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■ 88)人道の世界を表した「人道不浄相図」≒「九相図」2018. 6.19

当山にあるこの六コマの画は、 
人間界は六ッの道から成っていると云われる
『地獄道・餓鬼道・畜生道・阿修羅道・人道・天道』の中の人道の世界を表した「人道不浄相図」≒「九相図」です。この画は、少し省いて六相しか描いていません。
作者不詳です。そんなに古い時代のものではありません。

たぶん幕末の頃?
(画像はクリックで拡大表示:もう一度クリックでさらに拡大表示)

人道(人間界)に限らず、生きとし生けるものの不浄相と言えます。
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仏教の、九相観(くそうかん)。
人は全て不浄という考え方で、人間がいかに不浄かというものを観察して、仏教には肉欲を絶つという修行があります。
九相とは、1.死体がガスで膨張する、2.死体が変色する、3.死体が破れる、4.血肉が死体の破れたところから出てくる、5.死体が腐敗する、6.鳥獣が死体を貪る、7.食われた死体がバラバラになる、8.白骨が散乱する、9.焼かれて灰になる、というものです。これらを観察するという観想修行を行います。

肉体に対する執着を除くために人の屍について行なう九つの観想。大智度論では、
一に屍の膨脹するのを観想する脹想、
二に屍の破壊するのを観想する壊想、
三に屍が破壊して血肉が地をそめるのを観想する血塗想、
四に膿爛し腐敗するのを観想する膿爛想、
五に風に吹かれ太陽にさらされて屍の変色するのを観想する青想、
六に鳥獣が屍をついばむのを観想するタン想(タンは食らうと云う難しい漢字)、
七に鳥獣に食われて筋骨頭手足がばらばらになるのを観想する散想、
八に血肉がなくなり白骨だけになるのを観想する骨想、
九にその白骨が火に焼かれて灰や土に帰するのを観想する焼想の九つ、九相(きゅうそう)。九想観。九想門。
九段階を観想すること。肉体に対する執着を消すために行うもの。

右側の画は、
花の如き絶世の美女(小野小町)。
左は、
髪を振りかざした【※般若(鬼の老婆風に画いてある)】心も身体も醜くくとも、老若男女を問わず、美醜を問わず、画のような無常は必須です。
【※般若面、あるいは単に般若は、「嫉妬や恨みの篭る女の顔」としての鬼女の能面。
本来、
「般若」は仏教用語で、その漢訳語「智慧」(日常用語の「知恵」とは意味が少し違います)の同義語ですが、語義と面の関係は薄いのです。般若とは“般若波羅蜜多心経”の“般若”=“仏の智慧”です。

能面の一つ。2本の角をもち,形相(ぎょうそう)恐ろしい怨霊(おんりょう)の女面。《葵の上》《道成寺》などの曲に使用される。
般若というと角の生えた怖いお面を連想しますが、あのお面の般若は般若坊という面打ち師の名前からとったもので、本来の「般若」に恐ろしい意味はありません。もともと“般若”とは、古代インドのサンスクリット語圏の(釈迦族の言葉=パーリ語)パンニャーの音訳で、お釈迦さまが悟られた「仏の智慧」という意味を表しているのです。

般若の面(はんにゃのめん)、般若面、あるいは単に般若は、「嫉妬や恨みの篭る女の顔」としての鬼女の能面。

現在では、仏教由来の原義のほうは忘れられて、この能面の般若がもっぱら知られるようになたのだそうです。
また表現として、能面の般若がもつ『恨みや嫉妬』のイメージから、女性が鬼と化したり、怒り心頭に発した状態を表すことに用いられることが多いいようです。
般若は激昂する女の顔を写したものと言われます。
鬼女や幽霊などではなく、生きた女性の怒りの相を表しているのです。調べてみたら最初にこの面を作ったのが般若坊という能面師だったのだとか?、それで慣習として般若と呼ばれたという説が有力のようです。
「道成寺」で蛇に化身した清姫の能面として使われます。源氏物語由来の謡曲『葵上』で六条御息所の生き霊を表すのに使われます】
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普通この様な「人道不浄相図」は、※檀林皇后や美女小町の単独で画かれたものが、多いいと思いますが、ここでは般若の鬼のような老婆の老⇔若。姿(醜女⇔美女小町)・優しさ⇔怖い心等ともに対比するように画かれています。
この様に美女小町と醜女(しこめ)・般若の老婆を比較、並列させて描かれたものは、
私が調べた限りではありませんでした。 

