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■ 10)海峡ゆめタワーが見える 風景(秋) その4 【岬ノ町埠頭からの夕焼け≒「鱗雲;鯖雲;鰯雲】2008.6.12

岬ノ町埠頭から、 
(秋 彼岸過ぎに)真西を見る。 「うろこ雲;鯖雲;鰯雲」のSUNSET CLOUDS。

    大いなる船ほうほうと汽笛鳴らし
          馬関海峡暮にけるかも
                  吉井 勇

馬関とは、下関市の昔のニックネーム。下関市は、明治22年の市制施行当初「赤間関市(あかまがせきし)」としてスタートしましたが、「赤間」の「間」の字に「馬」の字をあてて「赤馬関」、それが「馬関」となっているものです。・・・と・・・
以上;市HPより。

〓万葉の頃は関門のことを、穴門(あなと)と云ったようですよ!〓

(画像はクリックで拡大:二度クリックでさらに拡大)

この様な綺麗な鱗雲・鯖雲・鰯雲は、秋の天気のいい日、一番高層に発生すします。
だから、 
釣瓶落としの秋の夕焼けは、シャッターチャンスがなかなかありませんでした。
カメラを持って出てみたら最初は黒く、あまり写真向きでなかったので、帰ろうとして帰りかけたら(自転車です)綺麗に色付きはじめたので、又もとのところに戻りシャッターを押しました。だから少しシャツターチャンスが遅れてしまい残念です。
見過ごして帰ろうとした時は、もっと綺麗に夕焼けていましたよ!!無念・・・
それにしてもこれが撮れたのは幸運でした。 
あっという間に鱗雲になって、夕焼けてゆく光景に、久しぶりに少年のような興奮を覚えました。(今まで部分的に現れる鱗雲しか知らなかったので! しかも昼の鱗雲。) 
引き返すまでに、色が刻一刻と薄れてきました。(つるべ落とし)手前の上部がもっと夕焼けていました。
でも完全というか、めったに見られない、美しいパーフェクトな鱗雲だと思います。  
空一杯に広がった教材の見本のような「うろこ雲;鯖雲;鰯雲」と言っていいでしょう。
風のない穏やかな日でした。 
NETをのぞいてみたら、 
鱗雲の写真は昼の雲ばかりで、夕焼けの鱗雲の写真はあまり見当たらなかったように思います!!
夕焼けのいわし雲の状態が、ここの画(写真)の情景。
夕焼けの少し前、夕暮れの光景を読んだ情景の句が、「李桃丘子」の句。[ 夕暮れは 草の上なる 鰯雲 ]。 

「秋の夕焼け、鎌を磨げ」と言う諺があったと思います。
“秋の夕焼けは、次の日お天気だから、鎌を磨いで農作業に備えよ。”
の意味だと思います。 
この夕焼けの次の日の朝が、お天気のいい朝焼け小焼けであったかは分かりません。
【「巻積雲」は「巻雲」「巻層雲」とともに雲の中でも、一番高いところに出来るグループで、たいてい氷の小さな粒で出来ている。多くは地上にある寒冷前線などに関連し、その上層部に広がった不連続面に沿って出来たりするので、昔からの言い伝えどおり、天候の下り坂に出現することが多いようだ】とあるように、鱗雲の夕焼けはお天気が下り坂のようです。
鱗雲でなく普通の夕焼けだったら「秋の夕焼け鎌を磨げ」と言う、諺が当てはまるのかも知れません。
 
♪夕焼け小焼けで日が暮れて〜
山のお寺の鐘が鳴る・♪・♪・♪・

ここで、金子みすずの「大漁」の詩を!!
みすずは下関の近くの長門市で生まれ、大半を下関で暮らしたと言われます。みすずの詩が好きなのでここに載せます。
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<大漁>  朝焼小焼だ
        大漁だ
        大羽鰯の
        大漁だ

        濱は祭りの
        やうだけど
        海のなかでは
        何萬の
        鰯のとむらひ
        するだろう
詩には、みすずの優しさがあります。

