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■ 47)「西方浄土」≪山越来迎…ならぬ…ビル越来迎≫」&「弥勒浄土≒兜率浄土」2010.11.11

(画はクリックで拡大)

この画のような入日;たぶん空中のガスや塵が多いいので、眩しくない日輪なのでしよう?:
この日は朝から、秋の好天気でした。こんな日輪にあまり出会いません。急いでカメラを持ち出しました。
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   < また一日がをはるとしてすこし夕焼けて >・・・種田山頭火
   < 夕焼けて西の十萬億土透く >・・・山口誓子
   < 夕焼の雲の中にも仏陀あり >・・・山口誓子 
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西に傾く日輪は、儚さや、せつなさ、悲しさ、寂しさ、別れ、衰退や没落、老いや近づく死などを、あらわすものとして用いられるノスタルジーの象徴。
また西方の日輪が沈む方に有るのが、浄土≒弥陀の極楽の象徴。
西方十萬億土とは、
阿弥陀仏(あみだぶつ)がいるとされる苦しみのない安楽な世界≒西の十万億土の彼方にあり、苦しみのない安楽な理想の世界。
人の臨終の時に、山を越え五色の雲に乗った「阿弥陀如来」が、二十五菩薩を引き連れて、浄土へと導いてくれるという「来迎思想」が、平安末期に芽生えてゆきます。
平安時代から落日に、浄土のイメージを重ねた日本人。平安末期以後、浄土の教えが盛んになります。西方に浄土を想い起して、山の彼方に仏の来迎を信じてゆきます。
煩悩や迷いのない清らかな浄土は、西方に広がる落日信仰でもあります。

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普通この太陽の午後の高さが、一番眩しい時です。
この時間帯でも、眩しくない静寂な日輪が、私には弥陀来迎(ミダライゴウ)の場面(山越来迎…ならぬ…ビル越来迎)の序章を思い起こさせます。!?
この西方の浄土に憧れたのが、西に行く人・真言宗の歌僧;その名は西行法師。

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≪…山越来迎…≫
山越阿弥陀来迎図は平安後期・鎌倉時代の人が死に向かい合った時の、死ぬための装置のようなもの・・・。
それは「死ぬ時の作法」なのです。当時の人は臨終を迎えようとする時、その傍らに山越阿弥陀来迎の(仏画;弥陀三尊)を掛けたようです。
=<阿弥陀三尊とは?阿弥陀仏と、その左右に脇侍(きようじ)する左の観音菩薩と、右の勢至菩薩>=
死に行く者を、浄土へと導いていくのが阿弥陀如来。
だから死の床に横たわる人は、実際に(仏画)或は(仏像)の中の阿弥陀と、直接繋がっている五色の糸(善の綱)を握り、安心して極楽浄土への死出の旅に出たといいます。
仏像の白豪には、水晶球がはまっています。背後から灯明などで光を当てると、まるで阿弥陀の白豪が、本当に光を発して、輝いているように見える装置を、していたといいます。
その光を受けながら「お経を唱え、心静かにあの世に旅立つ」それが当時の人たちの死ぬための作法だったようです。そうする事が本来の「枕経」のあり方と言えます。現在では諸事情により息をひきとって始めて、「枕経」をする慣わしとなりました。
≪山越来迎図&弥陀の仏像≫らは、臨終時の行事の儀式に使用され、往生者が極楽往生を願いながら、息を引き取るものなのです。
そんな時代背景と、鎌倉期以降に世が乱れて、法然の浄土宗・親鸞の浄土真宗≒他力の教えが出現してゆきます。
身分の関係なく「誰もが念仏すれば、容易くお浄土へ往けると説く」他力の教えが全国に広まりました。
  
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真言宗である私は「自力」ですから、
【阿)阿息観】を、心静かに修しながら、臨終の時に、吐く息、吸う息に、宇宙の 命の本源である「(;ア)」の声を唱え、天地と呼吸を通わせ、「阿;」の声と、一つになって宇宙の大生命を、感じる瞑想法をし、大日如来(宇宙)と、一体化する呼吸をしながら、大日如来(宇宙)のもとににとけ込むように、往かれれば理想です。最終的には同行二人のお大師さんと、弥勒菩薩の「兜率の浄土」へ往くことです。
一般的に、
自分の力によって修行し、悟りを得ようとするのが、聖道門(しょうどうもん)の教え。
自力(聖道)門。⇔他力教≒浄土門において、阿弥陀仏の他力本願の力により往生する事。
浄土門(他力)⇔聖道門(自力):他力門⇔自力宗。
   
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来迎図で有名なのは、「高野山有志八幡講の阿弥陀聖衆 来迎図(国宝)」や、振り返った姿が美しい、見返りの阿弥陀さまを、ご本尊とする京都永観堂に伝わる「山越阿弥陀図」・総本山知恩院の「二十五菩薩来迎図」など、いずれも国宝に指定されています。
弥陀像では「兵庫県小野市浄土寺の弥陀三尊像(国宝)」「高野山蓮華三昧院阿弥陀三尊像(国宝)」等・・・。

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西方極楽浄土が、阿弥陀如来の浄土です。この西方浄土は、人が死後に往生したいと願う、浄土教思想の極楽浄土でありますが、高野山(真言宗)の場合は、現世、即ちこの世の浄土(弥勒浄土)が、高野山であるという信仰が、弘法大師入定信仰の中に生え、独自な展開を示した「兜率の浄土」です。
釈迦の在世は80年ほどです。
こ世は、次の仏陀である、弥勒菩薩が仏陀となって出現する、56億7千万年未来まで、仏陀の居ない世界となり、56億7千万年後の弥勒菩薩が、仏陀となるのを待つか、浄土教のように他力で、弥陀西方極楽浄土に生まれ変わることを願うか、または自力の真言宗のように菩薩行によって、この世界の浄土化を願うかです。大乗仏教には救済の教えは<自力>:<他力>の二つが有るのです。
ゴータマ・シッダールタ(仏陀)の入滅後、56億7千万年後の未来に弥勒菩薩が、姿を現し、多くの衆生を救済するとされています。
現在の天文学では、56億7千万年後に太陽は、白色矮星になっていて、太陽から放出されたガスによって、56億7千万年後に、新しい星が誕生している事は、十分考えられるそうです。その時が真言宗で云う、新生なった弥勒菩薩の浄土(兜率の浄土)が始まるのかも!?

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