(※ 檀林皇后は嵯峨天皇の皇后。)
・【*檀林寺】を建立した檀凛皇后の逸話。
【*現在も京都嵯峨に檀林寺があるようですが、檀林皇后所縁の建立当時の寺とは無関係です。】

日本の美人と言えば、今もなお絶世の美女の代名詞とされる女流歌人、小野小町。

花の色は うつりにけりな いたづらに
   わが身世にふる ながめせしまに
            小野小町  『古今集』
花とは桜のこと。
美しかった桜の色も空しく色あせてしまったことだなー。長雨が降るのを物思いにふけって眺めているうちに、私の容貌もすっかり衰えてしまいました。
「ふる」には「雨が降る」の「降る」と、「時が経つ・年をとる」という意味の「経る」が掛詞になっており、「ながめ」には「長い雨」という意味の「ながめ」と、「ぼんやり物思いに沈む」という意味の「ながめる」が掛詞

檀凛皇后も有名な美女の一人、
仏教に深く帰依しており、自分の体を餌として与えて鳥や獣の飢を救うため、または、この世のあらゆるものは移り変わり永遠なるものは一つも無いという「諸行無常」の真理を自らの身をもって示し、人々の心に菩提心(覚りを求める心)を呼び起こすために、自らの死に臨んで、遺体を埋葬せず、人によく見える路傍に放置せよと遺言し、【*帷子辻(かたびらがつじ)】において遺体が、腐乱して白骨化していく様子を人々に示したといわれます。または、その遺体の変化の過程を絵師に描かせたという伝説があるようです。
【*帷子辻は京都市北西部に実際あったとされる場所。嵯峨・嵐山と呼ばれる付近一帯。
伝説によると、檀林皇后は誰もが虜になる美貌の持ち主で、恋慕する人々が後を絶たず、修行中の若い僧侶たちでさえ心を動かされるほどでした。こうした状況を長く憂いてきた皇后は、自らが深く帰依する仏教の教えに説かれる、“この世は無常であり、すべてのものは移り変わって、永遠なるものは一つも無い”、という“諸行無常”の真理を自らの身をもって示して、人々の心に菩提心(覚りを求める心)を呼び起こそうと、「自分の死に臨んで埋葬せず、野に屍をさらし、どこかの辻に打ち棄てよ」と遺言したと伝わり、其処がのち平安時代以来の墓地となり、風葬の地として知られる京都の嵯峨の奥にある小倉山の麓、化野(あだしの)となる。京福電気鉄道に駅名 「帷子ノ辻駅(かたびらのつじえき)と言う、なかなか読めない難読駅名。」があります。
自身の亡骸を放置した辻が「帷子ヶ辻」と言われました。帷子(かたびら)とは経帷子(経文を書いた白い晒の着物)すなわち死装束の事です。弔いの際に亡骸に着せた着物の事なのです。】

以下、サーチ【search】
平安時代は仏教の影響で身分の高い人物は火葬を行っていたそうですが(後冷泉天皇火葬塚、近衛天皇火葬塚など)、火葬には木材が必要であり庶民は最も経済的で楽な風葬が一般的でした。
その風葬の地として京都で有名だったのが、嵐山の北にある化野(あだしの)、東山の鳥部野、船岡山の北西一帯の蓮台野(紫野)という地区でした。

