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■ 21)長府『忌宮』飛び地境内≒元『忌宮』別当神宮寺飛び地境内:神の島;満珠・干珠島は・・・2008.12.2

写真は長府沖に浮かぶ、古来からの神の島【満珠・干珠】です。
(「忌宮」の飛び地境内。)
(画はクリックで拡大表示)

土地台帳では、沖の方が「干珠島」。国土地理院の地図では、
沖の方が「満珠島」となっているそうで、どちらが満珠で、 
どちらが干珠かということは、定説が出されていないようです。 
どちらであっても神の島なのです。

現在は東の忌ノ宮鳥居前からすぐ埋め立てられています。昔はこの【満珠・干珠】がある方向琴の浦が「忌宮」境内からよく見えたことでしょう!
昔は鳥居下からすぐ海岸でした。ここからの日の出が綺麗だったそうです!東の忌ノ宮鳥居前からすぐ見える琴の浦からの神の島【満珠・干珠】は当に神の島に見えたことでしよう!

源平の壇ノ浦合戦の時、ここに源氏が陣を張った所で知られています。
明治までは『神宮寺:忌宮』の飛び地境内でした。
明治の神仏分離令により、今は「忌宮」神社の単独の境内です。
その後、 
神宮寺はどうなったかと言うと、当山福仙寺と合併したのです。
 
明治以前の神仏習合の時代は、 
【神宮寺】がお宮「忌宮」を含め、全ての実権を握っておりました。現存する当時の行事の古文書を見れば分かります。

神宮寺(明治初年 福仙寺と合併しています)だから、神宮寺の宝物や什物は全て当山=福仙寺に来ています。当時大八車拾数台連ねて長府から移したと云われております。

以下のことは、
この欄の項目24) 
24) 長府:四王司山の本当のご本尊“毘沙門天像”とU〓U“長府の町の成り立ち”の一考察◇&◇“忌ノ宮の社名”の謂われを私的に考察 として
この欄の項目の直ぐ下24)に、アップ(文中の一部として)しているものです。

当山に来てから失われたものが多くあるようです・・・!
その際たるものが 満珠・干珠の金銀の珠(たま)でしよう! 
皆さん、 
この金銀の珠の事を知っていましたか!?
その金銀の珠は、満潮になると湿って汗をかき、干潮になると乾いていたと云う。神宮寺の伝説となってあったことを!

神の島『満珠・干珠』は神功皇后にまつわる、長府沖近くに寄り添うように浮かぶ、小さな二つの小島。
今の忌宮神社の飛び地境内と言う事は、明治期までの神宮寺の飛び地境内でも在ったわけです。
島の名の由来は、神話時代外敵がこの地に襲ってきた時、初めに干る珠(たま)を投げ込んで船を足止めし、船を捨てて干上がった地に徒歩で渡って来た敵人に対して、今度は満ちる玉を投げて海の水を元に戻し、水攻めで敗退させたという。神話にまつわるものとされているものです。
そこまではよく知られていると思いますます。
その珠が満珠・干珠に例えた、金銀の珠だったと言うのです!。たぶん満珠が金で干珠が銀だったのでしょう?

先々代の住職さんの頃には存在していました。先代の住職さんの若いときにはお寺に在り実際に見たと、言われるのを度々聞かされました。
やはり戦後のどさくさ?(当山には戦時中、関東軍暁部隊が駐屯していた。住職は招集されて戦地)が原因なのでは!!?・・・
それ故現在では、この金銀の満珠・干珠にまつわる珠(たま)が在ったと言うことすら知る人は無くなつたのでは・・・?
市の伝説の中でどのように、扱われているのかはっきり分かりません。
私が調べた範囲では見つかりませんでした。
伝説のなかで満珠・干珠の珠という事は伝わっているけれど、其れが【金・銀の珠】であったという所が抜けているのでは!??
何か分かったお方は教えて下さい。
金銀の珠があったと、その話しだけでも、聞いておられるお方があれば教えて下さい。

 ※参考@※ 
神宮寺とは ≡ 神宮寺の建立について、
(以下数種の資料・事典を総合して) 
日本人が、仏は日本の神とは違う性質を持つと理解するにつれ、仏のもとに神と人間を同列に位置づけ、日本の神々も人間と同じように苦しみから逃れる事を願い。仏の救済を求め解脱を欲しているという認識がされるようになる。 
715年には越前国気比大神の託宣により神宮寺が建立されるなど、奈良時代初頭から国家レベルの神社において、神宮寺を建立する動きが出始め、満願禅師らによる鹿島神宮・賀茂神社・伊勢神宮などで境内外を問わず、神宮寺が併設された。また宇佐八幡神のように神体が菩薩形をとる神(僧形八幡神)も現れた。 
奈良時代後半になると、神宮寺建立の動きは地方の神社にまで広がり、若狭国若狭彦大神や近江国奥津島大神など、他の諸国の神も8世紀後半から9世紀前半にかけて、仏道に帰依したいとの意思を示すようになった。こうして苦悩する神を救済するため、神社の傍らに寺が建てられ神宮寺となり、神前で読経がなされるようになった。
※参考A※
更に『神宮寺と忌宮』のことは、この欄の項目に、 
4)長門二宮[忌ノ宮]の別当[神宮寺」(福仙寺と合併) & [赤間神宮]の前身:廃寺の(阿弥陀寺):の事
として、
アップしております。参考にしてください。

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