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みすずの事。 (以下市HPページ・数種の資料・事典を総合して)
金子みすずは、下関の隣の市。山口県長門市に生まれ、女学校卒業後、下関西之端町上山文英堂書店で働き始める。みすヾの父金子庄之助は彼女が3歳の時に死んで、2歳下の弟の正祐が叔母(母の妹)の婚家先に養子に遣られる。やがてその叔母も死んで、その後釜にみすずの母ミチが入る。みすヾが16歳の時であった。(みすずが番頭と結婚するまでは、弟は実の姉と言う事を知らなかったと言われる。)母が再婚した上村松蔵は下関で手広く書店を経営していた。女学校を卒業したみすずも下関に出て、上村文英堂書店を手伝うことになる。先に養子に来ていた正祐とは姉弟の血縁関係だったが、店主の松蔵の意向でこのことは正祐に知らされていなかった。(それが後の悲劇につながる一因?! 弟正祐も後に悩む事になるのでは?!)
(みすず本名・テル)は、明治36年(1903年)4月11日。山口県大津郡仙崎通村(現長門市)にて生まれた。女学校卒業後大正12年(1923年)下関西之端町商品館内の上山文英堂書店で働き始め、6月頃よりペンネーム「みすゞ」で童謡を書き投稿を始めた「童話」・「婦人倶楽部」・「婦人画報」・「金の星」などの雑誌に童謡が掲載され、西条八十より「若き童謡詩人の中の巨星」とまで賞賛される。
大正15年(1926年)2月同書店(義父になる店主)に奨められ番頭・宮本啓喜と本意ではない結婚。この年の「日本童謡集」に「お魚」と「大漁」の二編が掲載されるが、創作活動に反対する夫により活動を停止する1930(昭和5年2月に離婚。その後娘ふさえの養育権を、夫に奪われた事を苦に服毒自殺。享年26歳。

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鱗雲とは(以下気象HP・数種の資料・事典を総合して) 
空いっぱいに広がった「うろこ雲、鰯雲とも鯖雲」ともいう。いずれも群れや同じものの連続を表すような名前で、正式な雲の名前(=基本雲形10種)でいうと「巻積雲」という。同じく群れを連想させる名前でひつじ雲というのもあるが、これは「巻積雲」より雲の出来る高さが少し低い「高積雲」に区分される。
巻積雲(けんせきうん ラテン語学術名cirrocumulusシーロキュムラス)とは、高度5〜13km程度に浮かぶ、白い小さな塊がうろこのように並ぶ雲。基本雲形(十種雲形)の一つで上層雲に分類される。氷の結晶からできている。絹積雲とも書く、またうろこ雲・鰯(いわし)雲・さば雲などとも呼ばれる。

巻積雲の雲形は高積雲のそれとよく似ており、判別が難しい。巻積雲と高積雲の見分け方としては、雲のできる高さ(巻積雲の方が高い所にできる。)
一つ一つの雲の大きさ(巻積雲の方が小さい)雲の薄さ光の透過具合。(巻積雲の方が薄く太陽の光が透けるので影が出来ない。)
などが挙げられる。

巻積雲はその形によってさらに細かく層状雲。レンズ雲・塔状雲・房状雲に分類されることがある。

温暖前線や熱帯低気圧の接近時には、巻雲の次に現れるため、順番にこの2つの雲がみられると、天気の悪化が近づいていることが明白になってくる。

国際式天気図に使用される雲形記号においては、十種雲形の中で唯一巻積雲を表す記号だけが1種類しかない。

俗称であるうろこ雲・いわし雲・さば雲はどれも秋の季語である。低緯度から高緯度まで広い地域でほぼ年中見られるが、日本では秋は台風や移動性低気圧が多く近づくため特に多く見られ、秋の象徴的な雲だとされる。

この雲は天気の下り坂の前兆で現われることが多いとされる。実際今日のようにここ数日のうちでも特に、穏やかで過ごしやすい日などに現われることが多く、翌日には雨や雪が来る。

また空の片隅にさっと現われたかと思うと、気が付けば見る見るうちに空一面に広がり、そしてさほど長い時間この美しい縞々模様はとどまらることなく、いつしかそれまで晴れていた空を曇り空に変えてしまう。

「巻積雲」は「巻雲」「巻層雲」とともに雲の中でも、一番高いところに出来るグループで、たいてい氷の小さな粒で出来ている多くは、地上にある寒冷前線などに関連し、その上層部に広がった不連続面に沿って出来たりするので、昔からの言い伝えどおり天候の下り坂に出現することが多いようだ。

また連続して見られるさざなみや、砂の風紋にも似た雲の波のような模様が、ときには空一面に広がることから、古くから最も美しい雲とも言われている。
いわし雲は「高積雲(こうせきうん)」または、「巻積雲(けんせきうん)」という雲の別の呼び方です。
ほかの呼び方に「ひつじ雲」「うろこ雲」などがあります。
この雲は、雲の下の気温が高く、雲の上の気温が低いときに「対流(たいりゅう)」が起こることによって発生します。