平安初期の811年、真言宗の開祖・三筆の一人である空海が疫病が流行っていた都を訪れた際、人々に土葬を教えました。化野にある無数にある野ざらしにされた遺体を哀れに思い、また疫病の発生を抑える為に遺体、遺骨を埋葬しその上に1000体の石仏と堂を建て、五智如来寺と称したのが始まりと言われています。
鎌倉時代の徒然草に鳥部野と並び、化野が人生の無常をあらわす枕詞に使われております。
「あだし野の露消ゆるときなく」=化野の石仏には常に露が滴り
「鳥部山の煙立ち去らで」=鳥部野の山では煙が消える事がない
「住み果つるならひならば、いかにもののあはれもなからん。」=人間が永遠に生きるものだとしたら、いかに世の中はつまらないものだろう
「世は定めなきこそいみじけれ。」=この世は無常であるからこそ美しい
化野や鳥部野を見る通りこの世は無常である、時は流れるしこの先何があるかわからない。だからこそ世の中は美しいのだ!って事ですね。いいですよね〜。
このお寺、当初は真言宗でしたが鎌倉時代の初期に法然により浄土宗に改められ、いつも「南無阿弥陀仏」と唱えられていた事から念仏寺と呼ばれるようになりました。
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老いても、醜くとも、若くとも、美女でも対極的な世界の境界で見れば平等に、変わりなくおとずれることを教えようとしているのだと思います。
=老:若:美:醜との対比・対極=
般若の鬼のような老婆には、野獣も近寄らず、 
むしろ、3コマ目のように小町だけに、
野獣すら美女を好むように群がせています。 
その事により、小町の方がより多く哀れをもようします。 
この事を強調させる意図で、この画の作者は、 
美女だけの死体に、野獣を群がらせているのかも!?
美女小町の最後の骸骨の様は形が整って描かれていますが、般若の老婆の姿はバラバラでより哀れです。そのことも区別して描いています。最後の五輪塔(墓)は平等に納骨されています。
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この画の2コマ目までは、誰もが普段目にする光景です。 
2コマ目が枕経・通夜と言う所でしょう。 
現在では、次の日は葬式;引導を渡して直ぐ荼毘ということになります。 
だから3コマ目から墓地までの光景は、今日では誰も目にする事はなくなりました。  
まして病院で最期を迎える人が多いい時代なのですから・・・!
この様な流れを想像出来ない子が、現在沢山いると思いますよ!
ある調査では、小学校児童の三割ぐらいが、人の死を具体的に理解出来ていないだろうというのがありました。 
もはや、学校で死の教育を、具体的にすべきなのかも知れません。
この画をUpする頃、小学校児童の三割ぐらいが、人の死を理解出来ない。
(死んでも生き返るという子もいる)と言う新聞報道を読みました。 
学校でもこの様な画を見せて、世の無常相を、絵解きして教えていくべきなのでは!
と、
思うようになりました!
ひょっとしたら、今日では2コマ目の光景すら、
実際に目にしないで済ます人もいるかも知れません。 
又子供だけでなく、大人でもこの画の流れすら、想像できない人もいるかも知れません。
この絵に画かれている墓地までの間のことは、
今日では誰も目にしない、おどろおどろしい光景なのです。
この様な画の流れの様相が、葬式・荼毘によって隠されるのです。 
誰もが目を背けず、この画を凝視して折に触れ観想すべきです。
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この絵のような、おどろおどろしい部分を宗教・宗派で意味づけられ
「葬」により隠くして行くのです。 
その隠す方法が「葬」であり。
その儀礼が「葬儀」「葬式」のベースなのです。 
世界中、葬送儀礼のない国はありません。草(廾)により死体を隠す事が、
葬式の始まりと言えます。草(廾)を敷いてその上に死体を載せ、
その上に草で隠すのが“葬の字源”です。
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この画は本堂に掲げ、毎年8月18日の夕7時からの施餓鬼会の時、
参拝者に観て貰っております。
暑さの中で、棚経(たなぎょう)回り(お経を読みながらのお盆回り)で疲れたり、声が嗄(かれ)ているので、
絵解きはしていません。
現在遺体は病院によって綺麗に処理され、葬儀社は祭壇に、
かなり歳の鯖を読んだ微笑むカラーの遺影を飾り、多くの人は身内以外、
冷たくなった死に顔をみる事すらありません。画の流れは人間の死後、
死体が腐乱し、鳥や獣がその肉を喰らい、爛れて行くと無数に蛆がわき、
やがて白骨と成るや肢体はバラバラになり、
風に晒され年を経、ついには塵土と化していく過程(九相)を画いております。
この事を観想する目的で画かれた図像(絵解き)です。 
この世の儚さ・無常を説く画であり、肉体への執着を滅却する為に、
死体の不浄の様を教える画(絵解き)です。
この様な無常を、画によって常に死を感じて生を想うのが、
僧侶の大事な修行の一つでもあるのです。
この事は一般の人も同じであることは言うまでもありません。
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仏教は「死を見つめる」宗教と言っても過言ではありません。
それは取りも直さず「生を見つめる」宗教ともいえます。
昔から他の宗教では、死は次の生の始まりで、善いことをすれば
「その霊魂は神の国で 何不自由なく暮らせる」と言い、
仏教ほど死というものを直視しないように思います。
「生まれたからには、必ず滅しますよ。」という教えは、
「生ている間は大切なのだ。」
「無駄のない人間の本質的な、命の使い方をしなさい。」
と教えていることになると思います。
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昔の子は、近所でよく行なわれていた葬式の様子を、恐る恐る目にしていたものです。
現在の葬式は家から、遠く離れた葬儀会館(通夜も)だから、普段昔ほど誰もあまり目にしません。昔は家で「※夜伽」と言う行事していたので、※死者のかたわらで夜どおし過ごしていました。だから孫子も加わり参加していました。近所の講組も手伝い夜伽に参加し、近所の子も達も死後の様子を誰もが眼にしていました。
近所の子供たちも、その様子を見聞きしていたものです。そして死の怖さを知り、無常の世を子供なりに受け取って、昔は大人になって行きました。
ー・ー・−・−ー・ー・−・−
金子みすずの詩を載せます。 (みすずのことは最後に説明しています。)

