あゝ鐘が鳴る
  ララ鐘が鳴る

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