このいわし雲と似たような原理を、身近なところで見ることもできます。
おみそしるのなべをわかしていたら、そのなべの中をちょっとのぞいてみと、おみそしるのみそや具があちこちで細かく、下からわき上がっているのが見えると思います。これはなべの下は熱く、上は熱くないために起こる「対流」なのです。
と、

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〓夕焼け:夕暮れ:黄昏の余話〓(以下国語辞典等参考に・・・)
 
暮れなずむと言う言葉があります。 
暮れなずむとは、暮れそうで暮れない夕日の事で、 
「なずむ」とは「泥む」と書くようで、足元が泥にまとわりついて、進めない事のようです。その事から暮れなずむと使う言葉の時期は、この写真のような秋には使わない筈です。 なお「暮れなずむ」と近い意味のことばとしては、「春の季語」の「暮れかぬる(暮れかねるという意味)」「暮れ遅し」「夕長し」なとがあります。これらも暮れそうでなかなか暮れない状態のこと、春の日足の長いことを表します。
季語は春です「暮れなずむ春の空!」と言うように使うのでしよう!

この写真のような鱗雲の頃の、夕焼けは当に「秋の日の釣る瓶落とし」です。
(釣る瓶落とし⇔暮れなずむ)
武田鉄矢作詞の海援隊ヒット曲『贈る言葉』に、
以下のような歌詞があります。

暮れなずむ町の 光と影の中
去りゆくあなたへ 贈る言葉♪・♪・〜

序でに、「♪暮れそうで暮れない 黄昏時は・♪・♪・♪〜」と言う 南 沙織?の流行歌があったように思います。

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「暮れなずむ」≒「暮れそうで暮れない」≒「暮れ遅し」・「夕長し」は皆同じ。

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以下:「黄昏・夕暮:暮れなずむ・暮れ遅し・夕長し」:について少し。
五木ひろしのデビュウー曲 :♪横浜 黄昏 ホテルの小部屋〜♪・・♪
や、
水原 弘・ちあきなおみの、:♪黄昏のビギン 雨に濡れてたたそがれの街〜♪・・・♪
竹内まりやの:「駅」・♪・・・見覚えのあるレインコート 黄昏の駅で胸が震えた
はやい足どり まぎれもなく〜♪・・♪・・たそがれの銀座。
♪花咲く花散る宵も、銀座の柳の下で♪・・・松尾和子。
♪「たそがれゆく・・銀座〜♪・・・」・・・マヒナとロスプリモス。

 他にも黄昏の唄は、いろいろあったように思います。

因みに黄昏とは、辞書によれば、古くは清音で「たそかれ」で、江戸時代の頃「たそがれ」と濁音となる。薄暗い夕方は人の顔が見分けにくく、誰だあれは!と言う意味で、 「誰そ彼」「たそがれ」は夕暮れ時をさす言葉となったようです。
黄昏は当て字で、本来の読みはこうこん。たそがれは日の盛りが過ぎ、特に人生の盛りを過ぎた年代を喩えることでもある。

(ほのかの漢字)は→(仄か・側か)≒かすか≒黄昏≒夕暮れ≒暮れ遅し・夕長し。 

万葉集(2)「うつせみと思いし妹が たまかざるほのかに見えぬ思えば」
源氏物語(夕顔への返歌)
[寄りてこそ それかと見め たそかれにほのぼの見つる 花の夕顔]
[ほのかにも軒端の萩を結ばずや]
宇津保物語(梅花笠)に、
「ほのかに染むる桜には」「ほのかな光」

「心なき身にもあわれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮れ」 西行

「さびしさはその色としもなかりけり 槇立つ山の秋の夕暮れ」 寂蓮

「見わたせば花も紅葉もなかりけり 浦のとまやの秋の夕暮れ」 定家

儚さを好む日本人は、古代から好んで、
夕暮れ:黄昏≒仄か・側か≒かすか≒黄昏≒夕暮れ≒暮れ遅し・夕長しを受け入れ易いのだと思います!!
「黄昏:暮れ泥む:夕暮れ」と言う言葉の中に、詩情を感じる日本人は現在でも多いいと思います。
「黄昏:暮れ泥む:夕暮れ:暮れ遅し・夕長し」と言う儚い心情は、ほのか・わび・さび・と同じように、殺伐とした現在でも多くの日本人には受け入れ易いのでしよう。 よ!
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