「お葬ひごつこ」
(これは最近問題になった、“いじめを伴った葬式ごっこ”とは違います?!
 みすずのは、可愛い“おままごと”の中の“お葬ひごつこ”の範疇です!)
  
  お葬ひごっこ お葬ひごっこ
  堅ちやん あんたはお旗持ち
  まあちやん あんたはお坊さま
  あたしはきれいな花もつて
  ほらチンチンの なあも なも

【チンチンとは印金(インキン)。野辺の送りに使う携帯用のおリンのこと)
なあも なもとは、“南無”のこと。ナモ・ナムの両方の読みがある=南無阿弥陀仏のこと。
それは、南無阿弥陀仏とおリンを打ちながら、先頭に堅ちやんが旗持って、まあちやんはお坊様。あたし(みすず)は綺麗な花もって、葬式後の埋葬場所への野辺送りの行列の様子を子供目線で表現しています。】

  そしてみんなで叱られた
  ずゐぶん ずゐぶん 叱られた

  お葬ひごっこ お葬ひごっこ
  それでしまひになつちやった

「おとむらいの日」金子みすず
(この詩は3歳で亡くした 父親の葬儀の時が脳裏にあるでは?!)

  お花や旗でかざられた よそのとむらい見るたびに
  うちにもあればいいのにと こないだまでは思ってた

(…しかし、みすずは自分家にも弔いがあればいいと実際に3歳の子供心に想っていたが、ほんとに自分の父親の悲しい葬式があると、みすずは以下のような感情を抱くことになる…)

  だけども きょうはつまらない 人は多ぜいいるけれど
  たれも相手にならないし 都から来た叔母さまは
  だまって涙をためてるし たれも叱りはしないけど
  なんだか私は怖かった お店で小さくなってたら(自分ちの店は文英堂と言う本屋)
  家から雲が湧くように 長い行列出て行った
  あとは なおさらさびしいな ほんとにきょうは つまらない

