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■ 66)写実美〓 毘沙門天画像 〓細密画*仏画迷鑑賞*2012.3.15

(画はクリックで拡大表示)(+)の時更にクリックで拡大表示。


この毘沙門天画像(紙本)は、かなり時代が経っているので、画を守るために裏打ち補修して、*1.太巻き軸にしました。
72)・71)がその*1.太巻きにした状態…
画面に蝋燭の蝋が飛んでいたり、折れがあったり、巻き皺・巻き傷みがあったので、或る百貨店の美術部で、裏打ち補修したり、*1.太巻き軸にしてもらったら、見違えるように綺麗になりました。

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【 当山の〓仏画・小仏像・絵画・什物等〓は、全て境内外(寺外)に保管、保存しております。】
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     ┏━━━━━━[*1.太巻きとは…]━━━━━━━┓

     ★……これ以上巻き皺・巻き傷みができないように、
       この仏画と共箱を*1.太巻き軸箱に補修するもの……★

〓【*1.通常の巻き方では、絵の顔料が折れる恐れがある場合に使用する軸箱です。 中に太い芯棒が入っていて、この芯棒に掛軸を巻きつけます。通常の巻き方だと、絵の具の顔料が折れるなどの恐れがある場合に使用し、 通常の掛軸箱よりサイズの大きい「太巻軸箱」とあわせて作られます。軸の箱はかなり大きくなりますので、今までの箱には収まりません。それで新しい軸箱を作った後、今までの軸箱は、そのまま別に、大切に保存することになります。】*2.芯棒の材は軽い桐材〓

  ・・‥‥…━━━━━━━: 仏画素人迷鑑賞 :━━━━━━━━…‥‥・・

重複するとこらがあります。

・絵師や年代は不詳。

・絹本です。

・この毘沙門画像の写実美に圧倒される。

・金泥を多用し、多彩でありながら、控えめな美しい華やかさ。
(毘沙門天は四天王の一尊ですが、大寺院等で現在まで伝えられている四天王は、彩色がくすんだり剥げたりして、鮮やかさが失われていますが、建立時はこの画のように鮮やかな色彩像だったのです。)

・これほど多彩な仏画はあまり見当たりません。

・色彩のバランスが絶妙。

・ 多彩でありながらもくどさを感じません。

・相当に古く(時代?)画かれたもの。

・小幅画ながら、毘沙門天の醸す容貌に、的確に金泥を効果的に多用した彩色で優れている。

・革製の甲冑を身に着けた唐代の武将風の姿で表された安定感のある形姿。

・一般に革製の甲冑を身に着けた唐代の武将風の姿で表される。また、邪鬼と呼ばれる鬼形の者の上に乗ることが多い。密教の両界曼荼羅では甲冑に身を固めて右手は宝棒、左手は宝塔を捧げ持つ姿で描かれる。

・足元に踏まえたひょうきんで、漫画チックでユーモラスに遊んでいるような二匹の【*1.】邪鬼。毘沙門天とは対照的。邪鬼とは心の内面の邪心を表現したものです。
【*1.】普通立像に台座のように扱われていて、邪鬼と言えども筋肉隆々でたくましいいのですが、ここでは二匹(藍姿、毘藍姿)の子供のような体形で画かれています。
邪鬼の邪悪な部分を押さえつけているため、或は邪鬼が煩悩を抱えているからなど諸説がある。仏教に帰依してからは、仏に灯篭を捧げる役目をする邪鬼も登場。この邪鬼の表情は法隆寺の四天王像の邪鬼によく似ています。だから古い邪鬼の表し方です。
沙門天(四天王の多聞天)の足下にいる鬼を、特に天邪鬼(あまのじやく)と呼ぶという説があるようです。

・圧倒される細密写実美。

・小幅画ながら、眼力・形相は、ただ息を呑む毘沙門天図像。甲冑の帯には大きい獅子のバックル。

・四天王の一尊多聞天 は毘沙門天とも呼ばれる。原語の意訳が多聞天(広く名の聞えたの意)
 音訳が毘沙門天。四天王の一尊として造像安置する場合は「多聞天」、独尊像として造像安置する場合は「毘沙門天」と呼ぶのが通例である。特に単独で画かれる場合に、毘沙門天と云われる。

・足利尊氏・上杉謙信・楠木正成などが、戦の神として、戦国時代多くの武将の信仰を 集めた。
 楠正成の幼名が「多聞丸」です。

・表装裂(ひょうそうぎれ)は菊(十六の重弁)。過去にも表装裂をやりかえた様子はみかけられません。最初からのものです。

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   ┏━━━━━━━[*2.毘沙門天とは…、━━━━━━━┓

・軍神と財宝の神です。毘沙門天のお使いは“百足(ムカデ)”と云われています。なぜ「百足(ムカデ)」なのかは不明でが、百足は“毘沙門天の教え”だともいわれます。「たくさんの足(百足)のうち、たった一足の歩調や歩く方向が違っても前に進むのに支障がでる。困難や問題に向かうには皆が心を一つにして当るようにとの教えである」と云う説があります。
・梵語でバイシュラバナ、多聞と訳し、いっさいのことを聞くことが出来る知恵者の意味です。四天王の一人で須弥山の中腹に住み多くの夜叉、羅刹を従えている。また、常に仏のそばにいて法を聞き、その名声が十方に聞かれるので多聞天と呼ばれ、また財を授けるので施財天とも呼ばれ七福神仲間入りの根拠になっている。インド古代神話の神でヒンドー教ではクベーラという財宝の神。吉祥天は妃。
・仏に帰依して北方にあって四天王中最強の神になる。経典には種々の宝石で飾られた三城に居住。仏が説法される道場に常にいて説法を聴かれるところから多聞天ともいい、毘沙門天は戦勝の神として中央アジア北方で特に信仰され甲冑を身につけるようになる。

  ・・‥‥…━◆毘沙門天の信仰◆毘沙門天(多聞天)◆━…‥‥・・

仏が説法される道場に常にいて、説法を聴かれるところから多聞天ともいい、毘沙門天は戦勝の神として中央アジア北方で特に信仰され甲冑を身につけるようになる。七福神の中の一人でインド、ヒンドゥーの神様。
そのご利益は、『知識』『勝運』『財産』で、より強く、より偉く、一財産を作る、もちろん戦いには勝運を(賭け事の運も?)与えてくれる神様として信仰されています。
また、四天王の一人『多聞天』としても有名です。
日本に毘沙門が伝わると、仏教守護の神から、戦の神として信仰されます。
唐時代天宝元年(742)、不空三蔵の祈祷で現れた毘沙門天が敵軍を四散させた話し、足利尊氏・上杉謙信・楠木正成など戦の神として、戦国時代武将に信仰を集める。特に「毘沙門の申し子」といわれた上杉謙信の信仰は有名です。
中世以降、福の神として、七福神に仲間入りするほど、現是利益が強く、観音像や阿弥陀如来像の脇侍としても、毘沙門像が単独で造られるようになる。


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当山の〓仏画・小仏像・絵画・什物等〓は、全て境内外(寺外)に保管、保存しております。
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