昔から、「祖父母の法事・葬式は孫の正月」と言う諺があるように、
孫たちがやたらとハシャグ姿でした。今でもそうだけど!
(でも昔ほど 数が居りませんが!) 
正月が来たような、じぶんちの葬式を、少し姉さん目線で見たのが、
この「おとむらいの日」でしよう。
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    「ジャランポン祭り」(大人の葬式ごっこ)
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「(ジャランポン祭り)」
埼玉県秩父市の下久那という地域では、毎年3月に「ジャランポン祭り」という陽気な葬式祭りが開催されているのを、テレビで放映されているのをみたことがあります。
『じゃらんぼんとは、(児童語・隠語)です。葬式の行列で仏僧が葬列の先頭で打ちならす鐃鉢(にょうばち)の擬音から出た語。じゃらんぽん。(「広辞苑」より)』
サーチ【search】してみたら、
「ジャランポン祭り」とは、諏訪神社春祭りの前夜祭。生きている元気な人を生き仏(死者)に見立て、部落内の素人の数人で、一般的なお葬式を真似て同じことをしながら、飲めや歌えの大騒ぎをする大人のハチャメチャな葬式遊びのようなものなのだそうです。
ネットで見たら動画も載せてありました。“ジャランポン祭”と入力すれば見られます。
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動画から、ジャランポン祭りと入力すれば見られます。
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大きな茶箱の棺桶には注連縄が張られ、「悪疫退散居士」と墨書きされた位牌が置かれ、生き仏役の方は、白装束をまとい、額には三角の紙をつけ、一升瓶を抱えながら棺に入る。導師役の坊さんは、唐草模様の大風呂敷の袈裟をまとう。お付きの坊さん達も同じように、唐草模様の大風呂敷き(布団2組が包める程の緑の唐草の大きさ)を袈裟に見立てて巻きつけ、生き仏の役は、毎年、何人かの候補から選ばれ、地元に住む厄年の男性が、厄払いの意味もこめて担当し、最も重要とされる、お坊さんの役は、決まった方が担当しており、でたらめでいい加減な言葉、主に今までの死人役の人の失敗談など、ユーモア溢れることを解りやすく読経風に唱えて、周囲は大爆笑。酔いも回って、毎年大盛り上がりするなのだとか…。
開催時間は1時間程度で、葬儀が終わると神社へ棺を運び、真っ暗な境内で万歳三唱し、生き仏が蘇るところでクライマックスを迎えるという、ハチャメチャでチャランポランな「葬式祭り」のようです。葬儀遊びをする大人の遊びです。葬儀遊をすると言っても或る一人を攻撃して虐めるのではなく、地域の酒の会合で役割を決めて行われるお祭り化しているのだと想います。
謂れを調べてみると、
疫病が発生したとき、諏訪明神に人身御供を献じたことが発祥と説明にありました。
またその昔、
城落ちした殿様が諏訪神社の隣にある宗源寺に、命からがら逃げつき、村人にかくまわれながら生きながらえ、その殿様の厄除けの縁起祭りとして始まったのだとか?。
はたまた、
神社のお祭りで酔っ払った村人が、ふざけて騒ぎ始めたのがきっかけだとか…?。
祭りの起源にはいくつかの諸説があるようです。
この祭りの始まりは、
単純に即興から始まったのだと想っています。娯楽の少ない酒が入った田舎の人々が悪ふざけで、即興で「葬式ごっこ」をした。それが始まりなのでは…!。と思います。
もっともらしい謂れは、後から理由づけられたように個人的には想います…!?。。
本当は、
田舎の酒での即興で起こった「葬式ごっこ」であっても、一度死んで再生し、蘇えらせリセットして、新たな人生を歩ませることを、自覚させる真面目な儀式のような、祭りなのかも知れませんね!?それに明るく死の儀式をすることによって、逆説的な生への賛美なのかも知れません。
この祭りでは、
印金や太鼓、鐃・鉢をチン、ドン、ジャラン、ポンと賑やかに打ち鳴らします。葬式で奏でる仏具の「ジャラ〜ン」はシンバルのような鉢の音、「ポ〜ン」は平太鼓から来ているよです。ストレートに「葬式祭り」と言わずに、チン、ドン、ジャラン、ポンの擬音を略してジャラン、ポン「ジャランポン祭り」となったのでは…。
地方によっても違いがあるかもしれませんが、昔は葬式の時に使う三ッの道具、チン(印金)ドン(銅鑼)ジャン(鉢)を、チン・ドン・ジャン・・♪・チン・ドン・ジャン・・♪・・・チン・ドン・ジャン・♪・・と、三回(三通三下)繰り返し、せめ鉢をしています。
現在の葬式ではこの音を聞くことはあまりありませんが、地方の田舎では、現在でも行われているところがあるかもしれません。

以前は限定した地域の大切な行事で、非公開だったが、近年ではブログなどで情報が公開されてしまうことから、興味を持つ人が増え、50人前後の地域の参加者のほかに、遠方から見物に来る人もいるようです。動画でも公開されています。

生前葬というのが、ごく一部の人におこなわれていますが、この生前葬と似たところがあります。
擬似的な“死”を通してこれまでの人生の重荷を下ろしてさっぱりし、新たな人生のスタートを切るという真面目な考え方かも知れませんね!?。
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「人道不浄相図」≒「九相図」の絵に画かれている死んでから墓地に納まるまでの間のことは、今日では誰も目にしない、おどろおどろしい光景なのです。
この様な画の流れの様相が、葬式・荼毘によって隠されるのです。
葬とは漢字源によると、死を草によって上下で隠すことを言うのだそうです。
当に草を敷きその上に死体を載せ、さらに草を被せて隠すことが葬るの意味になります。
誰もが目を背けずこの画を凝視して折に触れ観想すべきです。
「葬」と云う字は、「艸(草)が上下二つ+死」で生い茂った草叢に 草の敷物を置き 死(死者)をその上に置き 又草をかけて隠し去ることを表しています 

この絵のようなおどろおどろしい部分を、
宗教・宗派で意味づけられ「葬」により隠くして行くのです。 
その隠す方法が「葬」であり、その儀礼が「葬儀」「葬式」のベースなのです。 
葬送儀礼のない国はありません。
草(廾)により死体を隠す事が、葬式の始まりと言えます。
そもそも、葬式の葬を分解すれば(辞書:以下 漢字源によれば・・・) 
死が廾(草)の上下に挟まっております。
これは「下に草(廾)を敷き、その上に死体を置き、更に廾(草)で覆い隠す事。」
を表すとあります。
この「葬」は、人間が現れる有史以前から、
人が死んだ折の死体の処理だったのでしよう!
葬式の起こりは、
画の流れのような、おどろおどろしい光景を隠すことから始まっていると言えます。
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この画は本堂に掲げ、(毎年8月18日の夕7時からの施餓鬼会。)
参拝者に観て貰っております。
現在遺体は病院によって綺麗に処理され、
葬儀社は祭壇に、かなり歳の鯖を読んだ微笑むカラーの遺影を飾り、
多くの人は身内以外、冷たくなった死に顔をみる事すらありません。
||||||||||||||||||||||||||||||
画の流れは人間の死後、死体が腐乱し、鳥や獣がその肉を喰らい、
爛れて行くと無数に蛆がわき、やがて白骨と成るや肢体はバラバラになり、
風に晒され年を経、ついには塵土と化していく過程(九相)を画いております。
この世の儚さ・無常を説く画であり、
肉体への執着を滅却する為に、死体の不浄の様を観想する図像です。 
この様な無常を、画によって観想するのが、
僧侶の大事な修行の一つでもあるのです。 
一般の人にも死を観じさて、生を説く絵解きでも有ります。

仏教は「死を見つめる」宗教と言っても過言ではありません。
昔から他の宗教では、死は次の生の始まりで、善いことをすれば
「その霊魂は神の国で 何不自由なく暮らせる」と言い。
仏教ほど死というものを直視しないように思います?。
「生まれたからには、必ず滅しますよ。」という教えは、
「生ている間は大切なのだ。」
「無駄のない人間の本質的な、命の使い方をしなさい。」と
教えていることになると思います。

或る新聞の人生案内の質問に、
Q;医師志望の女子だが医学部に進んでも、
直接自分に係わり名のない人でも、
訃報を聞くと怖くて夜も眠れなくなるし、遺体を解剖したりするのが怖く、
患者の死に立ち会うのが怖い。どうしたら恐怖心を軽減できるか、
不安で仕方がないと相談していました。
その回答に、精神科医の先生が、 
A;人間は誰でも本能的に死を怖がります。
それでも多くの人がそれ程、死を問題にせず、暮らしているのは、
「とりあえず死の事を忘れよう」ととぼけているからです。
死が怖いのは単なる観念に過ぎない。
「死が怖いのも錯覚」「とぼけるのも錯覚」なのだから、
死の恐怖とは錯覚だと見切りましよう。
それが出来なければ適切性を欠く職業選択になるかも?
と言う回答を与えておられました。 
やはり死を直視しなければ、医者にはなれませんよね〜!
これらの『人道不浄相図』で「死を見つめる」事が、
医学や仏教の第一歩だと思います。

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以下のことを、この画と併せて感じて下さい。

(以下、不浄の三相≒宗教民俗学者。
五来 重先生や、よくある文献から。)

「不浄の相」
「人間の体は、腹の中には五臓六腑の内蔵や腸がぎっしり詰まっている。 
そして、どのように上等な食べ物を食べても、体内で一夜たてば不浄となる。
その糞の臭いのように、
老若男女もいかに美しく飾ろうとも、人の体は不浄なのである。
まして、死後墓地に捨てられ七日もたてばその体はふくれあがり、
野獣に食われ蛆がむらがり、ついに白骨となり、年月を経て土に還る。
人間の体は始めから終わりまで不浄なのだ。
絶世の美女とて同じこと、死んで野に捨てられれば、その身は腐乱し、
鳥獣の餌食となり、蛆におおわれ、白骨となり土に還るということの相。
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「苦相」
男女区別なく、この世に一度生を受け、外気に触れるとともに、
はげしい苦悩を受けることとなる。成長した後も、全身さまざまの病を宿し、
体外には罪によって捕らえられたり、責められたり、寒さ熱さ、飢え渇き、
あるいは自然の暴威など、さまざまな苦悩が迫り、
いわゆる四苦八苦。
四苦とは生・老・病・死。
八苦はその四苦に愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五盛陰苦を加えたものです。
すなわち、生まれる時の苦しみ、老いの苦しみ、病の苦しみ、死の苦しみ、
愛する者と別れる苦しみ、憎しみ怨みあう者(いやな人)と合う苦しみ、
求めても得られぬ苦しみ、
そしてこれらのことが解らず執着したためにおきる苦しの相 。
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「無常の相」
人の生命ははかない。人生は短い。いずれは死ぬということ。
一日が過ぎるごとに生きる日数が減っていくさまは、
屠殺場へ一歩一歩死に近づく牛の歩にも似ている。
それは一般庶民だけでなく、いかなる者も抱く恐れである。
死神から逃れようと、天に昇り海に入り、山に隠れても死を免れることはできない。
どんなに修行を積んだ仙人とて同じこと。
無常の死神は、権力のあるなし、頭のよしあしに関係なく、光陰矢の如く迫ってくる。
死から逃れる処がないと知ったとき、心は恐怖につつまれるような無常の相。

=九相=とは 
この画の「人道不浄相図」のことを、詳しく九つに区分したもの。
細部に分ければ以下のようになります。
1.脹相(ちょうそう) - 死体が腐敗によるガスの発生で内部から膨張する。
2.壊相(えそう) - 死体の腐乱が進み皮膚が破れ壊れはじめる。
3.血塗相(けちずそう) - 死体の腐敗による損壊がさらに進み、溶解した脂肪・血液・体液が体外に滲みだす。
4.膿爛相(のうらんそう) - 死体自体が腐敗により溶解する。
5.青相(しょうおそう) - 死体が青黒くなる。
6.噉相(たんそう)) - 死体に虫がわき、鳥獣に食い荒らされる。
7.散相(さんそう) - 以上の結果、死体の部位が散乱する。
8.骨相(こつそう) - 血肉や皮脂がなくなり骨だけになる。
9.焼相(しょうそう) - 骨が焼かれ灰だけになる。
所謂、風葬の姿です。
以上の、
九通りに分けたのを言います。死後の様子は。土中でも地上でも骨相までの流れは基本的には同じことです。
アメリカテキサスには死体を土葬せず、自然の状態で放置して、科学的に以上のよな九相の過程を研究観察する場所(死体農場)があるのだそうです。それは野獣避けに頑丈な檻の中に入れられています。小町の絵の4コマ目のように野獣に荒らされないよう檻で保護されているのです。死体の年齢は、21週の胎児から男女の幅広い年齢で、すべて本人や家族の意志によって献体されたものです。
テキサスに限らず国土の広い全米には数ヶ所あるようです。狭い日本にはその様な施設はありません。日本では許可をとれば土葬は可能ですが、地表に晒すのは遺体遺棄罪で法的には許されません。

僧侶は基本的に男性であるため、九相図に描かれる死体は、特に修行僧の煩悩の対象となる女性(特に美女)になります。
題材として用いられた人物には、【※檀林皇后(たちばなのかちこ)】や小野小町がいます。
この様な昔からの九相図は、
・宗教的な観想であり、
・国土の広いアメリカでは、テキサスに「ボディファーム」(死体農場)なるものが存在しますが、「ボディファーム」は、科学的に研究観察する場所だと言えるでしょう。
・この絵の九相図の対象に向けて心を集中させ、その姿や性質を観察する宗教的瞑想修行でもあります。

檀林皇后伝説、
【※ 檀林皇后は嵯峨天皇の妻。檀林皇后(だんりんこうごう)は信心深く、実際に皇后自身が人に見えるところに自身の遺体を放置させ、自身の九相図を描かせたと言う逸話があります。】
「諸行無常」の真理を自らの身をもって示すため、自らの遺体を埋葬せず路傍に放置せよと遺言し、遺体が腐乱して白骨化していく様子を絵師に描かせ、人々に見せたという伝説です。これすごい伝説ですよね!

自らの遺体を野に捨てさせ、死体が腐乱し、白骨となる様を主題とした絵画を「九相図」(くそうず)「人道(九)不浄相之図」と呼ばせ、「檀林皇后九相図会」とさせました。他には誰もが知る「小野小町九相図」と言うのが一般には多く知られています。「小野小町」が描かれる場合は、誰もが知る美人の代表として絵になるからなのでしよう! 

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=参考=
みすずの事 (以下長門市HPページ参考・数種の資料・事典を総合して)

金子みすずは、
下関の隣の市山口県長門市に生まれ、女学校卒業後、
下関西之端町上山文英堂書店で働き始める。
みすヾの父金子庄之助は、
彼女が3歳の時に死んで2歳下の弟の正祐が
叔母(母の妹)の婚家先に養子に遣られる。
やがてその叔母も死んでその後釜にみすずの母ミチが入る。
みすヾが16歳の時。
(みすずが番頭と結婚するまでは、
弟は実の姉と言う事を知らなかったと言われる。)
母が再婚した上村松蔵は下関で手広く書店を経営していた。
女学校を卒業したみすずも下関に出て上村文英堂書店を手伝うことになる。
先に養子に来ていた正祐とは姉弟の血縁関係だったが、
店主の松蔵の意向でこのことは正祐に知らされていなかった。
(みすず本名・テル)は明治36年(1903年)4月11日。
 山口県大津郡仙崎通村(現長門市)にて生まれた。
女学校卒業後大正12年(1923年)
下関西之端町商品館内の上山文英堂書店で働き始め、
6月頃よりペンネーム「みすゞ」で童謡を書き投稿を始めた。
「童話」「婦人倶楽部」「婦人画報」「金の星」などの雑誌に童謡が掲載され、
西条八十より「若き童謡詩人の中の巨星」とまで賞賛される
大正15年(1926年)2月同書店(義父になる店主)に奨められ番頭・宮本啓喜と、
本意ではない結婚。
この年の「日本童謡集」に「お魚」と「大漁」の二編が掲載されるが、
創作活動に反対する夫により活動を停止する1930(昭和5年2月に離婚。
その後娘ふさえの養育権を 夫に奪われた事を苦に服毒自殺 享年26歳